みなとみらいに残る古いモノ
幕末、国際港を設置するにあたり、幕府は横浜の地を選んだ。外国人が地元民と交流を持つことを避ける為、あえて寂れた漁師町を選んだのだという。
今ではこんな立派になりました
その発展の極みと言うべき、みなとみらい
そして横浜のシンボルであるランドマークタワー
その直下には、明治29年の石造ドックが
古代遺跡のような素晴らしいたたずまいである
どうよ、この年季
実を言うと、私は過去にも横浜のドックについて記事を書かせていただいている(参照記事「
明治のドックは良いドック」)。しかし、何度でも紹介したくなる素晴らしさなのだ。
現代横浜の象徴であるランドマークタワーの下に、古いモノがあるというシチュエーションも良いよね。
こちらは昭和5年に作られた帆船、日本丸
それが繋留されている場所も、明治31年のドック
細部を良く見ると、古いモノである事が分かる
ちなみに、これら二基のドックの側には、これまた古い大正7年のエアーコンプレッサーが、モニュメントとして置かれている。
空気を勢い良く噴き出させる機械であるコンプレッサーも、昔はこんなに無骨でカッコ良かったのだ。
どうよこの大きさ、黒光り具合
機械というものは無骨に限る
横浜臨港線跡の古いモノ
廃線跡と言えば人知れずひっそりと時代の影に埋もれているようなイメージがあるが(私が勝手にそう思っているだけかもしれないけれど)、今回歩く横浜臨港線の廃線跡は、この界隈を訪れた事のある方ならば間違いなく知っているはずである。
横浜港に来たことある方は知っているよね、この道
「汽車道」としてレールも残されている
それは遊歩道として整備され、ワールドポーターズなどが存在する新港地区への主要ルートとして機能しているのだ。
横浜港を歩くにあたり、文字通り「誰もが通る道」なのである。
親子連れからカップルまで、大勢の人々で賑わう
私としては、このトラス橋に注目してもらいたい
1907年(明治40年)のアメリカ製ですよ、アナタ
無数に打たれたリベットが古い鉄橋の魅力
もう一つ同じ形式の橋があるが、こちらは補強工事中
あー、トラスって良いよねぇ
廃線跡にかかるこれらの鉄橋にも目を惹かれるが、ふと対岸を見やると、なにやら古めかしい建物があるではないか。
向かい側に歴史のありそうな建物が(右下の護岸も古いモノのようですな)
この建物が建っている一角は、かつて港で荷揚げされた生糸を取り扱う施設が建ち並んでいたエリアである。
赤い煉瓦と灰色のモルタルが織り成すコントラストが印象的なこの建物は、生糸を保存する為の倉庫だそうだ。
再開発が進む中、たたずむ歴史の遺産
各所の朽ち具合が素晴らしい
すぐ側には似たデザインの倉庫事務所も残る
これらは、関東大震災直後の大正15年に建てられたものだそうだ。
周囲が全て駐車場なのは、この地区の再開発が進んでいる為だ。これら二棟の建物は保存されるようだが、以前はもっとたくさんの倉庫が並んでいた。
さて、廃線跡に戻って先を行こう
ナビオス横浜をくぐった先に見えるのは……赤煉瓦!
