冬は通行止めになる国道
国道299号線、通称メルヘン街道は11月のはじめから4月下旬まで通行止めとなる。除雪されないので一般車両は入れない。
北八ヶ岳の真ん中あたり、麦草峠を通るため一部を歩く人は多いが、閉鎖区間を全部歩いた記録は見つけられなかった。
上の地図の青い線が今回歩いたコースである。左(西)がスタートで、右に向かって歩いた。およそ24km、最高地点は麦草峠の2127mだった。
そのくらいの標高になると、天気次第では極低温と強風吹き荒れる『ガチの冬山』になる。気温は-20℃以下、風速10mの風が吹けば体感温度は-30℃である。厳冬期装備で挑んでも、ウッカリすれば死ぬ。
天気予報を見て、良さそうな日を選んで出発することにした。
アクセス
まずは最寄りの茅野駅まで。筆者が住んでいる東京都江戸川区からはやたら遠く、始発の地下鉄東西線に乗り、中央本線を乗り継いで着いたのは10時すぎだった。
アルピコバスに乗換え、国道299号線に近いバス停まで40分。なんだかんだでスタート地点に立った時には11時を廻っていた。
途中の甲府駅で食べたかき揚げそば。
5時間の道中、2回寝た。1回寝て起きて、しばらくSNSとか見て、もう1回寝た。
八ヶ岳を南側から見たとこ。雲が掛かっていて、嫌な感じである。
バスに乗換え。笹丸平というバス停まで行く。40分、1000円。
バスの中からも雲が掛かった八ヶ岳が見えた。嫌な予感しかしない。
到着、準備、出発
やっと着いた。11時といえば、山登りのスタート時間としては遅い。明らかに遅い。
ちょっとうるさい山オジサンに見つかれば「こんな時間から登るなんて遅すぎる!出直してこい!」と怒られる時間である。
でも始発で来てこうなんだから仕方ない。
ここまで5時間半。
靴紐を結んだりウェアを調整したりして、出発。防寒着を着すぎていると汗をかくので、フリースやダウンジャケットを脱いだ。
冬山で汗は命取りになる(体温を奪われる)。
40リットルのザックに冬山テント泊装備を詰め込んだのでパンパン。カメラなど込みで18kg。テント泊の場合、スコップは必須。
冬の登山、特にテント泊は必要な装備が多い。テント一式、寝袋、防寒具、手袋、ゴーグル、わかん(かんじき)、アイゼン、ピッケルなどなど。
だから60~70リットルなど大容量のザックを使うのだが、都合により40リットルのザックを使う事になった。
なので、ピッケルやわかんなど、必要なさそうな装備は省いた。が、それが後に問題となる。
しばらくは除雪されていた。
スタート地点の標高は1300mほど。今年は暖かい日が多く、雪が少ないようだ。
この道はカチカチに凍っていた。滑る。
テラッテラ。
笹丸平から歩いて1kmくらい。国道299号線に出た。しかしここはまだ普通に車が走っている。
左に曲がります。
バス停はあるが運休している
299号線と合流してすぐにバス停があった。が、バスは運休している。バスが動いている季節なら『麦草峠線』で上まで行けるのだが、冬はバスに頼れない。と言ってタクシーを呼ぶ予算はない(自腹)。
この路線が運休しているので笹丸平から歩いてきた。
まだ雪は少ない
メルヘン街道の上の方には別荘地があり、そこに行く車や除雪車などがたまに走っていく。それなりに除雪されているので歩きやすいが、ところどころ凍っていて怖い。
天気がよく、日が出ていれば暖かい。まだ手袋無しでも大丈夫。
雪と動物の足跡
標高が上がっていくと雪が増え、動物の足跡なども見られる様になってきた。
鹿の足跡。
片側1車線の細い道路だが、ちゃんと国道である。
標高は1400m。
