特集 2012年10月24日

さようなら石淵ダム

最後に関係者で記念撮影
最後に関係者で記念撮影
10月初旬、あるひとつのダムがその60年にも及ぶ役割を終えた。

役割を終えたとは言っても、最近の公共事業の見直しで仕分けられたのではなく、環境保護運動の高まりで廃止に追い込まれたわけでもなく、単純にもっと大きなダムが必要になったから。話としては戦隊で戦っていたところ敵が巨大化したのでロボットを出した、というのと同じである。

古いダムが役割を終えた2日後、新しいダムへの「引継式」が行われることになり、その模様を取材してきた。
1974年東京生まれ。最近、史上初と思う「ダムライター」を名乗りはじめましたが特になにも変化はありません。著書に写真集「ダム」「車両基地」など。
(動画インタビュー)

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これは…恋…?

たとえば一度だけ会ったことのある芸能人とか、初めての海外旅行で立ち寄った街など、それまで大して関心がなかったのにその後なんだか気になって、出演ドラマが視聴率低迷で打ち切られたり、その街で大きな事件があったり、そんなニュースを見ると、自分には直接関係ないけど心が痛むなんてことがあるだろう。

ノーマークだったものが、ちょっとしたキッカケでフェイバリットな存在になる経験は誰にでもあると思う。いわゆる「あれ、やだあたし、うそ、好きかも」というやつだ。

最近の僕にとって、その最たるものが石淵ダムである。ちなみに次点でサッカースイス代表。
お母さん、私はいま好きな人がいます。この写真の人です。
お母さん、私はいま好きな人がいます。この写真の人です。
石淵ダムは岩手県の南部、奥州市の胆沢川に造られ、洪水を防いだり農業用水を確保したり、発電もしているダムだ。もうこの時点で東京に住んでいる僕とはほとんど関係がない。遠距離にもほどがある。

まあ、下流の田んぼのために水を貯め、そして流域の洪水を防いでいるのだから、そこで穫れたお米を食べたり、川沿いの工場で組み立てられた製品を使っている、という関係はあるのかも知れないけど、でももし石淵ダムの水が干上がったからといって家の蛇口から水が出なくなるような、そんな直接的な存在ではない。せいぜいいつも買っているあきたこまちが不作で値段が上がったからひとめぼれにしようとか、工場が水に浸かったせいでアマゾンで注文した製品が届くのが数週間遅れるといった、その程度の接点だろう。

逆に言えば、そんな遠くのダムにほんのわずかでも接点がある、というのも驚きだけど。
そんな年に見えないかも知れないけど、もう還暦なの
そんな年に見えないかも知れないけど、もう還暦なの
ひょっとしたら、石淵ダムに代わるもっと大きなダムを造るために、僕が納めた税金の一部が使われているのかも知れない。でもそれだって税金の使われ方全体から見れば宇宙における隕石のひとつのようなものだろうし、結果的においしいお米を食べることができ、アマゾンで注文した品物が翌日に届く確率が増すのならそれに越したことはない。
後任の胆沢ダム。若くてイケメンだけどイマイチ惹かれないのよね
後任の胆沢ダム。若くてイケメンだけどイマイチ惹かれないのよね

どうしても気になる

つまり、石淵ダムがどうなっても、僕にはほとんど何の影響もないのだ。しかしなぜ、僕はこんなに気になって、一般人は招待されない引継式に潜り込んでまで、石淵ダムの最後の姿を見届けようと思ったのか。

それはいくつかの理由が重なっている。まず、石淵ダムは日本のダム史上において、もっとも貴重な存在のひとつ、と言えるからだ。
あたい...来ちゃった...!
あたい...来ちゃった...!
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重文並みの貴重ダム

石淵ダムは戦後すぐの昭和21年に工事が始まり、7年後の昭和28年に完成した。前のページに書いたように、洪水を防いだり農業用の水を貯めて必要なときに供給したり、発電をする目的がある。

その中で、造られた位置や時代背景から考えて、もっとも重要だったのは農業用水の供給だと思う。戦後の復興の中で、たとえば関西地方が電力不足で停電寸前の状態だったところを黒部ダムが完成して救ったように、食糧不足という危機の中で少しでも早く、1粒でも多くの米を収穫することが最優先の時代。

