刀研ぎ師、藤代龍哉さん
2010年、正月。東京・九段の靖国神社。
初詣客でにぎわう。
喧騒の中、神社の展示館「遊就館」の中で、一心不乱に刀研ぎの実演を奉納する一人の男がいる。
鋭い動きで砥石を当てる。
光にかざして刃を見極める。
刀研ぎ師の藤代龍哉さんだ。
藤代さんは、九段にある研ぎ屋「刀剣藤代」の四代目、父も祖父も研ぎ師の一家に生まれ育った人だ。お祖父さんはもう亡くなられたが、藤代松雄さんといい、人間国宝に認定され、刀剣に関する重要な著書も書かれている非常に有名な方である。(それがきっかけで、「進め!電波少年」にも出演したことがある。)
今日はその、藤代龍哉さんの仕事場にお邪魔して、刀研ぎ師という仕事についていろいろと聞かせてもらった。
※お知らせ:実は藤代さんは幼なじみです
最初におことわりさせていただくのですが、実は藤代さんは、僕の幼なじみです。
たぶん小学校5~6年の頃。
なので実際には、「タツヤ、この本見せてくんない?」とか、「カトちゃん、この取材終わったら新宿遊びに行こうよ」みたいなテンションで話をしていたのですが、それだと読みづらいので、まっとうな語調に書き直してあります。読んでいて、ずいぶん突っ込んだ質問するなあ、と思ったときはそれを思い出してください。では続きです。
撮影は作務衣と決めている
マンションに上がらせていただくと、藤代さんはさっそく作務衣に着替え、刀を手に取った。
造作なく抜き取られた日本刀。
加藤:やっぱり仕事は、作務衣(さむえ)が基本なんですね。
藤代:いや、普段は着ません。でも僕の中で撮影の時は作務衣を着る、って決めてるんです。
なんと。作務衣はあくまで撮影用だという。記事的には作務衣ではない服の方が面白いので頼んでみたのだが、そこは藤代さんの中で譲れないらしい。さすがに伝統技術を受け継ぐ工芸家だ。
加藤:まず刀を実際に見せてもらえますか
藤代:いいですよ。
さやに収められた真剣。
加藤:これ、研いだあと切れ味試すために、巻き藁とか切るんですか。
藤代:えーと……、僕は切ったことは無いですね。そもそも僕は切るための研ぎをしてるんじゃないんです。
加藤:え。じゃあ何のために研いでいるんですか。
藤代:刀には刃文というのがあって、それを研いで美しく見せることが美術品としての刀の価値を決めます。僕がやっているのは、その刃文を美しく見せるための研ぎです。
刀研ぎとは、刃文を美しく見せる技術
加藤:え、そうなんですか! じゃあこの刀にも刃文あるんですか?
藤代:はい、こう斜めにして、光にかざすと見えます。
「光源が照り返す、少し下あたりに見えます。」
「ハイ、持ってみな。」
「え、いいんですか!」(はじめての真剣)
「こうすると……」
加藤:あ、見える! なんか、うにょうにょしてます!
でもこれ写真に撮るの難しいですね。
これは撮れてない写真。
藤代:そうですね、雑誌なんかの取材が来ても、初めての人だとまず撮れないですね。
実際、目で見ると白く見える部分の内側にもう一段、うねりを描くような部分あるのだが、どうしても撮れない。苦労していたら、藤代さんが別の光源を用意してくれたのでそれで撮影に挑戦した。白く見える部分の内側に、もう一段うねった模様が見えるだろうか。
オンマウスで光源無しの写真になります。
オンマウスで境界を表示します。
藤代:刀匠が刀を作るとき、土のつけ方を変えて、温度を調節しながら焼きを入れます。すると鉄の構造が変わり、刃文が刀身の中に生じます。普通に白く見える部分は砥石で研いだ部分で、その中に刃文が見えます。この刃文を研ぎでどう見せるかが、研ぎ師の技術と美的感覚を問われるところとなります。
靖国神社に説明書きがあった。こうして土をつけるらしい。
なるほど。研ぎの依頼主は基本的に、神社や個人などの刀の持ち主か、新たに刀を作った刀匠である。その注文に応じて研ぎ、刃文を美しく見せるのが仕事だとのこと。
続いては、いよいよ研ぎの詳しい過程を実演してもらうことにした。
いよいよ、研ぎ作業の開始です!