全面通行止めの看板はあるが、普通に車が走っていた。まだ通行止め区間ではないようだ。
淡々と登っていきます。
出発前は雲が掛かっていて不安だったが、天気はよく、風は弱く、雰囲気としては春山に近かった。
蓼科山。プリンの様な形で、遠くからでも判りやすい。
前にブレードがついた除雪車。見慣れないので面白い。
重い荷物を背負って歩くと、むしろ暑くなってくる(気温は-5℃くらい)。
まっすぐ続く白い国道。
別荘地の真ん中にあるバス亭。すっごい錆びてる。
三頭ほどの鹿の足跡が別荘の方に続いていた。
肉球があるので、犬、たぬき、キツネ、テンなど、そういう動物の足跡。
『キョン!』というかん高い声が聞えたと思ったら、鹿が逃げていった。一度こちらを振り返ったが、カメラを構えたらまた逃げた。銃で狙われたと思ったのかも知れない。
鹿の尻が見えるだろうか(真ん中へん)。
雪がだんだん深くなっていく。別荘地でも、上の方ともなると今の時期に訪れる人は少ない様だ。
歩いているのは自分一人。車も減って、周りに人の気配はない。
だいぶ歩いたと思ったが、まだ通行止め地点まで2kmあった。
下の方からエンジン音が近づいてくると思ったら、大きな除雪車が走り抜けていった。
ヒッチハイクしそうになった。
まだかなぁ、なんて思いながら歩く。
代わり映えしない自撮りが続く。
茅野市千駄刈自然学校というゲートがあった。
どうやらここから通行止めのようだ。時刻は14時半。歩き始めて3時間半、9kmしか進んでいない。
次のページにつづく。
ここから車は通行止め
通行止め開始地点には頑丈なゲートがあり、自動車が数台停まっていた。おそらく山小屋関係者や登山者のものだと思われる。
ここから車は入れない。
頑丈なゲート。ここからは除雪されていないので雪の量が一気に増える。
積雪量は60cmくらい
ゲートを越えると、意外にも乗り物が通った跡があった。後に知るが、これはスノーモービルが走った跡で、麦草峠までつづいていた。
スノーモービルの跡。圧雪されていて歩きやすい。
スノーモービルが走った跡は雪が締っていて歩きやすい。が、少しでも外れると太ももくらいまで埋まってしまう。雪の橋を歩いているような感覚だ。
サクサク歩いていく。歩きやすい。圧雪されていなければもっと時間が掛かっただろう。
すっかり雪に埋まっているが、ちゃんと国道299号線。
スピードアップのためにダブルストックを装備。なだらかな場所を歩くには有効だ。
雪山トレッキングっぽくなってきました。
晴天の雪山は気持ちいい
とにかく天気に恵まれた。寒いことは寒いが、風が弱く日が出ているので歩いている間はあたたかい。
霧氷が青空に映える。
展望台に到着。
展望台に登ると、南八ヶ岳の山並が見えた。
当初の予定では、もっと上のテント場まで行くつもりだったのだが、撮影などしていたらすっかり遅くなってしまった。
時刻は16時。そろそろテントを張らないと日が落ちてしまう。仕方ないので展望台の駐車場で寝ることにした。
今日これ以上進むのは危険と判断して、ここで泊まることにした。
テントを張るには整地する必要がある。地面が凸凹だと居住性が悪くなるからだ。
ここは雪がサラサラすぎるので、スコップで掘って叩いて平らにならした。
2×3mくらいのスペースを作った。細かい凸凹はテントを張ったあと中からならせばいい。
テントを張って角をスコップやストックで固定する。竹ペグは効かなかったので細かい固定は諦めた。出入り口は掘って低くしておくと出入りがしやすい。
どうにか日が落ちる前にテントの設営が終わった。きちんと固定していないが、天気がいいので問題ないだろう(夜中に天気が悪くなる場合もあるけど)。
