大阪で一番年よりの文学青年が…?? 路地に入れという青空書房
「大阪で一番年よりの文学青年」の店
大阪でイベントがあった(ショートショートフィルムフェスティバルという短編映画祭にぼくらのプープーテレビが出たのだ)。
本番まで時間があったのでたこ焼きでも食おうと音響の池田くんをさそって天五の商店街にむかった。うまい屋のたこ焼きはソースなしでもうまいのだ。
天満の駅からぶらぶら歩いていると看板が目についた。大阪で一番年よりの文学青年がやってる古書店だそうだ。行き先は路地を指している。
あの店なんだったんだろう。ビールを飲んでちょっといい気分でいたぼくは「池田くん、ちょっと取材してみよか」と冷やかし気分で行ってみることにした。
青空書房は路地にある家だった
メモだらけの入り口
路地に入ると家がならんでいる。その中の一件が青空書房だった。入り口には絵手紙のような味わい深そうな文がこれでもかと貼り付けられている。みつを的な詩だろうか。
「ばんめしかいにいってきます」
メモだった。味わい深さを前面に出してきたメモだった。これ大丈夫かな。あかん方向に極まってる人の店なのかもしれないな、と心配になる。
はらへったからめしくいにゆく…ばんめしかいに行ってます…??
外出時に貼っておくメモだろうか、なぜとっておいてあるのだろうか
奥ではおじいさんが本に作業をしている
はたして店なのかここは
メモと人生訓のようなものが呪符のように貼り付けられた入り口をくぐると、長屋に本がぎっしり詰められている。
奥にはおじいさんがいて何か書いている。さらに奥にはうすぐらい寝室が見える。あっ、生活感。どころではないな、家だここは。
並んでいる本は特におかしくないが、たまにラノベらしきタイトルもまぎれている。近くの人が持ち込んだのかな。
ここは店なのか、それともただの本好きのおじいさんの家なのか。あの~、ちょっと話をきかせてもらえませんか?
店主のさかもとけんいちさん。インターネットのこういうサイトなんですが…「みんなが自由に見られるものやったらいいですよ」
やさしいおじいさんだった
恐る恐る奥のおじいさんに取材をお願いすると「みんなが見られるものやったらいいですよ」と受けてくれた。
「古書店のなかではわたし大阪で一番高齢だと思うんです。92。東京でもおらんと思うね。現役では」
そう語る店主のさかもとけんいちさん。耳はだいぶ遠くなったというが、ゆっくりとあの字のまんまの声でしゃべる。
「92歳で現役でやってんのはずーっと長いこと貧乏とつきあってるおかげです(笑)もう貧乏の勤続年数は長いんです。きっちり70年」
さかもとさん、大阪の人が言うところの「ようしゅんどるの~」的な、人生のおダシがしゅんしゅんにしみまくってる人だった。
さかもとけんいちさん92歳。おそらく日本で一番年よりの古書店主ではないかとご自身は言う。
戦争が終わってメシがない、岩波文庫だけある
「70年前にちょうど戦争が終わって商売できそうなところはどこみても焼け野原(大阪空襲)。ヤミ市という形で焼け野原にテント張って店出しとった。
わたしが戦争から帰ってきたら親が病気してましてね。とにもかくにも食わさないかん、でもわたし持ってんの岩波文庫100冊だけ。赤帯(外国文学)と黄帯(日本古典)と青帯(思想書)。カタイんですけどね。それをなんばの今ある高島屋の前で露天で並べたら、一日で全部売れた」
戦争が終わってみんなメシを求めてるときに、手元にあるのは岩波文庫100冊だけ。冗談みたいな状況だがそれが売れる。
「それはわたしね、日本を復活させた原動力だと思う。そういう読書欲が溢れかえっていた。すっごい勢いでもう即日売れた」
みんな腹も空かしてたが、頭もそうだったのだ。
たべるものもなかったが本はよく売れたという
大阪で最も高い場所でたった1坪の店
「売れてしもたらわたしもう本屋できませんやろ。ところがよくしたもんで、当時ゾッキ本(※特殊な事情で古書店流通する新品本)いいましてね、月遅れの雑誌と、風俗雑誌をおろしてくれる問屋が松屋町にあった。それらを並べて売ったらけっこうよく売れた。
