特集 2019年4月25日

行幸に沸いた島~陛下と沖永良部島(おきのえらぶじま)~

さよなら平成、ようこそ令和。

行幸って知ってます?日本人ならテレビで一度は「天皇陛下がどこそこを訪問され…」って場面を見たことあると思うけど、あれをそう呼ぶらしい。その光景は知ってるけど、そういえば町の視点や後日談は聞かないな。

実はそれがたまたま母方の田舎であったのだけど、聞いてみるとこれがおもしろかった。日本の象徴が訪れると決まってからも、来られる前も、そのあとも。今だからこそ読んでほしい、行幸ってどういうものか。

1984年大阪生まれ。2011年に旅先で誘われベトナム移住。ダチョウに乗って走ったり、ドリアンの皮を装備したりと、人は羨まないが平和な人生送ってます。世界のカルチャーを紹介するサイト「海外ZINE」編集長。(動画インタビュー

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舞台は沖縄寄りの鹿児島の離島

タイトルにある通り舞台は島。名前は沖永良部島、おきのえらぶじまと呼ぶ。鹿児島県に属するけど、沖縄本島から与論島を挟んでふたつ隣で、シーサーも見かけたりと文化的には沖縄寄り。太古にサンゴ礁が隆起してできた島で、国内二番目の規模を誇る鍾乳洞がある。最近はケイビングがよく話題になったり、大河ドラマ「せごどん」にも登場したので知ってる人もいるかもしれない。

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ウミガメが産卵に選ぶほどきれいな海
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滞在中にちょうどテレビで放映されていたケイビング(洞窟探検)

ここが母の出身で、自分もまた、幼い頃に夏休みを過ごして、祖父母の畑仕事をたびたび手伝いに行っていた。良い意味でかなりの田舎で、島を歩けば、牛舎の匂いが漂ったり、塀からヤギが顔を出して驚いたり、島が細くなっている場所は左右どちらからも岸が見えたりする。

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日本一の大きさを誇るガジュマルの木
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ゲームに出てくる聖木感がある。左に見える柱はツタ(気根)が伸びて成長したもの。

小さな離島でLCCもまだ飛んでいない。だから東南アジア諸国より移動費がかさむし、しょっちゅう行く訳ではないけれど、思い出のある故郷のひとつ。だったんだけど…その島に2017年、天皇皇后両陛下がやってきた

それをニュースで知ったとき、あまりに突拍子がない話で固まった。うまく言えないが、草野球してたらイチローがやって来たみたいな…。いや撤回、ぜんぜんうまく言える気がしない。何にせよ、これは島はじまって以来の大事。あのとき、島はどんな様子だったのか?ちょうど今年1月に島へ行ったので、当時の話を聞いてきた。

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おきのえらぶ島観光協会・事務局長の古村さん(左)と西さん

 

「喜びの声をどうぞ」と言われてはじめて知った

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いや実は、僕たち当日いなかったんですよ
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えー、いきなり!なんで!
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離島関係のイベントで東京に出張してて…「今話題の!」とは言えましたが、「ここにいていいんですか!?」ってつっこまれましたね(笑)。
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そうですよね、なんとなく、いいの!?と思っちゃう。年越し寝過ごしていいの?みたいなベクトルで。
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かん口令が敷かれてたみたいで、ハッキリとしたことは関係者以外に直前まで知らされてなかったんです。
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かん口令ってひさびさに聞きました。

そして、協会へお知らせが来たのが当日から一週間前。警察から「当日、観光客が近づかないよう(つまり邪魔にならないよう)に伝えてほしい」とルートを教えられて公な形ではそこで確定。「直前まで黙っていたのは観光利用されたくなかったからじゃないか」と古村さん。

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だから僕ら、新聞の取材で「喜びの声をどうぞ!」と聞かれたと同時に知ったんです。そうなんですか?って。
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あははは!あなたの町に天皇陛下が来られますよ、って言われても、突飛すぎて嘘だろ?ってなりそうですね。
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で、それから島でも「どうもそうらしい」という話が広まって。ちらほらと噂は耳に入ってくるけど確証はないので、メディアや観光客から問い合わせが増えてもこちらは「役所に聞いてくれ」としか言えなかったんです。

もちろん、ご訪問先や現地でお世話に関わる関係者の方には、「8~9ヶ月前(2017年2~3月頃)には知らされていたようだった」のこと。そりゃあそうだ、天皇陛下のアポなし訪問なんて、いくらなんでも受け入れきれない。

