ヘボコンワールドチャンピオンのスポンサーなのだ
ニフティは8月7日に開催されるヘボコンワールドチャンピオンシップの冠スポンサーである。
「
ニフティ30周年プレゼンツ ヘボコンワールドチャンピオンシップ」なのだ。
ニフティに勤めているものとしては(僕は正社員です)、ニフティとヘボコンはしっくりくると思うのだが、もしかしたら意外に感じる人もいるかもしれない。そもそもニフティに興味がない人もいるだろう。
ニフティ→デイリーポータルZ→ヘボコンとひっそりと続くかわいらしくて憎めない歴史を説明したい。
まず話を聞いたのは創業時からシステム部門にいる監物である。
ダイバーシティすぎる社員
クラウド事業部 監物岳夫
「パソコン通信なんて誰もうまくいくなんて思ってなかった。コンサルにもパソ通は儲からないと言われていたし。だからまあ、一風変わった人が多かったね」
とのこと。例えば…と教えてもらった話が濃かったので箇条書きにした
・ワイシャツがなかったので、肌着のシャツにスーツのズボン、革靴で出社した社員
・パーティーで余ったおいなりさんをポケットに直に入れて持って帰る社員
・明らかに波の音が聞こえるところから、風邪で休みますと電話をかけてきた社員
・自らの入社の歓迎会で退社を伝えた社員
・東京サミットの最中に皇居でバード・ウォッチングして(当時会社は麹町にあった)連行された社員
ダイバーシティという言葉ではおさまらない人材の豊富さである。
「あとユーザも変わってて、当時の事務所がビルの1階にあったんだけど、自転車で入ってきて乗ったままオタク談義してる人もいたな。残業中にいつもの雰囲気で入ってきたので、時々そうして入ってきたのかな。」
自転車は降りてくださいって阿佐ヶ谷駅みたいな会社である。
「でもあれいい自転車だったからいいのかな」
多分そうではないと思う。
うんこしか言わなくなった人工知能
NIFTY-Serveには会話くんという人工知能とチャットできるサービスがあった(1993年サービス提供開始)
いまでこそLINEやfacebookメッセンジャーでのチャットボットが注目を浴びているがそのはしりである。
当時のログを元にパソコン通信っぽい画面を再現。プロンプト(>)がついているところが利用者の入力、そうでないところが会話くん(ログ提供:すがやみつる氏)
人工知能がいろんなユーザと会話をしながら単語の意味を覚えていき、賢くなる、はずだった。
「社員に公開して一晩たって会話してみたら、なにを聞いても『うんこ』って言うようになってて(笑)。一晩でレベルダウンしていた」
会話くんは「○○とはなんですか?」と質問して、その答えを辞書に蓄積していくようになっていたのだが、社員が面白がって「うんこ」と答えたらしい。
辞書は共通のため、ほとんどの単語の意味がうんこという辞書が作られていた。
「このやり方では下品にしかならないなと諦めた」
その後、辞書を固定することでうんこくんではなくなったそうだ。やりかたの問題なのか、社員の問題という気もする。
口笛でカプラをテストするエンジニア
当時のパソ通システム管理用画面(ベータ版)と一般ユーザ向けの画面はよく似ていて、1台のマシンに共存していたそうだ。
「昼めし行くんでパソ通の画面を終了させたらそれが管理用の画面で、サービス止めちゃったことあったね。めし食って帰ってきたら『止めたの誰だ!』って大騒ぎになってたよ」
「ホストコンピュータにプリンタがつながってて、エラーがあるとそこからログを印刷してた。プリンタの紙が詰まってサービス全体が落ちたこともあった。」
こういうノウハウの蓄積があっていまの堅牢なニフティクラウドがあるんですね。と書いてみたけどそういうレベルでもないオペレーションミスである。
「でもすごい人もいた。カプラが誤作動しないかどうか口笛でテストしているエンジニアもいた」
ピーピョロロロローという口笛だったのだろう。いまで言えばGPSの信号を出せるぐらいの職人技である。
カプラ。1980年代からパソコン通信やっていた人に見せると懐かしさで身悶えるので見せてみよう
1億円の課金で新聞沙汰に
「課金表示が1億円って出ちゃって新聞に書かれたこともあった。あれで少し有名になったかな。
