特集 2018年3月30日

その昔、新宿南口の改札前を京王線が走っていた

想像できるだろうか…この道の上に電車が走っていた光景を…70年以上前だけど
想像できるだろうか…この道の上に電車が走っていた光景を…70年以上前だけど
東京の山手線から西方向に伸びる私鉄のひとつ、京王線。始発駅の新宿駅は現在、JRの新宿駅西口に隣接した地下にあって、発車した列車はしばらく地下を進む。だけど、戦前は東口の方の地上に駅があり、山手線の上を横切っていたという。あの南口改札とバスタの間に架かる道路橋の上を、路面電車のような形で通っていたというのだ。

ちょっと信じられないので、何か痕跡はないかと見に行ってみた。
1974年東京生まれ。最近、史上初と思う「ダムライター」を名乗りはじめましたが特になにも変化はありません。著書に写真集「ダム」「車両基地」など。
(動画インタビュー)

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伊勢丹の前から出発

Wikipediaを見ると、大正4年に開業した京王線の新宿駅(正確には新宿追分駅という名だったらしい)は、現在の新宿三丁目交差点、伊勢丹や丸井の目の前の明治通り上に置かれた。しかし、丸井はもちろん、伊勢丹新宿店でも開業は昭和8年と言うからまだ影も形もない頃だ。現在は大きなビルが立ち並び、1日中人でごった返している交差点は、江戸幕府が開かれた頃から甲州街道と青梅街道の分岐点、つまり追分(おいわけ)として大いに栄えたという。
新宿三丁目交差点。この写真を撮った場所あたりが駅だったと思われる
新宿三丁目交差点。この写真を撮った場所あたりが駅だったと思われる
信号機のちょっと先あたりに路面電車の駅、もしいまあったら大渋滞必至である
信号機のちょっと先あたりに路面電車の駅、もしいまあったら大渋滞必至である
追分の名はいまでもちらほら残っている
追分の名はいまでもちらほら残っている
周辺を歩きまわってみたものの、当たり前だけど痕跡らしいものは見つけられず。当時は都電の路面電車があちこちで走っていた頃だから違和感なかったかも知れないけれど、現在の光景しか知らないのでちょっと想像力の範疇を超えている。

新宿追分駅を出発した路面電車は明治通りをいったん南下、甲州街道と交わる現在の新宿四丁目交差点を右に曲がって甲州街道の上を走った。
ここから奥に向かって進み、信号付近で右に曲がる
ここから奥に向かって進み、信号付近で右に曲がる

移転してターミナルに

その後、さすがに始発駅が道路上というのは容量や交通事情的に難しくなったのか、開業から12年後の昭和2年に50mほど移動、新宿四丁目交差点の北東側に、デパートが入った駅ビルを持つターミナルが新設された。現在はフォーエバー21が入るビルの場所である。
え、ここ京王線のターミナルだったの!?という驚き
え、ここ京王線のターミナルだったの!?という驚き
そう言えばビルの上の方には京王のロゴと「京王新宿追分ビル」という名前がある。いまも京王のテリトリーなのだ。建物をよく観察すると、敷地に合わせて微妙に曲線を描いていて、確かに駅の跡地と言われればそうなのかも知れない、という形をしている。
フォーエバー京王のビル
フォーエバー京王のビル
もしかしてこのカーブは線路のカーブの痕跡なのか
もしかしてこのカーブは線路のカーブの痕跡なのか
ちなみに京王新宿追分ビルのもうひとつ奥、甲州街道と新宿通りの両方に面した建物も「京王新宿三丁目ビル」という京王系列のビルだ。敷地内には新宿三丁目駅へ降りる階段があって、そこには京王線と直通運転している都営新宿線も通っている。いろいろ歴史が交錯した場所なのだった。
新宿の東口側に「京王」のビルがある違和感、誰か気づいてただろうか
新宿の東口側に「京王」のビルがある違和感、誰か気づいてただろうか
90年前は京王線の電車が並んでいたのだろうか
90年前は京王線の電車が並んでいたのだろうか
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南口改札前の橋を渡る