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行幸後に発行された町の広報誌には、ルートがまるっと載っていた。
皇居を出られてから皇居に戻られるまであるあたり、国の行事だって感じがする。

 

全力のホスピタリティを目指して島は動き出す

それから関係者は全員、来るその日に向けて動き出す。

ユリ農家は当日に咲くようユリを育て、配膳を担当する人は教育を受け、ホテルは特別室を用意するために工事に着手。畑に来られた際に土で汚れないようにと、舗装もされたらしい。国際サミットやオリンピックが開催される国や街ではあらゆるインフラの整備が発展すると聞いたことがあるが、それに通じたことが起こっていた。

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改築して特別室を準備したという島一番のいいホテル

とくにおもしろいなと思った話が、配膳。両陛下が役場でとられる食事にあたって事前に、鹿児島の一流ホテルから教育係が指導に来ていたらしい。鹿児島は沖永良部にとって身近な都会で、進学先が多ければ鹿児島へ働きに出る人も多い。そういう構図が頭にあるので、「鹿児島から指導に来た」という表現は実に生々しく感じる。

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ただ、以前、候補に挙がってた飲食店は「特注のお皿を用意したんだけど…」って残念がってましたね。
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以前?訪問先って変更になったんですか??
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いや、当初はその5年前に来られる予定だったけど、天皇陛下がご療養に入られた時期があったじゃないですか。
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あ!ありました!ありましたね。

いっとき「心臓バイパス手術」という言葉が盛んに報道されていた。そのタイミングでご来島は一度流れていたけど、訪問予定だったユリ農家の方のユリを贈って、後に病状は快方へ。それもあって、とくに美智子様が今回の沖永良部島への訪問を希望されたということらしい。

それってめちゃくちゃ美談じゃない?島の人ならみんな知ってるけど、報道されていないので世間一般では知られていない。この状況は離島ならではかもしれないな。

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町の広報紙の、町長の挨拶にもシッカリと書いてある。

 

300~400人の警察官が数週間前から前乗り!

そして準備は着々と進み、いよいよ当日まで2~3週間というところ、島に大きな変化があったという。

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300~400人の警察官が島に来てて。
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400人…よ、400人!?
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各都道府県から集まった機動隊だと話してましたね。
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さすが…でも、思ってる以上に前乗りするんですね。
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当日なにかあったときの異変に気づけるため、ふだんの日常を下見しておく必要があるみたいです。
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うわー、警護中の警護だ!でも当たり前か!

2日間の滞在とはいえ、国の象徴。分かってたつもりだけど、行幸という事の大きさがようやく掴めてきた。ちなみに沖永良部島の前後に屋久島と与論島も行かれていたので、ここも同じく配備されていたのかもしれない。

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でも、のどかな島で、その人数の…ガタイも良いであろう人が出歩いてるとちょっと厳つい感じはしますね。
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公務以外であまり外を出歩かないようにと言われていたそうですよ。公民館や防災施設に宿泊していて、島の人達が「弁当じゃ飽きるでしょ」って、厚意で食事をつくったり、家のシャワーを貸したりしていたみたいです。
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その400人から島へのリピーター続出してそう。

そして本番の数日前、警察車両に先導されて「良さげな車」がルートを走る様子を目撃。宮内庁が道の舗装に凸凹がないか確かめていたんじゃないか、とのこと。車で移動中のガタつきに至るまで確認するという徹底ぶり。

ちなみに自分の祖母も下見の車を目撃していて、「すごい車だった」と言うので、どんな車だったか聞いたところ「いやもう見たこともない車」という答えしか返ってこなかった。ひとまず分かったことは、祖母にとってもはや言葉で表現できる範囲を超えるものだったらしい。

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走行ルートもふだんはのどかで静かな道

 

行幸に沸く沖永良部島

そして当日の2017年11月17日、ご来島。

御料車の走るルートに沿って島の人たちがお出迎えするポイントが指定され、周辺地域ごと集まって待機。その都度速度を落としてゆっくりゆっくり。高齢の方の中には拝んでいた人もいたという。ちなみにこのとき、1グループごとに5~6人の警官隊が付いていた。なるほど、それはどおりで400人近い人数が必要になる訳だ。

