この写真は2006年
7年ぶり2度目
今から約7年前の2006年4月に私は一度島を訪れたことがある。(⇒ 「
海底炭鉱ツアー」)
その時は港から炭鉱施設までバスで一直線に向かった。バスの車窓から見た景色はいろいろ気になるところがあったが、ツアーだったため島内を自由に散策したりはできなかった。
今回は特にこれといった目的も持たず、ぶらぶらしたい。唯一のタスク的なことといえば、池島に住んでいる小島さんというかたとコンタクトを取ること(これについては後ほど)。
この船に乗って。後ろに見える建物はホテル兼フェリー待合室兼市役所支所。待合室には釣り竿が立てかけてあった。
島へのアクセス
池島へは大瀬戸港と神浦港の2箇所から船が出ている。今回は神浦港発の船に乗った。定員15名。所要時間はおよそ15分。料金は片道350円。離島と聞くとなんとなく身構えてしまいがちだが、予想以上に気楽に行けるところだった。
離島行の船は場所によっては1日3便くらいしかなかったりするが、池島行きは車も乗せられるフェリーが1日7便、人だけが乗れる地域連絡船と高速船が1日7便と比較的豊富にあった(⇒
参考)。 ただし地域連絡船と高速船は波が高い時は出ないとのこと。
船内。入るといきなり操舵室。そのすぐ後ろのスペースに靴を脱いで上がってもいいとのこと。
ここが客席。いきなりテンション上る!離島に行くと毎回こういうコネタに山のように遭遇する。
およそ15分で池島へ。(ちなみに神浦港とは
この記事の船が出てるのと同じところ)
イケメン現る
島に到着すると、池島在住の小島健一さんが出迎えてくれた。事前にはメールでやりとりをしただけで会うのはこの日が初めて。 どんな人だろう?…と思っていたら、意表を突いて爽やかなイケメン男性が現れた。
リアルに小さな島に住んでる、その名も
小島健一さん。
小島さんは2011年10月に関東から引っ越して来られた。関東にいた頃は「
大人の社会科見学」という活動をされていて、本を出したりイベントを主催したりもされていた。
現在、長崎市行政センターの「地域おこし協力隊」のメンバーとして、池島のPR活動や歴史調査などをされている。
にしても、首都圏からいきなり離島というのは面白すぎる…というかギャップが激し過ぎるんじゃなかろうか?と思って尋ねると
「アマゾンやSNSがあるので意外とそうでもなかったです。」
とのこと。
たしかに私も関東から長崎に引っ越して来た頃にちょうど日本アマゾンがインターネット上にオープンし、そのおかげもあってほとんど不便を感じなかった。
ちなみに送料の欄に「ただし離島をのぞく」と書いてあるWEBショップをよく見かけるが、池島には普通に配達してくれてるとのこと。
猫がものすごく多い。池島では人間よりも猫の方が多く見かけた。
あちこちに猫が潜んでいる。(上の写真にも2匹)
小島さんが池島に関心を持つようになったのは、奇遇にも私の書いた
拙記事がきっかけだったそうだ。(自分の記事が遠く知らないところで誰かの人生に影響を与えていたとは感慨深い)
その後、記事にも書いた炭鉱ツアーに参加され、さらに個人的に何度か島を訪れたりしていた時、地域おこし協力隊の募集を知り応募。が、やはり締め切り直前まで迷ったという。
そりゃそうだろう。首都圏での快適便利なそれまでの生活を全部投げ打ってここに来るということは相当勇気が要ったのではないかと思う。
船着き場の目の前がこの光景。
島全体が石炭工場
港について真っ先に目に入ってくるのが、こうした工場施設。まるで工場の中を歩いてるかのように、バーン!!と表に出ている。
石炭を船に積むマシーンやら、
火力発電の施設やら。これらはいずれも現在は稼働しておらず、廃墟となっている。
生活環境と廃墟との距離がものすごく近い。(左に写ってる道路に注目)
島の廃墟ゾーンとしてはまだまだこれは序の口。
この先はこんなもんじゃない、が順番に。まずは島の現在の生活環境から見ていこう。
看板が手書き!
