深海に一番近い町、静岡
その魚は「バラムツ」というある種の深海魚で、魚好きの間では結構有名な存在である。
僕は北風吹く中、日本でも有数のバラムツの生息地である駿河湾を目指し、静岡県へと飛んだ。
静岡、深海魚といえば昨年末にオープンした沼津深海魚水族館。
そのそばの市場ではアオメエソ(メヒカリ)をはじめ
深海魚が平然と売られている。これはエゾイソアイナメ(ドンコ)かな?
深海魚定食なるものまで。
…深海魚が食材として定着している。すごいな静岡。
しかし目当てのバラムツはこの市場でも手に入らない。
先輩の「一人五切れまで」
という言葉からお察しの通り、バラムツは食べすぎると健康にとある害を及ぼす恐れがある。そのため、食品衛生法により市場での取引が禁じられているのだ。どうしても食いたいってんなら…。
てめえで釣るしかないんだぜ!!
幸いなことに駿河湾にはバラムツを釣らせてくれる釣り船があるのだ。
バラムツはとても大きな魚なので、大物を狙う釣り人に人気があるのだそうだ。
そのうえビギナーでも簡単に釣れてしまうらしい。よっしゃ、俺も一発デカいの釣っちゃうよー!
ちなみに釣りの仕掛けは巨大なルアーにサバやサンマの切り身をつけるという一風変わったもの。ルアーのみでも釣れるようだが初心者にはこちらがオススメらしい。
地震、高波…そしてミス。
しかし、この取材を行った日の駿河湾は釣り船の船長も認めるほど最低のコンディションだった。風が強くて波が高く、船上で立っているのもつらいほど。そしてなにより潮が悪くて魚の元気がまったくない。極めつけは当日にやや大きな地震が発生したこと。地震の直後は魚がおびえてエサを食べようとしないらしい…。
しかも夜釣りなので寒い!夜になるとバラムツがエサの小魚やイカを求めて浅場(とは言っても水深200メートル近く)まで浮上してくるので釣りやすいのだ。
それでも船長はやはりプロ。どんなに厳しい状況でもなんとか釣り客に魚を釣らせようと知略を巡らせてガイドしてくれる。
そのおかげでついに同行の伊藤さんにバラムツが掛かった!
相当力が強いらしく、伊藤さんは必死の形相でリールを巻いている。
そういえば事前に「釣りの経験はありますか?」と聞いたところ、「ワカサギ釣りとかなら…」との答えが返ってきたな…。
大きい!1メートルはゆうに超えている。
やった!ついにバラムツとご対面だ!!と思ったその時。
水面で暴れまくるバラムツの口から釣り鈎が外れてしまった。
「あ、あ、あ、あああ。」深海へと帰っていくバラムツに追いすがるような声を出してしまった。
伊藤さんは疲れ切って座り込んでしまった。あんな巨体を水深200メートルから引き上げたのだ。無理もない。
その後も伊藤さんがもう一尾掛けて水面まで引き上げるも、また惜しいところで逃げられた。これは僕のサポートミスによるところが大きかったので、ものすごい自己嫌悪に陥った。
あり得ないトラブル。そして…
同行者に目の前まで魚を連れてきてもらっておきながらキャッチできなかった後悔と申し訳なさ、そして迫る撤収時間への焦り。このときの僕はなかなか追いつめられていた。釣りをしていて、魚が掛かっていないのにあんなに心臓がバクバク鳴っていたのは初めての体験だった。
その時だ。
「あ。」
釣竿、落っことした…。
焦りからか手が滑り、数万円分の釣り具一式を竿ごと駿河湾に放り投げてしまったのだ。馬鹿だ。
船長は「よくあることだから気にすんなよ!ガハハ!」と豪快に笑って励ましてくれた。気持ちは嬉しいが、たとえよくあることでもショックなものはショックだ。
今となっては笑い話だが、この辺りで僕の心は駿河湾よりも深い場所へ沈んでいってしまった。
何か釣れた
「移動するから仕掛け回収してー!」船長の声が響く。
各自仕掛けを回収すると、同船した友人のルアーに小さな魚が引っ掛かっていた。
小さすぎて引き上げてみるまで存在に気付かなかったそうだ。
なんすかそれ。サバか何か?
