特集 2012年9月5日

木になったままナスの糠漬けをつくる

木になったままのナスを糠漬けにしてみました。
木になったままのナスを糠漬けにしてみました。
食に大変なこだわりのある友人から、ちょっと変わったナスの糠漬けの話を聞いた。その作り方は、木になった状態のナスに糠味噌を塗り、なったままで糠漬けにするというものだ。

魚の活き作りならぬ、ナスの活き糠漬け。特別おいしそうとも思わないが、どんなものなのか食べてみたい気はする。

ちょうど畑にナスは植えてあるし、台所の床下には糠床もある。ちょっとやってみようかな。
趣味は食材採取とそれを使った冒険スペクタクル料理。週に一度はなにかを捕まえて食べるようにしている。最近は製麺機を使った麺作りが趣味。(動画インタビュー)

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小泉武夫さんの本に載っているらしい

その糠漬けを教えてくれた友人の話によると、東京農業大学の小泉武夫さんが書かれた「酒肴奇譚」という本に、詳しい話が載っているとのことなので、さっそく購入。
酒肴奇譚。アルスラーン戦記の各巻のタイトルみたいですね。
酒肴奇譚。アルスラーン戦記の各巻のタイトルみたいですね。
さて小泉武夫さんといえば、「くさいはうまい」という著書で紹介されていた、ホンオフェというアンモニア発酵させたエイ料理を、適当にマネして作って未知の体験をさせてもらったことがある(こちらの記事)。

あれから早4年、私はオリンピックと同じペースで小泉さんの本に感化されて何かを作っているのか。我が事ながら4年後に何をつくるのか楽しみだ。

畑でナスの糠漬けを作る

この酒肴奇譚によると、大正時代の成金が料亭に莫大な額を払って用意させた宴席で、料理の締めに出されたのが、木になったナスの糠漬けだったそうだ。

作り方はというと、「その茄子は畑にあるうちから毎日糠味噌を塗りつけては油紙に包み、翌日その糠味噌を新しいものにとりかえてはまた油紙に包みと、これを一週間続けた」と書かれている。

なるほど、確かに手間は掛かるだろうけれど、これなら成金じゃなくても作れそうだ。最高の料理の締めに出すから意味があるような気もするが。
ナスなら家庭菜園にたくさんあるぞ。
ナスなら家庭菜園にたくさんあるぞ。
糠床からすくった糠味噌と、薬局で買った油紙を用意。
糠床からすくった糠味噌と、薬局で買った油紙を用意。
この作り方で一つ気になるのが、漬ける期間が一週間と長いこと。手間の問題ではなく、味の問題でとても不安だ。

夏の暑い時期なら、朝に漬けたナスが夜にはおいしく食べられるくらいに発酵の進行は早い。

しかし、そこにこそ、もいでしまったナスと、木になったままのナスの違いがあるのだろう。水分が供給され続ける生きたナスなら、一週間漬けても大丈夫なのかもしれない。とりあえず、読んだ通りに作ってみることにした。日付は7月16日のことである。
一週間もあればナスも成長するだろうということで、小ぶりのナスを選んでみた。
一週間もあればナスも成長するだろうということで、小ぶりのナスを選んでみた。
全体を糠味噌と油紙で包み、輪ゴムで縛る。
全体を糠味噌と油紙で包み、輪ゴムで縛る。
マニア垂涎のすごく大きくなる蛾のサナギみたいだ。
マニア垂涎のすごく大きくなる蛾のサナギみたいだ。

ついでにキュウリも漬けてみる

夏場の糠漬けといえば、ナスと双璧をなすのがキュウリである。

毒を食らわばサラダで。いや、糠漬けで。せっかくなので、キュウリも同じように漬けてみることにした。
キュウリは成長が早いので、このサイズでも二日後くらいが食べ頃だろうか。
キュウリは成長が早いので、このサイズでも二日後くらいが食べ頃だろうか。
派手な寝袋みたいだ。
派手な寝袋みたいだ。
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1日で漬かり過ぎた

そして翌日、ナスとキュウリの糠を新しいものに交換するため、炎天下の中で畑に出向く。これを1週間続けるのか。うへえ。

普通の糠漬けなら家の中でも簡単にできる。どこまでスペシャルなものに仕上がるのかが読めない畑での糠漬け作りに、すでにモチベーションが下がりつつあったのだが、どうやら明日以降は続ける必要がなさそうだ。

