北海道で拾って食いたい
北海道は大らかな土地だ。
そんな北海道での拾い食いは、ともすればありえそうであり、当然ありえなさそうでもある。
自然に囲まれた街で拾い食いをしてみたい。
どんな気持ちになるんだろう。
もちろん、「信頼できる人に安全なものを置いてもらう」のは元の記事と変わらない。
いくらなんでも北海道とはいえ、むやみに拾い食いをしていたら、名前も知らない奇病に苦しむことにもなりかねない。
一人が道に食べ物を置いて、そのあともう一人がすぐに食べる。躊躇なくだ。
むき出しの物はラップを駆使したり、そうでないものも包装をうまいことして、安全には留意する。
(基本的なレギュレーションは元の記事を読んでみてほしい。)
安全、かつ大らかに、そして街を汚すことなく、北海道で拾い食いをしてみよう。
手頃な森で拾い食い
まずは近くの森にやってきた。
自然の中での拾い食いはタブー感が増すのだろうか。
それとも全然ありな感じがするのだろうか。
この森の中に食べ物を置いて、レッツ拾い食いだ。
どんどん拾って食っていこう。
手始めにおにぎりを拾い食ってみた。
普通にうまい!
包装のまま森に置いてみたことによる安心感もあるのだろう。こりゃ普通だ!(普通ではない)
なので食べかけを置いてもらった。
食べかけ、しかも森での拾い食いはかなりやばい。
安心感ゼロのビジュアルに対し、心が「こんなもの食って良いのか」と全力でブレーキをかけてくる。
ブレーキを無視しておにぎりを頬張ると、いつもの味の安心感が溢れ出す。
これが吊り橋効果なのか。
近くの農場から漂ってくる独特の匂いも吊り橋効果を加速させる。
やばい。
森でおにぎりを拾い食い
包装してある状態だと全然ふつう。
でも食べかけが落ちているとヤバい。
食べてしまえばいつものザンギマヨで安心。
これが吊り橋効果か
道産食材を惜しげもなく拾い食う
次はいももちを森に落としてみた。
撮影の直前に買ったので極めてほかほかである。
森でほかほかのいももちを拾い食うと、人間はどうなるのだろう。
泣いたり笑ったり。まるで人生のようである。
友人によると、道端に落ちているいももちはさすがに抵抗感が勝つようで、「ゴム食ってるみたい」とのことだった。
そうかぁ…。
皆さん、森にいももちが落ちていた際の判断の参考にしてください。
こんどは茂みの中にある生キャラメルだ。
世界線が世界線なら、これは多分、物語の鍵になるタイプの罠だと思う。
茂みに手を突っ込んで「デンッ」とばかりに生キャラメルの包みが出てくるのには思わず笑ってしまう。人生で初の経験だ。
そして生キャラメルはうまいことに改めて気づいた。
抽象的な表現になってしまうが、家のリビングで漫然と食べるよりも、より多くの「希望」を感じるのだ。
家のリビングで漫然と食べている生キャラメルは、いわば「無」だ。
対して道端に落ちている生キャラメルの包みは「絶望」だろう。
でもその「絶望」は、味わってみると美味しい! 希望の光がドバドバ差し込んでくる!