「あー!それバラムツの子ども!」と船長。マジですか。
赤ちゃんバラムツの貴重な画像。言われてみれば妖しく光る眼なんかは深海魚っぽい。
船長曰く、バラムツは釣れれば1メートルオーバーは当り前で、こんなに小さなバラムツにはめったにお目にかかれないとのこと。ある意味ラッキーな経験ができたようだ。
なんだか拍子抜けな結末だが、これでとりあえずはバラムツをゲットできた。
さしずめ「極トロ」!
港へ帰り、釣り船屋のおかみさんに釣ったバラムツの調理をお願いすることに。
「ええー!こんなにかわいいバラムツ初めて見たー!」とおかみさん。…喜んでいただけて幸いです。
しかしこちらも大勢だ。こんなに小さな魚で足りるだろうか?
そう不安に思っていると…
おかみさん「バラムツなら冷凍でよければうちにもあるけど…。」Oh!Nice!
素晴らしい。気が利くなんてもんじゃない。
お言葉に甘えて冷凍保存されていた切り身を振舞っていただくことにした。釣った赤ちゃんバラムツはお土産に持たせてくれた。
バラムツの刺身
きれいな白身だ。いや、これは白身と呼んでいいのか?
たしかに真っ白だが…。
バラムツの握り
一般的にイメージされる「白身魚」の透明感のある白さではない。牛乳のようにトロリと濁った濃い白だ。
一見するとサメの肉にも似ている。
一緒に出していただいたフグの刺身。透き通っている。うん、白身魚ってこういうのだよな。
ではさっそくいただきます!
やはりここでも「4、5切れまでですよー。」と
とおかみさんに釘を刺された。
そのボーダーラインを越えた先には一体何が待っているというのだ…。
これこれ、この味!やっぱり超うまい!
この魚の食味を一言で表現するなら「濃厚」である。噛みしめるごとに肉汁と脂が染み出す。
バラムツの英名は「オイルフィッシュ」というのだが、食べてみるとそう命名した理由がよくわかる。
「脂のノリ」は魚の身の程度を表す指標の代表だが、これは脂が乗っているなんてもんじゃない。もはや脂に肉が乗っているといった感じだ。
旬のサバやサンマすらも目じゃないほどの脂ノリノリっぷりだ。だがそれでいてしつこくない。生臭さも一切ないし食べやすい。
「あ、これすごくおいしいですねぇっ!」と同行の西村さん。なんていい表情をする人だろう。
かなり特殊な魚であることはわかっていただけたと思うが、強いてその味を他の魚で例えるとするとどうだろう。
脂のノリはマグロのトロに近い。いや、それすらも上回っているかもしれない。さしずめ「極トロ」といったところか。
それだけ脂が乗っているなら身はひどく柔らかいと思われるかもしれないが、それが意外にしっかりしていて、歯ごたえもある。食感はブリに似ているかもしれない。まあ、とりあえずうまいのは確かだ。
このままでは終われない
いやー、小さいながらもバラムツの写真も撮れたし、味見もできたし無事取材終了!よかったよかった!
…とは到底思えない。
巨大になる魚と聞いていながら、その姿を掲載しないというのは、読者にも魚にも失礼ではないか。何より素敵な生き物がいるのにその魅力を伝えられないというのは僕自身が納得できない。
それにここまで来たからには味見程度ではなく、ガッツリとむさぼり食ってその先に待つ悲劇さえも体験しなければ気が済まない。
というわけで数日後、僕はまた駿河湾の上にいた。
そうだよ!納得できないならまた挑戦すればいいんだ!幸いここは国内だし。
ああああ、それにしたってお金のかかる取材だなーちくしょー!来月どうやってしのぐよ…。
しかしこの日も相変わらず駿河湾は絶不調。魚の反応はほとんどない。
終了間際。たまたまこの日同船したベテラン釣り師の中野さんがついにバラムツを掛けた!大物相手でも焦らず、笑いながら余裕でやりとりしているのがかっこいい。
厳しい状況の中、海を知り尽くした船長の指示と釣り師の熟練の腕がついにバラムツを捕らえた!