二年後GHQの指令でヤミ市撤去があって困ってるうちに小さい一坪ほどの店と契約できて、これが大阪で一番高い家賃でして(笑)
終戦直後の相場で一坪で七万五千円(※昭和23年の公務員初任給が三千円くらいなので500万円くらい?)。大阪の目抜きのいい場所。もっとも庶民のよく通行する交通の支点です。
『そんな高い家賃払うて』って同業者に笑われましてね。でも家賃を払うたらなんも残らんけど、家賃払えるだけ売れたわけです」
大阪の庶民が一番通った場所で本を売った。一番庶民を見てきた人でもあるのだ
左手にエロ雑誌、右手にプルースト
「サラリーマンがよく通るとこやからよく売れた。かたいっぽ(片方)で風俗誌、かたいっぽでカフカ、サルトル。それがね、同じ速度で売れた。
風俗誌いうんは、いうたらエロ雑誌ですね。すごいのはね、それ買う人とプルーストの失われた時を求めて買う人と同じなんです。左手にエロ雑誌買うて、右手にプルーストの『失われた時を求めて』を買うてくれる」
レンタルビデオ屋でアダルトをゴダールにまぎらわせて借りるのとはわけがちがう。右手にエロ、左手にプルを持ったこの人達は全員真顔なのである(!)
「その微妙なバランスがね……日本の知識層というものをね、伸ばしていったと思うねん。
戦時中は『エロ』のエの字も口にすることはできなかった。戦後ね、民主主義というものがいっぺんに流れ込んで、急に生き生きと、昔でいう風俗壊乱に値いするものがバーっと流れたんや。もう、群がってみんな買ってった。
でもかたっぽにあたらしい文化に対する追求というかね、民主主義とはなんだろうかというかね。
今まで自分たちが教育されてきた一切が否定されて、それまでの自分の人生を全部ペケされて墨でぬりつぶされた。
そういう人たちはもう必死で新しい考え方、自由主義とはなにか個人主義とはなにか民主主義とは何かということにもう、飛びついた」
もう、もう、もう、である。さかもとさんの話に「もう」や「すっごい」や「ブワーッ!と」が頻出するのは巨大な何かを見た人の語り方だ。
うちの祖母は空襲にあったときのことをこんな風に話す。災害と同じくらい大きな何かが戦後の本屋の店先でも見られたのではないか。
店内。持ち込みのみだが仕入れは自分でやるそうだ
「う~ん、民主主義ショック~」(島木ジョージ)
――さかもとさん自身はどうでしたか?
「すごい抵抗感あった。わたしはいわゆる軍国主義のなかで少年時代を送り兵隊にいって戻ってきて、負けたとは言いながらやっぱり大日本帝国といわれたものがまだどっかに残ってる。
それが急にアメリカさんの民主主義やとなっても入らない。理解できない。一種のパニック状態。
そいでね。ほんとにわたし夜学で大学にも行きずっと勉強が好きだった、それだけ今までにね、学んだことが全部否定されるというのはね、自分の人生をわやに(※だめに)されたような気になる。大変な虚脱感、絶望感、無常観、みたいな。ちょっとやけになりましてね。
見るもん聞くもん、腹立つもんばっかり。昨日まで鬼畜米英っていうてたアメリカさんにぶらさがって歩いてギブミーチョコレートいうて追いかけて。女も男も全部そういう状態で許せないと思うたくらい。でもね。はたちそこそこの青年としては当たり前やと思うんです。今になってみたらね」
ぼくも二十歳のときに国が変わって「今までの科学は全部ウソでした、これからは占いです」と言われたらショックで寝込むと思う。なんやねん、占いって……そら自暴自棄にもなるものだ。
軍国少年だったが敗戦で自分の人生をペケされたと。まじめな人なんだなー
人間、メシが食えなくても性欲はある
――知識と性、抑圧されてた二つがうわーっと盛り上がったんですね
「ものが食えないことでほんとに敗戦を実感したわけですよね。でもねえお米が食べられなくても、性欲はある。ぶっちゃけたらねえ、性欲だけは年よりになってもぜったいありますよ」
えっ、えっ、あれ。性欲そうなんですか。
ちょっと待ってください……性欲あるんだ。おじいさんになってもぜんぜんあるんだ。うわー、誰も教えてくれないからなんかあれなんですけど、これ死ぬまでひきずっていかないといけないのか!
