給食の懐かしさ
4時間目が終わると、給食係は医者が着ているタイプではない白衣を着て、大きな銀色のバケツを取りに行く。クラスに戻ると、クラスメイトがお盆を持って列をなし、お皿を受け取る。それが給食である。
給食です!
大人になると給食を食べる機会がなくなる。当たり前と言えば当たり前だけれど、たまに懐かしくもなる。食べてみたいな、と思うわけだ。しかし、給食は学校でなければ基本的には食べられない。もっと気軽に食べたいのだ。
そこで、
これです!
給食の食器です!
牛丼も給食に
給食の食器を準備した。ネットで普通に買うことができた。銀色の異常に軽い器や、先の割れたスプーンなど、思わず「懐かしい」と唸りたくなりアイテムだ。勉強嫌いの私は給食が学校生活唯一の楽しみだった。
牛丼を買いました!
もちろん食器だけでは給食を食べることができない。ただ食器さえあれば、給食のようにはなるのだ。給食とは食器なのだ。いつもは普通に食べている牛丼だって、給食の食器に盛りつければ、給食なるのだ。
買ってきた、
牛丼を盛りつければ、
はい、給食!
呼び方はいろいろとあると思うけれど、大きなおかずに「牛の部分」を入れて、小さいおかずに「紅生姜」を盛る。そして、なんとなく牛乳を置けば、給食である。食は目で楽しむものでもあるので、これでいいのだ。
懐かしい!
コンビニで給食
給食はご飯の日と、パンの日があった。パンの給食も簡単に再現できる。もちろん難しい料理は必要ない。コンビニなどで売っているもので、簡単に給食の雰囲気は作り出すことができるのだ。
焼きそばパンを、
分解して、
はい、給食です!
焼きそばパンを分解することで、給食になった。体験したことがある。コッペパンに自主的に切れ目を入れて、焼きそばパンにしていた気がする。そして、見た目が給食なせいだろう。味も給食よりな気がしてくる。普通の焼きそばパンなのに。
いつもより美味しいですな!
焼きそばパンはコンビニで売っている。そして、コンビニには「おにぎり」も売っている。もちろんこれも給食になる。おにぎりと一緒に味噌汁を買うのもポイント。おにぎりだけでは、大きいおかずが埋まらないからだ。
おにぎりを、
バラして、
味噌汁を入れて、
はい、給食!
シンプルな給食だ。ただ盛り付けたおかげで、普通におむすびを食べるよりも、幸せに感じた。懐かしさが押し迫ってくるのだ。給食を難しく考えていた。給食とは食器なのだ。それで全ては給食になるのだ。
幸せでした
もはや食べ物ではなくても
食器でなんでも給食になるのであれば、もはや食べ物を盛り付ける必要はないのではないだろうか。その盛り付けだけを見て、「懐かしい」と思えばいいのだ。
秋葉原に来ました!
秋葉原で食べ物以外を買って、盛り付けようと思う。なんで秋葉原か、というと食器の銀色の感じがメカっぽいかな、と思ったからだ。深い理由はないのだ。でも、大丈夫。給食になるから。
いろいろと、
買い物をして、
盛り付けると、
はい、給食!
牛乳は牛乳のままだけど、他は部品的なやつだ。しかし、給食に見えないこともない。見えない、と思う方は画面を100メートルほど離して見てほしい。見えるはずだ。そういうことなのだ。やはり給食っぽさは食器なのだ。
ちなみに、
河原でやると、
おままごとみたいになった
食器で懐かしい!
懐かしさを堪能したいと食器を買ったら、なんでも給食になった。このシステムのいいところは、好きなものだけで、給食の雰囲気を作れることだ。嫌いなものが食べられなくて、昼休みまでズレこむことがないのだ。今後は食べ物の方の給食っぽさを研究しようと思う。