特集 2015年10月3日

120年以上の歴史あるJR横須賀駅に階段が全くない理由

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「JR横須賀駅は改札から電車に乗るまでフラット。軍港なので物資の積み下ろしが楽なようにという説と天皇行幸の際に見下ろさないようにというの二つの説がある。どちらなの?」という投稿がkick01さんからはまれぽ.com編集部へとどいた。

調査してみたところ、JR横須賀駅に階段がないのは軍港への物資の積み下ろしが容易なためと天皇行幸の際見下ろさないため、両説あることがわかった。

はまれぽ.com やまだ ひさえ
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海軍の街、横須賀にある階段のない駅

かつてクイズ番組の問題にもなったことがあるほど、JR横須賀駅に階段がないことは知られている。もちろん横須賀が地元である筆者も知っていた。

ただ、なぜ階段がないのか。その理由は突き詰めたことはなかった。灯台下暗し、とは私のことか。そう思いながら久しぶりにJR横須賀駅に向かった。
JR横須賀駅
JR横須賀駅
JR横須賀駅は、横須賀市東逸見(ひがしへみ)町にある。

現在の駅舎は、1914(大正3)に建てられた2代目の駅舎の形をそのまま残し、1940(昭和15)年に改築されたものだ。

海軍の街と呼ばれている横須賀らしい錨をデザインしたJR横須賀駅の看板と、横須賀海軍カレーのマスコット「スカレー」が出迎えてくれる。
船の錨とカモメをデザインした看板
船の錨とカモメをデザインした看板
横須賀海軍カレーのマスコット、スカレー
横須賀海軍カレーのマスコット、スカレー
駅前のターミナルからコンコース、そして改札口をぬけてホームへ。
本当に階段が一段もない。
JR横須賀駅コンコース。フラットなまま改札口に続いている
JR横須賀駅コンコース。フラットなまま改札口に続いている
改札口からホームまでも階段はない
改札口からホームまでも階段はない
なぜ、階段のない駅が誕生したのか。
その理由を駅長さんに伺うことにした。

JR横須賀駅誕生秘話

今回、話を聞かせてくれたのは、JR横須賀駅第58代駅長・寺田義行(てらだよしゆき)さん。
JR横須賀駅第58代駅長寺田さん
JR横須賀駅第58代駅長寺田さん
JR横須賀駅は、1889(明治22)年6月16日、大船―横須賀間に開通した横須賀線の終着駅として開業した。
大船―横須賀間、約16.2㎞。当時は単線だった
開業にいたるまでの経過については、駅舎の入り口に掲げられた「横須賀風物百選」に詳しく記されている。
横須賀風物百選「横須賀駅」
横須賀風物百選「横須賀駅」
「明治19(1886)年6月、陸海軍は、鉄道施設の必要性を記した請議書を海軍大臣西郷従道(さいごう・じゅうどう)、陸軍大臣大山巌(おおやま・いわお)の名を連ねて総理大臣伊藤博文(いとう・ひろぶみ)に提出しました。この求めに応じて鉄道局は、翌20年に測量を開始し、21年1月に工事を起こしました(原文ママ)」とある。
西郷従道(フリー画像)
西郷従道(フリー画像)
大山巌(フリー画像)
大山巌(フリー画像)
明治政府は、1886(明治19)年から始まっていた東海道線建築費から、横須賀線建設のために当時の40万円(現在の約15億2000万円)を捻出。

また、横須賀駅の駅舎建設地として海軍が海兵団の敷地を提供し、工事開始からわずか1年半というスピード開業が実現した。

軍部が鉄道建設を急ぐには理由があった。

150周年を迎える横須賀造船所こそ階段のない駅誕生の立役者

1853(嘉永6)年、アメリカ海軍・ペリー提督の来航をきっかけに欧米5ヶ国と通商条約を締結した江戸幕府は、諸外国からの圧力が高まるなかで、自ら国を守る必要性に迫られていた。
欧米の列強国の軍艦から攻撃を受けた場合、陸上にある大砲だけでは防ぎきれない。

対抗できるだけの海軍力を増強させるためには、欧米並みの軍艦と、それを造る近代的な造船所の建設が求められた。その任を受けたのが、勘定奉行などを歴任した小栗上野介忠順(おぐりこうずけのすけただまさ)だった。
汐入町のヴェルニー公園内にある小栗上野介忠順像
汐入町のヴェルニー公園内にある小栗上野介忠順像
小栗上野介忠順は、1860(安政7)年、日米修好通商条約を締結するために渡米した幕府の使節団の一人。
アメリカの海軍造船所で、軍艦だけでなく船に必要な道具や機械などが蒸気機関を原動力にした機械で作られているのを目の当たりにし、日本でも自国で軍艦を造る必要性を感じ、帰国後、幕府に強く訴えたといわれている。

小栗上野介忠順は、まずアメリカに協力を打診。しかし、アメリカは、南北戦争の真っただ中で、日本に力を貸す余力はなかった。

この動きに興味を示したのがフランスだった。

当時、フランスは国内のカイコが伝染病による壊滅状態に追い込まれており、ヨーロッパの伝染病に強い日本のカイコの輸入を模索していた。反対に当時の日本には、近代的な造船所を造るだけの技術力も資金もなかった。ここで両者の利害が一致。幕府はフランスの力を借り、造船所建設に動きだした。