別の新聞記事ではNIFTY-Serveには190万の会員がいるんだからかっぱらいもいるって答えた部長がいて、そのまま書かれちゃったことがあった。あれはだめだったなあ。」
ポケモンGOでもiPhoneでも新しいサービスが流行ると恐ろしいので注意!みたいな新聞記事が載るがNIFTY-Serveにもそんな時代があったのだと思うと少しうらやましい。
しかし社員もマネージャーもあらくれである。
よく会社が残ってくれたと思う。
30年前からあった本名か否か問題
次に話を聞いたのはニフティの歴史のサイトをまとめた大谷である。
社史編纂室 大谷
倉庫にあった昔のMacとともに。ロッカーの扉の裏側に「役員応接室」のプレートがなぜか大事にとってある。
1986年、ニフティはNIFTY-Serveというパソコン通信サービスを始めた。
そのころの会社名はNIF(エヌ・アイ・エフ)、ネットワークインフォメーションフォーラムの略ということになっているが、出資会社の日商岩井と富士通の頭文字をくっつけたと僕は思っている。
NIFTY-Serveのメインはフォーラムという同じ趣味の人が集まるコミュニティである。テーマ毎に電子会議(掲示板)が用意されていてそこでやりとりをする。
フォーラムの管理人は営業チームで探した。
「形がないものに参加しませんかって言うんだから詐欺みたいなものだよね」
詐欺!大谷の発言にドキッとしたが、
社史でも元常務が言っていた。
フォーラムはなかなか人が集まらず、社員が管理人を兼ねたり、発言するようにフォーラムを割り当てられたりしたという。
「医療関係のフォーラムは現役の医師の方が管理人をやっていて、参加は本名じゃないとだめってことになっていたところもあります。」
本名かハンドルかという話はいまでもあるが、ネットが始まったころからあったのだと思うと感慨深い。
「当時はアスキーや工学社などの出版社もパソコン通信をはじめてた。雑誌は紙からネットにうつるって言われて」
その話もまだ30年続いている。これはあと30年続くかもしれない。
初めて書籍についたイントロパックは蛭子能収さんの表紙のムック
NIFTY-Serveの入会にはイントロパックという仕組みがあった。なかに書いてある数字を入会時に入力すると無料の使用権がもらえるのだ。
社史にも書いてある。これらがモデムなどに同梱されて会員数を増やした。
この仕組みは後に雑誌にも展開されるようになるのだが、最初についた雑誌がこれだった。
意外な本。蛭子能収さんのイラストが表紙
フロッピーディスクが2枚ついていて、当時のWINDOWSフォーラムについていたゲームが8本収録されている。8本少ないと思うがフロッピーディスクなので仕方ない。
(フロッピーディスクというのはいまやソフトの[保存]のアイコンでしか見かけない記憶媒体である)
右の小冊子がイントロパック。
このあと書籍のルートでもイントロパックが流通することになる。
イントロパックにはアクセスポイントの電話番号が書いてあり、そこにモデムで接続して入会の手続きを行う。
アクセスポイントの電話番号
東京、東東京、南東京、北東京と東京に4つのアクセスポイントがあるが、同じ場所にあったという噂も聞いた。置き場所がどっちかといえば北、ぐらいの感じらしい。市内局番が一緒だし。
3ヶ月でユーザが婚約した
1987年4月にNIFTY-Serveの正式運用がはじまって3ヶ月、1987年7月にユーザ同士が婚約している。ネットはそういうことが起こる場所なんだけど、3ヶ月は早い。
その後も会員誌にはフォーラムでのウェディングイベントが紹介されていたり、NIFTY-Serveで出会った男女が結婚する小説が出版されたりしている。
電車男より早かった!と思ったが電車男も10年以上前だった。
「とあるフォーラムではオフで年に何組もできたという話もきくほど、出会いの場として珍しくない話になっていた」
とのこと。おお。
かと思えば離婚フォーラムというものもあったというから幅広い。
会員誌でウェディングフォーラムと並んで紹介されている離婚フォーラム。
(リンク先は30周年記念サイト)
ニフティで一番かわいそうなサービス
ここまで20世紀の話だったので、21世紀の話も紹介したい。
