あの鍋は文化
固形燃料について話を聞きに行ったら、鍋もコンロも料理もひっくるめた歴史をうかがうことができた。
固形燃料がチロチロ燃えることで、旅館の夕食にバリエーションが出て、さらに旅に風情を感じられる……。
そう考えると固形燃料は、もはや旅のひとつの文化を作ったことになるんじゃないだろうか、と思うのだった。
取材協力:株式会社ニイタカ
旅館に泊まると、夕食のお膳に小さな鍋がついてくることがある。
水色の固形燃料に火をつけて鍋を温めると、グラグラと具材が煮える。火が消えたら食べごろだ。非日常の小さな楽しみ。
それにしてもあの固形燃料、「火が消えたら食べごろ」なんて、すごくちょうどいい。どうなってるんだ。あの水色の丸いのは誰が作ってるんだろう。
我々取材班は大阪に飛んだ。
というわけで訪れたのは、大阪市淀川区に本社を置く株式会社ニイタカ。設立は1963年。業務用洗剤の製造販売を主力事業に、固形燃料も手がけている老舗企業である。
ニイタカの固形燃料「カエン」シリーズは、固形燃料におけるシェアは約7割。年間の生産数は約2億個にもなるという。
国民1人あたり、年間2個ほど燃やしている計算である。そんなに。
古里さん 固形燃料は、用途にあわせてサイズを複数用意しています。上面の面積が広いほど火力が強くなり、高さがあるほど燃焼時間が伸びるんですよ。
たとえば一番小さいサイズの「7」は、牛丼屋やファミレスのすき焼き鍋なんかに使われるもの。
厨房で調理した料理を熱々のまま食べてもらうために、固形燃料が使われている。保温や温め直しが目的なので、小さいサイズで大丈夫。
旅館で使うのは「20」や「25」のサイズ。旅館の場合は調理が目的なので、火力や持続時間が必要。大きめのサイズが使われることが多い。
なるほど……。あれ、カタログでは「220」が一番大きなサイズですけど、これはどこで使われるんですか?
古里さん チェーフィングディッシュといって、ホテルのビュッフェなどにある料理用湯煎で使用されています。シェアとしては液体燃料が圧倒的なんですが、固形燃料を好まれるお客様もいるんですよ。
固形燃料「カエン」のラインナップは「ニューエースE」以外にも、アルミカップがついていない「ハイスーパー」などいろいろある。
で、「変わったところでは……」と荒木さんが取り出したのがこちら。
古里さん 「カエン」と基本的に同じものを6kgほど流し込んでいます。この缶の上に鉄製の煙突みたいなものを付けて、ストーブとして使うんです。
このストーブは1mほどの高さになり、4時間くらい燃え続けるとのこと。
実際に、葬儀会場など屋外に人が集まる場所で使われ、映画の撮影現場でも重宝されているという。
荒木さん 撮影現場では昔から焚火で暖を取っていたんですが、それだと火の粉が飛んで衣装に穴が開くことがあったそうなんですね。固形燃料ならそういうことはないので、大御所俳優から「いいじゃないか!」と褒めていただいた……という伝説も残っています(笑)
電源もいらないし、ある程度保管もできるし、石油やガソリンをこぼしちゃって大変みたいなこともない。
これって災害現場でも役立つのでは……と思ったら、荒木さんは支援物資としてこのストーブを届けたことがあるのだという。
荒木さん 2004年10月の中越地震のときですね。営業車の荷物を全部下ろして、つくば工場に行って燃料とストーブを積み、新潟に向かいました。関越道が通行止めだったので、郡山経由で回って……。
立ち寄った避難所で販売店の社長に偶然出会い、ストーブの話をすると「ぜひ置いていってくれ」と喜ばれたそう。
当時は多くの人が車内で暖を取っていた。エコノミークラス症候群を防ぐためにも、屋外の暖房器具はありがたがられたそうだ。
今でこそ順風満帆のニイタカであるが、創業期は二度も倒産を経験したという。
当時は小さな町工場で洗剤を作っていた。でも洗剤だけではやっていけない。なんか他にいい商品はないんか……と考えた創業社長が思いついたのが固形燃料だった。
古里さん 当時(60年代後半)、既にキャンプ用の固形燃料が売られていたそうなんです。缶入りで、フタを開けて火を付けるタイプのものが。それを旅館で無理やり使っているところがあったので、「うちで作れへんか」となったみたいで。
しかし、これまでとまったく畑違いの分野。社長は「誰か作ってや〜」と叫ぶものの、誰も作り方を知らない。
仕方がないから技術担当(社長の弟)が作り方を考えることになった。
しぶしぶ始めた弟さんだったが、過去に化粧品の原料を作ったときの記憶から分析をはじめ、なんやかんやあって固形燃料が完成する。1972年のこと。
ただ、今のような形ではない。さっきの暖房用燃料みたいに、一斗缶まるまる固形燃料、という形だった。
当時はどの固形燃料も缶入りで「スプーンで必要な分をすくって使ってね」という使い方。うちもそんな感じでいいか、と旅館に売り出したが……。
古里さん ある有名旅館から「こんな面倒くさいこと、いつまでやらせんのや」と呼び出されまして。お客さんが100人いたら、仲居さんがスプーンで100杯すくうことになる。ばらつきも出るし、仲居さんも嫌がっている。なんとかならんのかと。
お客さんがおかんむりである。大変だ。ニイタカの担当者が咄嗟に出た言葉が「切ってきましょうか!」だった。
さっそく包丁でサイコロ状に切って持っていくと、すぐに「これは便利や」と大好評。付加価値があれば売れるんだ、と、どんどん改良して現在に至るという。
あれ? でも今はサイコロ状じゃなくて円柱ですけど、これはどういう心境の変化が……?