大きな地図で見る
ちょうど扇状地の先端に造られているのが分かる
下流には取水堰や円筒分水もあり、ここから農業用水路が張り巡らされている
下流には取水堰や円筒分水もあり、ここから農業用水路が張り巡らされている
その証拠、というほどでもないけど、セメント不足のために当時一般的だったコンクリートダムではなく、日本で初めてロックフィルダムという型式で造られることになった。セメント待ってられない!という判断だと思う。

子供が欲しがってるあのロボットは売り切れ、だけどクリスマスは今夜、という状態である。想像すると背中に汗が浮くだろう。歴史を変える決断である。
日本で初めて岩を積み上げてダムが造られた
日本で初めて岩を積み上げてダムが造られた
コンクリートででかい壁を造って水をせき止めるコンクリートダムと違い、ロックフィルダムは岩の山である。もちろんそのままでは隙間から水がダダ漏れなので、表面にコンクリートの板を貼って水漏れを防ぐ。表面遮水壁型ロックフィルダムと言って、不足しているコンクリートの使用量を最小限に抑えることができた。
水が漏れないように貯水池側にコンクリートを貼る
水が漏れないように貯水池側にコンクリートを貼る
造り方は、まずダムを造る場所に鉄道の橋を架ける。そして近くの山から切り出した岩を貨車で運んできて、橋の上から落とす。これを何年もの間、橋の高さになるまで繰り返すのだ。冗談みたいだけど、限られた材料とアイデアで何とかしなければ、という当時の必死さが伝わってくる。いま考えると伝説と言ってもいい工事だと思う。

その後ロックフィルダムは、真ん中に粘土の壁を立てて水をせき止めるゾーン型に進化し、現在では主流と言っていいくらい多く造られている。その中で、日本でロックフィルダムの始祖と言えるのが石淵ダムであることは間違いない。ダムの認知度がもう少し高ければ、国の重要文化財にでも指定して永遠に保存しなければならないほど貴重な堤体なのだ。
いくら貴重とは言え移設できないのが悲しいところ
いくら貴重とは言え移設できないのが悲しいところ
しかし、石淵ダムは役割を終えたあと、すぐ下流に造られる巨大ダムのダム湖に沈むことになる。石淵ダムによって開墾された農地はどんどん広がって、皮肉なことに石淵ダムの貯水能力を超え、もっと大きなダムが必要になってしまったのだ。

なんという運命。これを知ってしまったことが、僕が石淵ダムを追いかけるキッカケになったけど、それだけではない。

そんな運命の中、石淵ダムが役割を終えるまでの最後の数年で、2度も歴史的な大地震に襲われているのだ。
引退直前の地震で大きな傷が残ってしまった
引退直前の地震で大きな傷が残ってしまった
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記録的な揺れに耐えた

平成20年6月、石淵ダムから10kmほどしか離れていない地点を震源として、マグニチュード7.2の地震が発生した。岩手・宮城内陸地震だ。

この地震で、石淵ダムに設置された地震計が震度7を記録。岩を積み上げた堤体は大きく揺さぶられ、周辺では土砂崩れが多発。石淵ダムとその周辺の景色は一変してしまった。整然と並べられていた堤体表面の石はデコボコになり、堤体上の道路は波打った。周囲の山は軒並み崩れ、赤茶けた地肌がむき出しになった。
平らに整えられていた表面には凹凸ができ
平らに整えられていた表面には凹凸ができ
堤体上の道は波打って
堤体上の道は波打って
このダムのマスコット、排水塔はめちゃめちゃに破壊された
このダムのマスコット、排水塔はめちゃめちゃに破壊された
以前は緑に覆われていたダム周辺の山も
以前は緑に覆われていたダム周辺の山も
土砂崩れが多発して凄まじい光景に
土砂崩れが多発して凄まじい光景に
しかし、石淵ダム堤体には深刻なダメージが及ばず、修復して翌年には通常の管理に戻ることができた。

