すでにやってた
東京都のいちばんくびれている場所を地図で探すと、小田急線柿生駅と鶴川駅の間に東京都が200メートルぐらいまでくびれている場所がある。この200メートルぐらいの場所を東西に歩けば、見事、東京都を横断したことになる……はずだ。
おぉ! 本来なら2日もかかる(たぶん)東京都東西横断がここなら十数分で終わるっ! 住宅街なので子連れでもOK。素晴らしい。
鼻息を荒くしつつ、念のためデイリーのサイト内検索で検索してみたところ、
すでにウェブマスターの林さんがやってた。
もっとすごいところを発見!
しかし、諦めきれないので、東京都と周囲の県の県境をひとまわり調べてみた。すると、東京都を簡単に横断できそうな場所を見つけてしまった。取るものも取り敢えず、まずは下の地図を見ていただきたい。
赤い部分が東京都で、青い部分が埼玉県だ。場所は東京都西多摩郡瑞穂町二本木と埼玉県入間市駒形富士山の間で、なぜか住宅一軒分の敷地が東京都になっている。そしてその住宅につながるように歩道一本分が細長く東京都に繋がっている。
この歩道部分を西から東に横断すれば3秒ほどで東京都を横断できるんじゃないか! すごい! これは嫁を質に入れても行かねばならない!(比喩表現です)
瑞穂町にやってきた
東京都を3秒で横断するため、1時間ほど電車を乗り継いて瑞穂町へやってきた。最寄りの箱根ヶ崎駅からタクシーで県境近くの交差点まで向かう。
せいいっぱいの興奮の表現(ものすごく興奮しています)
あれは、埼玉県のカントリーサイン
ここが、くびれた県境……。
ここが、東京一くびれてて、東京一セクシーな東京都だ。といっても分かりにくいと思うので、写真に県境を色分けしてみた。
セクシィ、誰がなんと言おうと、セクシー
3秒もかからずに東京横断完了
ではさっそく、東京を西から東に横断しようと思う。
いくぞー
やー
ったー
あっという間に東京横断完了。3秒というか、2秒ぐらいだったかもしれない。ぼくはついに東京都を横断しきった。ちなみに、この様子をカメラで撮影してくれている妻は、終始無言であった。
実際の県境はちょっと違う!?
埼玉・東京・埼玉の順番でならんでるんだよ
撮影をしていると、目の前の商店からご主人が出てきたので、話を伺ってみた。
――東京都と埼玉県の県境を見に来たんですが、こちらの商店の前の歩道だけ東京都なんですよね?
「あーそうそう、ここ県境なんだよ。だけどねホントはもうちょっと中の方だよ」
なに!? もうちょっと中の方?
「本当の県境は店の中にあるんだよ」
これは聞き捨てならない……ご主人はこの記事の趣旨を根底から揺るがしかねない重大な発言をサラリと言う。
どうやら話を総合すると、ぼくが地図を見て細いと思っていた部分が、ご主人の認識ではもうちょっと太くなっているということらしい。
ということは、さっきの東京都横断、本当は横断してなかったということか……。
ぬか喜びだったのか
本当の県境はここ
青ざめるぼくを尻目に、ご主人はいろいろ説明をしてくれた。
「あそこ、道路の真ん中の線が途中できれてるでしょ、あそこが県境で東京都の管理が終わってるから、線が切れてるんだよ」
東京都の管理が終わっている証拠
あ、本当だ! 道路の途中で追い越し禁止のセンターラインがぷっつり切れている。これは実に県境らしい風景だ。こういう分かりやすい県境があると、はるばる電車を乗り継いでやってきた甲斐があるというものだ。
県境上でお茶を飲むご主人
――ところで、どうしてこのへんはこんないりくんだ県境になってるんですか?
「このへんは昭和33年に越境合併したときにこういうふうに決まったんだよ。それ以来ずーっとそうだからなあ、詳しくはわからないね」
――なにか不便なことははありませんか?
「いやー、特にはないねー」
とりあえず「3秒で東京横断」という目的は、果たせたのか、果たせなかったのか、よくわからなかったものの、道路の途中でぷっつり切れるセンターラインという珍しい物をみることはできた。
やっぱり地元の人は詳しい
帰りの道すがら、野菜直売所にいた地元のおばちゃんにも話をちょっと聞いてみた。
おもわず買ってしまうやすさ
――この辺の県境を見に来たんですが、このあたりはけっこう県境が入り組んでますけど、どうしてですか?
「あぁ、この辺はね、東京都西多摩郡瑞穂町二本木って言うんだけど、もともと埼玉県入間郡元狭山村二本木でひとつの村だったんですよ」
――埼玉県だった?
「そう、埼玉県だったんだけど、昭和33年に市町村合併が行われたとき、東京都に入るか、埼玉県に残るかで村が真っ二つに割れて、結局二本木の一部が東京都に編入されたんです」
さっき、商店のご主人が「越境合併」と言っていたのはこの事だった。確かに地図で確認すると「二本木」という地名は入間市にも瑞穂町にもある。
「当時は(東京都編入)反対派、賛成派に別れてもう大変でしたよ、青年団の人が警察に捕まったりして、私はこんなちいさい娘だったけど、ラジオで毎日報道されて大騒ぎでしたよ」
昭和33年といえば、戦争の記憶もいまだ鮮明な頃だ。村の分裂で、逮捕者が出る騒ぎになるというのも、まだ日本にそれだけの元気があった頃だったんだな、と思うと、ちょっとノスタルジックな気分になる。
「年配の人だと未だにしこりがある人もいるかもしれないけど、でも、今はほとんどの人はそういうのは関係なく普通に暮らしてますよ」
はからずも、旧元狭山村の分村合併騒動について聞き取り調査をしてしまった。フィールドワークってこういう感じなんだろうか?
いりくんだ県境は越境合併が原因だった
後日、国会図書館で昭和時代の地図を調べたところ、確かに昭和33年より前の県境はもっと箱根ヶ崎駅に近い場所にあったらしい。
埼玉県に一軒だけ飛び出してる例の場所は、おそらく越境合併のさい、なんらかの事情で一軒だけ東京都に編入された敷地がそのまま残った……ということだろう。
不自然な境界線に、当時の混乱の様子が見て取れる。
くびれた県境から垣間見た、昭和の大合併
「3秒で東京都を横断する」という当初の目的は大きく揺らいでしまったが、元狭山村の分村合併の興味深い昔話が聞けたので、たいへんおもしろかった。
やはり、あやしい形の県境にはそれなりの経緯が隠されているのだ。