まずは身近なところから
何章かにわかれているが、最初のほうは、ざっくりいえば「家や学校の周囲を見てみましょう」という内容だ。
「友達の李さんは近所に住んでいます。李さんのお父さんは警察です。おじいさんおばあさんも住んでいます。お隣さんとは会話したことはありません。」
そんなことが書かれていた。それが道徳と社会の第一歩。
中国の子供たちは気軽にアパートの敷地外には出られない。
まずは近所を知ることが大事なのだ。
「ニーハオ」「シェシェ」など普段から知っている人とは、ちゃんと挨拶をしましょう。
有事の際には、知らない人同士助け合いましょう、という内容だ。
「アパートの敷地には噴水や草地があります。綺麗です」
「家の近くにはゴミだまりがあります。ひどいです!」
「わたしたちの村の家は新しくて綺麗ですが、道が未舗装です」
「学校の様子は昔と比べてこんなに変わりました」これも道徳。
カエルさんはこの本のナビゲーターらしく、よく出てくる。
具志堅さんみたいなのが校長だろうか、一回しか出てこない。
「ぼくの村には水がないです。遠くから水を汲んできます」
「わたしのアパートはいいのですが、自転車放置がひどいです」
都市と農村の格差を理解させつつ、問題提起する道徳&社会本なのだ。
老人にやさしくしましょう。中国にいると「老人を大切にしているなあ」と感じるところ。
変化が激しい中国で、老人の感覚や行動は昔のままであるのはしかたないけど、そこはみなでフォローする。学校でも教えるのだ。
老人は、病院で優先的に診られ、映画は半額、バスは無料だということを教える。老人に温かい社会なのだ。
「工場で働く人がものをつくり、農民がごはんを作り、軍人が国を守り、医者が病気をなおします」
軍人の大切さも説いている。
「いろんな商品があり、病院があり、郵便局があり、交通があり、公園があります。わたしたちの生活はすごく便利になってますね」便利とは何かを説く。
カオスな社会にさよならを!
いい人ばかりなら問題はおきないのだけれど、中国には日本では見られないびっくり事件が結構ある。想像できないニュースまではカバーできないけれど、事件が起きたらどうするかというケーススタディが、3年生の下冊だけでも結構かかれていた。子供はいけないことをちゃんと学んでいるのだ。
子「ママ!下のデブが僕をなぐった!」
母「家に文句言いにいくわ!」
父「諦めろ!こどものけんかはすぐ終わる!」
泥棒が家に入り、あなたが発見したら、あなたはどうしますか?方法を4つ考えよ。
「僕は家に帰った子供を演じるよ」「僕は泥棒を演じるよ」
「金を出せ」
交通事故、たとえばひき逃げの車を見たら、わたしたちはどうすればいいでしょう?
これはやってはいけません
中国の小学生はアクティブすぎるのだろうか。リスキーなことに対して、「こういうことはしてはいけませんよ」と様々なケースを紹介している。ちょっと危険どころではなく、大けがや、大事故につながるものまで様々だ。日本の子供たちもこんなことやってはだめだぞ!
全部あぶない。あぶなさは甲乙つけがたい。
笑顔のカエルさん「生活の中で、他にどんな安全上の問題がありますか?」
再び上機嫌のカエルさん「図の中でどんな危険が発生しますか?」爆竹ネタもある。
「手の中で爆発するわけがないよ」という死亡フラグ。
「山火事にならないか?」と止める熱血漢。
中国の小学生は心臓の強すぎるチャレンジャーばかりなのか。
「道徳を守らなかったらどうなるかな?」カオスです。…カオスです(大事なことなので2回)
でもしばしば見る光景です…
公衆電話壊したり、電線盗んだり、電灯壊したり、芝生を痛めちゃあだめだぞ!
道徳で教えることは国によっていろいろ
中国には13億の人がいて、金持ちもいれば貧しい人もいる。ヒルズ族みたいな人もいれば、静かな農村に住む人もいる。いろんな人がいる中で、公約数的に作られたのが、この教科書なのだろう。あまりに様々な状況が考えられる中で、出している危険やNGはほんの一部でしかない。
日本の道徳では差別はいけない、的な内容が多かったような気がするけれど、中国がまずは教えようとする道徳は違った。でも老人を大切にしようとか、近所づきあいを考えるとか、いいと思う。
中国はいろいろ変わっている。人も変わっていきそうだ。そうしたら時代にあわせて道徳で教えることも変わっていき、教科書も変わっていく。そのときはこの記事は時代を描いた記録となるのかな。なるといいな。