さて、新宿追分駅(後に京王新宿駅に改称)を出発した電車は甲州街道の上を通り、一路西に向かって走り始める。その方向に現在見える景色はこんな感じだ。
甲州街道が新宿駅の上を越える跨線橋
甲州街道が新宿駅の上を越える跨線橋
この道を人や車に混じって京王線も走っていたという。つまりこの橋の上、鉄道趣味的に言うと廃線跡なのだ。知らなかった!
かつてここに電車が通っていたなんて
かつてここに電車が通っていたなんて
ところでこんなのがあったけどご自由に砂撒いていいのか
ところでこんなのがあったけどご自由に砂撒いていいのか
もちろんその当時とは行き交う人の数も交通量も違うだろうけど、そもそもこんなところに電車が走っていたなんて想像したことすらなかった。さらに、調べるとここには駅が設置されていたという。駅とは言ってもきっと路面電車用の簡素なものだと思うけれど。
現在はJR新宿駅の南口改札と
現在はJR新宿駅の南口改札と
その向かいに高速バス乗り場バスタ新宿があるこの場所
その向かいに高速バス乗り場バスタ新宿があるこの場所
車道左側の微妙な膨らみ…、まさか駅の跡じゃないよね?橋自体架け替わってるし
車道左側の微妙な膨らみ…、まさか駅の跡じゃないよね?橋自体架け替わってるし
バスが行き交う感じが路面電車風の京王線が走るイメージに近いのではないか
バスが行き交う感じが路面電車風の京王線が走るイメージに近いのではないか
線路はそのまま甲州街道上を西に伸びていたらしい
線路はそのまま甲州街道上を西に伸びていたらしい

空襲で西口に移転

最初に新宿三丁目のところに駅ができてから30年、ターミナルビルが完成し移転してから20年後の昭和20年7月、京王新宿駅は再度移転して新宿西口に新しく駅が設置された。理由は東京大空襲で変電所に被害が出て、南口の跨線橋の坂を電車が登れなくなってしまったから、ということらしい。

ということは、もし空襲がなかったら、現在でも京王線は南口の前を横切って東口側にターミナルを持っていただろうか。とするとそこから京王ライナーがあの橋の上を渡っただろうか。さすがに高架か地下になっていたかな。などと考えると興味深い。

新設された京王新宿駅は現在京王デパートがある場所の地上で、南下して甲州街道上の線路に繋がっていたという。
確かに電車と考えるとかなり急な坂である
確かに電車と考えるとかなり急な坂である
真ん中の京王デパートのところが駅だったのだ
真ん中の京王デパートのところが駅だったのだ
このあたりの甲州街道は、そう言えば前後の区間と比べて少し道幅が広く、中央分離帯の植え込みなんかもあるのだけど、これも線路が通っていた名残りということらしい。よく通る場所なのにそんなこと知らなかったし気にしたこともなかったけれど、違いがあるということは何かしら理由があるのだなあ。
植え込みがある、という以外には痕跡はなさそうだけど
植え込みがある、という以外には痕跡はなさそうだけど
でも、その先の交差点の付近には、前から不自然だな、と気になっていたものがある。
道の隅にある植え込みの島
道の隅にある植え込みの島
特に分岐しているでもないのに、まるでサーキットのピットレーンのような形で甲州街道から離れている道があるのだ。甲州街道との境は細長い島のように植え込みがある。ピットの部分にはレンタカー店があって、乗り降りするのにちょうど良い形なのだけど、まさかレンタカー店のためにこんな道路を作るはずがない。

と思ったら、どうやらここも駅の跡のようだ。そして線路はこのあたりで甲州街道を離れ、単独の線路となるらしい。おそらく、まっすぐレンタカー屋の方へ向かっていたのだと思う。
まっすぐレンタカー屋の方に向かって線路が延びていたのだろう
まっすぐレンタカー屋の方に向かって線路が延びていたのだろう