それも束の間、平成23年3月11日の東北地方太平洋沖地震でふたたび震度5強という揺れに晒された。このときも堤体上に亀裂が走ったが、石淵ダムは耐え切った。
2度目の強い揺れも石淵ダムは耐えた
2度目の強い揺れも石淵ダムは耐えた
建設されてから50年以上、下流の発展に貢献してきて、役割を終えて水没する直前に2度の大地震に耐えた。これを涙なくして語れるだろうか。

そういうわけで、僕は石淵ダムが役目を終えるその日まで、できるだけ見届けたいと思ったのだ。
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役目を終える日がやってきた

本来なら今年の9月初旬に農業用水の供給が終了し、月末まで台風などに備え、9月30日いっぱいで役割を終える予定だった石淵ダム。翌10月1日には下流に造られた胆沢ダムとの引継式が予定されていた。

しかし、なんとその日に台風17号が襲来。大雨によって石淵ダムにも過去5番目の流入があり、管理終了予定を延長して10月2日まで洪水調節を行った。刑事ドラマで、ベテラン刑事が定年退職の日に長年追っていたホシを見つけてしまうパターンのやつだ。ドラマなら殉職フラグだけど無事に下流を守り切り、ようやくおよそ60年のダム人生に幕を下ろした。最後の最後までドラマチックなダムである。
この洪水調節で最後に流された放流通知の一文「今回の台風17号の洪水対応をもって、石淵ダム管理を終了し、胆沢ダムへ役割を引き継ぎます。」は多くのダムファンの涙を誘った
この洪水調節で最後に流された放流通知の一文「今回の台風17号の洪水対応をもって、石淵ダム管理を終了し、胆沢ダムへ役割を引き継ぎます。」は多くのダムファンの涙を誘った
そうして、その2日後の10月4日、ダムと地元の関係者を招いて「石淵ダム胆沢ダム引継式」が執り行われた。
会場の全景
会場の全景
僕は何とかして石淵ダムの最後の姿を見たかったのだけど、事前に問い合わせたところ一般の参加は予定していない、とのことだったので、最後の手段でデイリーポータルZの名前を出し、報道関係者として潜り込むことにした。こうして記事にしているんだから嘘ではない。

式典は何人かの偉い人が挨拶や石淵ダムの活躍の報告をしたあと、石淵ダムから胆沢ダムへ役割を引き継ぐための目録の譲渡が行われた。
偉い人の挨拶が続く
偉い人の挨拶が続く
いよいよ目録の譲渡、これで役割が移動する
いよいよ目録の譲渡、これで役割が移動する
いつも思うけどテレビカメラってこういうとき容赦なく偉い人の前に立って撮影するからすごい
いつも思うけどテレビカメラってこういうとき容赦なく偉い人の前に立って撮影するからすごい
そして最後に、選ばれた関係者が前に出てボタンを押すと、石淵ダム最後の放流サイレンが響き渡り、放流ゲートが全開になった。もうこれは閉じることがない。この瞬間、石淵ダムはダムではなくなったのだ。
ではボタンを押してください!
ではボタンを押してください!
ちなみにボタンのコードはどこにも繋がっていない(ように見えた)
ちなみにボタンのコードはどこにも繋がっていない(ように見えた)
閉じていたゲートがわずかに上がり
閉じていたゲートがわずかに上がり
数分後、全開になった
数分後、全開になった
今後、年末に胆沢ダムが水を貯め始める前に、石淵ダムの放流ゲートや巻上げ機、電気設備などはすべて撤去され、管理所も解体されるらしい。もうこの場所も石淵ダムではなく、胆沢ダムの貯水池予定地なのだ。

最後に、役目を終えた石淵ダムの動画を撮影したので見てください。

こうしてまた大人の階段を上がる

こうして、石淵ダムは地図やリアルタイムデータから姿を消し、記憶にのみ残る存在となった。今後は新しくできた胆沢ダムが無事に運用を開始できることを祈りつつ、石淵ダムが作った広大な胆沢平野で穫れるお米を食べたいと思う。
ダムを離れるのが本当に辛かった
ダムを離れるのが本当に辛かった
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