古里さん サイコロ状に加工するのに、板状に固めた固形燃料を切り分けていたんです。ただ、燃料を型に流し込んで固めるときにアルコール分がたくさん蒸発するので、近隣から苦情が来たんですね。なので「パイプの中に燃料を流し込んで固める」という製法を考えたと聞いています。
燃料をパイプで固めれば、蒸発でロスするアルコール分も最小限になるし、端っこを切れば金太郎アメみたいに円柱状の固形燃料がどんどんできる。サイズを変えるのも簡単だ。形にも歴史があるんですね。
こうして固形燃料が世の中に広まり……と、幕を引くのはまだ早い。
固形燃料を燃やして調理をするには、ちょうどいいサイズの鍋も必要になる。100人の宴会をするなら100個必要だ。そんな鍋、いったどこにあったのか。
実は鍋もコンロも、ニイタカが作ったのである。
古里さん 当初はもともと旅館にあった鍋が使われたんですが、鍋底と火が近すぎたり、空気が入りにくかったりして、不完全燃焼がよく起きたんですね。不完全燃焼になると目が痛くなる成分が発生して、苦情になってしまって。
さぁこれからご飯だ!というときに、目が痛くなってはせっかくの旅気分も台無しである。空気が悪くなってしまう。不完全燃焼だけに。
そこで「うちが鍋を作るしかない」とニイタカは立ち上がる。それまで鍋と言えば鉄製がメインだったが、「重い鉄鍋を仲居さんが運ぶのは大変」ということで、新たにアルミ製の一人用鍋を開発した。
荒木さん 料理長からの「こんなメニューにしたいんだけど何かない?」というリクエストに応えられるよう、商品開発を続けてきました。釜飯だったり焼き網だったり、レシピも含めて作ってきましたね。
「火が消えたら料理が完成って、ちょうど良くできるものだなぁ」と思っていたけど、そんな呑気な話じゃないのだ。
鍋もレシピも固形燃料も、まるごとプロデュースしていたのだ。そりゃぁちょうど良くできるわけである。
こうして順調に固形燃料の売上は伸び、90年代までは右肩上がり。
ところが2000年に入ると、あまりに普及しすぎて「当たり前のもの」になり、売上が落ち着いてきた。いわゆるコモディティ化である。
さらに団体旅行から個人旅行へと、旅行の形も変化。そうなると宴会だけでは数量が稼げないので、外食チェーンにも販路を広げてきたが……今度は新型コロナウイルスの感染が拡大。
ステイホームで、外食も旅行も全然できなくなりましたもんね……。
古里さん 大打撃でしたね。旅館にお客さんが来ないから、燃料を燃やすこともなくて。ある月は固形燃料の売上が、通常の10分の1以下まで落ち込みました。
大ピンチである。いったいその難局をどうやって……と思ったら、古里さんは「たまたま当社は洗剤メーカーでもありまして……」と、ある1点を指差した。
そうなのだ。そもそもニイタカの主力事業は業務用洗剤である。もともと、消毒用アルコールもそのラインナップにあったのだ……!
古里さん 出荷量が3倍4倍にもなって、生産が追いつかないほどでしたね。もし固形燃料だけの会社だったら、私も荒木も今ここにはいないと思います(笑)。
コロナ禍を経て、固形燃料の売上も徐々に回復してきたそう。最近では家庭用着火剤の新製品も売り出した。
まだまだ、固形燃料の火が消えることはなさそうですね。
荒木さん 国内に比べるとまだまだ少ないですが、東南アジアに輸出もしています。アジアには鍋文化があるので、定着すればいいなと。
古里さん 今でこそニイタカは洗剤が主力事業ですが、そもそも固形燃料の売上が安定したことで、洗剤が赤字経営から脱却できたんです。洗剤だけでは、絶対にここまで来れませんでしたね。
固形燃料について話を聞きに行ったら、鍋もコンロも料理もひっくるめた歴史をうかがうことができた。
固形燃料がチロチロ燃えることで、旅館の夕食にバリエーションが出て、さらに旅に風情を感じられる……。
そう考えると固形燃料は、もはや旅のひとつの文化を作ったことになるんじゃないだろうか、と思うのだった。
取材協力:株式会社ニイタカ
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