特集 2016年10月3日

俺たちのトイレトレーニング

あんまりがんばり過ぎないようにな
あんまりがんばり過ぎないようにな
誰にでもあった赤ちゃん時代。そこには、人間社会のルールを身につける以前の自由な僕たちがいる。
自由人を気取ってたあの頃から、少しずつ社会性を身につけて僕らは大人になる。例えばトイレのルールがそうだ。

漢字や九九を覚えた過程ならまだ記憶がある。それに対して、トイレのルールをどう身につけていったかは覚えていないものだろう。

自分はどうやってトイレ社会人になっていったのか。自分の歴史を紐解いてみたい。
1973年東京生まれ。今は埼玉県暮らし。写真は勝手にキャベツ太郎になったときのもので、こういう髪型というわけではなく、脳がむき出しになってるわけでもありません。→「俺がキャベツ太郎だ!」

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風呂場での攻防

自分史に向き合うべくやってきたのは実家。自分の記憶がないのだから、その現実に直面した人物に当たるしか方法がない。
母「あんたにはね、ほんとやられたよ」
母「あんたにはね、ほんとやられたよ」
それはもちろん、両親ということになる。話を聞きたい旨を伝えると「ああ? ああ…うん…」と、いぶかしがりながらも一応の了承。どんなアクシデントも、小さい頃のことなら笑い話。当人が言うことではない気がするが、明るい気持ちで向き合いたい。

私 「そういうわけで、僕が真っ当なトイレライフを送れるようになるまでの話を教えてほしい」
母 「いいけど……あんたはほんと自由だったよ」


今でこそ粗相は年に数回程度となった私だが、あの頃の自分はかなりのフリースタイル派だったようだ。
アルバムで自分を振り返りながら
アルバムで自分を振り返りながら
母 「赤ちゃんだからもらしちゃうのは、まあいいのよ。ただ、お風呂では勘弁してほしかった」
私 「風呂? 体を洗ってると出しちゃうってこと?」
母 「 それならまだいいけど、あんたはいつも湯船の中でなのよ」
私 「……まあ、気持ちよくってたまには出ちゃったのかもね」
母 「 いや、いっつもなのよ。いっつも!」
湯船でやっちゃってたワイルドな自分
湯船でやっちゃってたワイルドな自分
「いっつも!」と言う母の語調が強くなってきた。私の暴挙がリアルな記憶として蘇っているらしい。

母 「 入れるたびだった。最初のうちは散らされた」
私 「……」
母 「水面全体に浮いて広がるのよ」
私 「………」
母 「 おじいちゃんちではやめてほしかった」
私 「…………」
母 「おじいちゃん、すごい怒ってた」
私 「でも、沈むよりはいいよね」
そういうことをしそうな顔をしている
そういうことをしそうな顔をしている
いつも優しかった祖父も激怒の狼藉。へこんだピンポン球をお湯につけると戻ることを思い出したが、関係ないようにも思う。

私 「 やっぱり、あったまって自然とリリースされちゃうというか」
母 「 いや、あれは明らかにふんばってたね」
私 「わかるの?」
母 「 わかる。湯船に入れてるとき、おしりに手を当ててたから。力が入るとわかる」
「こうやって、当てとくのよ、手を!」
「こうやって、当てとくのよ、手を!」
気持ちよさにませかて出していたのではなく、故意犯だった私。なぜだかわからないが、入浴がバーストのトリガーだったらしい。

母 「 だから力を感じたら、パッと出すのよ、湯船から」
私 「すごい緊張感だね」


入浴と言うよりは、サッと湯通し。しゃぶしゃぶ感覚ではあるが、タイミングを誤ったときの被害は大きい。
「手はこうかな?」
「手はこうかな?」
「そう、そんな感じ」
「そう、そんな感じ」
母 「 だんだんタイミングがわかるようになっていくのよ」
私 「 じゃあ、事故は起きなくなったんだ」
母 「 いや、それでもわかんなくて出ちゃうこともあった」


釣りの名人でも、魚を逃すことはある。そういう感じだろうか。
このビジュアルで駆け引きしてくる
このビジュアルで駆け引きしてくる
排泄はトイレでしなくちゃいけないなんて後付けのルールを知らなかった自分。ちゃんと言ってよ。きっと言ってただろうけど。

母 「 だんだん見極めがうまくなっていったけど、1歳ではもうあんたも出さなくなった」
私 「 おお、早いような気がする…けど、そういう認識で合ってるのかな」
母 「 1年間、お風呂で気を抜けなかったらそのくらいにしてくれてほんとよかった」


「俺がするべき場所はここじゃない」と自覚する1歳。かっこいいじゃないか。

私 「 ただ、弟が生まれてまた同じことがあったわけでしょ?」
母 「 まあちゃん(弟)は全くそんなことはなかった」
見本にならない兄
見本にならない兄
2歳差の弟は私の様子を見ていたわけでもないのに、バーストすることなく安定。リラックス派の私とは対照的だ。「俺たちのトイレトレーニング」という題名にしてしまったが、俺特有の問題だった。

