特集 2012年7月26日

フランスの田舎を歩いた一ヶ月(サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 前編)

いわばキリスト教版の遍路、「サンティアゴ巡礼路」を72日かけて歩いてきました
いわばキリスト教版の遍路、「サンティアゴ巡礼路」を72日かけて歩いてきました
去年の春から初夏にかけて、四国遍路1200km(+α)を踏破した(詳しくはこちらをご参照下さい)。それでもう一生分くらいの距離を歩いたような気がしたのだけれど、恐ろしい事に夏くらいには再び徒歩旅行に出たくなっていた。

「じゃぁ、次はどこを歩こうか」と思った私の頭に浮かんだのはサンティアゴ巡礼路であった。スペインの北西部に位置する「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」は、ローマ(バチカン)とエルサレムに並ぶキリスト教三大聖地の一つに数えられている。中世よりヨーロッパ全土から巡礼者を集め、今もなお徒歩でサンティアゴを目指す人は多い。

ちょうど円高でもあるし、今行かなきゃいつ行くのだ。……という事で、今年の4月から7月にかけて、フランスとスペイン計1600kmを歩いてきました。今回はそのうちのフランス編です。
1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー)

前の記事:横浜港の廃線たどって古いモノ巡り

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たくさんあるサンティアゴへの巡礼路

ヨーロッパの西の果て、サンティアゴへは数多くの巡礼路が存在する。そのうち最もメジャーなのは、フランスとスペインの国境にある「サン・ジャン・ピエント・ポー」という町からスペイン北部の内陸を行く「フランス人の道」だ。

ただ、この「フランス人の道」は約800km。去年の遍路で歩いた距離よりも少ないのである。どうせなら、四国遍路で歩いた距離を超えたいなぁという思いもあり、フランス南東部の「ル・ピュイ・アン・ヴレ」から「サン・ジャン・ピエント・ポー」に至る「ル・ピュイの道」と呼ばれる巡礼路を歩き、それから「フランス人の道」を経てサンティアゴに行くルートを選択した。

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今回の記事で歩いた「ル・ピュイの道」ルート図

How to サンティアゴ巡礼 in フランス

というワケで、「ル・ピュイ・アン・ヴレ」のカテドラル(大聖堂)から出発である。朝8時、カテドラルには既にたくさんの巡礼者がおり、皆続々と出発しだしていた。

ル・ピュイは山間部に位置しているという事もあり、4月の下旬であってもかなり寒い。フリースを着込み、さらにレインウェアを羽織ってちょうど良いくらいだ。
よし、ここからスタートだぜ
よし、ここからスタートだぜ
ザックにホタテ貝を括り付けた巡礼者たち
ザックにホタテ貝を括り付けた巡礼者たち
サンティアゴ巡礼には必須アイテムが二つある。一つは巡礼手帳「クレアンシャル(スペイン語ではクレデンシャル)」。これは巡礼者の身分証みたいなものだ。宿や役場にてスタンプを押してもらう事で、いつどこを通ったのかが分かる仕組みである。

もう一つはホタテ貝。これはサンティアゴ巡礼者を示すシンボルである。なんでも、サンティアゴのあるガリシア地方はホタテが名物で、巡礼を終えた人々が記念に持ち帰った事から、いつしか巡礼者の象徴になったのだとか。
巡礼手帳とホタテ貝
巡礼手帳とホタテ貝
巡礼が進むとこんな感じにスタンプがたまる
巡礼が進むとこんな感じにスタンプがたまる
いずれもル・ピュイのカテドラルで売っているので、私もまたそれらと、あとルートマップを購入した。よし、これで私も巡礼者。いざ、出発だ。

四国遍路では道標がルートを示してくれていたが、それと同様、サンティアゴ巡礼路もまた道標が完備されており、基本的には迷う事無く歩けるようになっている。
赤白マークがフランスにおける巡礼路の証
赤白マークがフランスにおける巡礼路の証
これは「左に曲がれ」という意味
これは「左に曲がれ」という意味
様々な表示があるが、信じて良いのは赤白マークだけだ
様々な表示があるが、信じて良いのは赤白マークだけだ
巡礼路上では赤白マーク以外にもいろんな色のマークを見かけるが、他は別のルートを示すもので正しいのは赤白マークだけだ。私は何度か黄色マークについて行ってしまい、酷い目に遭った。