ちょっとショックなのでページまたぎます。
性の文化はつづくけど、読書文化はスマホ文化に
ページまたいだところでショックですよ。なんてこった、性欲だけはおじいさんになってもあるのか…
「不思議なことにね。ほんとうに性欲だけある。だから昔もいわゆるそういう商売、水商売、そういう人はわりと生活はできたんですね。
性の文化いうもんはどういう時代になってもずーっとつながっていくね。だけど読書文化いうと、ものすご悲しいことに、今、もう衰亡の一途にある。
風呂行ってね、脱衣箱ですっぱだかになってもね、スマホだけは手放さへんね。風呂上がったら体もふかんとぼたぼたのままスマホ見てる。完全にスマホの奴隷やね」
実はこれ以前にもスマホ文化は危険だ、あまりにも情報が速く入りすぎるという話をさかもとさんはしていた。ぼくはイスの上に置いた取材録音用のスマホが気になっていた。
スマートフォンで取材を録音していたのが気まずい…
実は有名な人だった
「わたしのたったひとつの取り柄はほんまに物心つく時分から本が好きで、ずーっと本を読んできました。今もずっと読んでる。一日文庫2冊ですけど。
古事記なんかの繰り返し読んでる本ともう一冊は時代もんであったり好きなのを。好きな作家をきかれてもこれが困りますね。作家として親交がかなり深いのは筒井康隆。彼が子供のときから知ってる。あと後年ものすごく仲良くなったのは山本一力さん。そこにね、一力さんが帯も最初の文も書いてくれはった本が上に置いてますやろ」
えーっ、さかもとさんの本があるんですか!? 見るとさかもとけんいちさんは作家としても4冊ほど本を出している。あ、この人は有名な人なのか。
参考――さかもとけんいち Amazon著者ページ
あっ「となりの人間国宝」!(関西のテレビ番組)有名な人なのか
筒井康隆が映画を見てたのはここがあったから
「筒井さんも彼が子供のときから知ってる。筒井さんの『不良少年の映画史』という本に私のことかなり長く書いてます。
筒井さんが子供のころ、お父さんの本を盗んでわたしんとこに売りにきてその金でこの付近の映画館に行ったんですね。お父さんの本やというのはあとで分かったんですけどね。
このイスもね、筒井さんとこから来たイスなんです」
すごい! 筒井氏がここで盗品をさばいてたのか!(自分の家のだけど)
さかもとさんのエッセイを読むとここに座った人は出世をするというご自慢のイスであるようだ。サバンナの八木くん(漫才師)を座らせるかどうか悩んだという記述も本にあった。
そんなイスにはいまだスマホが乗っている。今になって冷や汗が出てきた。
そのご自慢のイスにさかもとさんの敵であるスマホが鎮座…
若い女の子が恋愛相談しにくる
「このイスはね、筒井さんとこから来たイスいいましたやろ。このイスに座る人の80%が女の人。失恋の相談。人づてにきいて来るんですね。多い時は日に二、三人もあるし、けえへんときは何日もそんなことないし」
なんですかそれは。女の子が失恋の相談しにここに来るんですか!?
