祖父との思い出
小学生の頃、夏休みに母方の実家である伊豆へ帰省し、ゲートボールチームのキャプテンであった祖父の試合によくついていった。
子供にはどうにもスローすぎる展開のゲートボールにすぐに飽きてグラウンドの周りを散歩していると、夏の日差しを浴びて黄金色に輝く大きな丸い網を空中に張り巡らし、その中央で大きなクモが堂々たるオープンスタンスで待機していた。
千葉で発見した個体。うっとりする美しさ。
日本の代表的なクモ。コガネグモである。
黄色と黒のボーダーがあしらわれた大きな腹部が特徴の大型種だ。あまりものかっこよさにそのクモを持ち帰った。
佐渡で撮影。幾何学的な網がかっこいい。トロンだ。トロングモだ。
飼うといったら大反対されたが「クモは網を貼るので家の中を歩き回ったりしないから大丈夫」と説得し、室内に持ち込んだ。
翌朝、祖父の寝室から「ぎゃあ、死ぬ!」という叫び声が響き渡った。クモが脱走して祖父の頭上の窓に大きな網をはったのだ。
「健史!ばか!今すぐクモを外に追い出せ!」
祖父はとてもやさしかった。真夏の縁日で私が欲しがるものを何でも買ってくれた。
孫の私を「けんちゃん、けんちゃん」と猫かわいがりしてくれた。そんな祖父にたった一度、「健史!」と呼び捨てにされた瞬間だった。
2007年頃、四万十川流域で発見。裏側もかっこいい。
コーヒー持って山野めぐり。
つい祖父の思い出が想起される程にかっこいいコガネグモを、さあコーヒーで酔わせちゃうよと調べたら、現在では環境の変化に伴い個体数が激減し、関東ではなんと絶滅危惧種に指定されている地域もあるではないか。メダカ、ドジョウだけでなく、こんなに身近だと思っていた生き物も、もはや絶滅が懸念されるほどになっているのだ。
どこへ行こうか迷った末に、近年目撃した事がある狭い谷戸に作られた棚田にやってきた。
ショウリョウバッタがでかい。太古の地球の姿だ(うそ)
コガネグモは主に里山の林や草原に分布し、農道沿いの建物等にも網を作る。ここはやはりクモパラダイス。
コガネグモ以外のクモはがんがん見つかる。
ナガコガネグモ。個人的には足の肌色がなんか嫌だ。
チュウガタオシロカネグモかな?CG顔負けの美しい丸網
ワキグロサツマノミダマシ。もはや何をだましているのかよくわからないが夜にきれいな網をはる。
しかしコガネグモは発見できず、雑草を刈り取っていたおじいさんに「稲の害虫とか食べてくれるからいいですよね」とクモのポジティブな印象をすりこみ、更に海沿いから里山まで、コガネグモを探して山野をめぐる。
鬼のようなオニヤンマ
でかいクモとはいえ、こういうところを探すので容易ではない。あと、ものすごく暑い。
ついに発見!カフェインで一杯!
暑さにへばりながら捜索を続けていると、道に面した休耕田の生えるにまかせた草木の間、少し西にかたむいた午後の日差しにしなやかで力強い糸がきらめくのが見えた。
目をこらすと目の前の空間に幾何学模様の丸網が浮かびあがり、中心にはいましたよ。コガネグモが。コガネグモさんが。
いた!かくれ帯(白いハの字の帯)も粋ですね。
一匹見つけると周囲で何匹か見つかる。分布にかなり局地感がある。
スーパーや量販店のチェーンが特定地域に集中して出店し、シェアを向上させる戦略(ドミナント戦略)のようなものだろうか。
倉庫の軒下に網を構えている一匹を見つけ、コーヒーをふるまう。
まじで暑いですね。一杯どうですか。
綿棒にふくませて
ささ、御一献…
脱脂綿に黒い牙を突き立てる。飲んでいるのだろうか?
この程度で酔ってられっかよ!