また赤白マークも手放しで信用するワケにはいかない。フランス国内には長距離を歩く道(GRという)が張り巡らされており、サンティアゴ巡礼路もまたそのうちの一部という位置付けである(ル・ピュイの道はGR65)。この赤白マークはあくまでGRを示すものであって、GR65以外のGRにも用いられているのだ。

赤白マークをたどっていたら、いつの間にかGR6Aという別のコースに入り込んでしまい、かなりの遠回りを強いられた事があった。赤白マークに頼り切るのではなく、標識の確認やこまめな地図のチェックが必要だ。
ル・ピュイの町を出てからは牧場を歩く
ル・ピュイの町を出てからは牧場を歩く
さらに谷に沿って行き――
さらに谷に沿って行き――
山を越え――
山を越え――
初日の宿泊地である「サン・プリヴァ・ダリエ」に到着
初日の宿泊地である「サン・プリヴァ・ダリエ」に到着
「ル・ピュイの道」の一日目は変化に富んだ実に楽しい道である。距離も23.5kmとそれほど長くなく、巡礼のペースを作るに最適だ。まさに初日にふさわしいコースと言えるだろう。

なお、フランスのサンティアゴ巡礼では、宿泊はジット(Gite)と呼ばれる簡易宿を利用する。大部屋にベッドを並べた、まぁユースホステルに近い設備の宿だ。

ジットは自治体が運営する公営(ジット・コミュナル)と私営のものがあり、公営は10~15ユーロくらい、私営は15~20ユーロくらいである(いずれも素泊まりの場合)。たいていはキッチンがあり、自炊が可能なのが嬉しい。
公営宿の場合は、自分の名前を書いてベッドを確保
公営宿の場合は、自分の名前を書いてベッドを確保
寝室はこんな感じで、男女相部屋である
寝室はこんな感じで、男女相部屋である
教会の建物を改装したジットもある
教会の建物を改装したジットもある
元は見張り塔なのか倉庫なのか、左の建物がジット
元は見張り塔なのか倉庫なのか、左の建物がジット
なお、近年はこの「ル・ピュイの道」を歩く人が増えており、ジットのキャパシティが追い付いていないのが実情のようだ。序盤はまだまだ余裕でベッドを確保できたのだが、後半になるにつれジット争奪戦は激しさを増し、宿の事前予約が必須となる。

公営にせよ、私営にせよ、ジットでは英語が通じない場合が多い(フランス人は基本的に英語が苦手なのだ)。電話でフランス語を話すのはなかなか敷居が高いが、避けては通れない道である(とか偉そうな事を言いつつ、幸いにも人との出会いに恵まれた私は、結局一度も自分で予約する事はなかった)。
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序盤は牧場と山の道

さて、二日目以降である。「ル・ピュイの道」の序盤は山岳地帯(と言っても、フランスの山は日本の山ほど険しくはなく、丘陵地帯というべきなのかもしれないけれど)が続いている為、その道は坂の連続である。

その中でも比較的平らな土地には牧場が広がっており、壮大な景観を見る事ができるのもこのエリアの特徴だ。
谷が多いのでこういう道を上ったり下ったり
谷が多いのでこういう道を上ったり下ったり
たいていは坂道を下った先に町がある
たいていは坂道を下った先に町がある
高原ではどこまでも続く牧場を見る事ができる
高原ではどこまでも続く牧場を見る事ができる
雪が残っている所も多々あり、びっくりだ
雪が残っている所も多々あり、びっくりだ
この辺りを歩いたのは4月の下旬だったのだけど、標高が1000mと高い為か思った以上に寒かった。ある日の朝、寒い寒いと思って温度計を見るとその気温は5度。さらに牧場地帯は吹き付ける風が強く、寒いわ吹き飛ばされそうになるわで大変だった。

