特集 2018年2月14日

あの凌雲閣(浅草十二階)の遺構らしきものがでてきた

凌雲閣の雑コラ
凌雲閣の雑コラ
ビル工事現場の基礎工事中に「凌雲閣(浅草十二階)」の遺構が出土したらしい。

「凌雲閣」とは明治23年に浅草に造られ関東大震災で崩落し解体された12階建てのレンガ造りの塔だ。

マジかよ、見に行かなきゃ。
鳥取県出身。東京都中央区在住。フリーライター(自称)。境界や境目がとてもきになる。尊敬する人はバッハ。(動画インタビュー)

前の記事:3秒で東京都を横断できる場所(デジタルリマスター版)

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浅草十二階とは?

よく「バカと煙は高いところが好き」なんてことをいう。でも、バカじゃなくても高いところが好きなひとは昔から多い。

1880年代(明治20年前後)高所からの眺望を売り物にした建物が、大阪や東京に次々と作られ、ブームになった。

東京では、浅草寺五重塔の修繕作業用の足場に、お金をとって人を登らせたところ、これが大評判となり、この人気に目をつけた寺田為吉という香具師が、1887年(明治20年)「富士山縦覧場」という高さ36メートルの木造モルタルの展望台を浅草六区に作った。
「吾妻新橋金龍山真景及ビ木造富士山縦覧場総而浅草繁栄之全圖」(江戸東京博物館(http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/)収蔵資料)
「吾妻新橋金龍山真景及ビ木造富士山縦覧場総而浅草繁栄之全圖」(江戸東京博物館収蔵資料)
この展望台は大変な人気で、錦絵まで残されているのだが、暴風雨のため損壊し、2年ほどで破却されてしまう。

ところが、ひとびとの望楼熱はそんなものでさめるものではなかった。1890年(明治23年)今度は、12階建てのレンガ造りの塔が作られた。これが、浅草十二階と呼ばれた「凌雲閣」だ。
当時の凌雲閣(画像提供:探検コム
当時の凌雲閣(画像提供:探検コム
今思えば「たった十二階かよ」なんて思ってしまうが、当時は自由に登って見物できる高い建物がほとんどなかったうえ、まわりの建物はせいぜい二階建ての低い木造家屋ばかり、12階でも十分で、バカに限らず老若男女にたいそうな人気があったらしい。

凌雲閣は、日本初の電動エレベーターや電灯、電話設備などを備えたモダンでハイカラな建物で、展望室は10階から12階まで(11階、12階は木造)、そして12階には、望遠鏡が備え付けられ、東京市内はもちろんのこと、関八州の山々まで見渡せると、たちまち浅草の名物となった。そのころの絵葉書などをみると、浅草の風景には凌雲閣がよく登場している。
凌雲閣の彩色写真(Wikipedia)
凌雲閣の彩色写真(Wikipedia)
しかし、1923年9月1日に発生した関東大震災で、凌雲閣は8階から上が崩落、展望台にいた10数人の観光客がほぼ即死するという大惨事が発生した。
崩れ落ちた凌雲閣(Wikipediaより)
崩れ落ちた凌雲閣(Wikipediaより)
その後、再建は不可能とされ、陸軍の工兵隊によって爆破解体された。凌雲閣が存在したのは、明治から大正にかけてわずか33年間だけということになる。

どこにあったのか

凌雲閣のものと思われる土台が出土したのは、住所でいえば、台東区浅草二丁目。浅草花やしき横、ひさご通りの米久本店を西に入ったところだ。
写真を撮るひとだかりが……
写真を撮るひとだかりが……
みんなスマホやカメラで写真を撮ってる
みんなスマホやカメラで写真を撮ってる
ちょっと古いストリートビューで見てみると、数年前まで台東医院という病院があったようだ。
さっそく、フェンスの中から工事現場を覗いてみると……。
レンガと土台だ
レンガと土台だ
泥まみれだが、土台とおぼしき段差と、レンガのかたまりを二ヶ所確認。
レンガの色がとっても鮮やか
レンガの色がとっても鮮やか
かなり粉々になっているけれど、レンガの形はわかる
かなり粉々になっているけれど、レンガの形はわかる
注目したいのは、土台。
コンクリートだろうか?
コンクリートだろうか?
セメントは、明治時代から使われていたらしいので、おそらくこの土台はコンクリートだろう。

凌雲閣は、八角形の建物だったそうなので、そう思って土台の角度を見ると、ちょうど八角形の内角の角度、135度に近いような気がする。

つまり、八角形のコンクリートの土台の上に、レンガが八角形の形で積み上げられていたのだろう。

これはもう、凌雲閣の遺構だと断言してもよいと思う。

この遺構から推測した、凌雲閣が立っていたと思われる位置を、ざっくりと地図にかき出してみた。
フリーハンドでかいたので、まったく正確ではないことをお断りしておきたいが、だいたいの位置関係はつかめるのではないだろうか?