水面直下での攻防が続く
「ギャフ」という大きな鉤で船に引き上げる。もはやタモ網で掬うとかいう次元じゃないのだ。
前回の挑戦でも水面まで追いつめてから逃げられた。この魚は深海魚なのに浅場でもパワフルなのだ。
市場に揚がっていた深海魚は水揚げ時の水圧差に負けて口から浮き袋が飛び出していた。
バラムツも深海魚なら同じような状態に陥って動けなくなりそうなものだが、そう甘くはない。
なんとバラムツには浮き袋が無いのだ。そのおかげで船際でもマグロのように暴れまわれるらしい。
浮力を得るための浮き袋が無いのに水の中を自在に泳げるというのはどういうことか。その秘密があの脂のノリっぷりにある。バラムツは海水より比重の小さい脂肪を多量に蓄えることで浮力を確保しているのだ。すげー!
一瞬の隙を突いて船長がギャフを掛けた!
でか…。身の丈ほどもあるじゃないか…!
こんなに大きい魚が港から十数分の近海で釣れちゃうのか…。
大物ですね!とはしゃいでいると船長が「うーん、長さはアベレージサイズかな。でも痩せてるし…。」と不満そうに一言。これでアベレージって…。一体どんな大物がいるんだよ、駿河湾!
この顔!この目!この口!この歯!
まさに化け物!!
こんなに不気味で、こんなにかっこいい生き物に出会えるなんて!やっぱり静岡すげえ!
釣り上げた中野さんに身を分けていただきたい旨を伝えると快諾してくれた。「こんなでかいバラムツ、うちだけじゃ食べきれないしね!」とのことだったが、それもそうだな。いろんな意味で…。
帰港後、船上で解体してもらう。
こんなに大きな魚相手に船長が持ってきたのはごくごく普通の包丁だった。
そんな小さい刃物じゃ背骨を切るの大変じゃ…と思ったのだが、意外にも船長はサクサク解体を進める。
後に自分で調理をする際に分かったのだがこの魚、大型魚にしてはずいぶん骨がもろいのだ。深海魚は骨の密度が低いと聞いたことがあったがバラムツもその例に当てはまるようだ。
血と一緒に脂が流れ出す。血より多いくらいだ。
この脂がやっかいで、すぐに流さないと甲板が滑って非常に危ない。まあ、この脂の本当の恐ろしさは後になって思い知ることになるのだが…。
尻から油が!?
結局、ありがたいことに捌いた身の大半は僕が譲り受けてしまった。ここでもやはり「くれぐれも食べすぎないように」
との忠告を受けた。
だが今回はそのありがたいお言葉をあえて無視することにする。
禁断のバラムツづくし。我ながらけっこうおいしそうに料理できたと思うが、食事中の方はこれ以降は読まない方がいいと思います。
そろそろ明かすが、実はバラムツの脂は人間には消化できないものなのだ。そのため、あまりにたくさん食べると人によってはお腹を壊したりする危険があるそうだ。そんなわけで販売が禁止されているのである。
しかし、恐ろしいのはそれだけでない。腹痛などの異常が出るほど大量には食べなくても、消化できなかった油脂がお尻から流れ出す
という、体の健康ではなく食べた人間の尊厳そのものをぶっ壊す現象が起きるのだ。
そんな危険があるのに、釣り人の中には紙おむつをはいてまで食べる人がいるという。確かにその気持ちがわかってしまうほどこの魚はおいしいのだ。
うーん、おむつか…
おむつといえばちょうど先日、両親から「懐かしい写真が出て来たよ」とこんな写真を渡された。
僕がまだ1歳の頃の写真だ。虫の本など読んでいる。残念なことにこの頃から精神面の成長は見られないようだ。
父上、母上。あなたの息子はこんな大人に育ってしまいましたよ。
やはり残念なことに精神面の成長は見られないようだ。
何だろう。両親と、それから昔の自分に詫びたくなってきた。
いい年して今昔の紙おむつ姿をインターネットを通じて世界中に公開する。
もうこの時点で人としてのたいがいの尊厳は失ったとみてもいいのだが、今回はさらなる低みを目指す。
自己責任でガッツリ食います。
よし、腹は決まった。ガンガン食うぜ!