場所によってはいまだに雪も残っており、まさか巡礼路で雪を見るとは夢にも思っていなかった私は心底驚いた。聞いた話によると、二週間前には吹雪の日もあったらしい。

ロット川沿いの美しい町並み

山岳地帯を抜けてからは、今度はロット川という大きな川に沿って歩く。この辺りは良い雰囲気の町が多く、町に着くたびにその町並みを散策して結構な時間を費やした。いずれも絵になる町なんですわ、これが。
ロット川に出て最初の町、サン・コムドルト
ロット川に出て最初の町、サン・コムドルト
その次の町、エスパリオン
その次の町、エスパリオン
大きな古い橋と城が美しい、エスタン
大きな古い橋と城が美しい、エスタン
山の中腹に家々が立ち並ぶ、コンク
山の中腹に家々が立ち並ぶ、コンク
特にエスタンとコンクに至ってはその町並みがあまりに素晴らしく、どちらも到着が12時と早い時間だったのにも関わらず「あ、今日はもうここでいいや」と即滞在を決めた。

このエリアに関わらず、フランスは町並みがホントかわいらしいのが印象的だ。普通の旅行では来ることがないであろうこれらの町を訪れる事ができただけでも、歩いた価値があるってものである。

序盤で知り合った人々

この「ル・ピュイの道」はフランスで最もメジャーな巡礼路らしく、数多くの人々が歩いている。その多くはフランス人であり、フランス語を話せない私はなかなかコミュニケーションが難しいのだが、その中でも二組の巡礼者と親しくなる事ができた。

一組はフランス北西部のブルターニュ地方に住み、大学で英語の講師をしていたというジョンさんとマイティさんのご夫妻。もう一組は、オーストラリア人のオーノとドイツ人のクリスティーナのカップルだ。
ジョンさんとマイティさん
ジョンさんとマイティさん
オーノとクリスティーナ
オーノとクリスティーナ
いずれも英語が話せる人の為、たびたび再会してはいろいろな世話を焼いてくれた。

クリスティーナは宿の予約をしてくれたし、またジョンさん夫妻も宿の予約に加え色々なフランス語の単語を教えてくれた。彼らがいなかったら、私の巡礼はどうなっていたか分からない。いやホント、マジで。

それともう一組、印象的だった巡礼者がいる。それは巡礼を始めて三日目に初めてお会いしたご夫婦だ。
わずかな上り坂でも辛そうに休む奥さん
わずかな上り坂でも辛そうに休む奥さん
前を行く旦那さんの後を奥さんがついて行くのだが、その奥さんは上り坂に差し掛かると頻繁に立ち止まり深呼吸を繰り返していた。下り坂や平地では全く問題なくスタスタ歩いているのだが、上り坂に差し掛かると急に足を止めるのだ。それがどんなに軽い上り坂でも、である。

このご夫婦は四日目にも見かけたが、やはり上り坂で難儀しているようであった。心臓が悪かったのか、呼吸系なのか、私には分からないが、どうも若干無理をしているように思えた。

この奥さんは、巡礼五日目の朝、ナスビナルという町の宿で亡くなった。
宿の前に止まる救急車
宿の前に止まる救急車
朝、いつものように目覚めると、どうも下の階が騒がしい。何だろうと階段を下りていくと、たくさんの警官と刑事さんらしきコートの男性が宿の玄関にいた。

その警官たちをかき分けキッチンに入ると、テーブルの隅に顔を手で覆って号泣する旦那さんがいた。英語ができるおじさん巡礼者に何があったのだと聞くと、彼の奥さんが亡くなったのだという。私は大いにショックを受けた。

昨日まで普通に挨拶を交わし、昨夜は一緒のテーブルで夕食を食べていた人が、朝起きたら亡くなっていた。巡礼路で亡くなる人は少なくないと聞いていたが、まさかそれが自分の周りでも起きるとは。その日はどうしようもない気持ちのまま、宿を出た事を覚えている。
その件があって、改めて私は進まねばならないと思った
その件があって、改めて私は進まねばならないと思った
歩けるという事は幸せな事だ
歩けるという事は幸せな事だ
巡礼12日目、フィジャックという町に到着。ここから中盤だ
巡礼12日目、フィジャックという町に到着。ここから中盤だ
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森林の道が続く中盤戦

