ピンボールってあるな
近所の青山さんとさか本そば(※
さか本そばの謎という記事を書いた)の話をしていると「その近くのバーにはピンボールが置いてあっておもしろいですよ」という。
そういえばピンボールってものがあるな。その存在はよく知ってるつもりなのに一回もやったことがない。
バーに行ってみるとドラキュラと書かれたピンボール台があった。
近所のバーにピンボールが置いてあった。ぼくが知ってる知識はこのレベルです
これがピンボールか!
ピンボールやったことないですか? と店の人が説明してくれた。これは珍しい台で、これ目当てに人が来るらしい。ふーむ、そういう世界なのか。
100円を入れてレバーをひくとボールが発射し、そのあといきなり画面上でビデオゲームがはじまった。えっ、なんで?
ドラキュラと書かれたピンボール。東京と大阪に1台ずつしかない機種でこれ目当てにやってくる人もいるそう。ほうほう
ピンボールってあるな
「狼が迫ってきますからギリギリで撃退すると得点高いですよ!」
と店員さんから指導が入る。どこに書いてあるんだそれ。細かいルールの説明が一切ない。
しばらくすると大した手応えもないままに終わってしまった。2000万点だそうだ。スケールがすごい。そんな数字、生涯で出会ったことない。
5億点出すと何かもらえるらしい。一生出会わなさそうな数字だ。
変わってるよな……ピンボールって。しかしなにがどうなってこんなことになってるんだろう。
ハイスコア、28億点。どんな世界なんだ
いろいろなピンボールを見てみたい
これが台によってちがうんだとしたら、もしかして相当深い世界があるんじゃないか。見てみたいなその世界。
そう思ってたくさんピンボールが見られるところを探した。あった。日本ゲーム博物館(元日本ピンボール博物館)、愛知県犬山だ。
名古屋駅からリトルワールド行きの高速バスに乗って1時間弱。女子大生グループから自撮り棒が2本伸びてきた
犬山の山の中へ
日本ゲーム博物館へは名古屋駅からリトルワールド行きの高速バスに乗っていく。
リトルワールドというテーマパークはさまざまな民族衣装が着られるとこだ。バス発車直後、乗り合わせた女子大生グループの座席から自撮り棒が2本伸びた。あっ、自撮りツアーだ。一生分のいいね!を稼いでくるのだろう。
高速を降りたら山の中。こんなとこに人が来るのだろうか。
うっかり遠い方のバス停で降りてしまった。なんもないぞここは
山の中に日本ゲーム博物館はあった
他になんにもない場所なのにお客さんはけっこう入ってる。1時間1,000円、3時間2,000円、終日3,000円でゲームし放題だそうだ。けっこういいなそれ
古いゲーム機が遊び放題。奥さん、ちょっとこれ最高のやつじゃないの。
ゲームし放題の人気博物館だった
日本ゲーム博物館はレトロゲームがたくさん置いてあって遊び放題。
ぼくが小中学生のころにゲームセンターで見たゲームもたくさんあった。そうか、これもレトロか。そういう父とその子供のファミリー層もたくさん来ていた。たしかに人気出そうだ、ここは。
元はピンボール博物館だそうで、ピンボールもたくさんあった
あの~、ピンボールの話をうかがいたいんですけど、とゲームのメンテナンス中だった館長の辻さんに話をきいた。
日本ゲーム博物館の館長。辻哲朗さん。レトロなもののコレクターなのかな?と思ったらぜんぜんそうじゃなかった
インフレが起こっている
「ドラキュラのピンボール? うちにもありますけど、ただ所有する方と公開する方とありますけからね。公開してるのは東京大阪1台ずつくらいなのかもしれないね」
――そうです、5億点とか出るやつなんですよ
「ピンボールはインフレになってるんですよ。この機種の時代は1000点2000点とかですけど、後半になってくると億とかになってくる」
インフレでこうなっていたのか。前のより多いから良いでしょということか。なんてバカっぽい理屈だ。しかしそのイケイケで進んだ歴史、おもしろそうだ。
1970年代の国産のピンボール。最高でも数万点しか出ないセガだそうだ。ピンボール作ってたのか
時代を感じるセガのピンボール
ピンボールは1931年に生まれ、2000年に眠った
「ピンボールはゴットリーブというアメリカの会社が作りました(※1931年)。国産ではセガが70年代かな。
ピンボールは10年周期でブームがくるんです。
70年は盛り上がって80年はへこんで90年に復活。映画とタイアップした版権もので95年くらいまで盛り上がったんですね。その後2000年に眠りについてまだ起きてこない。
ウィリアムズという会社が2000年に作った『ピンボール2000 STARWARS Episode1』でピンボールの歴史はほとんど終わるんですけど、コレクター向けに作ってるところもあります」
調べようとしたら歴史が終わってた。それもけっこう最近。ところで『1973年のピンボール』はやっぱりピンボールが盛り上がってた時代なんですね。
これがピンボール最後のヒット、ピンボール2000シリーズのスターウォーズ。上の画面を反射させて擬似3Dになっててすごい。
アップデートをくりかえしこうなっている
「初期のピンボールはフリッパー(※玉を打ち返すとこ)もついてなかったんですね。そういう発明がいっぱいあります。
ジェットバンパーがつきましたとか、ドロップターゲットがつきましたとかね」
そうか、さっきの5億点もそうで、前の機種にあれ足してこれ足してとやっていって今こうなっているのか。このゴテゴテした装飾や複雑な得点ルールがそのまま歴史なんだ。
ギミックもどんどん過剰になっていく。これは城が落城して崩壊するらしい。エーッ!