1日漬けただけのナスが、すでに漬かり過ぎの状態になっていたのだ。
これが本当の糠喜び。
これが本当の糠喜び。
やっぱりこの暑さだと、丸一日でも長過ぎたか。これ以上漬け続けて、今以上に美味しくなるとは思えない。

とりあえずこの状態で食べてみたのだが、漬かり過ぎ云々の問題よりも、ナスがぬるいということの方が問題だった。
生温かいナスの糠漬けの気持ち悪さよ。
生温かいナスの糠漬けの気持ち悪さよ。
ぬるーい。

うん、これはないな。冷蔵庫で冷やせば、ちょっと漬かり過ぎのナスの糠漬けなのだろうけれど、もいですぐ食べてこそだろう。

このぬるさ、温暖化の影響だろうか。いや、もうちょっと涼しくなった秋の夜にやるべきなんだろうな。

そして本当に一週間も漬けるのであれば、もっと糠味噌の塩分を少なくして塗るのが正解なのかもしれない。あるいはものすごく薄く塗るか。
まだ味が染みていないのに水分が抜けてしまった感じ。
まだ味が染みていないのに水分が抜けてしまった感じ。

キュウリの糠漬けがやばい

ナスが期待外れだったので、キュウリもまあダメだろうなとは思ったのだが、これが予想以上にダメだった。

キュウリの水分が抜けまくって、幹よりも細いという見事な萎れっぷり。なんだこりゃ、油紙という包帯に巻かれたキュウリのミイラか。
一日でキュウリのミイラになってしまった。
一日でキュウリのミイラになってしまった。
「昔の農家はな、煙草の代わりに枝なりの糠漬けキュウリを吸ったんだよ」(妄想)
「昔の農家はな、煙草の代わりに枝なりの糠漬けキュウリを吸ったんだよ」(妄想)
まさかの超脱水。普通の糠漬けでは、まずありえない変化の度合いである。

一応これも食べてみたのだが、糠臭さとキュウリのエグみが合わさって、なんだかこれを作った人にバカにされているような(自分だ!)、無性に腹の立つ味だった。
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違う本を参考にしてみる

見事失敗に終わった木になったままの糠漬けだが、1か月以上が経つけれど、まだ気になったままだ。

そこで事の発端である友人から、同じような記述がされているもう一冊の本を教えてもらい、そちらのレシピで再挑戦してみることにした。
林望さんの「音の晩餐」。
林望さんの「音の晩餐」。
この本によると、元々は江戸時代の随筆に載っていたものらしいが、「もはやそれが何の本にであったか、すっかり忘れてしまった」と、大変アバウトなことが書かれている。

多少時代が違うけれど、もしかしたら小泉さんが読んだものと同じ話だったのかもしれない。

前回の反省として、ぬるい糠漬けは二度と食べたくないので、ナスを木ごと持って帰って、自宅糠漬けを作り、クーラーの効いた部屋で食べることにした。
実が大、中、小の3個なったナスをセレクト。どれかおいしくなるだろう。
実が大、中、小の3個なったナスをセレクト。どれかおいしくなるだろう。

やっぱり漬けるのは1日でいいらしい

「音の晩餐」に掲載されているレシピには、鉢植えのナスにミョウバンを混ぜた塩をまんべんなくこすり、糠味噌を塗ったサランラップで包むとある。

まさか江戸時代の随筆にサランラップが出てくるとは思えないので、なったままのナスを糠漬けにするというコンセプト以外は、作者によって現代風にアレンジされたレシピのようだ。
洗ったナスに塩とミョウバンを擦りこむ。ミョウバンはナスの色をよくするらしいです。
洗ったナスに塩とミョウバンを擦りこむ。ミョウバンはナスの色をよくするらしいです。
さすがにサランラップだと味気ないので、前回同様油紙を使用。
さすがにサランラップだと味気ないので、前回同様油紙を使用。
そして今回のレシピの一番の特徴は、出来上がりが翌日であること。

そうだろう、そうだろう。やっぱり漬ける日数は一週間じゃなくて1日で十分だよなと、心強い味方を得た気分になった。
鉢がバケツだけれど、床の間に飾ったらなかなか風流かも。
鉢がバケツだけれど、床の間に飾ったらなかなか風流かも。
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これぞ木なりナスの糠漬けだ