フィジャックからは山が減り、木々に囲まれた森の中の道を行く。相変わらず牧場が多いが、ここまで来るとブドウ畑や麦畑などもちょくちょく見られるようになってくる。
苔むした石垣や石壁が美しい
苔むした石垣や石壁が美しい
森の道は比較的平らだ
森の道は比較的平らだ
気温も上がり、花が多くなる
気温も上がり、花が多くなる
標高がぐっと下がった為か、気温が上がり春らしい景色を見れるようになったのが嬉しい。曇りの日が続いた序盤とは打って変わり、晴れの日がほとんどでこれもまた嬉しい。

同じような景色がずっと続くエリアではあるが、その道中では一週間程会っていなかったジョンさん夫妻と再会を果たしたりと(前ページの夫妻の写真はこの時のものだ)、人との関わり的に充実した区間であった。

途中にあるカオールという町では、泊まろうと思っていたユースホステルが満室だったものの、代わりに観光案内所で紹介されたジットが大当たりだった。
カオールのカテドラルはドーム屋根が印象的
カオールのカテドラルはドーム屋根が印象的
こんなカッコいい橋もあり、お気に入りの町だ
こんなカッコいい橋もあり、お気に入りの町だ
そのジットは旧市街の裏路地にあり、一見すると入る事がためらわれるくらいに小ぢんまりとしていた。とりあえずブザーを押してみると、意外に若いマダムが二階の窓から顔を出す。
観光案内所に紹介してもらったジット
観光案内所に紹介してもらったジット
室内は清潔に保たれており、インテリアのセンスも良い。このマダムは仕事の関係で中国に数年滞在していたとの事でオリエンタルな雑貨や本も多く、なんだかほっとできる宿であった。かわいらしい猫もいた。
この猫がまた人懐っこくてかわいい
この猫がまた人懐っこくてかわいい
聞けば開業して一年目らしく、まだどのガイドブックにも載っていないのだという。その為か、この日の客は私一人であった。部屋もキッチンも猫も独占で、イヤッホゥ!という感じである。

スタンプを押してもらう為に渡した巡礼手帳がなかなか帰ってこず、ちょっと心配になったりしたものの、私が夕食の買い出しから戻ってくると、キッチンのテーブルに敷かれたランチョンマットの上に巡礼手帳が置かれていた。

私が食事を取る事を見越してランチョンマットを敷いてくれたその心遣いも嬉しかったが、何より巡礼手帳を開いてみて驚いた。
スタンプが手書きだったのだ
スタンプが手書きだったのだ
開業して間もないのでまだスタンプが無いのだろうと思うが、初めてもらった手書きのスタンプに私は大そう感激した。このジットは繁盛してもらいたいものである。

さて、カオールから先は森が少なくなり、その代わりに麦畑がさらに増える。木が少ない為に太陽の光が容赦ないカンジだ。
麦畑の道を行く
麦畑の道を行く
なんかかわいい高床式の礼拝堂
なんかかわいい高床式の礼拝堂
巡礼路にはポプラの綿毛が舞い、とても幻想的
巡礼路にはポプラの綿毛が舞い、とても幻想的
興味深いモニュメントが多いエリアではあるが、しかし、とにかく暑い。序盤の山岳地帯とは比較にならないくらいの暑さである。そして白砂の道がまぶしい。

これまで私はタオルを頭に巻いて日光を避けていたが、さすがにそれだとキツくなりつば付きの帽子を購入した。
日光を遮るものが無く、ひたすら暑い
日光を遮るものが無く、ひたすら暑い
ジョンさん夫妻は秘密兵器を投入
ジョンさん夫妻は秘密兵器を投入
巡礼18日目、モアサックという町の手前で再会したジョンさん夫妻は、腰のベルトに挿すタイプの傘を日除けに使っていた。手で持つ必要が無く、なかなか便利そうである。

なんでも、今回の巡礼の為に娘さんがプレゼントしてくれたもので、ドイツ製なのだとか。
そしてモアサックに到着、終盤戦に突入だ
そしてモアサックに到着、終盤戦に突入だ
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終盤も見どころ盛りだくさん