甲州街道から離れ独自の道へ

その先に進むと、甲州街道と分かれた線路跡は広い歩道となっていた。なるほど、新宿文化クイントビルとか文化学園大学の前、やたら広いスペースあるなと思っていたけど、ここ線路跡だったのか。
右が甲州街道で左が線路跡
右が甲州街道で左が線路跡
ここで線路跡(左)は甲州街道(右)と完全に袂を分かつ
ここで線路跡(左)は甲州街道(右)と完全に袂を分かつ
その間に建っているビル、細いなー
その間に建っているビル、細いなー
文化学園大学の建物の微妙な角度、これも線路の跡と言えるかも
文化学園大学の建物の微妙な角度、これも線路の跡と言えるかも
その先の線路跡は広い遊歩道となっていた
その先の線路跡は広い遊歩道となっていた
甲州街道から離れると、線路跡は公園や遊歩道となってずっと先まで続いていた。京王新宿駅からこのあたりは昭和38年から39年頃にかけて地下化された。既に半世紀以上経っているけれど何か線路の痕跡は…と探しながら歩いたけれど特に何も見つからず。
首都高の開通と京王線の地下化はほとんど同時期だったようだ
首都高の開通と京王線の地下化はほとんど同時期だったようだ
ここは踏切があったらしい
ここは踏切があったらしい
その先も、遊歩道は線路跡っぽくなだらかにカーブしたりしながら続いていた。ところどころにかなり古そうなコンクリートの塀などがあって、もしやこれは線路時代のものでは…などと思っても調べようがない。
線路際っぽい柵と小径という感じ
線路際っぽい柵と小径という感じ
遊歩道にはところどころ穴が開いていて、そこには京王線の文字と換気口と書かれていた。そして換気口をしばらく覗いていると、底の方から電車が通る音と風が吹き出してきた。地下化された線路は間違いなくこの下を通っているのだ。
定期的に現れる通風孔
定期的に現れる通風孔
間違いなく京王線のものだ
間違いなく京王線のものだ
覗いてみても線路が見えるわけではなかった
覗いてみても線路が見えるわけではなかった
ものすごい勢いで大量の鳩が何かをついばんでいた
ものすごい勢いで大量の鳩が何かをついばんでいた

ついに痕跡発見!

さすがに線路が地下化されてから50年以上経っていれば何も残っていないか…と諦めかけたそのとき、既視感のあるものが目に飛び込んできた。
この柵は…!!
この柵は…!!
いかにも線路脇の柵ではないか
いかにも線路脇の柵ではないか
コンクリートの柱を組み合わせて作られた柵。これはどこかの線路脇で見たことある!と思ったので探したら京王線沿いに現役で使われているものを見つけた。これ、地上時代に本当に使われていた柵なのだろうか。
ドア側でずっとカメラを構えて探した
ドア側でずっとカメラを構えて探した
柵の近くにはこんなものもあった。
何だか分からないけれど、線路脇に立っている標識や杭の類に見えなくもない。
白い杭のようなもの
白い杭のようなもの
見にくいけど京王と書かれていないだろうか
見にくいけど京王と書かれていないだろうか
その先も、線路跡は遊歩道だったり公園になったり、駐車場として使われたりしながら続いていた。
地上に駅があった頃の駅前通りだろうか、中央分離帯で隔てられつつすごく短い、という不自然な道もあった。
遊歩道らしい遊歩道
遊歩道らしい遊歩道
駐車場も京王系列だった
駐車場も京王系列だった
中央分離帯もある立派な道が
中央分離帯もある立派な道が
線路跡を越えた先で終わっていた
線路跡を越えた先で終わっていた
やがて地下から京王線が出てくる笹塚駅手前までやってきた。昔の京王線の痕跡探索もここまでだ。
「線路跡」もここまで
「線路跡」もここまで
今回の趣旨とは関係ないけれど、ここは複々線で4本の線路が地下に潜っているのだけど、工事の都合か線路配置の都合か、1本だけ潜るポイントが違っている。そしてそこに踏切があるのだ。これだけビルに囲まれた都会で単線の踏切、ってけっこう珍しいのではないかと思ってしまったのだけどどうですか。
都会の単線の踏切、珍しくないですか
都会の単線の踏切、珍しくないですか
写真撮っててふと振り返ったらものすごい勢いで電車が来て死ぬかと思った
写真撮っててふと振り返ったらものすごい勢いで電車が来て死ぬかと思った

灯台下暗し過ぎた

新宿駅は高校の頃からよく乗り降りしていたし、京王線も毎日通勤で使っているけど、京王線の新宿駅にそんな歴史があったなんてまったく知らなかった。具体的な痕跡はほとんど見つけられなかったけど、情報と状況証拠を基にぼんやりと当時を想像しながら歩くのはけっこう楽しかったので、ほかの路線の歴史も調べてみようと思った。
結局笹塚まで片道4kmを歩いて往復してしまい大変疲れた
結局笹塚まで片道4kmを歩いて往復してしまい大変疲れた
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