【おさらい】~玉川上水とは~
玉川上水のことはこんな感じで習った。
・玉川兄弟が私財を使って多摩川から江戸まで引いた
・引くのがむずかしくて何度もくじけたが、頑張って成功した
兄弟の銅像。東京の小学生にはおなじみ。
小学生が地元の偉人として習うのにちょうど良い温度の苦労である。江戸時代版のプロジェクトXだ。
1.そこらで出会う「玉川上水跡地」
ところで、東京をそれなりにうろうろしていると、折りに触れて玉川上水に出くわすことになる。
あ、ここも玉川上水の跡地か。
玉川上水は、今は上水道としてはほぼ実用はされてないが、跡地は緑道公園になって、四谷からはるか西の羽村市までひとつながりに東京を横断しており、地元民の憩いの地となっている。
今日はその正体をたしかめるべく、四谷から西に自転車を走らせた。
かつての終点を示す大きい記念碑。ここから新宿をめざす。
2.新宿のむやみに広い歩道のなぞ
さて僕はつねづね新宿を歩くたびに、西口の文化服装学院の前の歩道はなんでこんなむやみに広いんだろうとずーっと思っていた。
この歩道。車道6車線ぶんぐらいはある。
実はここ、かつての玉川上水の跡地なのだそうである。今でこそ下に地下鉄が通っているが、その前は地下に太い水道管があり、明治時代の東京市をうるおしていたのだ。
かつての水道管と同サイズのモニュメントがある。太い!
なるほど、そういうことだったのか!
思いもかけず長年のもんやりとした疑問が一つ解消し、気分は意気揚々である。すごい玉川上水の旅、いきなり楽しい!
3.橋の手すりにつかえて進めない!
黄色のかばんは、今回の旅の相棒・もりえ君です。
ここからしばらくは長い緑地公園になるのだが、その途中に超かっこいい物体が何十個もあり、なかなか前に進めない。
橋の手すりのあと。
そう、水路を埋めた後も橋の手すりは取り壊さず、モニュメント的にそのまま残っているのである。まさに江戸の粋だ。
もはやただの物体としか言えない橋あと。超かっこいい。
街歩きの中でも「あと地好き」である僕にとって、こんなにも欲望をかき立てられるコースはない。
欲の赴くままに写真を毎回撮っていたら、最初の5kmを進むのに2時間かかり、「このまま行ったら16時間かかっちゃいますよ!」と相棒のもりえ君に怒られた。
しょうがないので未練いっぱいで先へと進む。
4.おどろきの「橋形遊具」
笹塚あたりで初めて水路が見えたりして、やっと川らしくなる玉川上水。
一瞬だけ水が見え、水路であると確かめられた瞬間。
ここから少し進んだあたりの公園で、僕らは衝撃的な遊具を目にする。
ダダーン! 衝撃の橋形ジャングルジム!(的なもの)
わかるだろうか。水路からそのまま水を抜いて造られた公園で、両岸をまたがるように遊具が設置されているのだ。
水はないけど、川底からの景色。
つまりこれはジャングルジムだけど向こう岸まで渡れるという、橋の機能も兼ね備えた、かつてなく斬新な遊具なのである。
すごい。これ設計した人、超分かってる人だ。水路跡ファンの心をわしづかみである。
5.ハトマスクになった三鷹
さて高井戸を過ぎたあたりから急激に水路としての雄々しさを増す。ここから第2区間、水路として実用に供されている区間だ。
水路が突然、うっそうとした森に包まれる。
と思えば無人の野菜直売所。
勝手にお金を入れて持っていくという、地方でもちょっと見ないぐらいのラフな方式だ。目の前に畑も広がる。ここ、本当に吉祥寺の手前なのだろうか。
そして井の頭公園を通り三鷹を過ぎると、去年、ハトマスク姿でストリートビューに写り込むことに成功した場所を通る。
太宰治が入水したことでも有名な三鷹の玉川上水だが、どんな場所だろうとストリートビューで検索するとハトマスクをかぶった謎の集団が並んでいるのである。
地方の文学青年が混乱したりするととても楽しい。
