土地の高さの神
ふだんは意識していなくても、何かと土地の高低を気にする機会は多いと思う。大雨や台風で近所の川が氾濫しそうになればどこまで水が来るかを考えるし、部屋を借りようと不動産屋に紹介された場所が駅から延々登りで二の足を踏むこともあるだろう。下町とか山の手など、高低に絡めて土地のキャラクターを表すこともある。
そんな日本国内にある地面はすべて測量によって標高を数字で表すことができる。その標高の基準となっているのが「日本水準原点」だ。名前だけでシャキッと背筋が伸びそうな施設があるのは千代田区永田町の憲政記念館の構内。場所としては国会議事堂のはす向かいという一等地も一等地だけど、憲政記念館という存在を知らなかった。すみません(また背中丸まる)。
ふだんもだろうけどサミット直前のせいか周辺はえらい警備が厳しかった
日本の議会政治に関する展示施設だそう。小学校の社会科見学で来たかなぁ...?
憲政記念館の建物内ではなく庭の方に進むと、奥の方に人垣が見えた。既に大勢の標高マニアで賑わっているようだ。
この日を待ち望んでいた人々
水準原点トリビア
この水準原点を管理している国土地理院の方からパンフレットをいただいて人垣に近づくと、どうやら水準原点に関するミニ講座が行われているようだ。事前に予習をまったくせずに来たため、僕も輪に入ってお話を聞いた。
大学生くらいの若い人が多かった。地理系の学生なのだろうか
まず最初にこれが目に入って「もしかして...これ?」と思ったけど違った(一等水準点)
まず、「標高」は東京湾の平均海面を0mとして、そこからの高さで表すことになっている。でも海面は常に変化するので、地上に動かない基準点を造ることになり、明治24年に当時この地にあった帝国陸軍陸地測量部の庭に設置されたという。
この建物は水準原点が入っている日本水準原点標庫
うおお「大日本帝国」って書いてある!
標庫の中にある日本水準原点は石にはめ込まれた水晶の板で、目盛りが刻まれている。その目盛りの0の高さを、隅田川の河口で6年間観測した東京湾平均海面から24.500mの高さとした。つまり日本水準原点は原点と言いつつ標高0mではなく24.5mなのだ。ちなみに日本水準原点が完成したのが明治24年5月で、高さが24.5mという数字の一致は無関係ではないらしい。
しかしその後、関東大震災や東日本大震災で地殻変動が起こり、現在では24.3900mに変更されているという。もうテストで出ても完成年月と同じ、という記憶方法は使えない。
標庫まではふだんも来られるが今日は特別にあの真ん中の扉が開けられている
これがご本尊、日本水準原点だ!
目盛りが刻まれ、真ん中が0、つまり標高24.39mである
日本水準原点と言われてもどんなものかまったく想像していなかったのだけど、水晶の板を見て「お、おう...」という感想しか出てこなかった。でも日本の標高の大元と考えればすごい存在である。富士山頂の3776.12mも、奈良俣ダムの平常時最高貯水位の888.0mも、もっと言えば地図に書いてあるすべての等高線も、その数字の出どころをずっと追っていくとここにたどり着くのだ(たぶん)。
富士山の標高もこの基準点から算出
水位が888mを超えると奈良俣ダムは放流を始める
日本水準原点の裏側
標庫の裏側に回ってみると、そこには人が通れる大きな扉があって、水準原点が取り付けられている台座の石がよく見えた。ちなみに台座の石の下はおよそ10m下の岩盤層まで届くコンクリートの柱が立っていて、その周りをレンガで囲い、さらにその外側に砂が詰められて、地震の影響を受けにくくしてあるという。だけど関東大震災と東日本大震災では、その下の岩盤層自体が沈下して数字が変わってしまった。
裏側を熱心に写真に撮っている人が何人かいた
明治24年ってあの明治24年だよね?などとリアリティーがなくてアホなことを口走る
内部を覗いて目に飛び込んできたのは台座の石に刻まれた「明治二十四年」。重みのある年号にも関わらず現代と変わらない整った文字で、100年以上前というリアリティーが感じられない不思議な空間だった。
台座の石が少しだけはみ出した部分の裏には、当時の関係者5名の名前が刻まれているということで、しゃがんで覗いてみたらこちらも美しい文字で彫られていた。
なにその昔のMacみたいな仕掛け!
帝国陸軍の人もなかなか粋である
ヨコ方向の基準点もある
ひととおり見学が終わってどうしたものかと思っていたら、現地の係員さんに「日本経緯度原点」にも行ってみてはどうかと提案された。
水準原点が高さの基準であるのに対し、経緯度原点は位置の基準となる点で、グラフで表すと水準原点がy軸、経緯度原点はx軸とz軸にあたる(たぶん)。
日本経緯度原点は飯倉の交差点近くにあって、ルート検索したところ徒歩30分くらいとのことで歩いて行ってみた。
日本経緯度原点
というわけで日本経緯度原点にやってきたのだけどこの場所がすごかった。ロシア大使館とアフガニスタン大使館の間なのだ。そして横には東京アメリカンクラブ。時代が時代なら地雷でも埋まってそうな超緊張地帯である(そんなわけない)。そして現地は水準原点以上にリアクションが難しい場所だった。
ほぼ全景
こちらには台座の石に埋め込まれた金属標以外に建物などはなく、金属標の前に立って「そうか、ここが北緯35度39分29秒1572、東経139度44分28秒8869か...」などと呟く以外にすることがなかった。
奥の人々は地理系の大学生たちだろうか、ここでも楽しそうだった
ここも東日本大震災でズレてこの石碑作り直したんだな
これが日本のヨコ方向の基準点、経緯度原点だ!
しかしこういった基準点の存在があって正確な測量技術があるからこそ、横方向も縦方向も大きな混乱なく日本の社会生活が営まれているのだ、と考えるともう足向けて眠れないですよこれは。
ふわふわした好奇心だけで取材したのでふわふわしたまとめになってしまった。
いまファインダー覗いている僕の顔が日本の緯度経度基準の中心に!
ほかに基準点ってあるのだろうか
縦方向、横方向の距離の基準点は分かったのでほかにも基準点をめぐる旅はどうだろうか、と思ったけど明石市の子午線のほかに何があるだろうか。
日本橋の日本国道路元標も行ったけどこれ今は法令関係ないみたいですね