なぜ玉がビヨーンと跳ね返るのか。玉がふれると電磁石の力で皿がおちてきて、玉は皿にあたって弾け飛ぶ
――ジェットバンパーって玉がビヨーンって跳ね返るやつですよね。あれどういう仕組みなんですか?
「電磁石です。ゴムにふれるとスイッチが入ってバーンと上の皿が落ちてきて弾き返すんですよ」
辻さんはそういってピンボールの裏側を見せてくれた。すごい配線の量だ。
こんな複雑なもの直すんですか?「電磁石とスイッチと豆電球。単純ですよ」複雑以外のなにものでもない
ピンボールはコンピューターだ
「すごいでしょ。これは1980年代入ってからのものですけど裏はみんなこんなものですよ。
1978年でピンボールは入れ替わるんですね。78年以前はエレメカとかドラピンというんですけど、うしろでドラムがまわって点数を表示してる。78年になるとコンピュータを搭載したデジタルピンボール、デジピンになります。これはデジピン。
基本的には単純です。ドラピンだと電磁石とスイッチと豆電球、この3つで構成されてます。
信号を裏のコンピューターに送って反応させるのがデジピンで、リレー回路で反応させるのがドラピン(エレメカ)。一番最初のコンピューターだったENIACもリレーだったでしょう。ピンボールっていずれもコンピューターなんですよ」
ピンボールはコンピューターなのか。でかいし何かの役に立つわけではないけど……とにかく当時を反映した頭のよさを備えてるのだろう。
アメリカ製の珍しい対戦型ピンボールマシン。製造台数300数十台で日本にあるのは奇跡的らしい。ファミリーがなんじゃこりゃ?といった感じでプレイしてた。奇跡ですよ、それ。
おもしろいけど儲からないピンボール
デザインにしても技術にしてもピンボールはその当時を反映している。そりゃマニアがいるわけだ。
「ピンボールは3000タイトルあるといわれてる。同じ様式で3000タイトルもあるゲームってないでしょ。奥深くておもしろいんですよ、ほんとおもしろい。
ビデオゲームとちがってピンボールは再現性がないんですよ。何万回やっても最初のボールの軌道がちがってドラマがちがう。
だから一台のピンボールを自宅に置いても飽きずに一年二年できるんです。ぼくも置いてます」
ピンボールは実際にやるのも相当おもしろいらしい。じゃあ自宅に一台となるが、実機は7、80万円+アメリカからの送料くらいではないかという。あ、あきらめた。
「ただ自分でやっててわかるのは商売にならないんです。重たい、高い、こわれる、場所とる、儲からない。
うまくなると玉を落とさないから一日300円とかで遊べちゃうんですよね。
壊れる、ちゅうのはピンボールって物理的に鉄球をぶつけるじゃないですか、ガンガン。それなりに重さあって常に振動してるからほんとに壊れるんですよ。メンテナンスがものすごいかかる」
90年代を盛り上げた映画との版権もの。インターネット上のピンボール人気ランキングから上位は揃えるようにしてるらしい
これバンドですよね?「そう、ガンズ・アンド・ローゼズのピンボール。一説によると、このピンボールでしか聞けない曲が入ってるらしいです」
リサイクルショップで買ってきたのがはじまり
「メンテナンスはぼくがやってますね。元々は運送屋ですからやったことないです。
キャンプ場も経営してましてそこのレストルームに置くもの探してたんですね。そしたら近所のリサイクルショップに壊れたピンボールがあった。
インターネットで検索したらアメリカからマニュアルをダウンロードできたんですよ。それで直したのが一台目。11年くらい前ですね」
マシンをゆすって玉の軌道を調整するのは基本らしい。そりゃすぐ壊れるわ
情熱と検索で直す
――えっ、辻さんが直すんですか!?