さて後半行ってみよう。
6.1980年の枯葉すくい
玉川上水、そんな歴史的経緯なので、いまでも付近には東京の水道施設がたくさんある。
でかい水タンク。かっこいい
そんな水道の歴史を示す一つの施設が「境水衛所跡」だ。
水衛(すいえい)とは、水の番所です。
この場所では点検作業(水路から枯葉を取り除いたり)を江戸時代から昭和55年まで続けていたそうである。
僕が2歳の頃までそんな原始的な人力作業をやっていたのかと思うと驚く。幼いころ僕が飲んでいた水からも、ここで落ち葉をすくい取る人がいたのだろうか。
1980年に落ち葉すくいしていた人、ありがとう。
7.木がでかい
ていうか玉川上水、この付近の木が異様にでかい。このでかさは根元を見てもらえればわかると思う。
しがみつく。
突き刺さる。
国の史跡として保存されているからか、神社のごとく両岸にもっさもさに生い茂り、ちょっとやそっとではない生命力を感じさせる生え方となっている。
そんな原生林を眺めながら自転車は進む。
8.第2区間、はじまりは滝
第2区間も小平で終点、その始まりはなんと人工滝である。ここまで流れていた水は上流の浄水場で作られた再生水だったのだ。
光をはね散らす源流の滝。
そしてここ小平監視所の手前は、全区間中で唯一、玉川上水に降りることができる親水ゾーンがある。もちろん降りる。
42キロ区間の間、本当にここだけ! 貴重!
タマガワ! タマガワ!
水はぬるい。そりゃそうだ、山から流れてきた水でもなんでもない、きれいになった下水だ。
でもここまでのあいだ7時間、玉川上水と並走してきた僕らにはやっと触れられたこの出会いは感無量である。
9.水喰土公園に水を喰らわせる
第3区間は「玉川上水駅」より上流になる。今でも導水路として現役のゾーンだ。ここでまた急激に川の様子は変わる。
急に護岸整備される。まじめな面持ちの川。
ここの途中に「水喰土公園(みずくらいどこうえん)」という、大仰な名前の公園がある。
玉川兄弟が初めにここを通そうとしたら、水が全部地中に吸い込まれてしまったことによる命名だそうだ。
かっこいい響き。「くらいど」のあたりが外人ぽい。
相棒のもりえ君が「ぼく、どうしても土に水を喰らわせたいです!!」と言い出して聞かないので、付き合うことにした。
じょぼじょぼじょぼ……
マリーゴールドの花壇はよく水を吸い込み、彼は満足げであった。40km自転車を漕いできて、彼も疲れてしまったのかもしれない。ゴールへ急ごう。
10.フィニッシュ、感動の源流へ
気が付けば奥多摩の山並みがもう目の前だ。完全に田舎である。三鷹で畑を見たぐらいで騒いでいたのが懐かしい。
西日を浴びる奥多摩。
あと5kmも漕げば源流のはずだが。日も沈みかけてきた。暮れるまでに間に合うのか。
間に合った。
かなり飛ばしたが間に合った。羽村第2水門、ここが正真正銘の玉川上水の源流地点である。
ここがまさに分岐の瞬間。うまれたての上水。
自転車をこいできたお尻がいい加減痛いが、そんなことも忘れるぐらい嬉しい。
玉川兄弟も僕らを待っていてくれた。
幼少時から何度も見た、あの銅像と初対面!
待たせたな、玉川兄弟!
僕らは玉川上水の全てを見つめて今日ここまで来たんだぜ。ウィー・アー・ザ・タマガワ、マイフレンド!
サンキュー!
高低差の無さがすごい
というわけで、川をさかのぼる形で42キロ自転車を漕いだのだが、そのあいだに坂がほぼ無かったのに感動した。
四谷~羽村間の42km には標高差が100m(1mあたりわずか2.5mm!)しかなかったので、そのわずかな差を玉川兄弟は大事に大事に使って、江戸のみならず周辺地域すべてに使える水道を通したのである。いったい、江戸時代にどうやって測ったんだ。
自転車を漕いでその高低差を体感したいま、その技術の高さにはいっそう感服している。