ふだん来ないタイプのお寿司屋さんです
やってきたのは「すし屋の野八」。浅草で2代続く江戸前寿司のお店だ。来るのは初めてだが、わりといいお値段の寿司屋さんである(食べログで調べた)。
池野さん。顔が職人さんだ
疑問に答えてくれるのは職人の池野弘礼さん。池野さんは以前に当サイトの企画にも協力してくれた(
一貫一万円の寿司)優しい方なのだが、目の当たりにすると職人としての静かな迫力がある。ちゃんとした人だが、変な質問をしてしまっていいのだろうか。するけど。
お店のお座敷でインタビューさせてもらう
斎藤「お寿司屋さんって、すごくこだわってお寿司を作るわけじゃないですか。でも最後の醤油をつけるところ、あれをお客がすることになりますよね? 味噌汁だったら味噌の量を素人が決めるようなものだと思うんですよ。そのことについて寿司屋さんはどう考えていますか?」
池野「なるほど……。まずですね、うちではカウンターで食べるお客さんにはハケで醤油を塗るようにしています」
ハケで醤油を塗られた寿司(記事の後半に詳しく出てきます)
斎藤「あ、そうか。そういうやり方もありますね」
池野「その方がおいしいですよね。ですが、お座敷で食べる方には塗りません。どの寿司から食べるかわからないし、時間が経つと醤油がシャリにしみて、おいしくなくなっちゃう。なのでお客さんに醤油をつけてもらいます」
斎藤「そこはしょうがないってことか……」
池野「日本人ならそうそうつけすぎるってことはないですね。ただ、外国人のお客さんには醤油の付け方を注意することがありますね。焼き肉のタレみたいな感覚で、べったり醤油をつけちゃうんです。ただ、それはその時に言えばいいことですよね」
つまりこういうことだ。
なんというか、当たり前といえばごくごく当たり前の回答……。
そもそも、だ。僕は醤油をハケで塗ってくれるような寿司屋さんに今まで行ったことがない。体験が欠如したために出てきた愚問であった。
メインで聞きたいことは聞いてしまったのだが、せっかくなのでお寿司屋さんに聞きたいことをなんでも聞いてみよう。なにしろ取材時に「失礼な質問をさせていただきます」と予告してあるのだ。
紙に書いて読み上げると失礼な質問でも臆せずできる
斎藤「職人さんってお寿司を常時食べられる環境にいますよね。我慢しているのが信じられないのですが、こっそり食べたりしますか?」
池野「味見はしますね。同じ魚でも個体差があるので。脂のノリや、身の固さなど、違うんですよ。だから、味見は絶対に必要なことです。ただ……。その時に“つまみ食い欲”も同時に満たしているかもしれません」
“つまみ食い欲“なんて言葉が出てきた。寿司職人にもやっぱりあるのだ。最高の職場じゃないか……。
斎藤「食べるんですね。ということは、逆に“もうお魚食べたくないな”“お魚飽きたな”なんて思うことってないんですかね?」
池野「ああ、そういのってあんまりないですね。逆にフレンチ料理に行きたくなくなります。お刺身食べたいなって思っちゃうんです」
斎藤「おお、それはどうしてですか? 寿司職人になると嗜好が変わるんですか?」
池野「フレンチ料理がわからないからなんですよ。これは職業上のクセだと思うんですが僕は食事を漠然と食べるということがあまりないんです。常に考えながら食べています」
「食事を漠然と食べることがない」に驚く。僕は漠然以外の食べ方を知らない……
池野「その上で、フレンチの新しい調理方法を使った料理が出てくるとわからなくなっちゃう。真空調理法とかCAS冷凍とか、今すごいのがたくさん出てきているんですね。もう全然わからない」
斎藤「考えて食べているから、わかんないのが出てくると疲れちゃうんですね……。そういうこと考えたことなかった……」
だいぶレベルが高い悩みである。ちなみに僕は本業が指圧師だ。僕が施術されるとして、自分がわからない手技を使われたら、いやだろうか。そんなこともない気がする。池野さんが相当勉強熱心ということなのかもしれない。
斎藤「この際だから聞いておきたいんですが、寿司ってどう注文すればよいのでしょうか? なんか恐くて……」
池野「寿司は好きに食べるのが一番おいしいですよ」
恐い対象に面と向かって「恐い」と言えるのはインタビューならではないか
斎藤「そうはいいますが、それが難しいんですよ。例えば寿司屋に入りますよね? 最初はお酒を飲んで、お刺身を食べますよね? でもせっかく寿司屋に来たんだから、寿司を食べたいという気持ちがあります。おつまみをいっぱい食べたら、後半のお寿司がお腹いっぱいになって入らなくなることがありました」
池野「最初にお寿司を食べて、その後にお刺身を食べる方もいらっしゃいますよ」
斎藤「えっ! 寿司から刺身に戻っていいんですか!」
池野「もちろん、いいんです。最近だと巻物を最初に食べる方も多いですね」
斎藤「なんとなくそういうの、ダサいと思ってました……」