「ピンボールで今まで修理できなかったものはないです。結局ね、直せるか直せないかは情熱の問題と、あとはもうひとつはインターネットですね。
欧米のコレクターがどうやって直したかってネットにアップしてるんですよね。それに沿って直すといい成績で直る。
あらゆるマニュアル、文献修理書も英文検索すると出てくるんですよ。電話帳くらい厚いの何回も読みました。ピンボールで英文マニュアルをよみふけって英語ができるようになりましたよ」
えっ、ネット検索!? レトロ方面のコレクターの人かと思ったらIT方面から攻めてるんですね
「いや、ぼくもともとウェブデザイン会社も2つやってるんです(笑)」
この辻さん、そしてこの日本ゲーム博物館はいったいどういう風に成り立ったんだろう。ピンボールよりもそこが気になってきた。
二階には時計やオルゴールのコレクションがある。元は辻さんのお父さんが作ったオルゴール博物館だそうだ。
ピンボールがウケたからピンボール博物館
「ここはもともとオルゴール博物館やったんです。ぼくのオヤジが作った。ひきついで七年くらいやってたんやけど、お客さん来なくて真っ赤っ赤でね。コレクションの額でいうとこちらのほうがずっと高いんですけどね。
その後映画博物館やったりライブハウスしたり色々やりました。ある時、しまってたピンボールを出してみたらどうかって店長の横井くんがいってね。やってみたらけっこう話題になったんですよ。そっからスタート。4年くらい前です。
今はね、ピンボール170台持ってますけど2年くらいで集めたんです。直したのは40台くらい。手付かずのやつは百数十台あります」
2年でぐわーっと集めて170台。博物館ってマニアが高じて出来上がるものじゃなかったのか。そんなに急造な博物館だったんだ。
壊れたままのジュークボックスやピンボールは「楽しみをかなえるためのストックです」えっ!? そういうものなの?
コレクターじゃなくて修理が好きなだけ
――これだけ物がありますけど、コレクターではないんですか?
「コレクターじゃないと思うんです。基本、修理するのが好きなんです。
もともとは車直すのが趣味だったんです。でも年いって外でやるのがきつくなる。ジュークボックスとかだと家の中で修理できるじゃないですか。
どちらも技術的には総合力がいるんですよ。メカも電気もわからないといけない。板金塗装の技術もいる。それが楽しいですね、総合力でやるのが」
二階には壊れたままのジュークボックスとピンボールが何十台もある。
「ジュークボックスでいうと直ったのは4、5台。あとは将来の楽しみでとってある。こういうものは5年後に集めればいいわと思っとってもないですから」
この人、修理がめちゃめちゃ好きなおじさんだったのだ。ぐわー、そういう博物館の成り立ちってありなのか!