こうやってみると、今回むき出しになった部分だけでなく、レンガや土台になっている部分は、道路の下や、向かいのビルの下にもまだあるのかもしれない。

とくに、隣のビルは、レンガの上に直接、建物が乗っかっているようにも見える。
隣や向かいの建物の下にはレンガが埋まっている?
隣や向かいの建物の下にはレンガが埋まっている?
凌雲閣跡の発掘調査は、何十年も前にすでに行われているらしいので、今回が新発見といったことではないものの、なくなったと思っていたものがこうやって目の前に現れると、十二階マニアでなくとも鼻息が荒くなるのは致し方ない。

リョウウンカクってのがわかんねえ

この凌雲閣の遺構、前日に新聞で報道されたため、しばらく見ているうちに見物人がどんどん増えてきた。
どんどんふえる見物人
どんどんふえる見物人
そんななか、目の前のラーメン屋から、いい感じにできあがったおっちゃんが、競馬新聞片手にふらりとでてきた。おっちゃんは、工事現場の人だかりの理由がわからなかったみたいで、ぼくに「なに? なにがあんのこれ?」と尋ねてきた。

――凌雲閣の遺構が出たんですよ、あそこのレンガと、土台と、見えますか?

「へー、ほんとだ……これをみんな見に来てんの?」

――そうですね、新聞で記事になってたんで、それ見てきたひとが多いんじゃないですか。

「ほー、おれ新聞とってないからな! まずそのリョーウンカクってのがわかんねえや! ハハハッ!」

そういうと、おっちゃんは、ひさご通りのほうにむかって颯爽と立ち去っていった。
かっこいい後ろ姿
かっこいい後ろ姿

翌日、レンガを貰いに行く

さて、翌日(2018年2月13日)、この原稿を書いていると、デイリーポータルZライターの三土さんから「凌雲閣のレンガがもらえるらしいですよ」と、連絡が入った。

とりものもとりあえず、浅草に向かう。現場にはすでに三土さんが到着していた。
すみません、三土さんの写真、後ろ姿しかありませんでした
すみません、三土さんの写真、後ろ姿しかありませんでした
きのうは、ひっそりとしていた工事現場も、今日は作業員の方が下に降りてせわしく動きまわっていた。
作業は着々と進んでいる
作業は着々と進んでいる
工事現場に横付けされたトラックには、今、まさに削岩機で削りとられたレンガのかけらがドサドサ積み込まれている。
削岩機の爪痕が生々しい
削岩機の爪痕が生々しい
破壊されたレンガはトラックにどさどさ積み込まれる
破壊されたレンガはトラックにどさどさ積み込まれる
このレンガは、関東大震災を経て、太平洋戦争、神武、岩戸景気から高度経済成長、バブル崩壊、失われた10年、そして平成の終焉まで……ずーっと土の中にあったものだ。

とは言え、結局レンガだ。持っていってもいいと言われてもゴミが増えるだけだし……でも、今持って帰らないと二度と手に入らないぞ。というアンビバレンツな気持ちが交錯する。
結局二個もらった(レジ袋の中がレンガです)
結局二個もらった(レジ袋の中がレンガです)
貰ったレンガこれ
貰ったレンガこれ
いいエッジでしょうこれ
いいエッジでしょうこれ
エッジがシュッとしたやつを選んだので、ながめるにつけ愛着がわいてくるようなきがする。めちゃめちゃ重いけれど。

一方、工事現場では、着々と遺構の解体が進んでいた。
土台もはでに解体してるな……
土台もはでに解体してるな……
今回は突然だったため、文化財としての保存の申請が間に合わなかったらしく、遺構はこのまま破却されてしまうらしい。もったいないけれど、仕方がない。
状態のいいレンガを選んでいた
状態のいいレンガを選んでいた
台東区の教育委員会の方に話を聞いたところ、ひとまず、状態のいいレンガをいくつか選んで、保存する予定だとおっしゃっていた。

凌雲閣の高さをシミュレーションしてみる

ところで、凌雲閣の位置は、ほぼ正確にわかった。では、現在の景色の中にもし十二階が存在したとしたら、どんなふうになるだろうか?

