送水口が屋上に
新橋の繁華街の一角に鎮座する味わい深いビル、株式会社村上製作所。
ビルの名前は「村上建物ビル」中華料理の存在感がすごい。
入り口右手のギョロ目マークが目印。送水口博物館はここの5階だ。
2015年11月21日、堂々オープン。
新橋のビルの屋上というだけでも興奮。
屋上でハイテンションになるのはわかるが、はしゃぐのは後にして入館すると遮光器土偶を思わせる鋳物達がずらり、きらり。
靴を脱いで上がるのも斬新。
この目玉、この鎖、街のどこかで見た事ある感。
いきなり陣容をざっくりお見せしてしまったが、肝心の送水口とはなんなのか、なんなんだ。
すごくえらいけど気取らないやつ
送水口は高いビルや地下の駅等の入り口付近に設置されていて、消防車が入れなかったり、放水しても届かない場所に火災が発生した時、そのギョロ目にポンプ車のホースを接続し、水を送る。
館内パネルより。ビルでいうと地上7階以上、地上5階以上で延べ面積6000㎡以上が設置対象。
送水口から送り込まれた消化用水は配管を通じて放水口から取り出され、消火活動に使われる。送水口は施設防災の入り口なのだ。
壁面に埋め込まれていたり、植栽の間からひょっこり顔を出していたり、
平時はその愛嬌あふれるたたずまいで街の景観に溶け込んでいる。
壁面埋設型。バリスタコーヒーでひと休み。
壁に顔ができたような一体感。
スタンド型。植栽に同化する野戦部隊。
その造形やピースな景観を愛でる愛好家が存在し、送水口愛がWEBサイトやブログによって発信されている。
露出Y型、文字通り2つの口がY字型に分かれている。送水口の原型といえるタイプ。
パイロンのペットに成り下がることもある。
送水口博物館はそんな送水口ファン達と送水口の老舗メーカー、株式会社村上製作所の3代目社長、村上善一氏との幸せな出会いから生まれた。
送水口コレクションと村上善一社長。
立ち姿さわやか、弁説はあざやか。新橋のショーン・コネリーたる村上社長に聞いた送水口博物館設立までの道のりはひたすらエキサイティングだった。
運命のような出会い
「2014年の5月、私のもとにマンホールマニアの方からメールが来て、丸にMのロゴの送水口は御社製のものですか?と質問されました。そうですと答えたら一度会社を訪問したいというのでお招きした。その時にご一緒だった送水口ファンの皆さんと出会って交流がはじまりました」
これが村上印、古い送水口には製造会社のロゴが記されているものも多い。
その翌日、村上社長は導かれるようにもうひとつの出会いを経験する。それは滅びゆくオールド送水口の無言の叫びだった。
「うちの古い送水口を付けている西新橋の日本電池ビルの解体がはじまっていて、ああ送水口も処分されちゃうんだなあと。すると前日に会った送水口ファンの事が頭に浮かんで、なんとか救い出せないかという思いがこみあげてきた」
「工事現場の所長に、私はここの送水口を作った村上製作所の社長ですが、この送水口を愛好家のために残したいのでゆずっていただけませんか、とお願いした」
「で、許可をもらって取りはずして持って帰ってきた。これが最初のコレクション」
おお、こんなかわいいやつがこの世から消えようとしていたとは!
ジャンルはよくわからないがなんとドラマチックな展開。同様にして新橋の第一光和ビル、さくら川崎駅前ビルの送水口を救出。
救出の様子がわかる写真入り解説パネル。
作ると言っちゃった…..
次に村上社長の耳に飛び込んできたのは京橋のブリジストン美術館建て替えのニュース。ここでまた事態が動いた。
「送水口をいただけるよう説得するために、これを展示する送水口博物館をつくりますと提案した。そのためにパンフレットまで作って」
社長自らデザイン。プレゼン用とは思えぬ出来映え。
--提案したのが6月の終わり頃ですか。表紙に書いてありますね「平成27年秋開業予定」
「そう、書いちゃったんだな。それでOKももらえた。つまりやんなきゃならない、博物館作らないと。まあ4ヶ月ありゃなんとかなるかと思ってね」
ここで村上製作所創業80周年記念プロジェクトとして本格的に始動、村上社長自らの、ほんとうに自らの手で自社ビルの屋上に博物館が作られた。
インテリアデザインから施行までほぼすべてを担当。
木工壁面の取り付けも社長の手によるもの。
送水口ファンの皆さんも協力してのペンキ塗り。ちゃっかり私も参加しています。
これが9月の終わり頃。
で、11月のオープン日にはこうなりました。
救出された4基の送水口が肩を並べる。今まで守っていたビルに今度は守られる身となって、この送水口の殿堂で鑑賞されるセカンドライフが始まったのだ。
前述のブリジストン美術館の送水口。村上製作所と双肩をなすメーカー「建設工業社」製。
展示されているのはいずれも昭和20年代から30年代に設置されたオールドタイプで、19世紀あたりの潜水服を思わせるユニークな造形や重厚な装飾味のあるプレートは、送水口ファンでなくてもみとれてしまう。
設置されていた壁面をなるべく忠実に再現した展示台も社長の自作!