島ライフ
まずは島で唯一の売店である「港ショッピングセンター」へ。そこにはなんと立ち飲み屋があった!
昔は炭鉱夫が通っていた。なにげに古くからあるお店。いいね!
小島さんも行き付けとのことで、ネットを見ながら飲めるようここにWiFiを導入したそうだ。
立ち飲み屋の対面には、島で唯一のスーパーが。つまみはここで買える。これもいいね!
なんでもある系の店内。もちろん小島さんもここで食材などを調達してるという。
ここではイチローはまだオリックスだし、つんくはシャ乱Qだ。
島唯一のお食事処
食事ができるところもあった。
その名も「かあちゃんの店」。
昔はたくさん店舗が入ってたんだろうテナント。ここに今はかあちゃんの店一軒だけ。
かあちゃん。
メニューはちゃんぽん、カレー、うどん、丼物など。
トルコライスもあった(!)。
実家風インテリア。
これが離島だ。
まさかトルコライスが食べられるなんて。
小島さんのオススメはちゃんぽん。
店内の様子をうかがう猫たち。
宿泊施設もある。
料金表。
これぐらいの小さな離島だと、いろいろ無い無い尽くしなことも珍しくないものだが、ここはそれとは逆に「えっ?」と思うくらい一通りのものが揃っていた。銭湯などは2箇所もあった。
そう、炭鉱で栄えた軍艦島がかつて東京以上の人口密度(つまり世界一の人口密度)を誇っていたように、池島も最盛期は8,000人もの人がこの小さな島で暮らしていた。そういう特殊な島だったのだ。
公共の交通機関が一切無い離島も多いが、ここはバスも走っている。
ちゃんと料金箱があった。
島で唯一の会社。
池島には現在、リサイクルの会社が1社あり、それが唯一の島の産業になっている。
島ではポピュラーな漁業をやってる人はいない。なので魚は普段食べられず、食べたい時は神浦港の漁協に電話すると魚代+輸送費150円で船で持ってきてくれるそうだ。 (おそらくすごくいい魚を)
もっとも釣り場としてもいいらしいので自分で釣るという手もある。
郵便局と行政センターの事務所。
人口231人。最盛期は8,000人とのことなので、3%を割った。
進む過疎化
7年前の記事によると、
・人口は450人。
・小学生10人、中学生7人。
・床屋は週3日、本土からやって来る。
・警官は一人。
と書いてあった。それが現在は
・人口は231人。
・小学生、中学生合わせて7人。
・床屋は週2日。
・警官はいない。
になっているという。
7年の間に過疎化は確実に進行していた。
小学校兼中学校。この巨大な校舎に、生徒がたった7人しかいない。
しかも小島さんによれば、印象として実際の人口はもっと少ないのではないか…とのこと。住民票上は住んでることになっていても実際はどこか別のところに住んでるケースがあるようだ。
というわけで、次は島のダークサイドへと参ります。
巨大廃墟群
人口8,000人が住んでいたところから7,000人以上がいなくなるとどうなるか?
そこには膨大な住居跡が残されていた。
これがすべて無人の廃墟だなんて、ちょっと我が目を疑う。SFの世界に迷い込んでしまったような錯覚を引き起こす。
もちろん無人島ではないので人が住んでる建物もある。
島のいたるところにこうした配管が見られる。火力発電所で作った蒸気をこれで分配していたとのこと。これがまた独特の景観を生み出している。
立ち並ぶ8階建ての建物。これらもすべて廃墟。
植物、すごい。
メイン・ストリート跡地
この通りは、かつて様々な店が並ぶメイン・ストリートだったという。
崩壊寸前の建物もあった。
飲み屋街跡地
飲み屋街跡地もあった。
ここには一軒だけ、今も営業してるスナックがあるという。
(次泊まりで来たらぜひ寄ってみたい。)
ここはパチンコ屋跡だそうだ。
旅館もあった。
なんとボーリング場も、かつて在った。
雀荘とスナックも併設。むろんすべて過去形である。
1974年に閉山した端島(軍艦島)が無人島となったように、ここもやがては無人の島となっていくのだろうか?
