
風呂場での攻防



私 「そういうわけで、僕が真っ当なトイレライフを送れるようになるまでの話を教えてほしい」
母 「いいけど……あんたはほんと自由だったよ」
今でこそ粗相は年に数回程度となった私だが、あの頃の自分はかなりのフリースタイル派だったようだ。



私 「風呂? 体を洗ってると出しちゃうってこと?」
母 「 それならまだいいけど、あんたはいつも湯船の中でなのよ」
私 「……まあ、気持ちよくってたまには出ちゃったのかもね」
母 「 いや、いっつもなのよ。いっつも!」



母 「 入れるたびだった。最初のうちは散らされた」
私 「……」
母 「水面全体に浮いて広がるのよ」
私 「………」
母 「 おじいちゃんちではやめてほしかった」
私 「…………」
母 「おじいちゃん、すごい怒ってた」
私 「でも、沈むよりはいいよね」



私 「 やっぱり、あったまって自然とリリースされちゃうというか」
母 「 いや、あれは明らかにふんばってたね」
私 「わかるの?」
母 「 わかる。湯船に入れてるとき、おしりに手を当ててたから。力が入るとわかる」



母 「 だから力を感じたら、パッと出すのよ、湯船から」
私 「すごい緊張感だね」
入浴と言うよりは、サッと湯通し。しゃぶしゃぶ感覚ではあるが、タイミングを誤ったときの被害は大きい。





私 「 じゃあ、事故は起きなくなったんだ」
母 「 いや、それでもわかんなくて出ちゃうこともあった」
釣りの名人でも、魚を逃すことはある。そういう感じだろうか。



母 「 だんだん見極めがうまくなっていったけど、1歳ではもうあんたも出さなくなった」
私 「 おお、早いような気がする…けど、そういう認識で合ってるのかな」
母 「 1年間、お風呂で気を抜けなかったらそのくらいにしてくれてほんとよかった」
「俺がするべき場所はここじゃない」と自覚する1歳。かっこいいじゃないか。
私 「 ただ、弟が生まれてまた同じことがあったわけでしょ?」
母 「 まあちゃん(弟)は全くそんなことはなかった」



母 「 でも、おむつが取れるのは早い方だったかな。1歳3ヶ月くらいで卒業してた」
私 「やりたい放題やった反動かな」
母 「 おまるに座る練習させたりしたけど、その辺はほんと苦労なかった」
小さい頃にやんちゃした分、そのあとの「やっぱ迷惑かけちゃいけないな」という自覚が育ったのだと思う。風呂場で大騒ぎする大人たちを見て、「俺のせいだ…」と感じるものがあったのだろう。

おむつを境に出口が変わった
私 「吐く? 食べたものを?」
母 「 そう。週1以上のペースで吐いてた」
下から出なくなったと思ったら、上から出るようになったのだ。親としては気の休まるひまがない。



母 「 たぶん食べ過ぎなのよ。寝てからも吐いてた」
私 「 それで夜中に目が覚めて、騒ぎ出したらたまったもんじゃないね」
母 「 いや、あんたはそのまま寝てるのよ。くさくて私たちが起きちゃう」



その頃は自分でもどれだけ食べたらよいのかわからなかったらしく、気の済むまで食べてしまっていたらしい。そしてリバース。食事を作った母のむなしさもすごいだろう。
母 「 食べてすぐのときと、しばらくしてからのときとがあって、タイミングが読めないのよ」
私 「 おむつは取れたのに、またかと思った?」
母 「吐く用のおむつはないからね」
吐く用のおむつはない。格言めいたフレーズに、対応の難しさが読み取れる。



母 「 まあ、幼稚園行くころには吐かなくなってたかな」
私 「 ただ、弟が小さかったからまた同じことがあったわけでしょ?」
母 「 まあちゃん(弟)は全くそんなことはなかった」
湯船でのリリースと同じパターンだ。弟よ、少しは迷惑かけてくれ。兄の立場としてせつないではないか。わざとでもいいから吐いてくれ。

沈黙の脱臼
私 「 自分でもうるさい子供だった記憶があるけど、そうなの?」
母 「 どうしたのかな…と思ってよく見ると、腕がぶらんってなってて。骨が外れてるのよ」
静かになったと思ったらまた別の問題が発生。脱臼だ。ただ、脱臼って結構激しい運動で起きることだと思う。どうして外れてしまうんだろう。



私 「そのくらいで?」
母 「 私も何が起きたかわかんなかったわよ」
どうやら脱臼はくせになるらしく、この先ときどき骨を外すようになった私。そして、外れたら急におとなしくなっていたらしい。
母 「 なんだかやけに静かだなと思って『腕痛いの?』と聞くと、コクッとうなずいて。またか~!と思うんだよね」
私 「 おっぱい飲まなくなってからも外れてたの?」
母 「 そう。体を動かすようになって増えたかも。さっきまで腕広げてグルグル回ってたと思ったのに、静かになったらまずい」



母 「 まあ、これも幼稚園行くころにはなくなってたかな」
私 「 ただ、弟が小さかったからまた同じことがあったわけでしょ?」
母 「 まあちゃん(弟)は全くそんなことはなかった」
この流れは学習した。もらさないし、吐かないし、脱臼しない。弟はなんて立派な人間なんだろう。



帰宅してからちょっと回ってみたが、今の自分はもう脱臼しない。人間は成長できるのだ。










細かいことには囚われなかったあの頃。細かいことに囚われて、人は大人になると言ってもいい。
今の私は、もらしたり吐いたりはしない。時には羽目を外すことはあっても、骨は外さない。ただ、実際に回ってみて「もしかしたら外れるかな…」とドキドキしたこの感覚は、ずっと忘れたくはないとも思う。