ご存知、赤煉瓦倉庫
横浜港の古いモノといえば、まず真っ先に挙がるのがこの赤煉瓦倉庫だろう。
明治44年に建てられた2号館と、大正2年に建てられた1号館の二棟が並ぶ赤煉瓦倉庫は、観光スポットとしてたいそう人気だ。
横浜港といえばコレでしょ
これだけ見たら日本とは思えませんな
内部はレストランやショップとして活用されている
1号館の裏手にひっそりたたずむのはエレベータの駆動機
エレベータの雰囲気が工場然としていて素晴らしい
ちなみに横浜臨港線は、赤煉瓦倉庫の手前でいくつもの支線に分岐し、それぞれの埠頭へ導かれていた。
現在はそのうちの一本に線路が残り、その先にはかつての横浜港駅のホームが一部復元され鎮座ましましている。
線路は赤煉瓦倉庫を横切り――
埠頭の根元、復元された横浜港駅のプラットホームで終わる
屋根の骨組みがカッコ良い
ちなみにこのプラットホームの側には、税関施設の跡が残っている。
関東大震災で被災した際に壊されたとの事だが、そこに残る建物の遺構が古代遺跡のようでカッコ良い。
こういうの、インドとかタイとかで見た気がする
また、赤煉瓦倉庫周辺で見逃されやすい古いモノとしては、埠頭の先っちょにある大正3年の50トンハンマーヘッドクレーンがある。
荷揚げの為のクレーンだが、現代のガントリークレーン(通称キリン)よりガッチリしていてたくましい。
新港旅客ターミナルの敷地内なので、近付けないのがもどかしい
なんでも、東洋最古の電気クレーンなのだとか
さて、横浜臨港線の廃線跡は横浜港駅で終わりだが、実はそこからさらに南へ続く支線の廃線跡がある。その名も、山下埠頭線だ。
こちらはレールこそ残っていないものの、その跡は廃線の雰囲気を残したまま、横浜港第二の観光スポットである山下公園へと続く遊歩道となっている。
ここで終わるのもなんなので、山下公園まで行ってみる事にしよう。
山下埠頭線跡の古いモノ
赤煉瓦倉庫を後にすると、すぐにこれまた古そうな鉄橋が見えてくる。大正元年建造の国産トラス橋である、新港橋だ。
みんな何気なく渡っているこの橋
なかなか凄いモノなのですよ
さらに行くと、こんな緩やかにカーブした突堤が見える
横浜港が開港した頃から存在する突堤なのだ
まぁ、ほとんどが復元で、古いのはこの部分だけみたいだけれど
幕末にその原型が作られ、明治時代に整えられたこの突堤は、その形から象の鼻などと呼ばれている。
昔の外国人は、日本に降り立ってまず始めにここからの景色を見たのだ。そう思うとなかなか感慨深い。
ちなみに昭和前期には、ここからかつての横浜のランドマークであった三つの建造物、「キング」「クイーン」「ジャック」を眺める事ができたらしい。
「キング」こと神奈川県庁(昭和3年建造)
「クイーン」こと横浜税関(昭和9年建造)
「ジャック」こと開港記念館(大正6年建造)
他にも数多くの高い建物ができた現在、果たしてこの突堤から三つの建物が見えるものか。そう思って眺めてみたのだが……。
「キング」と「クイーン」は確認。「ジャック」は……
あっ、あった!ちろっと見えてる!
「ジャック」が限界ギリギリではあるものの、なんとか三つの建物を確認する事ができた。
きっと見えないんだろうなぁと半ば諦めていただけに、これは嬉しい。
山下埠頭線の廃線跡は高架橋となって続く
山下公園(昭和5年開園)でフィニッシュです
町を知りたければ古いモノを見よ
開国の港として生まれた横浜には、やはりその歴史を物語る古いモノが多い。
古いモノというのは、町の成り立ちと成長を示す、言わば町の記憶。その町の事を知りたければ、古いモノをたどっていけばいいのです。
今回は廃線跡の周囲限定で古いモノを紹介しましたが、横浜には他にも古い建物が多いし、渋いものでは煉瓦造の下水道なんてのも存在したりします。こういう、歴史の奥行きが目に見える町が、私は好きですな。
余談ですが、4月中旬から7月中旬までの三ヶ月間、フランス&スペインへ行ってきます。去年の四国遍路に続き、カトリック版の遍路といえるサンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼が目的です。
その間、私のデイリー記事はお休みとさせていただきます。帰国しましたら、また書かせていただきたいと思いますので、なにとぞよろしくお願いします。