高校以来10年ぶりに故郷を歩いてみると、全然気づいていなかった古墳のすがたが見えた。教科書で読んで別の世界みたいに感じていた1600年前の暮らしは、現在と連続した時間のなかに存在する。古墳が造られた時代に思いを馳せながら眺めてみると、そんなことを感じられた。
高校生の自分も同じ道を歩いていたが、あのとき古墳に興味を持てる学生だったなら、もうすこし日本史の勉強にも身が入ったのかもしれないな。
教科書でもおなじみの大仙陵古墳(仁徳天皇陵)。まわりには小さな古墳たちがたくさん点在しており、それらが驚くほど生活に馴染んでいるんです!
わたしは現在、京都市に暮らしているが、出身は大阪府堺市である。
その堺市、どうも歴史のある街らしい。それも江戸時代とか平安時代とかそんな最近の話だけでなく、少なくとも1600年前(5世紀)には巨大な古墳を作るなどして盛り上がっていたのだ。
わたしが住んでいたのは高校を卒業するまでで、当時は興味を向けたことが無かったが、たしかに古墳があった。よく塾の帰り道に横目で見ていたのが、有名な前方後円墳「大仙陵古墳(仁徳天皇陵)」だ。
しかしこの大仙古墳、大きすぎるがゆえに、近くで見ても森にしか見えない。教科書の写真みたいなアングルで見られたら巨大さとその形を感じられるのかもしれないが、あいにく全体を一望できる場所もない。現地に見物に行っても、あの鍵穴みたいな形を目にすることはできないのだ。
しかし堺には、なにも巨大な古墳がひとつ存在するばかりではない。小さな古墳が無数にあり、住宅街に突然現れたりするのだ。
特に大仙古墳(大仙陵古墳のことが我が家でこう呼ばれているので以後そう書きますね)の近くには、ミニサイズの古墳が集まっている。
陪冢(ばいづか、ばいちょう)といって、メインの古墳に埋葬された王の親族や従者、関係する品などが埋納されていると考えられているそうだ。
Google mapで見ると、ピンが密集しているのでよくわかる
これらの小さい古墳たちはその全貌をよく観察できるし、なによりそのサイズ感に現実味がある。
地元の風景にもよく馴染んでいて、その様子が愛らしいのだ。この記事ではそんな古墳たちの中でも、特に生活感のある古墳を紹介します。
はじめに紹介したいのが、仁徳天皇陵の東隣に位置する塚廻(つかまわり)古墳だ。
手始めにこの古墳から、堺における古墳と生活の密着度を感じていただきたい。
なんと月極駐車場の隣に立地しているのである。
改めて到着してみても、これが古墳であると認識できるまで少し時間がかかった。ちょっと管理をサボっているお庭かな、くらいの見た目で、まったく風景に馴染んでいたからだ。
Google mapと照らしながら、柵に設置されたパネルを発見して、やっと古墳であることを確信できた。
高校時代、ときどき友達と自転車で通った道のそばだが、これ古墳だったのか。
当時この道を走りながら、志望校に受かりそうとかダメそうとかそういう話をしていた。まったく気がついていなかったが、古墳群に囲まれて暮らしていたのだな。
さっきの塚廻古墳のすぐ近くにあるのが、鏡塚古墳だ。
こちらも駐車場内にデーンと鎮座されておられるが、その駐車場は月極ではなくスーパーマーケットのもの。お買い物のたびに古墳にも出会える、お得なスーパーである。
スーパーの店名を見て、誰のLIFEが鎮められているのだろうか…とダジャレを考えてみたのだけど、特に人骨などは見つかっていないらしい(埴輪などが見つかったそうです)。
それにしても、鏡塚古墳に限らず、古墳にはだいたい木が生えている。1600年前から生えているようには見えないので、最近になって育ってきたのかな。人が入らないからか。
続いては源右衛門山(げんえもんやま)古墳。やっぱり木々が茂っており、民家に囲まれている。
というか、すぐ隣にはマンションのゴミ回収ボックスまで設置されている。
この古墳からは、野鳥のさえずりが絶えず聴こえていた。
周囲には人通りがあるので外敵も少なく、とはいえ柵で囲ってあるので人は入ってこないので居心地がいいのだろうか。
1000年以上前の遺構だからこそ生まれる(大事にしよう)という気持ちが命を育み、そして人々は決まった日に燃えるゴミを出すのだな。
少し歩くと、住宅街に不自然な空き地と一本松が見えた。しばらく古墳を探しながら歩いているので、頭のなかでセンサーが作動した。公園にしては盛り上がりすぎた地面と、天に向かって高く伸びる木。古墳だ。
案内によると、これは菰山塚(こもやまづか)古墳という名前がついている。小さいながら前方後円墳だ。
しかしよく見てみれば、他の古墳よりも木々や雑草の茂り具合が控えめである。
虫害・鳥害を防止するための町内の意向なのだろうか。それとも、宮内庁がそのように配慮しているのか。
いずれにせよ、歴史と暮らしが互いに譲り合っているように感じられて嬉しくなる。日曜日には公園の代わりに、古墳の草引きのために集まったりするのかな。
最後に、見て回った古墳群のうち最も地味だったのが、同じく住宅地にポツンとたたずむ坊主山古墳である。
こういう空き地ありますよね。でも古墳です。
これまで紹介した古墳は大仙古墳のすぐ近くだったので、なんというか「古墳ゾーン」みたいなオーラを感じて納得していたのだけど、こちらは少し離れた住宅地のど真ん中だ。木がもこもこ生えているわけでもなく、傍目に見ると空き地のようである。というか、広い意味では空き地で間違いないのだろう。
ペットマナーに関する看板に書かれた「宮内庁」の文字が、かろうじて古墳性を担保している。
現在は空き地みたいになってしまっている坊主山古墳。本当はもうちょっと大きかったのに、古い時代に削られてしまったのだとか。
ということは、隣のおうちなんかは、かつて古墳があった場所に建っているのかもしれない。歴史と暮らしの境界が曖昧な世界だ。
高校以来10年ぶりに故郷を歩いてみると、全然気づいていなかった古墳のすがたが見えた。教科書で読んで別の世界みたいに感じていた1600年前の暮らしは、現在と連続した時間のなかに存在する。古墳が造られた時代に思いを馳せながら眺めてみると、そんなことを感じられた。
高校生の自分も同じ道を歩いていたが、あのとき古墳に興味を持てる学生だったなら、もうすこし日本史の勉強にも身が入ったのかもしれないな。
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