特集 2024年9月9日

終わりの見えないマラソンをする

「終わりの見えないマラソン」という比喩をよく耳にする。つらく厳しい状況が長く続くときに用いられる表現で、受験や勤労をそれに例える人もいる。

終わりの見えないマラソンって実際にはどんなものだろう。例えば、今から走りますと宣言して、誰かにストップをかけてもらうまで走り続けることで実現できるんじゃないか。

その終わりの見えなさは面白いかもしれない。私はもう走り出している。

1993年生まれ。京都市伏見区出身、宮崎県在住。天性の分からず屋で分かられず屋。ボードゲームと坂口安吾をこよなく愛している。

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「終わりの見えないマラソン」を整理します

終わりの見えないマラソンを走りたい。周りの人にそう宣言すると「…終わりの見えないマラソンってなんすか??」という反応がほとんどだった。元の言葉がそこまでメジャーじゃないっぽい。あらまあ。

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「終わりの見えないマラソン」って言わないんでしたっけ?僕の意識は正常ですか?妄想でしたか?

分からない前提に分からない動機を重ねられても聞いてらんないだろう。まずは終わりの見えないマラソンという言葉の意味を共有しましょう。

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パターン1。遠すぎてゴールが見えない

一般的には上図のようなイメージで使われている言葉だと思う。果てしなく続く道のりの先にゴールがあり、走っても走っても進展が感じられない絶望的な状況を表すのだ。

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パターン2。ゴールが透明で見えない

私がやりたいのは上図のマラソンである。ゴールが透明で見えなくなっているのだ。これらのいったい何が違うのか。

パターン1はゴールが遠いということが可視化されているので、ゴールが目に見えるまで走りつづけなければならない苦しみがある。

一方でパターン2うはゴールが透明で見えない(ただし存在はする)ので、次の一歩で突然終わってくれるかもしれないという希望を持ち続けられるのだ。一歩ずつ着実に積み重ねる前向きな姿勢がそこにはある。

どうだ。同じ「見えない」でも後者であってほしいだろう。シャル・ウィー・オワリノミエナイ・マラソン?

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終わりの見えないマラソンをやる理由

今回やること自体は単純で、誰かにストップをかけられるまで走り続けるだけである。

ストップの合図をかける役は当サイト編集の林さんにお願いすることにした。透明で見えないゴールテープを急に切る突発性を号令に置き換えた形だ。

比喩に仮定と難癖を塗り固めてわけが分からなくなってきたので一旦図示しよう。

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透明なゴールの代わりに透明な大会責任者がいる、という状態

ともかく、林さんから止まれと言われるまで走ります。それを終わりの見えないマラソンと呼びます。そして僕は言葉としてよく聞く終わりの見えないマラソンを走ってみたいのです。それだけです。

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廃線跡にやってきた。おれは敷かれたレールの上を走る。

そういうわけで、木陰が多くて人気の少ない走りやすそうな場所にやってきた。

東京の林さんからよーいドンのメッセージが送られてきたら終わりの見えないマラソンのはじまりだ。林さんには企画内容をざっくり説明して、終わりの合図のタイミングは本当にいつでもいいですよと伝えてある。

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メッセンジャーやビデオ通話で適宜やり取りすることにした。この企画あんまりピンときてないんだよねという林さん。
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終わりの見えないマラソンはどういうものか

準備体操を済ませたあと、スタートの合図を出してもらうことにした。林さんはラーメン屋でご飯を食べているそうだ。

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合図がきた!
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司令みたいで嬉しいな
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いくぜ!!!

出発するなり林さんからラーメンの写真が送られてきた。

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うまそう
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走っているときに一番要らない情報かもしれない

おれは体を動かすために最低限しか昼飯をたべなかったのに!うまそうなラーメン食いやがって!という気持ちになる。その気持ちが走る原動力となった。ひとつ目の発見である。ゴールが見えないこととは関係がないな。

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階級の差みたいなものを感じて活力が湧いてくる
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走り始めるとありがたい

僕はつねづねジョギングをしたいと思っているのだけど、走り始めてもすぐに飽きてしまう。下手すると百メートルも行かないうちに飽きて切り上げることもある。

ジョギングの健康効果だけをインスタントに求めているのにも関わらず、健康にそれほどの執着がないせいでそうなるのだろう。

今回はゴールを自分で設定できないので、その強制力はありがたく感じた。副産物的な効果だが、あらがえないものに行動を強制されるのは楽でいい。

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ひたすら走る
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一駅ぶん走った

1km/10分というスローペースで走っている。なんせいつ終わるか分からないから体力は温存しなければならない。距離やペースという数値を追っているわけではないので、気楽といえば気楽だ。

体力に余裕があるうちは、終わりが見えないことはまったく気にならない。

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「景色がいい」

スタートから30分ほど走ったところで林さんとビデオ通話する機会があった。

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少し疲れてきた
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コーヒー飲んでる!いいな!

筆者:自身の一存で、遠く離れた場所にいる人間をどこまででも走らせられることについてプレッシャーや罪悪感がありますか?

林さん:それは、ないね

筆者:ないんですね。どういう感想がありますか

林:景色がいいな~


そうか、景色がいいのか。

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山々
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トンネル
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田舎の道路

たしかに景色がいい。

疲れが実感としてある僕は逆の立場なら気が気じゃないだろうなと思うけれど、そうか、景色か……。

林さんは存外あっさりしている。このままだと42.195km走ることになるかもしれない。

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ぬるっと急に終わる

4kmを過ぎたあたりで相当しんどくなってきた。

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しんどい!(たかだか4kmだけど)

ただ終わりが見えないだけならいいのだが、終了の合図役を林さんに任せてしまったために恨みのエネルギーが蓄積されてきてしまった。涼しい部屋にいながらおれを走らせやがって!という類の。マッチポンプがすぎる。

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足が上がらないしなぜか腰と肩がいたいし

5kmを過ぎて疲れ果て、ほぼ徒歩みたいな速度になってきた頃、林さんから終了の合図があった。急だ!

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急に終わったのがおかしくて七福神の仲間みたいな顔になった

いざ終わってみると急さがおかしい。バイト先でお客さんが少なくて早上がりできたときのような喜びがあった。余力がある状態で終わったので爽やかな気分でもある。

それと、終わらせてくれてありがとうございます!と林さんを拝みたくなった。人間の感情をコントロールしたいときにも良い手法かもしれない。

終わりの見えないマラソン、実際にやってみるとそう悪いもんじゃないですよ!と共有してお別れです。ありがとうございました。

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これといった教訓は特にないが、やりきった
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