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小学校で子どもたちの合唱を聴かれる様子(広報誌から)

そして二日間に渡り、冒頭で紹介したガジュマルが植えられてある小学校へ行かれたり、子どもたちの黒糖づくりを見られたり、銅像の由来を聞かれたり、ご療養中に贈られたユリを育てた農家の方にも会われたとのこと。

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ユリ農家をご訪問される様子(広報誌から)

余談だと知りつつも、ひとつだけ沖永良部島の歴史を話しておきたい。この島は戦後からほぼ8年間、アメリカ軍政下にあった。が、復興の中心はやはり沖縄で両国から事実上ほぼ見放された貧しい時期があり(隣の島では教師が教科書を入手するために本土へ密航したというエピソードも)、そんな中では島内での物々交換も当たり前だったという。で、海が近い東端では、岩のくぼみに海水をぶつけ乾かしぶつけを繰り返し、塩をつくった。

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ガジュマルそばにある「汐ほす母」像

上の銅像は、そんな塩を遠方まで売り歩いたという母親の苦労を表したもの。祖母も曾祖母の手伝いについて行って回り、塩以外ならなんでもいいからと交換したお盆を抱えて夜に月を見ながら帰ったのだと話してくれた。

そういう島の歴史を思うと、祖母のような世代の人たちにとってひときわ行幸の意義は大きかったのだと思う。

 

警官隊が続々とやってきてTシャツが完売御礼

話は戻って後日談。天皇皇后両陛下はそれから与論島へ向かわれたが、それで話が終わると思いきや400人近い警察官は以降の一週間くらいは島に留まったという。

 
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なんでですか?
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班ごとに、各都道府県に帰る日がずれていたんです。
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あー、なるほど!
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任務は終わったから外出も控えなくてよくなったので、その間みなさんしばらくは島を観光されてましたね。
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緊張と緩和のギャップが激しい!
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観光協会には黒糖にアオサなどのお土産も売られている
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うちにもTシャツを買いに来てくださったんですが、後日、別の方が「ほかの班で買ってたからウチの班でも買おうと思って…」ってつづいて、最終的には売り切れました
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特需じゃないですか。
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そんなTシャツのひとつ

そして400人の警察官も島を去りすべてが落ち着き。ふたつある町のひとつの知名町は、毎月出している広報誌の「特別号」を発行(たびたび出していた写真)。どこをめくっても両陛下お二人のお姿が。取材のあと、観光協会で2部もらったので1部を祖母にあげたら、町が違うので「これが噂の!」みたいな感じで喜んでいた。

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「特別号」の赤字に気合を感じる

 

行幸は町に歴史をつくる

島に陛下がやってくる。すると、地元ホテルに特別室ができたり、配膳レベルが上がったり、畑の脇が舗装されたりする。400人の警察官が前乗りしたり、そのあとは土産物を買ってくれたり、広報誌も特別号を出す。行幸を中心に織りなす、島の動きが分かりおもしろかった。

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ガジュマルのそばには行幸を祝う真新しい石碑も建つ

ガジュマルの下に建った行幸を祝う石碑を見たときは、昔から知ってる場所だけに、違和感もなくはなかった。しかし、後日立ち寄ったいくつかの地方でも過去に天皇陛下が来たことを祝う石碑が目について、あぁそうか、数百年、ときには千年以上語り継がれることかと納得。

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鹿児島の霧島神社にあった石碑

ではでは、平成が終わります。 

 


最後にちょっとだけおきのえらぶの紹介

途中紹介したケイビング、ほんの7年くらい前までは「入るな」という一点張りが、地方創生で観光資源を活かそうという流れになったらしい。サンゴ礁由来のこの島には洞窟が300とあり、愛好家の間で「洞窟の聖地」という呼び声も。またそのうち行って記事にできたら。
 
古村さんは、「行けば見れるものより、人に会うことを大事にしたい」と言う。洞窟のことを教えてもらいながら潜ったり、地元の人にプライベートビーチを案内してもらったり。そうやって島と訪問者のお互いが楽しんで、その上でお金をもらえる形が良いと話してくれた。
 
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東映っぽい、フーチャと呼ばれる潮吹き洞窟。
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実は弟にあたる常陸宮さまも過去二度ご来島、写真は祖母の家にあった、島の演奏で歓迎している当時の様子。

取材協力:おきのえらぶ島観光協会 

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