少しつついてみたが、正直、よくわからない。
もっと激しい動きに酩酊っぷりがあらわれるのではないかと思い、おつまみを献上してみた。
川海老でもどうぞ(イナゴですが)
寸分の無駄もない動きでイナゴをくるんくるんに包み、またたく間に
生春巻きみたいにしてしまった。
酩酊感はまったくない。キレキレの糸使いである。
飲み物おかわりいいですか?ボタン押しましょうか?
網を作ると一番わかりやすいので、一旦網を壊して貼り直してもらおうかと思ったが躊躇した。
よく見ると網には雄の姿が。文字通り、ここは愛の巣となっていたからである。
雄は心配になるほど小さい
猛暑の中、小さな雄に共感したり同情したりしながら考えた。
「飼わないとだめだなこりゃ」
自宅でじっくり網作りを観察できる環境がないといかんのではないか。
ていうか暑いし。
クモさんを迎え入れよう。
コガネグモさんにすいませんお騒がせしましたと詫び、東京に踵を返すと、東急ハンズへと走った。
クモの網を観察するには既成の「虫かご」では不十分だと思ったからだ。
自作するしかない。
ハンズで材料を見ながら書いた心配きわまりないラフ。
段ボールの内側に、糸が目立つように黒い紙を貼り、観察用に前面と上面を切り抜き、プラ板を仕込む。
底の黒紙は敷くだけにして汚れた時に交換可能にする。無駄に本気な仕様。
前面は強度にすぐれたポリカーボネート製!しかも取り外し可能!(オーバースペック)
いきおいで開けた空気穴の幼さがはずかしい…
余談だがはじめてハンズの加工コーナーでプラ板を切ってもらいクリエイター気分を堪能した。びびって「ええ、はい、あ、お願いします」しか言えなかったが。
この中で思う存分網を貼っていただく。いわば、「クモの巣の巣」である。声に出して読むとアダム・スミスみたいだ。にくいよ、この国富論。
私の家の近くにはコガネグモはまずいない(といっていいくらい少ない)ので、近くで見つけた近似種のクモをここにお招きした。
コガタコガネグモを酔わせてどうするつもり。
コガタコガネグモ。名が体をあらわしすぎ。
その名の通りコガネグモよりもふた回り程小さいクモで、やはりきれいな丸網を貼るが、大きな違いはその性格だ。攻撃的なコガネグモと違い、極めて臆病で、危険を察知すると巣から真下に落ち、逃走する。
「クモの巣の巣」の中できれいな丸網を作ってくれた。
危険を感じるとすこんと下に落ちる。
網を捨てたのかと思いきや、ちゃっかりお尻の糸でつながっており、しばらくすると、その糸を頼りに瞬時に元の場所に戻る。
このように落ち着きのないクモなので、ドリンクをふるまうのは苦労するのだが、なんとか飲んでもらわねば。
コーヒーで一献
本命のブラックコーヒー。
一般的に、150ml中に約65mgのカフェインが含まれているという。
つまり1ml中に約0.43mgである。
はい、よろこんで
綿棒を使って飲ませると動きを止め、箱の端でわずかに腹部を上下させている。
その後、体を激しく振りながら糸を繰り出し、網的なものを作り始めた。通常の動きよりもかなりオーバーアクションに見える(あくまでも所感)
激しく何かを叩くような。
「卒業」のダスティン・ホフマンみたいにこのまま人の嫁さんをかっさらっていきそうなテンションである。
そして、できた網がこちら
なんかバランスがおかしい!
見やすくトレースしたのがこちら
確かに今までの整然とグリッド状に作られた網と違い、なんだか荒ぶっている。これがクモへのカフェイン効果というやつか。あなた、今酔ってませんか?これにちょっとハーって息かけてもらえませんか?
