『上毛かるた』に登場する人物は、前回からもいくつか投稿をもらっていました。
『上毛かるた』に登場する偉人、他にもいるということなので、全部調べてみました。
新島襄(平和の使い新島襄)
呑龍(太田金山子育呑龍)
塩原太助(沼田城下の塩原太助)
関孝和(和算の大家関孝和)
内村鑑三(心の灯台内村鑑三)
田山花袋(誇る文豪田山花袋)
船津伝次平(老農船津伝次平)
新田義貞(歴史に名高い新田義貞)
茂左衛門(天下の義人茂左衛門)
以上の9人です。このうち、新田義貞、田山花袋、新島襄、内村鑑三、関孝和あたりは、特に説明も必要ないと思われますが、船津伝次平、呑龍、塩原太助、茂左衛門の4名は、この『上毛かるた』ぐらいでしか知られていない、ローカル偉人と言っていいかもしれません。
呑龍なんて、ちゃんと説明してもらわないと、中華料理店としか思えません。
せっかくなので、かなりざっくりですが、どんな人だったのか、簡単なプロフィールを記しておきます。
船津伝次平は、幕末から明治時代にかけて活動した、群馬県の旧富士見村(現・前橋市)の名主・村役人で篤農家(農業を発展させた人)です。
赤城山に植林する、寺子屋を作るなどの活動の他、古来の農法に西洋農法を折衷した混合農法である「船津農法」を全国で指導するなどしました……だそうです。
米(擬人化している)が稲作のポイントを民謡の歌詞風に解説してくれる、奈良軍平著の『稲作小言』の監修をしています。
呑龍は、戦国時代から江戸時代に生きた僧侶です。当時は、貧しい家では、生まれた子供を間引くということがあったのですが、そういった子供を哀れんで引取り、育てたため、子育て呑龍と呼ばれたようです。『呑龍上人伝』という書物によると、念仏によって大蛇の力を吸い取ったり、雨を降らせたりといった伝説が伝わっているようです。
塩原太助は、江戸時代の豪商です。この4人の中では、じつは全国区の知名度があるといえます。三遊亭円朝が、塩原太助の人生を取材して『塩原太助一代記』として落語化しているため、落語好きな人たちの間では全国区で有名です。
上州から江戸に出てきた塩原太助は、炭屋で働き、豪商となりましたが、そのきっかけは、ふのりで固めた炭団(たどん)を発明したことと言われています。
昔はこれをこたつやらにいれて燃料としていました。
『AKIRA』に出てくる無人警備ロボの愛称ですね。
茂左衛門は、江戸時代の農民で、名字は杉木といいます。藩(沼田藩)の暴政に耐えかね、直訴(当時は死罪の行為)を行ったとして、妻子とともに磔刑に処せられたという義民です。
直訴といえば、よく、竹竿の先に上訴文を挟んで、大名行列に飛び出すようなイメージがありますが、茂左衛門は、それでは取り合ってもらえないとし、一計を案じ、葵の御紋が入った文箱を偽造して上訴文を入れ、蕎麦屋にその文箱をわざと置き忘れ、蕎麦屋に幕府の機密文書と勘違いさせて、お上へ届けさせるという手段で直訴しました。
その後、茂左衛門は死罪ということが決まるわけですが、農民たちの助命嘆願の声に答え、幕府は茂左衛門の赦免を決定し、使者を使わしますが、間に合わず処刑されてしまった……というエピソードがあります。
以上、めちゃくちゃ長くなりましたが『上毛かるた』に登場する謎の人物4人のざっくりとした経歴でした。