きっかけは多摩センター駅だ
京王相模原線は多摩ニュータウンを走る、私の地元路線である。
ある日、車内の表示板をぼんやり眺めていたら、急に都会がふってきた。
京王多摩中心。
字面だけみると、首都の王であり、多摩の中心。
なんて偉そうなんだ。
でもちょっとだけかっこいいぞ…!
我らが多摩センは、多摩の中心だったのだ。
上海中心(上海の有名な超高層ビル)や、国際金融中心(香港の中心部にある複合施設)みたいなノリを感じる。
今でこそ「センター」にはまちのショッピングセンター的な親しみを感じるけど、
元はといえば30万人の巨大計画都市・多摩ニュータウンの中心地区として華々しくデビューしたのが多摩センター駅なのだ。
バブル時代には超高層ビルが林立する計画も一瞬だけあったようだが、実際そんなわけはなく、駅前のそごうデパートも京王プラザホテルも閉館してしまった。
今はおなじ多摩市内でも聖蹟桜ヶ丘の方が栄えてるよな…という温度感の駅である。
この「センター」呼びはニュータウンにはありがちで、
例えば横浜・港北ニュータウンにはセンター北駅とセンター南駅がある。こちらは中国語で「中心北站」と「中心南站」(駅=站)。
また、千葉県にあるスポーツセンター駅は「体育中心站」。急にマッチョに感じる。
ちなみに、ニュータウンはどう訳すのか。
千葉にある千葉ニュータウン中央駅は、「千叶新城中央站」になる。
ニュータウン=新城。
となると多摩ニュータウンは多摩新城か。
実は、中国語の城には都市や都会の意味もあるようだ。
たしかに、言われてみれば中国の城は日本の城と違い、街そのものが城壁に囲まれている城郭都市だ。
日本は真ん中に城があって、まわりに城下町が広がるけど、中国は城=街を囲む城壁であり、城の中の街をも意味するのだな。
(ここまで読めばおわかりだろうけど、筆者は中国語を全く話せません。北京に1年弱住んだことはあるが、それは幼稚園の頃の話なのでニーハオとシェーシェーだけで許されてたのだ。
なのでこの記事は雰囲気だけで書いています…!)
天王洲アイル駅、東京テレポート駅…なつかしい平成ネームたちはどうなる
東京の臨海副都心には、平成初期につけられた横文字ネーム駅がひしめき合っている。
皆バブルの夢を背負い、バブル崩壊のあおりを受けた苦労人たちだ。
彼らはどうなるか。
そう、シーサイドは海浜だし、アイルは島なのだ。
まあ、そうだよな。
ちょっと落ち着けよ、と漢字の本家本元からたしなめられてる気分だ。
(※2つの表示は上が簡体字、下が繁体字。簡体字は伝統的な繁体字を戦後に簡略化してつくった文字で、中国やシンガポールなどで主に使われている。繁体字は台湾や香港で使われている。どちらか一つの場合、人口比からか簡体字表記が多い)
そもそも東京テレポートとはなんぞやというと、お台場や青海、有明一帯の埋立地のこと。
イケイケだった80年代に計画された情報の港(teleport)であり、国際化&高度情報化がすすむであろう21世紀に向けて計画された、衛星通信設備や光ファイバーケーブルネットワークなどを備えた国際的情報基地なのである。
当時は「東京テレポートが弱体化すれば、日本全体が弱体化する」とまで言われたのに、今現在あんまり知られてないのは、つまりそういうことなのだ。
さて、同じく臨海副都心の平成ネーム路線といえばゆりかもめ(正式名称、東京臨海新交通臨海線)だ。
ちなみに、勝利六人組が日中国交正常化三十周年を記念して香港で行ったライブの会場は香港會議展覽中心というらしい。