栄養ドリンクで一献
カフェインが作用するのであればコーヒーでなくてもよいはずだ。というわけで、栄養ドリンクでも実験。50mlに対して30mgのカフェイン入り。つまり1mlあたりの含有量は0.6mg。コーヒーよりも濃厚だ。
くずれてはいるがコーヒーの時程の、初期衝動みたいなのは感じられないなー。
微妙ではあるがコーヒーの時より密度もあり、ちゃんとしている気がする。少し強くなったのであろうか。このまま鍛えれば飲む楽しみを覚え、立派に営業などもできるのではないか。
眠け覚ましドリンクで一献
よりカフェインの量が多いドリンクを試してみる。眠気をパキッと覚ますやつである。50mlの容量に120mgというストロングタイプ。1mlあたり2.4mgと段違いに濃厚だ。
飲ませてみると、箱の天井から下までストンと落ちて、糸を伝って天井まで素早く上るという動作を繰り返した。
底にひっついて…
瞬時に天井へ上る。また下りて同じ事を繰り返す。
「まるでスパイダーマンのようだ。」
間抜けな感想が口をついて出る。クモにとって一番屈辱的な比喩ではないのか。とにかく、今まで観察した中では見た事のない動きだ。奇行としかいいようがない。
ウイー、バカヤロー、虫持ってこーい。
その後、しばらく身じろぎもせず、やがて足場のようなものを作って
ぶら下がっていたが、後にできあった網はすごくデストロイ。
!なんだか頭ひとつ抜けてシュールだ!
一部拡大。パンキッシュな網に仕上がりました。
トレースした網に色をつけたらかっこよかった。
謝礼(おつまみ)も忘れません(イチモンジセセリ)
野菜ジュースや牛乳でもやってみたが
得に変容は見られず、普通の丸網を貼っていた。
これまでの結果をまとめると以下のようになる。
酔えば酔う程にフリースタイルになる。
一応、カフェインで網がぐだぐだになり、量によって変化もするような結果となった。最後に気になる飲み物で試させてもらおう。
ビールで一献
カフェインがカフェインがと言っているが実際はアルコールもいける口なのではないか。何回も網を貼らせて申し訳ないので最後の実験としてビールを用意した。
これがいければ一緒に繁華街繰り出せますよ。
スタッフもおいしくいただきました。
飲んだ後は箱の隅の、仕上げが雑で写真撮るのがはずかしい位置で待機。
しばらくすると、やはりいつもの丸網とはかけ離れた立体的な網細工を施しはじめた。
あ、やっぱりぐだぐだな巣を作ってるな。
なんだ、アルコールでも普通に酔っぱらうのか。クモもやはり人の子だな(違う)と眠りについたその翌朝。
あっ!卵のう!
羊毛フェルトのぬいぐるみのような密度感のある物体が中空に浮かんでいる。クモが産んだ卵を保護する為に卵塊をがんがん糸でおおって作る「卵のう」である。
私みたいな阿呆な人間に一杯付き合わされ、酔っぱらって作った網を写真に記録されたばかりかトレースまでされてインターネットに公開されようとしている。そんな肉体的、精神的に極限状態の中(あ、えさは与えてましたからね)でも、子孫を後世に残すという本能に忠実に、産卵という一大事業を成し遂げたのである。しかもビール飲んで。すばらしい。
こうして先ほどまとめたチャートは強引に書き換えられた。
アルコールではどうなのか?→感動。
クモにより愛着がわきました
こうしてコガタコガネグモはいろんな網を作り、産卵してその生涯を終えた。我が家には現在卵のうが残って子グモの誕生を待っている。(産まれたら放します)
その容貌や動作から忌み嫌われる事も多いクモだが、ハエやゴキブリ等の不快昆虫を捕らえて食べてくれるので、家の隅で小さなクモが網を貼っていたりハエトリグモがぴょんぴょん跳ねていたら殺したり追い出したりせずに放っておいて職務を遂行させてあげる事をおすすめする。
ただし、おじいちゃんの頭上にでかい網を貼らせると烈火のごとく怒られる事がすでに判明しているので気をつけよう。