胡蝶蘭農園の繁忙期は「3月~4月」
訪ねたのは埼玉県にある黒臼洋蘭園さん。1984年に創業し、年間30万鉢を出荷する胡蝶蘭専門の農園である。
……ちょっと最初にハウスの中を見てもらっていいですか。
ハウスの中で出荷を待つ胡蝶蘭、その数1万本!
後ろから見るとこう。白が7割を占めるそう。
前も後ろも手前も奥も胡蝶蘭。現実感のない光景に若干のおよび腰
胡蝶蘭はきれいなカーブを描いて咲くように、支柱に茎を添わせている。原産国は東南アジア。胡蝶蘭の学名は「ファレノプシス」で、「蛾のような」という意味。和名にする際に蛾から「蝶」に変わっている
めでたさ極まりない光景に目がくらむが、ずらりと並ぶ胡蝶蘭は1株単位のもの。まだ我々が普段目にする鉢植えの状態ではない。
ここから株をいくつか選び取って、1つの鉢の中に「寄せ植え」をする。最も売れ筋の商品が3株まとめた「3本立」で、お値段2万円台から。5本立、7本立と本数が増えるほどランクが上がっていく。
オーダーに合わせて寄せ植えしていく。中央にある黒い鉢が「7本立」の胡蝶蘭。桁違いのボリューム。お値段は7万円。
さっき簡単に「株をいくつか選び取って」と書いたけど、3本立や5本立にしたときに美しく見えるよう、咲き具合の相性がよい株を組み合わせねばならない。しかも1万株からそれらを探す。超絶難度の神経衰弱だ。想像しただけで身震いしてしまう。
寄せ植えをさらに支柱を補強したら、別のハウスで梱包し全国へ出荷。形が崩れないよう丁寧に段ボールに入れる。花の横に立てる木札(「御祝」とか「祝開店」とか)もここで作る。
ハウスに併設された売店には寄せ植えされた胡蝶蘭が並ぶ。会社でよく見るあれだ! 背筋も伸びる。
お話をうかがったのは黒臼洋蘭園の黒臼秀之社長。
黒臼洋蘭園では月2万5000鉢が出荷されるという。一年で一番忙しい時期は「3月~4月」とのこと。年度またぎで人が動く時期なので、異動、昇進、退職、新入学に卒業まで、イベントが山盛りなのだ。
「9月10月も半期の区切りで異動がありますし、6月も株主総会で新社長が誕生するので忙しくなりますね。叙勲のお祝いにも贈られるので、紫綬褒章などのタイミングでも動きます。他に大変なのは選挙の当選祝いですね。こればかりは時期の予想がつきません」
ちなみに胡蝶蘭はお祝いごとだけでなく、供花として葬儀に贈られることもあるそう。慶弔どちらでも大丈夫。ハイブリッドな花である。
胡蝶蘭は花が咲くまで5年かかる
事務所でお話をうかがいます。
そもそも、なぜお祝いで胡蝶蘭が贈られるようになったのか。聞けば、胡蝶蘭の花言葉は「幸せが舞い込む」。おめでたい花であり、高級感もあってゴージャス。ハイクラスな贈り物にはもってこい。
ただ、それだけではないと黒臼さんは言う。胡蝶蘭ならではの「メリット」もある。
「花の“もち”が非常にいいんです。鉢植えの状態で2ヶ月はもちます。そのうえハウス栽培ができるので、一年を通じて安定した供給ができるんです。また、花の香りがほとんどしないので、飲食店などに贈ることもできます」
そういえば、ハウスの中は1万本も胡蝶蘭が咲いているのに、花の匂いが全くしなかった。無臭だ。
こんなに咲いているのに「無臭」
同じランの仲間でも、例えばカトレアなどの洋ランは匂いが強いのだという。ゴージャスと無臭。部活と勉強のように両立が難しいかと思われるが、胡蝶蘭ならできるのだ。
で、もう一つ気になるのはそのお値段。やっぱりその、他の花に比べてちょっとお高いですよね……これはなぜ……?
「胡蝶蘭は種の状態から花が咲くまで、5年ほどかかるんです。非常に長い時間を必要とするので、当園では最初の4年分を台湾の業者に任せ、苗を毎週5000株輸入しています。残りの1年、開花までをうちのハウスで栽培しています」
苗のコスト以外に、設備投資と人件費もかかってしまうそう。
胡蝶蘭は東南アジア原産のため、夏も冬もハウス内の環境を一定に保たねばならない。支柱を立てたり、オーダーごとに寄せ植えしたり、形を崩さぬよう梱包したりと、人手も必要になる。黒臼洋蘭園も27棟のハウスがあり、約80名の従業員の方が働いている。
胡蝶蘭の鉢を載せて運ぶ巨大な台車。ハウス間の移動や、トラックの積み込みに使われていました。
ならばと思い切って、いま取り扱っているなかで一番高価な商品をご紹介いただいた。お値段140万円。胡蝶蘭でできた「蝶」!