「これエアドライブ筐体といって空気圧で動かすんですけど、直すのがおもしろいんですよ。ゲームセンターでメンテナンスできる感じのものじゃないんですよね」直すのがおもしろいマシンとかあるらしい
世のレトロゲームは全部さらってしまった
その後ピンボールだけでは客足に限界があり、レトロゲームの博物館にすると人がもっと来た。レトロゲームもここ2年くらいで集めたという。
「倉庫の片隅にレトロゲームあったら連絡してって、業者の知り合い全部に号令かけてもらって全部さらえちゃったもんで。
レトロゲームの博物館はここの後ではハウステンボスがはじめたかな。でもコレクションするにも数はもうないと思いますよ」
といっても、辻さんはピンボールもやらないしゲーマーでもない。ゼビウスくらいはやったというがその興味はのちにプログラム方面に行く。それよりも修理が好きなのだ。
これがもうとにかくおもしろいといっていた潜水艦から魚雷を発射するゲーム。
電球が順に光っていって当たると赤ランプがつく「あたった! おもしろいでしょ! すごいでしょう! これビデオじゃなくて中でリアルに船が動いてるんですよ!」辻さんの反応の方がすごい
欧米のもったいない文化
そういえば今日会ったときも修理をしていたし、この話も一段落するとまたスーパーロードセブンという筐体の修理にもどっていった。
「今やってるこれは説明書ないですね。今はわからないですけど、何台かさわってるとなんとなくわかるようになりますね。
部品はメーカーに言っても入らないに決まってるから自分で作る。それとけっこう2台持ちしてるんですよ。部品どりとして。
日本のメーカーはパーツもないし、マニュアルもない。でもアメリカのメーカーは何十年前でも手に入るんです。
それはね、ピンボールもゲームもジュークボックスも同じ。メーカーがつぶれてもある。そういうリプロダクトの会社があるんですね。コレクターの方や自分たちで直して維持してくっていう方が多いんですね」
「MOTTAINAI」とは逆のイメージだ。意外と日本が使い捨て文化だった。
「ほんとの浮力で飛んでるんですね。動力はプロペラだけ。マジのプロペラ」これ目当てに来る人もいるそうだ。「これはおもしろいですよ。コンピューター出来る前から人間は工夫していろんなゲーム作ってたんだなって」なるほど、それはたしかに
辻さんのおすすめはフライトシミュレーター。「エアラインパイロッツといってセガがJALと協力してつくったシュミレーターで、ボーイング777だったかな、練習ができる。東京23区の地図データが入っててリアルに飛んでる状況が再現される。足もマジですよこれ。マジ、マジ。テロリストが練習したって噂もあった(笑)」
「半年後にタイトーがANAと協力して別のを作るんだけど、このときには地図データを入れることを許可されなかったんだって」そんな静かな戦いがあったなんて……まったく知らない世界だ
直すという道楽でやってる
レトロゲームを集めてから人は増えたというが、今のところ辻さんは給料一円ももらわずに自分のお金をつかって運営してるらしい。そのモチベーションはどこからくるのだろう。
「趣味とか道楽のものすね。ぼくは壊れていくものが動き出すのが喜びで。
今もやっぱりそうだけど、壊れて朽ち果てる前のやつをもらってきて、それが動き出して、懐かしいといってもらえるのが一番の喜び。
たとえばピンボールでも、こいつらが10年か20年延命できれば自分の役目はそれでいいと思うんですね。次の人が現れればまた生きながらえるんだろうけど、自分がやれるのは10年か20年伸ばすことくらいじゃないかなあ」
ここはやっぱりピンボールやゲームの博物館でなくて"直す"博物館だったのだ。レトロなものを残すことは大変だと思っていたが、そこに喜びがあったとは。知らない世界はまだまだある。
あっ、これよく見ました「これ安いわりにめちゃめちゃ人気あるんですよ、ほんとに人気ある」ただのじゃんけんゲームなのになぜだ
これも箱全体がうごく。アーケードゲームといってもこういう専用の筐体のものを集めていくらしい。基板を変えただけで成立するやつは自分がやらなくてもエミュレータで残っていくと辻さんはいっていた。
今日やってたのはこの筐体の修理。「こういう長い眠りについたマシンにはそれなりの事情がどこかにあるん。そこを突き止めないといけない。直る場合は数時間で直るし、直らん場合は数ヶ月かかる」
始皇帝みたいな余生
運送屋からキャンプ場からWebデザイン会社からドッグランから他にもたくさんやってる辻さん。
「やっぱり人生って一つの商売ってつまらんよ。結局最後は総合力になるじゃないですか、いろいろやってたことが生きてくる。そっちのほうが楽しいから」
ピンボールも車の修理も総合力でもって直すから楽しいらしい。そうか、総合力って楽しいんだ。その視点はなかった。
「将来はもうちょっと広いところに移してピンボール170台全部ぶわーって並べたいんですね。今日はこれ直したいなっていうのを順番にやってきたい。
3000タイトルあるんですよ、それぞれの時代に流行ったこと、時代背景が現れてくるんです。楽しみですよこれ、一台一台直して、電気が入って動き出すと、いやあこれはどういうゲームなのかなって楽しんで、終わったら次行こうかって」
始皇帝が後宮に美女はべらかしてるのをピンボールマシンの修理でやる感じのすごい余生! ピンボールおもしろいなと知らない世界をさぐっていったらもっと知らない世界に入ってしまった。
「ここたぶんタイマーになってるんですよ、ほら、これ一周で1ゲーム」修理内容を理解できないのだが、ものすごく熱中してることはよくわかった