「昔はね、設計図はこっちで書くんだけど、こういう丸みとかを表現するのは木型屋さんに依るところが大きかった。へこみ具合とか、丸みの立ち上がりかたとか、木型屋さんのセンスなわけだ」
村上製は効率よく水を送るためにかなり丸くして空間に余裕を持たせている。よってかわいい。
好きがにじみ出るコンテンツ
館内のコンテンツは送水口ファンが企画制作に携わっている。個人的に興味深かったのが送水口の近現代史。日本の消防史や建築史とリンクしながら、デザインした人は大変だったろうなあというくらい豊富な写真(つまり膨大なフィールドワークの賜物)と共に送水口の変遷が語られる。一読するだけで様々な興味をかき立てられる史料だ。
WEBサイト(
送水口倶楽部)を運営するAyaさんが原稿を執筆。
--昭和25年に定められた単口(接続口が1個の送水口)の規定が昭和37年に消滅かあ、そもそもすでに2個だったのになんで後から口が少ないのが出てきたんでしょうね。
これが単口送水口。接続口が1つ少ない。
「たぶんGHQのマッカーサー君(親しげ!)が送水口のルールを日本に置いていこうとした時に、日本には超高層ビルがなくてなんか中途半端な建物が多いから4・5・6階建ての建物は単口でいいや、ってやったんじゃないかな」
社長の推察も切れ味するどい。
さわれる博物館
いわゆる博物館とは違い、展示物はほぼ全て触ってOK(やさしくね)。
あのギョロ目の中はどうなっているのか。街中で堂々とフタをあけることはできないがここなら気兼ねなく開けられる上に、中の弁をパカパカできる。送水口ファンの積年の夢が現実のものとなったのだ。
おお、ここにホースを。
送水口を構成するパーツ類も展示。これもじっくりと鑑賞できるのはここだけだろう。
これは送水口の内部構造。
こんな感じ。ホースを固定する接続口と水の逆流を防ぐ弁で構成されている。
理屈は抜きにしてとにかく、すごくよくないですか。すごくいいんですよ、ずっしり重いし。
送水口アートも展示
お、送水口型土器!どこから出土したんですかこれ!
「ああ、これ私が作った箸置きだよ」
村上社長のゆるぎない送水口愛は時として我々の想像をこえる「送水口クリエイティブ」をうみ出す。昨年、なんと送水口を主人公とした恋物語「サイヤ・ミーズのふたり」なる映像作品を創作。送水口ファンのイベント「送水口ナイト」で発表し、驚かれながら大喝采を浴びた。
偶然出会った送水口の、短かくも燃えるような(出火するから)恋。ストーリーだけでなく絵も全て村上社長によるもの。
ついに絵本になりました。
--あの発表は意表をつかれましたね。メーカーの社長という事でなんか、こう、もっと重厚なプレゼンかと思ってました。
「まあ、ほら、私はクリエイターでアーティストだから」
--清々しいほど自分で言いましたね。
来館して記帳するともらえるシリアルナンバー入りのオリジナルコースターも社長のデザイン。
人は送水口になれる
観光地に欠かせないアレもある。
これはあのブリジストン美術館の送水口!
これで送水口の殿堂入り。
人が来なくなった。消防車来ないかな……
突然もりあがる博物館
オープン日の夜には突如、村上製送水口の特長解説が行われた。
誰かのちょっとした質問に、「それでは解説しよう」
村上製だけについている「村上製作所のビス穴」の秘密が明らかに!
せまくてアットホームな空間の一角、ちょっとした会話がきっかけとなってその場の皆が耳を傾けるトークライブへと発展する。村上社長いわく
「送水口の保存や情報発信だけでなく、趣味人が気軽に語り合えるコミュニティとしても育ってほしいと思っています」
送水口磨きなるイベントも行われてなにこのエステティック感。
日本の近現代消防史ではほとんど触れられる事のない送水口。
昭和のビルが次々と解体されてゆくのと同時に、半世紀以上を生きた町工場の技術の足跡も密やかに消えていく。
少しでも価値ある送水口を救い出し、保存し、愛でながら語り合う場が欲しい。
送水口博物館は村上社長の粋な道楽と送水口ファンの熱意が生んだ奇跡の空間なのである。
部品のネジ山にいたるまで、語る事は尽きないんだ。
いつか、この熱気を体感した人の中から、「送水口欲しさに7階建てのビルを建てちゃったんですよね」みたいな究極の道楽人があらわれる事を願ってやまない。
次の開館は1月!
送水口博物館は防水工事のため年内は一時休館。
2016年は1月23日(土)より開館予定。個人の運営なのでなかなか定時通りにいかない事もある。開館日の情報は村上製作所の公式WEBサイトをチェックしてほしい。