日が落ちていく。
寝るまで結構やることがある
テントを張ったらまずは水作り。冬は荷物を軽くするために水をあまり持たず、雪を溶かして飲み水にする。
幸い、テントの周りは新鮮なパウダースノーだらけ。キレイな雪に困らない。
コッヘル(携帯用鍋)に雪を詰め込む。ここは誰もテント泊をしていないらしく、雪がキレイだった。
呼び水を少し入れて火に掛ける。水を入れないと熱効率が悪くなり時間が掛かる。
溶けてきたら雪を追加してどんどん水を作る。
お湯になったら漏斗でタンクに入れて寝袋に入れておく。湯たんぽになるし凍らない(その辺に置いておくと凍ってしまう)。
テントの外は夕闇。遠くに街の明かりが見えた。
雪にウイスキーを掛けて飲む。冷えた体が更に冷えた(失敗)。
夕飯を食べる
夕飯その1はカレーうどん。ウインナーをたくさん入れてみた。
雪山でよく食べるカレーうどん。
ウインナーたっぷり。体があたたまるが、あっという間に冷める。
まぁまぁ寒い
装備量の都合でグラウンドシートやテントマット(薄めの銀マット)を敷いていない。寝る用マットとテントの下は雪だ。
テント内の温度は-10℃ほど。壁はパリパリに凍っていた。
テントの内側に霜がおりる。
冷凍庫の中にいるようなもんだ。
夜が長いので二食目
カレーうどんは食べたが、まだちょっと足らない。冬山ではご飯をちゃんと食べるのが重要である。
体内のエネルギーが枯渇すると低体温症になってしまうのだ。
凍死しない為にはちゃんとカロリーを取るのが大事なので、米も食べておくことにした。
アルファ米、鯖味噌、みそ汁。
アルファ米は乾燥した米で、お湯や水を入れて待てばご飯になる。鯖味噌はレトルトパックで、みそ汁はフリーズドライだ。
ウカウカしてるとみそ汁に氷が張るので急いで食べた。
アルファ米は作るのに時間が掛かるので、お湯を入れたらチャックをしっかり閉めて懐に入れる。
なかなか寒い
食事のあとは寝袋に入ってスマホでSNSをしたり(ネットは通じた)、ダウンロードしておいたAmazonプライムビデオを見たりしていた。
なお、寝袋はこれまた装備の都合でモンベルの#4(今#4は欠番だが10年前はあった)を使っている。快適温度は3℃以上、テント内の温度は-10℃。どうしたって計算が合わない(寒い)。
夜のテントは幻想的だ(寒い)。
月明かりで写真を撮ってみた(寒い)。
オリオン座(寒い)。
寝袋が薄いので、ダウンジャケットを着て、シュラフカバーも付けた。これでギリギリ寝られる温度になった(それでも寒い)。マットは120cmなので足を伸ばすと冷える。
冬山で装備を削ると寒い。
明日中に踏破できるんだろうか、なんて思いながらの夜(寒い)。
お湯を入れた水タンクやペットボトルなど、凍らせたくないものは寝袋に入れて寝た。
2日目の行程は次のページ。
2日目の朝、すべてが凍っていた
なんとなく寝たり起きたりしているうちに夜が明けた。起きたらテントの壁が真っ白に凍っていた。
真っ白。全部霜。
天井に引っかけたサングラスも凍っていた。
寝る時は無かったのだが、テントの隅には雪が落ちていた。
謎の雪。
三脚も凍っていた。
-10℃くらいか。
朝ごはんは揚げ玉入りの蕎麦。
吐息や蕎麦から上がる湯気がテントの天井に白く溜まって雲になった。しばらくすると消えて、床に白い粉が落ちていた。テント内に雪が降った。
床に落ちてた雪の正体はテント内降雪だった。
手袋をつけたら、それだけで湯気が上がった。ちょっと意味がわからない。
テントを片付けて出発
朝ごはんを食べたので、装備をまとめて出発。テントを撤収したら寝ていた跡が残っていた。