役目を終えた“要らない島”なのだろうか?
人の生活してない廃墟ゾーンばかりを集中して見ていると、なにやらそんな風にさえ感じてしまう。
あるいはこれは人類の将来を映す鏡なのだろうか。
現代のことを「かつて人類が栄えた時代」などと回想する日が来るのだろうか…?
たとえば少子化が進んで人口が減少した結果、今の新宿でさえもやがてはこんなふうになるのか?それとも、海岸に行ったら自由の女神が埋まっていて、いやここ実はニューヨークだったんです、なんオチがあるのか?
…と、そんなSF的想像を働かせてしまうほど、強烈なインパクトのある光景だった。
軍艦島が、上陸可能になって以来人気の観光スポットとなってるが、軍艦島を見てイイと思える人だったら間違いなくここもイイと思うと思う。アマゾン風に言うと「あわせておすすめ」です。
「自由の女神」かと思った。
炭鉱技術研修センターの現在
炭鉱技術研修センターに来た。
炭鉱閉山後、海外に炭鉱技術を教える拠点で、7年前に訪れた際、炭鉱についての説明を受けたり、弁当を食べたりしたところだ。が、それも現在は閉鎖されなくなっていた。
小島さん曰く、現在は海外に出向いて教えるようになったそうだ。
プレートが壊れ、荒廃した雰囲気となっていた。
2006年4月。(比べて見ると書いてある字なども違う)
労働の臭いが感じられた入り口も
今はこういう状態。(何かの工事をしてるようだった)
炭鉱入り口。
7年前はここから炭鉱内に入れたが、現在は閉鎖されて入れない。法律で閉山後には人が入らないよう処理するなどいろいろと決まりがあるそうだ。
炭鉱見学は現在も可能で、事前に予約すれば2名からでも行けるとのこと。(⇒
参考)
港の近くにあるバッテリー機関車に乗って、別の入り口から炭鉱に入れる。ただし、私の時は海面下130メートルまで潜れたが、今はそこまでは行けないらしい。
バッテリー機関車。これで炭鉱に入れる。私が乗ったやつより居住性が良さそう。
現在の炭鉱入り口。
海岸へ
海岸にやって来た。
石炭がそのへんに落ちてるとのとで、探してみると簡単にみつかった。
石炭だ!持ってみると軽い。 (持って帰って子供に見せたら「隕石?」と言われた。)
ボタでできた人口の斜面があった。
ほぼジブリ
役目を終えた巨大なマシーンが海辺に佇んでいた。
石炭をベルトコンベアーに乗せる機械とのこと。
これも今はもう壊れてしまって動かない。
「ジブローダー」と言うらしいが、それにしてもすごい造形。
アートなんじゃないか?
これとか完全にアートだろう。
島が一望できる丘
という感じで島のダークサイド(いわゆる廃墟)をたっぷりと見せてもらったわけだが、けしてそれらを暗い気持ちで見てきたわけではない。むしろ、いろいろな可能性が感じられた。
島が一望できる場所、島で一番高い丘に案内してくれた。
これらほとんどが廃墟で、ごく一部の建物しか使われてないとは。
使われてないということは、可能性があるということでもある。 また廃墟そのものが価値を持つ可能性も。
まとめ
炭鉱だった長崎の島では、伊王島が1972年に、高島が1986年それぞれ閉山。現在は観光と漁業という方向性でやってる(ようだ)。軍艦島は無人島となったが逆に大人気。
池島はこれからどういう方向性に向かっていくだろうか?
※写真は特別な許可を得て撮影しているものも幾つかあります。