自由でいいと何度も言ってくれる池野さん
池野「自由でいいと思うんですよね。たとえば寿司を『大きく握ってほしい』とか『小さく握ってほしい』とか思いませんか? 実際にそういうことは言われますし、応じますよ」
斎藤「『大きく握ってくれ』はダサいし『小さく握ってくれ』はカッコつけてるみたいな感じがしちゃうなあ」
池野「全然そんなことないです。言ってもらった方が僕らもやりやすいですよ。もっと自由でいいですよ」
斎藤「いや。そうはいってもなあ。言いたいこと寿司屋で言えないですよ」
池野「自由に振る舞うにはある程度の慣れが必要で、そのためには行きつけのお店を作るのが一番良いんですよ」
斎藤「行きつけの寿司屋か……。恐いんですよね、寿司屋って」
斎藤「たとえば、値段が書いてないお店があるじゃないですか。あれが恐い。値段を聞くと教えてくれるものなのですか?」
池野「ああ……。うちも書いてないお店ですね。たまに聞かれることはあります。ただ、なるべくなら値のことは言わないでくれとはお願いしますね」
すし屋の野八も値段は書いていない
斎藤「それって、値段を気にするのは野暮ってことですよね?」
池野「『値段の書いてない寿司屋』を求めている方もお客さんもいるんです。そこで大きな声で値段を言っちゃうと、雰囲気が壊れてしまう」
斎藤「なるほど……。そういうニーズがあるの、想像してなかった……。でも食べたいネタがあって、でも値段が心配なときってあるじゃないですか。あれどうしたらいいのか」
池野「それはですね、その状況を楽しむんですよ」
「楽しむ」というアドバイスにとまどいを隠せない
斎藤「えっ! 楽しむの!?」
池野「『中トロ、いくらだろうね、高いかもね、でもたのんじゃう?』なんて友達同士で言っている瞬間って楽しくないですか?」
斎藤「それは、確かに!」
池野「中トロの値段を考えるのも寿司屋の楽しみですよ。予想と外れても、きっと大変なことにはならないです。大丈夫」
斎藤「値段を考えるの、みっともないと思っていました!」
池野「そんなことないですよ。それに、迷って食べるのをやめるのも、いいものだと思いますよ。心残りができて、また寿司屋に行きたくなりますしね」
値段が書いてないのはシステムとして不便。でもそこから生まれる楽しみというものがある。く~~~粋だ! もう神々の遊びじゃなかろうか。もう少し人間的にレベルアップしないと僕にはムリだな。
斎藤「また失礼なことを聞くんですが、掃除とかの雑用の修行一切省いて、寿司を握る練習だけに集中すれば、1~2か月で覚えられませんか?」
池野「握るだけだったら、そのくらいでできちゃうかもしれません」
なんと、できるのか!
何を聞いてもチャキチャキ答えてくれる。まるで寿司を握るような会話テンポ
池野「ただ、それができても、お寿司屋さんにはなれないですね。仕事をどれだけ大切にできるか。そこを理解しないと付加価値がつきませんから」
斎藤「プロとしてやっていけるかは別問題なんですね……」
池野「そうです。技術だけだと、せいぜいホームパーティーで握り寿司を披露する、くらいのところで終わってしまうと思います」
斎藤「いや。逆に考えると、寿司をがんばって短期間で覚えて、ホームパーティーで披露するのも良いな……。人気者になれる……」
池野「(笑)それはオススメですよ。絶対に盛り上がりますね」
寿司職人に寿司パーティーをオススメされるとはおもわなかった。一回やってみたい。
斎藤「サーモンって池野さん的には邪道ですか?」
池野「サーモンに関しては、養殖臭がすごくて使いたくないんです。産地によってはオイル臭もあって。どうしても僕たちには合わないですね」
サーモンは置いていない
斎藤「へー! 様式の問題じゃなくて、食材のよしあしの問題なんですね」
というか養殖臭って何? あれがサーモン素材本来の匂いなんじゃないのか。
池野「津軽海峡でいいニジマスがとれるんですよね。もちろん養殖臭はない。うまいですよ。あれだったらお客さんに出したいって思います。ただ、実際にうちで常備するってなると話が別で、難しくなっちゃいそうですが……」
斎藤「津軽海峡のニジマスならOKって……。全然予想してなかったです……」
なんでもこれは「海峡サーモン」というブランドになっているそうだ。
それにしても、津軽海峡のニジマスがうまいと言われても全然ピンとこない。これが「物を知らない」ということであろう。一度は食べてみたいもんである。。
斎藤「唐突ですが、寿司を握る夢を見ますか?」
なぜこんな質問をしたのか。マニアは対象を夢に見るらしいのだ。当サイトライターの大山顕さんは理想の団地に出会う夢を見るらしい。同じく井上マサキさんも路線図が夢に出てくるらしいのだが……。
池野「夢の3分2は仕事の夢です。握る夢はそんなに見ませんが、仕込みをしている夢をよく見ますね。その次はお客さんと会話する夢」
見るんだ! 寿司の夢!
