ウニと栗
秋になると道端に栗が落ちていたりする。触るとそのトゲトゲが痛かったりする。栗は痛いのだ。ただし、中の身は美味しい。栗ご飯や甘栗など、栗の黄色い身は幸せを作り出す。
これが栗です
一方でウニはどうだろう。高級食材の一つで、彼もまた触るとトゲトゲが痛い。ウニは痛いのだ。ただし中の身は美味しい。海鮮丼やお寿司など、ウニの黄色い身は幸せを作り出す。
これがウニです!
もうお気づきだろう。ウニと栗は共通点だらけなのだ。殻はトゲトゲ、中身は黄色、そして食べれば美味しい。もはやウニは栗であり、ウニは栗なのだ。ウニも栗も一緒なのだ。もはや見分けることはできないのだ。
どちらがウニで、どちらが栗か分からない!
あきらめない気持ち
栗とウニを並べてみて驚いた。人間でいえば4親等くらいの親戚かな、と好意的に見れば見えるくらいには似ている。しかし、ウニと栗は一緒というには、若干ではあるが、言いきりにくい点があった。
でも、一緒です!
上の画像を見て、どちらがウニで、どちらが栗か分かっただろうか。そういうことなのだ。ウニは栗であり、栗はウニなので、どちらがウニなのか栗なのか、分からないのだ。私の説は正しかったのだ。
ウニです!
栗です!
どちらも一緒です!
この時期は絶妙にウニの時期が終わっていて、殻付きのウニを手に入れるのに苦労した。いろいろな人に頼み込んでどうにか手に入れた。そして、撮影日は雨。そういう大変さを加味して考えて欲しい。
ウニです!
栗です!
どちらも一緒です!
私は言いたい。ウニを手に入れる苦労や労力などを人の情に力強く訴えていった結果、「ウニも栗も一緒だね」で、なんの問題もないと。そういうことなのだ。
一緒なのです!
離れると見える
離れれば離れるほどに「栗」と「ウニ」は一緒に見えるという大発見はあった。これは栗とウニだからである。「パンダ」と「フランスパン」だと、どちらも名前に「パン」は付いているが離れたところで一緒には見えない。そういうことなのだ。
ウニと栗を置いて離れてみる
パンダとフランスパンでは離れても一緒に見えないが、ウニと栗は一緒に見える。それはなぜか、ウニと栗がそっくりだからだ。念のため、どのくらい離れるとウニと栗が一緒に見えるか調べた。
離れていくと、
一緒に見えました!
25メートル。それが栗とウニが一緒に見える距離だ。ただしこれはキチンと測った場合であり、私は目が悪いので、メガネを外して、ウニと栗を見ると、もっと早い段階でウニも栗も一緒に見える。
見えないようにして、ウニと栗をおくと、
この距離でもどちらがウニか栗か分からない
森からのアプローチ
栗の落ちている場所からのアプローチをすれば、ウニが栗に見えるのではないだろか。世の中は可能性に満ちている。私はそのような可能性を皆にときたいのだ。あきらめたらだめだよ、と言いたいのだ。
あ、違うわ
可能性に満ちていなかった。世界はいつだって残酷だ。ウニはウニだし、栗は栗だった。でも、安心して欲しい。根本的にはウニは栗だし、栗はウニなので、離れればだいたい一緒だ。
画面からも離れて見てください!
この記事のように、ウニということを知っていれば、ウニと栗は見分けらえるが、たまたま訪れた場所にウニと栗が置いてあれば、ウニも栗に見えるかもしれない。
多くの人に綺麗な心を持って欲しいのだ。綺麗な心とは、栗とウニが一緒に見える、という心だ。
栗です!
上記の画像に何個の栗があるか分かるだろうか。答えは0個である。全部ウニである。探し回った結果、思った以上のウニを手に入れてしまったので、全部使ってみた。綺麗な心があれば、「栗だ!」となるはずだ。
栗は一つもなく、矢印は全部ウニです!
水中では栗もウニ
陸ではウニも栗も4親等くらい離れた親戚に見えたけれど、水中だとそれは少し変わる。一親等と言ってもいいかもしれない。栗がウニに見えるのだ。そういうタイプのウニに見えるのだ。
ウニです!(本当は栗です)
先までのウニと同じには見えないけれど、このようなウニがあっても不思議はない気がする。みんな違って、みんないいのだ。こんなウニがあってもいい気がする。水中では栗もウニに見えるのだ。
両方ウニに見える
ウニにもいろいろな種類がある。アカウニやキタムラサキウニなど、いろいろとあり、その中の一つに、栗があっても驚かない。クリウニである。
あえて繰り返したい。みんな違って、みんないい。つまり栗とウニは違うけれど、栗はウニなのだ。綺麗な心を持って欲しいのだ。
ちなみに栗の方がトゲが痛い
答えは水中
水の中に栗を入れるまでは、ウニと栗は全然違うな、と当たり前のことを思ったけれど、水の中に入れて撮影したら栗はウニに見えた。答えは「水中」だ。これからは似ていないものも、水中に入れて行こうと思う。そっくりに見えるはずだ。