謎のサービス「マ・ラソン」
真っ黒い画面でコラムやレポートなどの読みものが入っている。このサービスは僕も運営に入っているのだ。メインで担当していたのは清田いちる氏。
シックス・アパート 清田いちる氏
清田氏はブログ黎明期にニフティでいち早くブログサービス、
ココログを立ち上げた人物として有名である。その後、ウェブメディアの
ギズモード編集長の初代編集長を6年勤めた。現在はシックス・アパートにてエッセイ・コラム投稿サービス
「ShortNote」を運営している。
という輝かしいキャリアのなかでなかったことになっているサービスである。マ・ラソン。
「ひとつ目立つのがあればいいんですよ。それでほかのは見えにくくなるから」
マ・ラソンを立ち上げた理由である。
「なんかねえ、もう口に出して言うだけで失敗するのがわかるんだけど、サブカルっぽいことがしたかった(爆笑)。
デザイナーが『イメージを使わずに全部テキストでデザインしたい』って言って作ったのがあのデザイン。でも伝票入力用の端末の画面を真似したらしい。」
勝手にディレクトリ切って作ったのかと思っていたが、上司には説明していたとのこと。
「ただ、仕事としては認めてくれなくて、ディレクトリはやるからタイムカード切ってから作業するならいいと言われた。それがなんかクリエイティブな雰囲気がして嬉しくって」
タイムカード切ってからが嬉しいというのは若いテンションである。
「でも忙しくなるとまっさきに削られる時間なんですよね。そういう仕事って。
社内政治をまわしてリソースを確保しないと新しいことはできないって学習しました。それがココログに生きた」
その後、中途で入ってきた社員がナンパが趣味だというので女の子の写真をのせるコーナーを作ったり(それもむちゃくちゃな話だけど)しつつ3年ぐらい続いて放置された。
関わったメンバーはその後、グーグル、チームラボ、シックス・アパートなどの企業に移って活躍しているが、全員の黒歴史として黒光りしているサイトである。
いち早くはじめて流行する前に終える
さっき清田氏が「ひとつ目立っているのがあればほかのは見えにくくなる」と話していたが、それらのサービスがいちいち惜しいので紹介したい。
トーくん
先ほど出た会話くんを個人向けにしたサービス。人工無能チャットをカスタマイズして自分のホームページに設置できる。個人向けチャットボットである。早すぎた。
「辞書に単語登録するときブラウザから以外にXMLでも登録できた。ちょっとハード過ぎましたかね。有料だったし、いろいろちょうど良くなかった」
デリポップ
メッセンジャーサービス。メッセージはコンピュータらしくないデザインのカードで送られる。デザインは100%オレンジ。また、ステータス欄にひとことを書けるようになっていた。
「あのステータス欄の評判が良くて、あれの履歴を残そうかと話していたんですが、それってtwitterですよね。
しまおまほさんにイラスト頼みに行ったらお父さんの島尾伸三さんが出てきて、結局伸三さんのカードも作りました」
Windows標準のタイトルバーが出ない斬新なデザインだった
ほかにもインターポットという植物育成ゲーム、アットペイという個人でコンテンツを有料で売れるサービス、e名刺というプロフィールサービスなども関わった。どれもいま成功しているサービスがあるジャンルである。
「ポッドキャスティングジュースというポッドキャストを配信するサービスも後輩と一緒にやりました。用意したコンテンツは落語ともうひとつ、アマチュアのラップコンテストです。」
フリースタイルダンジョンの大ヒットまで数年だった。
ヘボ史観ですが
以上、ニフティの黒歴史の一例である。探せばもっと出てくるかもしれないが内線で怒られそうなのでやめておく。
このヘボ史観に基づけばニフティがデイリーポータルZをはじめて、ヘボコンのスポンサードをするのは自然な流れだと思う。
もともとフォーラムやココログなど、いろんな趣味を持つ人たちの活動の場を作った会社である。ニッチな趣味もメジャーな趣味も平等に扱う土壌がある。
ロボットコンテストにヘボいという視点を持ち込んでもおかしくない、ということでヘボコンワールドチャンピオンシップは今週日曜日です!