まずは砥石で刀をリセットする
仕事は、マンションのベランダを仕事場に改造したこのスペースで行われる。
キャプション
藤代:研ぐときには、刀は分解されていて、握り手である「柄(つか)」がついていません。こういう短い刀を研ぐときは、研ぎやすいようにこの「研ぎ柄」をはめて研ぎはじめます。
加藤:つけるとかっこよくなりますね
藤代:これは撮影用に長いのを用意しました(笑)
研いでいる間に錆びないように、水にはこの洗濯用ソーダ(重曹)を溶かし、アルカリ性にして使います。昔はわら灰を溶かして使っていたらしいですが、ホコリっぽくて体に悪そうだし、僕は使いません。
重曹を溶かした水を……
指でちょんちょん、と刃につけて……
研ぐ!!
藤代:研ぐと黒い研ぎ汁が出てきます。この作業は、前に研いだときの刃文などを落とす、いわば「化粧落とし」の作業です。
加藤:あ、ほんとだ、研いだ部分全体が白くなってる。一度リセットするんですね。
藤代:このあと、二種類の砥石を和紙に貼ったものを用いて、磨きに入っていきます。
加藤:和紙??
新弟子を苦しめる砥石づくり
藤代:これは裏張りといって、薄く割った砥石に和紙を貼ってさらに薄く磨いたものです。
加藤:え! これめちゃくちゃ薄いじゃないですか。作るの大変じゃないですか!?
藤代:そうですね、ものすごく大変です。でも弟子入りしてすぐは、ずっとこれをやらされます。もう、始めて一日で指紋もいっしょに削れて無くなります。そして続けるうち皮も削れて、肉が露出してきます。
加藤:ひーーーー!
藤代:もう、そうなると血がいつまでも止まらないんですよね、肉、出ちゃってるから。風呂なんか痛くて入れないですよ。
加藤:もういいです、もういいです! 弟子入りってやっぱり、厳しいんですね……。
藤代:そうですね、弟子入りして半年くらいはこの作業です。それで音をあげる子はやめていきます。
そして研ぎは進む
砥石つき和紙はカッターで指サイズに切られ……
ハサミの刃の反りを利用して割れ目を入れる。
こんな感じ。刃艶用の「内曇砥」と、地艶用の「鳴滝砥」の二つがある。
そして指に和紙を当て、地道に研ぐ。
加藤:すごく地味な作業になるんですね、研ぎって。このあと、ずっとこの小さいので研いでいくんですか。
藤代:そうですね、このあと全体をくまなくこれで研いでいきます。
加藤:いったい1本完成させるのにどれぐらいかかるんですか?
藤代:モノによりますが最低1ヶ月はかかりますね。これまで研いだ中で一番大きかったのは全長185cmの大太刀で、半年くらいかかりました。でも、父は240cmの大太刀を研いだことがあるそうです。そういう刀は、神社のご神体になっていたりするんですが、中には実戦に使ったという銘が入っているものもあったりして、これは刀の面白いところです。
今回は取材用で特別に、ダイジェストで紹介してもらっているが、実際の研ぎはもっと地道にゆっくりと進んでいく作業のようである。
とはいえ藤代さんも、友達に頼まれて外国人に研ぎの過程のあらましを説明する、なんてこともあるらしく、わりと手際よくダイジェストを説明してくれた。
そして研ぎはいよいよ最終工程に入り、藤代家秘伝の粉などが登場する!
企業秘密の粉を塗って、肌にしっとり感を出す
藤代:刃艶、地艶を終えたら、油で溶いた秘密の粉を刀身に塗って、綿でぬぐいこんでいきます。こうすると潤いが無かった刀の肌がしっとりします。
加藤:あ、この壷に入っている赤茶色いやつですね。
藤代:あ、それ撮らないでください。一応うち独自の配合でやっているので、藤代の企業秘密ってことで。
加藤:じゃ、僕のファイルで隠して撮らせてください。
秘密の粉は「ぬぐい」と呼ばれるそうです。
加藤:ところでさっきから気になってたんですが、ここにある飾り物、日本刀の元になる鉄ですか?
藤代:あ、そうですね。それは玉鋼(たまはがね)といって、日本伝統の製法で作った鉄です。
加藤:藤代さんは自分で刀も作ったりするんですか?