そして翌日、ドキドキしながら油紙の包みを開けると、中からはシワシワになっていない、瑞々しいナスの糠漬けが出てきた。

これなら人に食べさせても大丈夫だろう。
前回とは全く違う完成度の高さ。やはり外は暑過ぎたんだろうな。
前回とは全く違う完成度の高さ。やはり外は暑過ぎたんだろうな。
小さいナスもしぼんでいない。しかしこの恐竜の卵みたいな模様はなんなのだろう。
小さいナスもしぼんでいない。しかしこの恐竜の卵みたいな模様はなんなのだろう。
実は前回の糠漬けでは、レシピとは別の部分で、一つ大きな失敗をしている。

それは自分で食べたこと。こういう料理は人を驚かせてなんぼだろう。まあ、あれを食べさせたら、驚かれるというよりは嫌われただろうが。

たぶん成功している今回こそは、誰かに試食をしてもらおう。
植木市帰りみたいな装いでフレキシブルにナスを運ぶ。まさかこれが糠漬けだとは誰も思うまい。
植木市帰りみたいな装いでフレキシブルにナスを運ぶ。まさかこれが糠漬けだとは誰も思うまい。

デイリー編集部の石川さんに試食をしていただいた

試食をしてもらうのは、「デイリーポータルZ友の会」の会員が増えるたびにソバを食べるという(これ)、愉快なチャレンジをしている編集部の石川さん。

特にアポイントメントをとらずに突然伺ったのだが、きっとそろそろソバに飽きて漬物が欲しい頃だろう。
ユースト生中継中に、いきなりナスの木を持って乱入。本当は手の空いている誰かにちょっと食べてもらおうと思っていただけなので、私が一番焦っている。
ユースト生中継中に、いきなりナスの木を持って乱入。本当は手の空いている誰かにちょっと食べてもらおうと思っていただけなので、私が一番焦っている。
せっかくなので、「これ、ナスの糠漬けなんですよ」とはいわずに、「このまま生で食べられるナスを持ってきました」という紹介に留めて、さっそく試食をしてもらった。

イチヂクでももいで食べるように、ナスをもいでそのまま食べるというヴィジュアルが、それだけでなんだかおかしい。
「これ絶対なにかありますよね?」といいながらも、ナス色のポロシャツで準備万端の石川さん。
「これ絶対なにかありますよね?」といいながらも、ナス色のポロシャツで準備万端の石川さん。
恐る恐るナスを食べた石川さんの反応は、「これって、そういうことですよね!」と、どうやら一口で趣旨を理解してもらえたようだ。そしてそのまムシャムシャと、気にいった様子で食べてもらえた。

たぶん大丈夫だろうと試食をしていなかったのだが、どうやら今回は美味しくできたようだ。
「僕、生のナスが好きなのかも!」と、ソバでお腹がいっぱいながらも1本完食。
「僕、生のナスが好きなのかも!」と、ソバでお腹がいっぱいながらも1本完食。
他の編集部員、ライターさんにも好評でした。やはりもぎたてフレッシュな糠漬けに意味はあるのかもしれない。
他の編集部員、ライターさんにも好評でした。やはりもぎたてフレッシュな糠漬けに意味はあるのかもしれない。
せっかくなので自分でも食べてみたのだが、家で普通につくるナスの糠漬けと、そう大差はないかなという味だった。

中の部分がいつもより瑞々しいような気もするが、切らずに丸のまま食べているから、いつもと食感が違うだけという気もする。素人が作る糠漬けなんて毎回味が違うものだし。
たぶんもうやらないけれど、一度やってよかったという味。
たぶんもうやらないけれど、一度やってよかったという味。
このナスの糠漬けだけで出されたら、普通の糠漬けだと絶対思う。やはりこの料理は、「驚き」が一番の意味なのだろう。

それでも木からもいで食べることで、食べる側のテンションがかなり上がるのだから、これは立派な価値のある料理なのだと思う。

意味なんてなくてもいい

作り方をマネさせていただいた「音の晩餐」には、「まことに君子のたしなみ大名の風流ともいうべき贅沢でありますが、ま、物数奇(ものずき)以上の意味は特にない」と書かれていた。

この「意味は特にない」というのは、最大級の褒め言葉なのだと思う。最高に贅沢なナスの糠漬けでした。
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