母 「 でも、おむつが取れるのは早い方だったかな。1歳3ヶ月くらいで卒業してた」
私 「やりたい放題やった反動かな」
母 「 おまるに座る練習させたりしたけど、その辺はほんと苦労なかった」


小さい頃にやんちゃした分、そのあとの「やっぱ迷惑かけちゃいけないな」という自覚が育ったのだと思う。風呂場で大騒ぎする大人たちを見て、「俺のせいだ…」と感じるものがあったのだろう。

おむつを境に出口が変わった

母 「 おむつ卒業はいいけど、それと合わせてなんかよく吐くようになったのよね」
私 「吐く? 食べたものを?」
母 「 そう。週1以上のペースで吐いてた」


下から出なくなったと思ったら、上から出るようになったのだ。親としては気の休まるひまがない。
「おむつ取れて吐く、と…」
「おむつ取れて吐く、と…」
脱おむつの反動なのだろうか。下から自由に出しちゃいけないのはわかった。ならば上からだ! そういうスタイルの反抗期なのだろうか。

母 「 たぶん食べ過ぎなのよ。寝てからも吐いてた」
私 「 それで夜中に目が覚めて、騒ぎ出したらたまったもんじゃないね」
母 「 いや、あんたはそのまま寝てるのよ。くさくて私たちが起きちゃう」
たぶんこのあと吐いた
たぶんこのあと吐いた
ひどい。迷惑を撒き散らしてるだけだ。

その頃は自分でもどれだけ食べたらよいのかわからなかったらしく、気の済むまで食べてしまっていたらしい。そしてリバース。食事を作った母のむなしさもすごいだろう。

母 「 食べてすぐのときと、しばらくしてからのときとがあって、タイミングが読めないのよ」
私 「 おむつは取れたのに、またかと思った?」
母 「吐く用のおむつはないからね」


吐く用のおむつはない。格言めいたフレーズに、対応の難しさが読み取れる。
たぶんこのあとも脈絡なく吐いた
たぶんこのあとも脈絡なく吐いた
外食に行っても構わず吐いてたらしいから、本当にたまったものではないと思う。

母 「 まあ、幼稚園行くころには吐かなくなってたかな」
私 「 ただ、弟が小さかったからまた同じことがあったわけでしょ?」
母 「 まあちゃん(弟)は全くそんなことはなかった」


湯船でのリリースと同じパターンだ。弟よ、少しは迷惑かけてくれ。兄の立場としてせつないではないか。わざとでもいいから吐いてくれ。

沈黙の脱臼

母 「 いつもにぎやかなあんただったけど、急に静かになるときがあるのよ」
私 「 自分でもうるさい子供だった記憶があるけど、そうなの?」
母 「 どうしたのかな…と思ってよく見ると、腕がぶらんってなってて。骨が外れてるのよ」


静かになったと思ったらまた別の問題が発生。脱臼だ。ただ、脱臼って結構激しい運動で起きることだと思う。どうして外れてしまうんだろう。
吐く&脱臼の波状攻撃をしてた頃
吐く&脱臼の波状攻撃をしてた頃
母 「 最初の脱臼は、おっぱいを飲ませてて体の向きをちょっと変えたら外れたとき」
私 「そのくらいで?」
母 「 私も何が起きたかわかんなかったわよ」


どうやら脱臼はくせになるらしく、この先ときどき骨を外すようになった私。そして、外れたら急におとなしくなっていたらしい。

母 「 なんだかやけに静かだなと思って『腕痛いの?』と聞くと、コクッとうなずいて。またか~!と思うんだよね」
私 「 おっぱい飲まなくなってからも外れてたの?」
母 「 そう。体を動かすようになって増えたかも。さっきまで腕広げてグルグル回ってたと思ったのに、静かになったらまずい」
父「あれにはウケた」
父「あれにはウケた」
グルグル回って脱臼、そして訪れる静寂。そしてその出来事は学習されることなく、治ったらまたグルグル回って外していたらしい。

母 「 まあ、これも幼稚園行くころにはなくなってたかな」
私 「 ただ、弟が小さかったからまた同じことがあったわけでしょ?」
母 「 まあちゃん(弟)は全くそんなことはなかった」


この流れは学習した。もらさないし、吐かないし、脱臼しない。弟はなんて立派な人間なんだろう。
骨が外れないか心配
骨が外れないか心配
遠心力を体いっぱいに受け止めては脱臼していたあの頃。ずいぶんあとになってから遠心力という言葉を知って、「……あれのことか!」と驚いた覚えがある。

帰宅してからちょっと回ってみたが、今の自分はもう脱臼しない。人間は成長できるのだ。

子供のフリーダムに憧れる
子供のフリーダムに憧れる
改めて考えればわかることだが、そこがトイレかどうかの違いだけで、結局のところ今でも僕らはもらしてる。本質的な部分は赤ちゃんの頃から変わっていないのだ。

細かいことには囚われなかったあの頃。細かいことに囚われて、人は大人になると言ってもいい。

今の私は、もらしたり吐いたりはしない。時には羽目を外すことはあっても、骨は外さない。ただ、実際に回ってみて「もしかしたら外れるかな…」とドキドキしたこの感覚は、ずっと忘れたくはないとも思う。
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