この光景が夢に出るの……
斎藤「すごい……。そんなに、仕事の夢を? 疲れませんか?」
池野「いいこともありますよ。夢の中で失敗することがあるんです。そうすると、起きたときも覚えているんで、同じ失敗はしない」
思わず絶句。夢の中で修行しているってことじゃないか。いやホント、寿司職人ハンパない……。
仲良しみたいな写真撮ってもらいました。ぎこちないけど
温泉からの寿司
さて、ここまで話を聞いたらどうしても池野さんのお寿司を食べたくなってくる。当初は食事をしないつもりだったが、がまんできない。
営業時間の都合で1時間後に再度お客として来店して、食べることにした。
蛇骨湯
1時間、どこかで時間をつぶさなくてはいけないな……。と思っていたら浅草の有名な銭湯がすぐ近くにあることに気付く。蛇骨湯だ。ありがたいことに手ぶらセットも完備されている。
浴槽のお湯が焦げ茶色である。ここ、銭湯だけどお湯は温泉だ。入ってみると、インタビューの緊張がどっとお湯に溶けてゆくようで、気持ちいい。
温泉を堪能していると、すぐに予約時間になり、あわてて再度寿司屋に向かう。
う、うまい……
温泉の後のビールになってしまった。うまい。なんか最初の企画とだいぶ変わってきたな。まあいいか。
先ほどインタビューしていた池野さんに握ってもらう
注文したのは「おまかせコース」。あれだけ「自由にするのが一番いい」という話を聞いたのに、自分からいろいろ注文するのは恐い。さっきのインタビューはなんだったんだ。
ヒラメ
最初はヒラメだった。ほうほう白身魚から出るのだな。聞いたとおりハケで醤油が塗ってある。食べてみるとうまい。ちょううまい。白身魚の味を表現する言葉を持っていなくて申し訳ない。
そして気付いたことがある。ふだん、寿司に醤油をつけすぎだ、おれは。
スミイカ
こちらは塩でいただく。うまい。温泉には入らなくてもよかったかもしれないな、と今さら思った。全体的に幸せすぎて、味がよくわかっていない可能性が高い。
イワシ
今年はイワシが豊漁で大変にオススメだという。食べて見るとこれがイワシか? ってくらい脂がのっている。は~~~~~。とため息が出たが、これがいったい何のため息かわからん。
イクラ
世の中にはよいイクラと悪いイクラがある。このイクラはどちらか? 言うまでもない、最高のイクラである。
ちなみに海苔も高いやつだと思う。海苔に関しては以前食べ比べを当サイトでしたことがあるので、味がわかった。
ボラの昆布締め
ボラ。僕としては「大量発生しがちな魚」というイメージしかない。あれを食べて見たいなんて思ったことはないが、食べるとうまい。
ヅケ
ヅケってクタっと柔らかいイメージがあったが、これは違った。キリッと立っているのだ。興奮して池野さんに「キリッとしていますね」言ってみたところ「いろいろなヅケがあるんです」とのこと。
中トロ
今まで僕が食べたことのないタイプの中トロだ。はて、これは一体………?
なんだこれは……? わからない……。うまい……
考えていると池野さんから解説が入った。「血合いぎし」という中トロの中でもうまい部分だそう。まだまだ世の中わからないことだらけである。
車エビ
醤油ではない何かが塗られている。聞いてみると「煮きり醤油」というものだそう。これがエビの味を引き立てる。
一手間加えた調味料で素材の味が引き立つなんて、そんなグルメマンガみたいな話が本当にあるんかいな、と常日頃から思っていたが、ここにあった。
コハダ
読者の皆様は、こいつまさかコースで出てきた寿司の感想を全部書くつもりじゃないだろうな、と思っているかもしれない。そのまさかである。江戸前寿司なんてちゃんと食べたことがなかったし、インタビューの知的好奇心よりも心が揺れ動いてしまうのは仕方のないことだ。
コハダ、締め方がいい感じでちょううまかったです。
ホッキ貝
「何か食べたいネタはありますか?」と聞かれて僕が答えたのがこれ。コリコリしたやつ食べたいな、と思ったのだ。
ところが食べてみると、とても柔らかい。へえ~これがホッキ貝なんですか、こういうの出てくると思わなかったですが、おいしいですね、と脳内の独り言が敬語になってしまう。
アナゴ
甘く柔らかい、ほくほくしていて香りもある。感動したのだが、こうして文章にしてみるいかんせん凡庸になってしまう。しょうがないことです。
タラコのわさび漬け
タラコを辛子で漬けると明太子になる。本品はそのわさび漬けバージョン。当然うまい。
江戸前寿司のおまかせコース、知らない味が次から次へと出てくる。最高にうまくて楽しい。ひょっとしたら、完全な料理なのではあるまいか、寿司……。また来たい……。
記事タイトル大変失礼しました
今日食べたおまかせ寿司のコースは5,000円。ものすごく高い、というほどの値段ではない気がする。なにしろ完全な料理なのだから……。
ところで帰り際に池野さんが「僕たちは格好つけなくちゃいけない仕事なので、自分からは話せないこともあるんです。インタビュー楽しかったです」と言ってくれた。聞きたいことを聞いちゃうの、お互いスッキリしてよい。
取材協力
すしの野八