さぁ、この「ル・ピュイの道」もいよいよ終盤である。モアサックからは、フランスを横断するミディ運河(この付近ではガロンヌ運河という名前らしいが)に沿って歩く。
とても良い雰囲気の運河だ
とても良い雰囲気の運河だ
たくさんの水門で高低差を解消する
たくさんの水門で高低差を解消する
この運河は各所に水門が設けられ、それを閉じたり開いたりする事で高低差のある運河を船が行き来できるようになっている。へー、ほー、とその仕組みを学びつつ、雰囲気の良い並木の道を歩いていく。

またこの辺りに点在する町には古い建物が多く、いずれも非常に美しい町並みで癒された。巡礼路の景色も良く、歩いていて楽しいエリアである。
円形の市場が印象的な、オヴィラの広場
円形の市場が印象的な、オヴィラの広場
オヴィラの先にあるサン・タントワーヌという村には鎖帷子職人の工房があり、作業の様子を見学させていただく事ができた。

少し前に知り合ったフランス人のピエールさんと村を歩いていた所、工房を見ていかないかと声をかけられたのだ。
鎖を編んでいく職人さん
鎖を編んでいく職人さん
ピエールさんはノリノリで頭の部分をかぶっていた
ピエールさんはノリノリで頭の部分をかぶっていた
鎖帷子なんてゲームの中でしか聞いた事ないようなものを実際に見る事ができて、なかなか興味深い工房見学だった。

ちなみに現在この工房は、鎖帷子の技術を応用して装飾品を作るのがメインのようだ。どのような形であれ、昔ながらの技術が今に受け継がれているのは素晴らしい事だと思う。
この辺りには城なんかも多い(これは廃墟だけど)
この辺りには城なんかも多い(これは廃墟だけど)
一面に広がる麦畑に癒される
一面に広がる麦畑に癒される
レクトゥールという町もまた、町並みが素晴らしい
レクトゥールという町もまた、町並みが素晴らしい
植えられたばかりのトウモロコシ畑の中を行く
植えられたばかりのトウモロコシ畑の中を行く
たどり着いたのはラ・ロミュー
たどり着いたのはラ・ロミュー
このラ・ロミューは巨大なコレジアル(カテドラルとはちょっと違うけど、まぁ、カテドラルみたいな大きな教会)を中心とする小さな村だ。「ロミュー」とは猫の意味だそうで、村のあちらこちらに猫の石像が飾られている。

元はラテン語でローマという意味だったらしいが、それがいつの間にか猫という意味に転化したらしい。
村の至る所に置かれている猫像
村の至る所に置かれている猫像
一瞬、本物かと思ったが、像だった
一瞬、本物かと思ったが、像だった
一軒だけ犬の像を飾る家が
一軒だけ犬の像を飾る家が
村が猫であふれる中、犬の像を置いている家を見つけた時には思わず笑ってしまった。「村の名前なんてどうでも良い。俺はあくまでも犬派なんだ!」と頑なに主張しているようなカンジで微笑ましい。

ラ・ロミューの翌日はコンドンという町を過ぎ、ラレシングルという村のはずれにある農家のジットに泊まったのだが、そこではなぜかキャンピングカーで寝る事となった。この日は部屋がすべて満室で、「キャンピングカーなら良いよ」という宿側の提案を飲んだのだ。

しかしこの農家がアルマニャック(コニャックと並ぶブランデーの一種だ)のカーヴで、文字通り大変おいしい思いをさせていただいた。
ジットの庭に停められたキャンピングカーで寝る事に
ジットの庭に停められたキャンピングカーで寝る事に
夕食前にアルマニャックのカーヴを見学
夕食前にアルマニャックのカーヴを見学
そしてまさかの試飲タイム
そしてまさかの試飲タイム
左から、絞ったブドウジュース、半年熟成、2年熟成
左から、絞ったブドウジュース、半年熟成、2年熟成
このジットは宿泊費が15ユーロで、当然ながら素泊まりなのかと思いきや、アルマニャックの試飲があるわ、その後にはしっかり夕食を出してくれたわで非常にありがたかった。