テント撤収後。おわかりいただけるだろうか。
人型にあとが残っている。
外の気温は-15℃くらい。
二日目も好天
朝から晴れていて、風も弱く快適な一日がはじまった。気温は低いがそこまで寒くはない。寒いことで有名な八ヶ岳としては暖かい方だ。
まだスノーモービルの走行跡があり、歩きやすい。
どうにか今日じゅうにゴールまで着きたい(翌日は予定があった)。先を急ぎます。
動物の足跡が気分を和ませる。
可愛い足跡。正体は不明。。
兎の足跡。
シュカブラ。風が雪面に刻む芸術。
廃路線みたいなバス停だが、無雪期はちゃんと走っている。
誰にも会わず、ただ一人で雪道を歩く。人の痕跡はあるけど人はいない。
地球全体が凍り付く
『デイ・アフター・トゥモロー』という映画があるが、気分はまさにアレである。
ただただ上を目指して歩く。
徐々に見晴らしが良くなり、振り返ると御嶽山が見えた。
特徴的な独立峰の御嶽山。
南アルプスも見える。
気持ちいい。冬山のよさは行ってみないとわからないが、夏山より断然魅力的だ。
麦草ヒュッテから、ラッセル
ようやく登りが終わって道が平坦になった。
麦草峠には麦草ヒュッテという山小屋がある。スノーモービルは小屋に向かって跡を残し、つづく国道299号線には踏み跡のない雪道が続いていた。
予想はしていたが、ここからは一人でラッセルである。
デイ・アフター・トゥモロー感。
4年前に撮った写真。天気が悪い方が終末感があり、グッとくる。
踏み跡のない雪をかき分けて進む事をラッセルという。これはなかなかの重労働で、普通の何倍も時間が掛かる場合がある。
この先の状況がわからないので、どのくらいの速さで歩けるのか見当がつかない。
踏み跡が無い国道。ヤバイかも知れない。
雪の深さはくるぶしから膝上くらい。場所によって深さが違う。
わかんは持ってきていないのでツボ足(靴のまま)で歩く。
ラッセルもあるかもな、むしろ絶対あるなと思いつつ、荷物を減らす為にわかんを置いてきたのは失敗だった。
この時点で時刻は10時。最低でも15時にはゴールに着かないと、今日中に帰れない(どこかでビバークになる)。
あと5時間、一人でラッセルを9km。大丈夫だろうか。
進むしかない
状況次第では戻って北八ヶ岳ロープウェイ(麦草ヒュッテから北に2時間ほど)で帰ろうと思いつつ、先に進んだ。
風が強い場所は雪が飛ばされている。
道路が中途半端に凍っていて、なんだかとてもグッときた。人類が滅びた後っぽい。
いい。なんだか知らんが、いい。
人類滅亡の妄想
子供の頃、よく人類滅亡の妄想をした。世界に自分一人が残されて、人間だけがいなくなる。真夜中にこっそり家を抜け出して、誰もいない田舎町を歩きながらそんな妄想をしていた。
一人で雪の国道を歩いていると、同じ気持ちになってなんだかウキウキした。
一人、踏み跡がない道をただ歩く。
時には膝上くらいのラッセルになる。
麦草峠の最高地点、2127m地点に着いた。いつの間にか誰かの踏み跡が現われて、その上を歩いた。一人のラッセルよりは楽である。
同志よありがとう。人類は滅亡していなかった。
いつの間にか踏み跡が出てきた。
北横岳という山から撮った写真に国道299号線を描くと下の写真の様になる。ちょうど高い山が無い部分を通っている。
北も南も山岳地帯。その真ん中を走るのだから、そりゃ雪山ですわな。奥の山が赤岳とか阿弥陀岳などの南八ヶ岳。
歩いていると普通に雪山で、とても国道とは思えない。
標識がない部分はただの雪原にしか見えないが、下にはアスファルトの国道がある。
白駒池の入り口では車が埋まっていた。終末感!