茂みから出てきた生キャラメルは、希望のある生キャラメルなのだ。
森でいももちを拾い食い
人生のような表情になる。
ゴム食ってるみたい。
きっと農場の匂いとビジュアルが相まってダメ。
農場近辺での拾い食いはできれば避けた方がいい
森で生キャラメルを拾い食い
茂みから生キャラメルが出てくると笑う。
生キャラメルってこんなに美味しかったっけ。
これは希望だ
川にケーキが落ちていると爽快
水場に移動してきた。ちょっとした小川である。
そこに落ちていたのは…
水場の岩の上にショートケーキが落ちている。
いま、実生活ではありえない文を書いた気がする。もう一度書く。
水場の岩の上にショートケーキが落ちている。
うおお、意図しない所にオブジェクトが配置されてしまったバグみたいだ。脳が混乱して興奮する。
小川の中で食べるショートケーキはとても爽快感があった。
たとえるならば、京都の「川床」だ。
川の流れる音、水の涼しさ、そしてショートケーキ。
京都に行かなくても川床が再現できるのだ。我々はまた一つ知見を得た。
ああ、爽快だった。
今後も積極的に川で食べていきたいと思う。
森や川での拾い食いは、精神的なブレーキがかなりギュッとかかる。
普段、森で落ちている人工の食べ物は、風化していたり、腐っていたり。ろくな状態なものはないからである。
でも今回は安全なのだ。
「これは食べちゃいけないやつ」のブレーキを超えると、そこには自然と一体化している自分がいる。
「拾い」をひとたび精神的に乗り越えてしまえば、「食い」の段階では、もはや気分はピクニックなのだ。
(いももちはそうじゃなかったらしい)
川でケーキを拾い食い
自然の中にポツンと人工物があるのはバグみたい
食べてみると川床みたいでさわやか。
やってることを差し引けば、気分的にはピクニック
「インスタ映え」への挑戦に
さて、森を抜け出し、街に来た。
令和元年。もはやタピオカ元年といっても過言ではないだろう。
インスタ映えのために買ったタピオカドリンクをほとんど飲まずに捨ててしまう、という話も聞いたことがある。
そんなことが本当に起こっているのかは分からない。
だがしかし、とりあえず僕は拾ってみようと思う。タピオカドリンクを。
拾って飲むタピオカは社会の味がした。雑多。
インスタ映えのためにタピオカを捨てる人、それを批判する人。
いろいろ考え込みながら飲んでしまったので、味にぜんぜん集中できないのだ。
難しいことを考えてしまうので、タピオカは拾わない方がいいかもしれない。
逆に、社会のことを考えたくてたまらない時にはタピオカを拾って飲もう。
街でタピオカドリンクを拾い食い
インスタ映えへの風刺みたいになる。
社会の両側面を考えてしまう。
味に全然集中できない
うん…おいしいけど…
街、それは拾い食いの確変
札幌の街に出てタピオカを拾ってみたが、そのほかにも、街は拾い食いの確変状態だった。
一気に見て、一緒に興奮してほしい。
繁華街によく落ちているウコンの力は普段なら絶対飲む気にならないが、今日は大丈夫なやつである。
さらに、祭り会場とかに置き去られがちな飲みかけのビール。これも普段「お、飲もう」とはならない。
我々は道端にあるヤバい飲み物の二大巨頭を制覇することに成功した。
飲み干した後の達成感ある顔。今日はもう、人道レベルの無礼講だ!
まだまだ街を歩く。
公園の支柱の上におはぎ。
このおはぎは北海道では有名な、六花亭のいいおはぎである。
当時の僕は興奮して「あながち間違いではない!」と声高に主張したが、よく考えてみると、何が間違いで、何があながちなのか全然わからない。
ああ、正しいってなんなんだろう。
水飲み場にマルセイバターサンドがあったらどうだろう。
ここまで来たらもう食べるしかない。感覚が麻痺しているのだろうか。
食べていいのだ!食べていいのだな!
拾い食い全国ツアーができるのでは
拾って食べた生キャラメルやマルセイバターサンドが本当に美味しかった。
おいしさの再認識だ。おいしいとは何なのかがわかる気がする。
元の記事で拾い食いについて「これ倦怠期のカップルとかがやればいいんじゃないかな。」と言われていたのが分かる気がする。
色々なことが再認識できそうである。
北海道だけじゃなく全国各地で、その土地のものを拾い食いする「拾い食い全国ツアー」ができるのでは、と思った。
宮城:青葉城址でずんだもち
横浜:中華街で月餅
奈良:奈良公園で鹿せんべい
みたいな感じで。
きっと全部、より美味しく感じると思う。