「できる」と「できてる仕草」は別
ルービックキューブをそろえられる人になりたいと思い、解説のサイトを見ながらやってみた。
キューブの中で何が起きているのか全然分からなかったが、とにかく説明通りにやったらできた。
ついに憧れの「ルービックキューブをそろえられる人間」になれた。しかし見える景色が変わらない。あのクレバーで、器用そうな雰囲気が僕に無いのだ。
口笛でも吹きながら指先だけでキューブをカチャカチャ回してポイっと完成させたいのに、その気配が全くない。「できる」ことと「できてる仕草」は別なんだ。
仕草だけやってみよう
結果に至る過程がスマートでないと見てられない。つまり「できてる仕草」が大事なのだ。
いや、むしろ仕草こそが大事、結果はどっちでもいいのではないか。
できてる仕草だけで出し物は成り立つのではないか。試してみよう。
演目1.紙切り
ちょうどデイリーポータルZの集まりがあった。出し物を用意したので見てくださいと声を掛ける。
仕草だけ行うことは説明してない。しなくても大丈夫だろう。仕草だけで満足できるはずだから。
事前に紙切りの動画をいくつか見て仕草を勉強した。意識したのは以下の点である。
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体を揺らしながら切る(でも立って切る場合はそこまで大げさに揺れなくてもいい)
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途切れないようにおしゃべりをする
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紙を回しながら細かく切る
うまい紙切りのポイントではない。紙切りができてそうな仕草のポイントである。これを、堂々とやる。
この仕草を自信満々にやったら、めちゃくちゃに切った紙でも何かができたように見えるかもしれない。
準備してきた話をする。成果物への期待感もあり、いい雰囲気だった。でも僕だけは知っている。見せたいのは今ここでやっているこれであって、成果物は無いのだ。
始めて2分ほど。話が終わったので紙も切り終えた。
感心ではなく「ズコー」となっている。でも笑っているからいいじゃないか。
皆さんからは「あの人どういう感情なの?」「心理テスト?」「気持ちが強い」と好評だった。
皆さんが優しいだけなのでは、と一瞬思ったが、これは優しい気持ちになれる出し物だ、と言い換えることもできる。
誰かが何かを頑張っている。何もできなかったとしても。
出し物の様子、動画でもどうぞ。BGMを止めてもう一回やった時のものです。
(こんな感じであと二つ出し物をやります。そしてデイリーポータルZには、編集部の藤原さんが作っている仕草だけの手品の動画シリーズもあります。併せて見てください)
お題をもらってもう一度
何かを作る気がない、とバレた後はどうなるだろう。お題をもらってもう一度やった。
突然出されたお題で数分しゃべる練習もしてきたのだ。銀杏は踏んだら臭いから、そうなる前にみんなで拾おうよ、という話をした。
ヤジに動じるのはできてる仕草ではない。薄いまま堂々としゃべっていた。