そのためには、まず、凌雲閣の高さがわからなければいけない。

Googleで「凌雲閣 高さ」で検索してみると「69メートル」と出てくる。しかし、他のサイトなどで情報を見ていくと、52メートルと書かれたサイトもある。書籍(※1)には67メートル。Wikipediaでは52メートル説と66.7メートル(220尺)と、資料により高さのデータがバラバラだ。
(※1 「都市のドラマトゥルギー」吉見俊哉)

どうやら、避雷針まで含めた高さなのか、石段の高さを合算してるのかといった細かな違いで、このような混乱が生じているようだ。

とりあえず、今回は、明治時代の新聞に載っていた高さ66.7メートル(220尺)説をとりたい。

浅草凌雲閣 明治23年10月27日時事新報『新聞集成明治編年史. 第7卷』(国立国会図書館デジタルコレクション)
浅草凌雲閣 明治23年10月27日時事新報『新聞集成明治編年史. 第7卷』(国立国会図書館デジタルコレクション)
そして、高さを比較できる建物の高さを調べなければいけない。

ちょうど、凌雲閣のあった場所のすぐ近くに11階建てのマンションがある。このマンションの高さを推理してみる。
赤い矢印のマンションの高さを知りたい
赤い矢印のマンションの高さを知りたい
何か手がかりはないだろうか?

マンションの横の電柱の高さと比較すればいいのではないだろうか? 三土さんに電柱の高さがわかるか聞いてみると、わかるという。
電柱の高さはあそこに書いてあるんですよ
電柱の高さはあそこに書いてあるんですよ
「細15-70」の部分に高さが書いてある。なお、三土さんは、こういう街角のものに詳しい。そういう著書(https://www.amazon.co.jp/dp/440811183X/)を執筆しているほどだから、当たり前ではある
「細15-70」の部分に高さが書いてある。なお、三土さんは、こういう街角のものに詳しい。そういう著書を執筆しているほどだから、当たり前ではある
三土さんによると、電柱の横に書いてある「細15-70」の15が高さだそうだ。ちなみに「細」は、電柱の太さが細いタイプ、70は電柱の素材の種類。ということらしい。

というわけで、マンションのだいたいの高さがわかった。
だいたい41.25メートルですね
だいたい41.25メートルですね
ちょうど、電柱の15メートルが、4階の高さとほぼ同じだったので、1階分を3.75メートルとして、11階分かけて41.25メートル。で、どうだろう?

(追記)電柱の高さですが、15メートルというのは、地面にぶっ刺さってる部分も含めて全長で15メートルだそうです。したがって、地上からの高さは13メートルほどではないか、という指摘がありました。そうなると、下の画像の高さはすべて間違いということになるのですが、いまから画像を修正するのは面倒なので(面目ない)「あ、間違ってんのね」ぐらいに思いながらお読みいただければ幸いです。ちなみに、電柱の高さを13メートルとした場合、ちょっと端折ってマンション1階の高さを約3メートルと見積もれば、11階建てで33メートル。凌雲閣を66.7メートルとすれば、およそマンションの倍ぐらいの高さだったと思われます。

凌雲閣を66.7メートルとして、このマンションとの高さの差が25.45メートル。このマンションの近くに、25.45メートル高い建物があると考えて、写真をコラージュしてみる。もちろん、このコラージュはぼくが目算で行ったので、正確ではないのはお断りしておきたい。
この写真にコラージュします
この写真にコラージュします
当時の風景をそのまま重ねてみる
当時の風景をそのまま重ねてみる
マンションの見えている部分をヒントにしながら、調節するとこんなぐあいになるのではないだろうか? 
存在感があるといえば、ある
存在感があるといえば、ある
こうやってみてみると、現在パチンコ店の目の前にある凌雲閣跡の記念碑は、ちょうど凌雲閣への出入り口になるんだなあ。とか、そういうことに気づく。
ふつうはこうなんですけどね
ふつうはこうなんですけどね

レンガをさわって感じること

凌雲閣については、関連書籍もめちゃめちゃあるし、ちょっと検索すればネット上でかなりの量の資料を読むことができる。
しかし、いくら読んでも、無いものは無かった。それは、UFOやUMAと同じレベルでしかなかったが、こうやって遺構を実際に目で見ることができると、ほんとにあったんだ! と実感できる。

※なお、現在ではレンガの配布などは行っていないと思われます。これから工事現場に行って見学する場合は、作業員の指示にしたがって見学してください。
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