藤代:いや、作らないです。僕は研ぎしかやりません。それ、よく間違えられますね。この仕事を始めてしばらくは、友達にも覚えてもらえなくて、久しぶりに会うと「よっ! いい刀できた?」なんて聞かれたりしましたが、作りません。
これは刀匠が刀を作る元となる「玉鋼(たまはがね)」
加藤:そうなんですか。あれ、じゃあ研ぎ師と刀匠は全然別の仕事なんですね。
藤代:そうですね、全然別です。他にも、さやを作る職人や、柄を作る職人もいて、それぞれ別の仕事です。でも中には、研ぎを自分でやられる刀匠の方もいます。
どうやら、かなり細かく専門化された世界のようだ。
ここまで聞けばさすがに、包丁は研がないんだろうな、ということは分かってきた。そういえば、まだ互いに独身で一人暮らしの頃、藤代さんちで鍋会をやったとき、藤代さんちの台所にあった包丁は驚くほど切れなかった。あれはたぶん、研いでいなかった。
見ていてヒヤヒヤする最終工程
藤代:最後に、刃の側からこうやって刃文を取っていきます。
刃側で素早く指を動かす
加藤:うわ! それ指切らないんですか!?
藤代:よく言われるんですが、大丈夫です。指は刃に当たっていません。これで一応簡単に全工程が終わりですが、何か聞きたいことありますか?
加藤:あれ、ルパン三世で石川五右衛門がぽふぽふやってるアレが出てこなかったけど、アレは使わないんですか?
藤代:ああ、アレですね。あれは砥石の粉をまぶして、余分な油を取るための作業です。でも今は、メガネ拭きがあるじゃないですか、あれでも取れるんですよ(笑い) だから、僕は使ってないです。
※写真と本文は関係ありません
加藤:メガネ拭きですか! そう、五右衛門といえば、五右衛門の斬鉄剣ってコンニャク切れないじゃないですか。あれって本当に切れないんですか?
藤代:えーと、切れます。あたりまえでしょ(笑) 包丁で切れるのといっしょです。それ、よく聞かれますね。あと「逆刃刀ってあるんですか?」ってのもよく聞かれますね。(※逆刃刀はマンガ「るろうに剣心」で主人公の持つ刀)それ聞かれたときは、もう知らないふりします。「え、なんですかそれ? え、マンガ??」って。
加藤:(笑) たしかにそのほうが早く済みそうですね。
藤代:他には質問ありますか?
加藤:例えば僕が今、「日本刀を家に欲しい」って思ったら買えるんですか?
藤代:あーそれは、ちょっと長くなるんだけど……
このあと、上記の続きに加えて、藤代さんがこの道に入ることを決めたきっかけ、メトロポリタン博物館で実演してきた話など、もう少し聞いてきた。
あと少々お付き合い下さい!
買う前に見る目を養って欲しい
藤代:買おうと思えば、何十万円かあれば、何かは買えます。でもその前に、日本刀を見る目を養って欲しいと思っています。そうでないと、本当に満足がいくものは買えないと思います。
加藤:見る目、というのはどこで養えばいいんですか?
靖国神社の「新春刀剣展」。入場無料。
藤代:まずは日本刀をいくつも見て欲しいと思います。初台にある刀剣博物館や、お正月の靖国神社で見ることが出来ます。 で、もし行かれたら、そこで見るときにこう見て欲しいんです。
ちょっと下から、光が照り返すように見る。
藤代:刀剣を知らない方には、普通に見える白い部分を刃文と思っている方が多いです。でも刃文を見るためには、必ずこの角度見てください。
加藤:なるほどー。他にはどうやって見る目を鍛えるんですか。
藤代:僕は弟子入りしてからは、刀剣博物館で開催されている刀剣鑑賞会に参加しています。そこで「銘」を隠してその作者を当てるというテストのようなものがあるんですね。それに取り組んだりして養いました。
その甲斐あって、5年前に若手研ぎ師の最優秀賞を受賞 (当時の僕の写メールより)
加藤:へえー、刀匠当てテスト! それも見てみたいですね! ところで藤代さんは、小学校や中学校の頃「研ぎ師になるの?」って聞かれるといつも、「わからない」って答えてたじゃないですか。それがいつ、弟子入りを決意したんですか?
藤代:そうですね、うちにはお弟子さんがいっぱい出入りしていたので、特殊な職業という意識はそんなに無かったです。きっかけのひとつは高校2年生のとき、父に「景光(かげみつ)」という人の刀を見せてもらったことですね。めちゃくちゃかっこいい! と思って刀を好きになりました。
加藤:その「景光」って人は有名なんですか?