まずは刺身から。
前述の通り掛け値なしにうまい。バラムツを試す機会があったらぜひ口してほしい一品だ。
ただし脂が乗りすぎているためびっくりするほどわさびが効きにくい。大量のわさびを消費しつつ、ペロリと20枚を完食。
バラムツアボカド丼。
アボカドとバラムツをさいの目に切ってわさび醤油であえ、白米に乗せたもの。
脂の乗った刺身用サーモンやマグロのトロで作るとおいしいのでバラムツでもイケるだろうと思って作ったのだが、やはり美味だった。アボカドとバラムツの脂肪が調和しつつ濃厚な味わいを紡いでいる。ただし尋常じゃなく胃はもたれる。刺身にすると10枚分くらいの身を使用。
スタンダードに焼き魚に。
最初の挑戦で釣り上げた小さいバラムツは頭を落として焼き魚にした。
身は水っぽくはないがとてもやわらかく、ふわふわした食感だった。味が濃く、ほとんど塩を振らなくてもおいしく食べられた。
ただ、焼いた後のグリルに大量の脂が溜まっていたのにはやや食欲をそがれた。
最後は煮つけ。
焼き魚もすごくやわらかくなったことだし、こんな脂の多い魚は煮たら崩れちゃうんじゃないかと不安に思っていたのだが、意外にも肉は固く、しっかりとしていた。刺身や焼き魚からは想像できない食感だ。噛みしめると肉から脂がにじみ出ておいしい。
煮るとトゲトゲの鱗が逆立った。
バラムツという名前はこの鱗を薔薇の棘に見立てて名づけられたものだそうだ。
写真を撮る際に素手で持ち上げたところ、この鱗にやられて手のひらがズタズタになった。
でもそういうデンジャラスなところもいいよね…。
さて、無事にすべての料理をたいらげたが、特に体に異変は見られない。
強いて言うなら胃がもたれたくらいか。
その晩はおむつを履き、ベッドにバスタオルを何重にも敷くという厳戒態勢で眠ったのだが、起床時もやはり問題はなかった。
なんだ。全然平気じゃないか。噂の割にたいしたことないな!
が、昼になって臀部に違和感が。
写っていない下半身は大変なことになっています。
…出てますね。なんか透明な油が…。
おむつ履いてて本当によかった!しかしこんなにも予兆がないものなのか!?
「便意を覚えたらトイレに駆け込めばいいだろう」くらいに思って構えていたのだが、そんなものは無かった。無意識のうちに、いつのまにかお尻が濡れていたのだ。
イメージ画像。とても写真を掲載できるようなものではないので差し替え用にぴったりの画を漁り出した。こんなどうしようもない写真が役に立つ日が来るのだから人生はわからないものだ。
この日は休日だったからよかったものの、自宅以外でこの惨劇を迎えていたらと想像すると恐ろしい…。尊厳と同時になけなしの社会的地位まで失っていただろう。
もう怖くてこの日はずっと家に引きこもっていた。
絶対真似しないでください
バラムツについて調べてみたところ、あるお笑い芸人の方も過去にテレビ番組の企画でこの魚を食べさせられていたらしい(観たかった…)。きっとその方もお尻が残念なことになったのだろう。
お尻がどうこうならまだいいが、仮にも流通が禁止されるような魚である。食べる量や体質によっては健康に重大な害を及ぼす可能性もあるのだ。
食べる機会に恵まれたら自己責任で試してみるのもいいかもしれないが絶対に味見程度にとどめておこう。ごちそうは食べ足りないくらいがちょうどいい。
その向こう側にどんな惨状が待っているかは芸人さんや僕が示しているのだから…。
※バラムツを釣ってみたい方には今回船を出していただいたこちらの釣り船屋さんがオススメ。どちらも腕は確か!
清水港 第三大黒丸
http://sea.ap.teacup.com/daikokumaru/
清水港 大宝丸
http://daihoumaru.jugem.jp/
やはり駿河湾で獲れるアブラソコムツ(上の二匹)というマグロのゾンビみたいな魚もたくさん食べると同様の現象が起こる。よし、今度はこいつを狙おう!