ちなみにアルマニャックのお味は、甘めながらも濃厚で非常に美味。飲み易くスイスイいけてしまうので(しかももっと飲めとおかわりも勧めてくれるので)夕食後はべろんべろんになってしまった。

試練の時、嫌気が差す雨地獄

さて、ここまでは順調も順調なカンジに歩いてきた私であったが、巡礼26日目から数日間は本当にしんどい思いをした。

これまでは、雨が降ってもしばらく経てば止んでくれるような天候だったのだが、この時はそれが止むことなく、日本の梅雨のごとく朝から晩までずっと降り続けたのである。精神的にかなり参った時期だ。
26日目の雨はまだマシだった
26日目の雨はまだマシだった
巡礼路でこんなトカゲ(ファイアサラマンダーというそうだ)を見たりして、まだ楽しむ余裕があった
巡礼路でこんなトカゲ(ファイアサラマンダーというそうだ)を見たりして、まだ楽しむ余裕があった
27日目の雨では少し嫌気が差してきた
27日目の雨では少し嫌気が差してきた
28日目はさらに雨が強まり泣きそうになる
28日目はさらに雨が強まり泣きそうになる
正直、心が折れそうになった
正直、心が折れそうになった
28日目は特に雨が強いという事もあったが、親しくしていたマイティさん(ジョンさんの奥さん)が怪我をして途中の町で医者に掛かり、彼らがここでリタイヤしてしまうのではないかという心配もあって、本当に辛かった。

歩いても歩いても雨は止まないし、体中が冷やされとても寒い。半ばヤケになって、昼からワインを一本かっくらいながら歩いていた。
巡礼30日目、ようやく晴れ晴れとした天気になった
巡礼30日目、ようやく晴れ晴れとした天気になった
……が、代わりにカメラが死んだ
……が、代わりにカメラが死んだ
28日目を境に天気が好転し、気をよくした私はずんずん歩みを進めていった。景色も良く、写真をパシャパシャ撮っていると、突如カメラのシャッター音がおかしくなり、エラーが表示され写真が撮れなくなってしまった。

しばらく続いた雨によるものなのか、部品の寿命なのかは分からないが、突如壊れたカメラに驚き、しばし茫然としてしまった。

幸いにもサブカメラのコンデジ(頑丈さが売りの機種だ)を持っていた為、ここから先はそれで撮り続ける事ができたのだが。
なので、ここからコンデジにチェンジ
なので、ここからコンデジにチェンジ
城が立つ、フランスらしい景色を見ながら歩く
城が立つ、フランスらしい景色を見ながら歩く
そしてついに、スペインとの国境の町「サン・ジャン・ピエント・ポー」に到着
そしてついに、スペインとの国境の町「サン・ジャン・ピエント・ポー」に到着
やったぜ!これで残り半分だ!
やったぜ!これで残り半分だ!

スペイン編に続く

「ル・ピュイ・アン・ヴレ」を出発して32日目、私は無事「サン・ジャン・ピエント・ポー」に到着する事ができた。800km続いた「ル・ピュイの道」はここまでで、ここからはピレネー山脈を越えてスペインに入りサンティアゴへ向かう「フランス人の道」となる。

「ル・ピュイの道」は山あり谷ありの険しい道ではあったが、町並みは美しいし食べ物もおいしいし、それに何より人が優しい。スペインより物価が若干高いけれど、それに見合うだけの、いやそれ以上の経験ができたと思う。
次回「スペイン編」はピレネー越えからスタート
次回「スペイン編」はピレネー越えからスタート

いかがでしたでしょうか。今回はフランスを歩いた32日間のうち、特に印象に残った出来事を選んで4ページにまとめました。

しかし撮った写真は山ほどあり、書きたい事もまだまだあります。そこでより詳細な記録を残すという意味も含め、著者の個人サイト「閑古鳥旅行社」にて今回のサンティアゴ巡礼の旅行記を書き始めました。

一日単位でできるだけ詳しく書きたいと思っておりますので、ご興味のある方はご覧いただければ幸いです。

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