藤代:有名ですね! 鎌倉末期の刀匠で、「小竜景光」という国宝の刀が上野の国立博物館に展示されていたりします。
加藤:へぇー! 弟子入りする前からすごいものに触れてますね。ところで研ぎ師じゃなかったら、何やっていたと思いますか?
藤代:数学の先生になりたいと思ってました(笑)
図で分かりやすく刃文の仕組みを教えてくれた。先生向きかもしれない。
ニューヨーク・メトロポリタン美術館に行って実演
加藤:この間お正月に、靖国神社で実演してましたよね。ああいう仕事もわりとあるんですか?
藤代:そんなに無いです。でも、海外で実演したことがあります。イギリスと、去年の11月にはニューヨークのメトロポリタン美術館の「アート・オブ・サムライ」って展示会に行って、実演してきました。
メトロポリタン・ミュージアム。NHK「みんなのうた」を思い出す。
加藤:すごい! メトロポリタン美術館って世界級の美術館じゃないですか! 聴衆はどれぐらいいたんですか?
藤代:付属の劇場みたいなところで研いで、600人ぐらいはいたと思います。すごく熱心な観客の方多かったですねー。実演の後の質疑応答で、質問の勢いが止まらなくて大変でした。
満員御礼! アメリカでも大人気の日本刀。
加藤:刀剣ってのは、海外でも人気なんですね。
藤代:そうですね、関心は高いです。戦後の混乱期にGHQの指令や個人的な流出なんかで、貴重品も含めだいぶ海外に渡っているんですが、その中にはひどい扱いをされているものもあります。例えば、「長光」という鎌倉末期の有名な刀があるんですが、それがグラインダーで磨かれてたり、チャンバラに使われた跡があったり。
加藤:グラインダー研磨! 磨けばいいんだろう、的な発想ですね。
藤代:でも国内でも、かなりひどい状態のものもあります。一番まずいのが、押入れにしまっておいた先祖伝来の刀を、怖いんでそのまま押入れに放置しちゃうパターンですね。江戸時代では「虎徹」と「清麿」っていうのがとても人気が高いんですが、その清麿が線路のレールみたいにサビサビになって発見されたこともありました(笑)
実演の様子。YouTubeの動画を、記事の最後にリンクしてあります。
研ぎ師としての将来の夢
加藤:その刀剣の資料の本、いっぱいありますね
実際にはこの20倍くらいあった。
藤代:そうですね、この本なんかは古本屋でも10万円以上しますね。うちの祖父が書いたものもあります。
加藤:何が書いてあるんですか。
藤代:刀剣一本ずつの資料です。鉛筆で刃文をスケッチした絵が書いてあります。
加藤:うわー細かい! こういうのは、研ぎ師はみんな描くんですか?
藤代:いや、最近は写真の技術が上がって刃文が撮影できるようになったので、そうでもないですね。ここの仕事場にも隣に、専用のスタジオがあります。でも僕は、描くのが好きなんで描いています。
藤代さんが描いた刃文の鉛筆スケッチ
この奥に、ひみつの写真スタジオ
加藤:最後に聞きますが、藤代さんのこの先の夢とかはありますか。
藤代:でも、僕はいま31歳ですが、祖父は33歳で最初の本を書いています。それを考えると、まだまだしなければいけないことはありますね。現在、刀剣の愛好家は少しずつ減っているので、みなさんに刀剣の魅力を伝えるために、頑張らなければいけないな、と思います。
今は亡きお祖父さんの、国宝認定書と頂いた勲章。まだ道は長い。
このあと僕は藤代さんと新宿へ動画編集ソフトを買いに行き、だらだら話の続きをした。
加藤:やっぱあれ、飲み会とか行くと話題になるでしょ。
藤代:なるねー、でも聞かれる質問だいたい一緒。さっき言ったやつと、あと「村正はほんとに呪われるの?」ってくらいかな。
加藤:わかるわー、俺も学校の先生やってるって言うと、大体聞かれること一緒になるもん。
藤代:だよねー。
お互い全く違う道を進んだ同士だが、意外なところで分かり合えた。
この取材以降、刀剣にがぜん興味が湧き、いろいろ見に行っている。太刀もかっこいいが、脇差の太く短いデザインもいい。薙刀も見たが、刃のカーブと広がりがえらくカッコイイ。
皆さんも見られる機会があれば、ぜひ見に行って見るといいと思う。
藤代さんがメトロポリタン美術館で実演する動画(24分)