国道っぽくないなーと思っていると、埋まった自動車や標識が出てきて、やっぱりここは道路なんだなと思い出す。
茅野市から小海町へ。埋まった道と標識が、文明の崩壊を思わせてグッとくる(わかる?)。
色んな標識がある道に、先行者のトレース(踏み跡)がつづく。このトレースがなかったら引き返していた。
ある程度進んで、もう時間的に戻る事は出来なくなった。こうなったら最後まで歩かなければならない。
翌日の天気予報は悪かったので、今日中にたどり着けなければ遭難のリスクが高くなる。国道で遭難なんて嫌だ。
バス停が埋まっていた。運行期間でも1日に2本くらいしかないけど。
先行者が休憩した跡。お尻に携帯座布団を敷いていたらしい。
道路に沿って進んでいたトレースが、道を逸れて急斜面につづいていた。つづら折りの道を歩くのが面倒でショートカットしたのだろう。
つづいてみた。
急に斜面に向かっていた。
割と急で、太ももくらいまで埋まったりしながら降りた。
道路に沿って進んだり、斜面をショートカットしたりしながら歩いていると、前の方からエンジン音が聞えてきた。
スノーモービルだった。
バババババと走ってきて、あっという間に通り過ぎていった。
スノーモービルの走行跡が残され、僕の足跡は消えた。文明…。
スノーモービルのあとは固まり方が中途半端で期待したほどの歩きやすさはなく、むしろ自分で雪をかき分けた方が楽だった。
そして13時半、出発から5時間半。ゴール地点が見えてきた。
思ったよりは早く着いて一安心。今日中に家に帰れそうだ。
ここで一人旅も終わり。
ゴールのゲート。僕以外に二人が最近歩いたらしい。
ゲート前で記念撮影。やっと終わったという安堵感。
スキー場を目指してみた
本来の予定では、八峰の湯(やっほーのゆ)という温泉施設を目指すつもりだった。が、8kmと書かれた看板を見て萎えた結果、手近のスキー場を目指す事にした。なんか交通手段があるだろうと思ったのだ。
なかったね。
スキー場まで1kmくらい。
浮かれたスキー場っぽいJ-POPが聞えてくる。頼もしい。J-POPをこれほど頼もしいと思ったことはなかった。
車に乗せてもらった
スキー場で聞いたら、交通手段はないという。土日ならシャトルバスがあるが、平日は自家用車かタクシーしかないのだという。
絶望してタクシーを呼ぼうとしたら、親世代くらいの夫婦に八峰の湯までの道を聞かれた。
躊躇しつつ、案内するから乗せてもらえませんか?とお願いしたら車に乗せてくれた。まさに地獄に仏。
まさか来れるとは思ってなかったが、着いた。
良い湯だった。
人類滅亡の妄想なんかしながら雪道を歩いていたのに、誰かの踏み跡に助けられ、スキー場に安堵し、好意に助けられて風呂に入っている。
人は一人で生きていけない。人類が滅亡してなくてよかった。
入浴後に食事。チャーシュー麺おいしかったです。コーラはサービスで付いてきた。八峰の湯、最高。
お酒メニューが面白かったのでご報告しておきます。
八峰の湯からバスで松原湖駅へ。ギリギリで小海線に乗り、窓から流れる山並を眺めた。
夏はレタス畑になります。
野辺山駅の雪だるまを撮ろうとしたら、前にいた子供がピースサインをしてきた。どこでも子供のリアクションは同じだ。
東側から見た南八ヶ岳(一番高いのが赤岳)。こちらから見る赤岳はかっこいい。
帰りも5時間くらい掛かった。家に着いたのは22時過ぎ。二日分の歩行時間と電車での移動時間がだいたい同じくらい。
遠いなぁ、八ヶ岳。
結構大変でした
麦草ヒュッテまで圧雪されていたり、麦草峠以降も誰かのトレースがあったりしたので10時間で踏破出来たが、雪が多ければもう一日必要だったと思う。
わかんかスノーシューは必要だし、今回の装備では状況次第では敗退していた可能性が高い。
国道って言っても、冬は普通に厳冬期の山でした。舐めたらダメですね。