「わたし失恋の達人やから、ぎょうさん失恋してきたから。女房迎え入れるまで、えらいありましたよ。店やってましたやろ、わりとね、むこうの方から言ってくださる方が多かったですね。
だけどやっぱり、あの、失恋もしたし、失恋もしてよかったなあと思うような相手もありましたしね」
出世のイスよ! 筒井康隆のイスよ! いつのまにかさかもとさんのモテ自慢になってるではないか。
若々しいデザインだな~と思ってましたが若い人が作ってくれたとのこと
柳田国男のとなりにライトノベルが置いてあったりするがこれもまさかあの人の家から…!?
このラノベの持ち主は……
「「ここの本はわたしが仕入れてます。今は持ち込みだけでいっぱいでね。売れへんからたまっていく。読書文化はいわゆる世の中の文化からかなり離れましたね。だからまあここは置き去りにされたようなもんですな」
――ライトノベルがちらほらまじってるのはなんですか?
「たまにそういうのあるでしょう。筒井さんがなんかのときに送ってくれてる本ばっかり。悲しいですよ。まっさらなん送ってきてくれても売れんとね」
ここにあるライトノベル、筒井康隆さんから送られてきたものなのか……そう思うと急に価値が。
気づけば写真撮ってた池田くんが買っていた。それただのラノベじゃないよ! 筒井家いっぺん通ってるからな!
絵手紙なのかメモ書きなのか、さまざまな言葉が貼られている
こういう「君」というのは具体的に対象があるんですか?「対象はね……ある!」あるんか~……そりゃけっこうなことですが
最高のぜいたくとはソースごはんだ
――「つつましくもゴージャスに」とかいろいろ言葉が書いてあるのは?
「年いってるからいろんなこと考えるでしょ。寝ようと思ったらね、ホッとね、こういうことでてくる。
これはね、生活は貧しいけど気分だけはものすごぜいたくにって。つまりね、ゴッホなんかのね、すばらしい作家の作品を見て自分はごはんにソースかけて食べる。これがすばらしくゴージャス。わたしごちそう。
ソースはウスターソース。おかずはいりませんな。あったかいごはんに。みんなあんまりやらんでしょうな。わたしだけが好きな味。
それでいて、ゴッホを見たり、モーパッサン読んだりしたらもうゴージャス(笑)」
ソースライス片手にゴッホが最高のぜいたくか。家に帰ってから早速ごはんにウスターソースをかけてみた。意外と成立している。「これぞ洋食!」って味がする。
急に食べたくなってウスターソースかけごはんを食べた。戦後を感じる…
本が好きな92歳
かつての文学少年は戦争に打ちのめされ、文学に救われ、戦後を駆け抜けて92歳の文学青年になった。
「たとえばね、ゲーテやね、モーパッサン。読んでほんっとによかったなあと思うね。ドストエフスキーなんかでもほんまにねえ、ああー、生きててよかったなあと思った。
日本の純文芸作家はわりとそこまではいってないね。もう、ギャーッ!!っと肺腑を握られるいうかね、魂をゆさぶられるそんな作家はまだあんまり出てきてない」
――ちなみに筒井康隆さんは……
「あの人は異色の作家やから、ドキッとしたりびっくりするようなことはあっても、一生左右されるようなそんなことはない」
そんなあ! しかしそれほど若いころに魂ゆさぶられた作品は偉大だということなのだろう。
さかもとさんはギャーッ!と、もう!もう!と、なにか大きなものを見たというように話してくれる。村の長老が神話が語るみたいに。おじいさんに話を聞くっていうのはこういうことかもしれない。でもぼくが年いったときには何を見たと話せばいいんだろうか。
急にでっかくなったラルフローレンのポロのマークとかかな……とりあえず、ごはんにソースをかけてゴッホを見ている。これからよく考えたい。