「カラフル胡蝶蘭 特大蝶モチーフ」 関東限定。人がすっぽり入る大きさ(写真:黒臼洋蘭園)
「去年東京ドームで行われた『世界らん展』に展示するために、うちのスタッフが2日がかりで作ったものです。ですので、ご注文される場合は出荷まで2日お待ちいただければ」
この他にも、胡蝶蘭100本を使った巨大な玉「白大輪胡蝶蘭百玉」が120万円。Youtubeに制作の様子がアップされていて、こちらも作るのは2日がかり。出荷のためにフォークリフトも出動する。大変だ。
同じ花が同じ形・同じ大きさで咲いている理由
ところで、いつから胡蝶蘭がお祝いに贈られるようになったのだろう? 黒臼洋蘭園ができた30年前から、贈答に使われていたんですか?
「いえいえ、30年前は切り花で売ってましたし、むしろ使い道が分からない花でした。今のように贈答用として広まったのは、寄せ植えが考案され、宅配便が普及してからですね」
30年前は胡蝶蘭の切り花1本が5000円で売れたそう。時は80年代。「バブルでしたよね」
もうひとつ胡蝶蘭が普及した要因がある。安定した品質で、大量に生産できるようになったのだ。
先ほどハウスで見た1万本の胡蝶蘭、実は「クローン」なのである。
同じ花・同じ形・同じ大きさ。なぜならみんなクローンだから……!
バイオテクノロジー技術の発展により、胡蝶蘭の種のクローンを作れるようになった。見た目が美しく、病気にも強い優良品種をクローンで増やして栽培すれば、同じ物をたくさん作って届けることができる。
だからハウスの中の胡蝶蘭は、同じタイミングで同じように花が咲いているのだった。
「それこそ30年前は胡蝶蘭同士を交配させて種を作っていたのですが、遺伝のコントロールが難しく品質が安定しませんでした。営利栽培ができるのはクローン技術のおかげです。ただ、クローンは親をコピーするだけなので、それ以上の成長はありません。新たな品種を生み出すため、交配も引き続き行われています」
こちらは品種改良によって生まれたハーフサイズの胡蝶蘭「ミディ」。一鉢3000円とお手頃価格なので、母の日のプレゼントなどにも人気だそう。
もらったあとは家でも育てられる
さて、会社に届いた胡蝶蘭、ビジネスパーソンの皆さんはその後どうしているだろうか。「欲しい人は持って帰って」と言われてないだろうか。そんなこと言われても……と尻込みしていないだろうか。
もしそうなら迷わず持ち帰ってもらいたい。元気よく右手を挙げて立候補してほしい。
「1回咲いたら終わり、と思っている人も多いんですが、もったいない! 一般家庭でも毎年花を咲かせることができるんです。 日当たりのよい窓際、レースのカーテン越しに日光をあてるように置いてください」
ポイントは「水をあげすぎないこと」。胡蝶蘭を枯らしてしまう原因は、ほとんどの場合水のあげすぎによる根腐れ。2週間に1度、1株あたりコップ1杯の水をあげるだけでいい。
売店には水やりのタイミングを知らせる便利な道具も売られていました。サスティー。
え、でもあんなにたくさん花が咲いてるのに、たったそれだけで大丈夫なんですか……?
「もともと、胡蝶蘭は熱帯のジャングルで木に着生する植物。雨水や空気中の湿気から水分を得て育ってきたので、家でもこまめに水やりをしなくて大丈夫です。ハウス栽培でも水やりは1週間に1度のペースですね」
よく見ると、胡蝶蘭の株は土ではなく水苔に植えられている。原産地に近い環境。
胡蝶蘭をはじめ、「若い世代にもっと花を楽しんでほしい」と話す黒臼さん。自身の農園でも「植替え講習会」や「オークション」などのイベントも定期的に行い、食育ならぬ「花育」に取り組んでいるそう。
会社に届く胡蝶蘭は、何人ものプロの手を介してやってくる。これからは「この花が咲くまで5年……」と、見る目が変わるはずだ。
家に胡蝶蘭を飾ると出世したみたいになる
取材のあと、胡蝶蘭の切り花をお土産にいただいた。大輪の花が連なってずっしりと重い。切り花の状態でも1ヶ月もつそう。改めてその生命力に驚く。
さっそくリビングに飾ったら、ものすごく出世した気分になった。胡蝶蘭=昇進祝いの刷り込みを逆手に取ったライフハックである。自宅に居ながらにして出世したかったら胡蝶蘭を持って帰ろう。
取材から1週間以上経っても花がそのままです。すごい。
取材協力:
黒臼洋蘭園
※胡蝶蘭の育て方は黒臼洋蘭園のホームページにも掲載されています! (
こちら)