お手軽だから何度でも採りに行きたい
タケノコ掘りと言えば、土との格闘と言えるくらいの重労働だ。そこへいくと、ポキッと折るだけで採取できる淡竹のお手軽さときたらどうだろう。そのわりに普通のタケノコほど普及していないようなのは不思議だ。
冷蔵庫には、淡竹の水煮がまだまだたくさん残っている。なくなっても、まだまだ採ってくることができる。しばらくはいろいろなタケノコ料理に挑戦してみようと思う。
淡竹(ハチク)というタケノコがある。
普通のタケノコの旬が終わる5月中頃に、入れ替わるようにして生え始めるこの淡竹の特徴は、ずばりそのお手軽さ。見つけるのも、採るのも、普通のタケノコに比べてめちゃくちゃ簡単なのだ。それでいて、味は普通のタケノコにも劣らない。
タケノコシーズンを外出自粛して過ごした鬱憤を晴らすべく、満を持して(ほぼ)手ぶらで竹藪へ繰り出した。
6月初頭、かねてより友人から手軽にアクセスできる淡竹スポットとして教えてもらっていた場所にやってきた。
川沿いの国道から少しそれたところでバイクを止め、高い草に囲まれた竹藪を目指す。この時点では関西はまだ梅雨入りしていなかったけれど、草地の植物たちはすでに青々と茂って、すっかり夏の装いだ。
竹藪を目指して歩いていると、カラフルな実をたくさんつけた木が目についた。
「桑の実だ!」
桑の木は、初夏に赤黒い実をたくさんつける。ベリーのように甘酸っぱくて、野外で手に入る果物の中ではかなり上位に位置する存在である。そんな桑の木に出くわすなんて幸先がいいぞ。よく熟した状態のいい実を一つつまんで、口に放り込む。
再び歩き始めて、驚いた。30mも進まないうちに、また桑の木が現れたのだ。いや、周囲を観察すると、雑多な植物が生い茂る藪のそこかしこに、適度なディスタンスを保って桑の木が生えている。俄然、川と国道と工場に囲まれたこの場所がまるで宝石箱のように思われた。
今では見る影もないが、かつてここは桑畑だったのではなかろうか。
(元)桑畑を見つけて大興奮だったが、ここへ来た目的は淡竹の採取である。
生えている場所さえわかれば淡竹の採取は非常に簡単なので、特別に用意しなければならない道具などはない。ただ一つ、絶対に忘れてはならないものがあるとすれば、これだ。
夏の竹藪とその近辺はとにかく蚊が多い。
かくいう私は、なんの対策もせずに竹藪に入ったことがある。一歩踏み込んだ途端、この瞬間を待ちわびていたと言わんばかりに蚊の群れが押し寄せてきて、常に両腕を振り回してそいつらを追い払いながら移動しなければならなかった。そして、ずっと追い払っていたにも関わらず5分ほどで顔を中心に10箇所以上を食われてしまったのだ。
蚊対策だけは絶対に忘れないようにしようと誓ったのだった。
タケノコは、竹藪の端を歩いているだけでいくらでも見つかる。なにも大変な思いをして奥まで分け入る必要はないのだ。
繁殖力は旺盛だ。タケノコを採る人がいなくなったら、あっという間に地上は竹に支配されてしまうんじゃないか。
まさに「ハチクの勢い」!と言いたいところだが、そのハチクは破竹と書いて竹が縦スジにそって割れることを指すため、この淡竹とは関係がない。
タケノコを掘ったことのある人なら、そんなに成長したタケノコは固くて食べられないんじゃないの?と思うかもしれない。
たしかに普通のタケノコ(孟宗竹)の場合は頭が地表に出るか出ないかくらいが食べごろである。それ以上成長するとモラトリアムをすっとばしてにタケノコから竹に変化してしまうため、固くてとても食べられない。
しかし淡竹について言えば、上の写真にあるような地面から20~30cmくらいまで成長したやつが収穫のタイミングとしてはベストである。
この違いは、土の中でタケノコが発生する場所の違いによるものだ。
タケノコは親竹から伸びた地下茎から枝分かれして生えるのだが、孟宗竹の地下茎は地面下の深いところを通っている。だから、地表に顔を出す頃にはタケノコはすでに大きく成長してしまっているのだ。
対して淡竹の地下茎は孟宗竹と比べてずっと地表に近いところを通っている。外から見える部分でほぼ全部である。大きく育っているように見えて、まだまだお子ちゃまなのである。
さて、そんな淡竹の採り方を紹介しよう。
見つけるのは簡単だったが、採取するのはそれ以上にものすごく簡単だ。
地上に出ている部分がほぼ全てだから、鍬もスコップもいらない。根元から折りとるだけで無駄なく採取できるのだ。
タケノコは収穫してから時間がたつとエグみが出てしまう。淡竹は比較的エグみが出にくいとされているが、持ち帰ったら何はともあれ茹でてアク抜きをしないといけない。
普通のタケノコは皮つきのままで茹でた方がいいとされているけれど、淡竹は皮を剥いてから茹でてしまって良いのだそう。皮を剥いたら体積がいっきに減るから、茹でるときに無駄がない。どこまでも人間様の都合に合わせてもらっているようで申し訳なくなってくる。
淡竹の利用法は普通のタケノコとほとんど変わらないのだが、下調べをする中で「淡竹はアクが弱いので生食ができる」なる記述を見つけた。
困ったなあ。そんなことを聞いたら、試してみないわけにはいかないじゃないか。
シャクシャクした食感が歯にうれしい。パリッとしたこの感触は生食ならではのものに違いない。ただわがままを言うと、少し青臭いというか、飲み込んだ後に口の中に若干のエグみが居座る感じがあるというか......。
鮮度命の淡竹を刺身で美味しく食べるには、採ったその場で剥いて食べるくらいのスピード感がいるのかもしれない。そこまでやったら、そりゃあもうパンダだな。
味付けして料理してしまうと、歯触りも味も立派なタケノコのそれだ。自分で採ってきた分鮮度がいいから、市販品よりもずっと美味しい。
こんなに良いものが、期間限定とはいえ寝ていても地面から次々と湧いてくる。まるで石油王である。日本に油田はないけれど、身近な資源を大切に活用していきたいと思ったのだった。
タケノコ掘りと言えば、土との格闘と言えるくらいの重労働だ。そこへいくと、ポキッと折るだけで採取できる淡竹のお手軽さときたらどうだろう。そのわりに普通のタケノコほど普及していないようなのは不思議だ。
冷蔵庫には、淡竹の水煮がまだまだたくさん残っている。なくなっても、まだまだ採ってくることができる。しばらくはいろいろなタケノコ料理に挑戦してみようと思う。
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