責任者として来日したのが、フランス人技師、フランソワ・レオンス・ヴェルニーだった。
ヴェルニー公園内にあるフランソワ・レオンス・ヴェルニー像
ヴェルニー公園内にあるフランソワ・レオンス・ヴェルニー像
この時、ヴェルニーは、中国の造船所で軍艦を造る仕事を終え、フランスに帰国するところだった。連絡を受けたヴェルニーは帰国を止め、日本に向かった。

1865(慶応元)年、来日したヴェルニーは、すぐに候補地にあげられていた横須賀港の測量を行い、造船所建設が決定した。

横須賀港が候補地にあげられた理由はいくつかある。
(1)外国に門戸を開いた横浜港と近い。
(2)大型船が安全に運航できる水深がある。
(3)フランスの軍港の一つ、ツーロン港に似た地形で、ヴェルニーが気にいった。
などがあげられている。

その後、ヴェルニーが準備のために一時帰国している間の1865(慶応元)年11月15日に鍬入れ、起工式が行われた。当初は、「鉄を加工する場所」という意味で使われていた「製鉄所」という名前だった。

そして時代は明治に移り、1871(明治4)年に第1号ドックが完成。このとき名称が「横須賀造船所」になっている。
明治時代初期の横須賀造船所(提供:横須賀市役所)
明治時代初期の横須賀造船所(提供:横須賀市役所)
明治時代初期の横須賀造船所のドライドック (提供:横須賀市役所)
明治時代初期の横須賀造船所のドライドック (提供:横須賀市役所)
横須賀造船所が造られたのは、現在、アメリカ海軍横須賀基地のある場所。

湾をはさんでJR横須賀駅の対岸になる。
港に直結していることが分かる
1877(明治10)年には、3基のドライドック、5ヶ所の船台、金属を溶かす炉、最新の加工機器を備えた一大造船所に成長。
横須賀造船所は、日本の近代化を推し進める明治政府にとって、国民に、欧米の列強国に誇れる工場だった。

これとともに横須賀は、海軍の街として発展を遂げていく。
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JR横須賀駅に階段がない理由

造船所は完成したが、まだ問題が残っていた。

当時、明治政府が主力をおいていた横浜と横須賀の間には、陸路が整備されておらず、物資の運搬は海上輸送に頼っていた。

しかし、ひとたび海がシケたり風が吹けば輸送はストップ。また、相模湾に敵が攻めてきても、間に合わない。

軍部にとって、人員と物資を迅速に運ぶために、横須賀港まで鉄道を伸ばすことが急務だったのだ。
JR横須賀駅。 駅前から横須賀港を見ることができる
JR横須賀駅。 駅前から横須賀港を見ることができる
JR横須賀駅は、横須賀港に面して建っている。海まで歩いても、改札口から1分足らずで着く。開業当時のままだ。
1925(大正14)年当時の横須賀駅。横須賀停車場と呼ばれていた (提供:横須賀市役所)
1925(大正14)年当時の横須賀駅。横須賀停車場と呼ばれていた (提供:横須賀市役所)
昭和初期の横須賀停車場前の風景(提供:横須賀市役所)
昭和初期の横須賀停車場前の風景(提供:横須賀市役所)
寺田駅長のお話によると、1889(明治22)年6月の開業当時から、JR横須賀駅には、階段がなかったという。

建設されたのは130年近い昔のことであり、当時の正式な文書として階段がない駅を作った理由は残っていないが、軍港への物資の積み下ろしがしやすいこと。また、天皇行幸の際に見下ろさないためという、二つの理由が伝えられているそうだ。

その根拠を示す3つのものが、今もJR横須賀駅に残されている。

1つめは「駅舎」だ。

現在では、駅のホームに屋根があるのは当たり前だが、JR横須賀駅は開業当時から屋根が設置されていた。
雨などで物資を濡らさないため。そして天皇陛下が行幸の際、周辺の高台から見下ろされないためではないかと考えられている。
明治時代から駅舎には屋根があった
明治時代から駅舎には屋根があった
2つめは「幻の1番線ホーム」。

明治時代、日本が世界に誇った横須賀造船所には、天皇陛下の行幸と皇族の視察が十数回にわたって行われ、JR横須賀駅を利用したと伝えられている。
こちらの詳しい回数も資料がないのではっきりしないが、JR横須賀駅には、お召し列車が到着した名残が残されている。

今や幻となった1番線ホームだ。

現在のJR横須賀駅は、対面式になった2番線と3番線だけの地上駅。また、2番線は、行き止まりのために、停止線が設けられている。
2番線にはJR横須賀駅止まりが停車
2番線にはJR横須賀駅止まりが停車
3番線に久里浜行、東京方面行の上下線が停止する。
行き止まりになっている2番線
行き止まりになっている2番線
では、1番線はどこにあるのか。
当たり前のことだが、2番線の向かいにあった。
幻の1番線ホーム
幻の1番線ホーム
現在は、駅舎と乗客用のトイレになっているが、かつての1番線だ。

JR横須賀駅に2番線、3番線ホームができたのは、1914(大正3)年に新築されたとき。
それにより1番線は、お召車両を止めるために使われるようになった。かつてはホーム内にお召し貴賓室があった。

さらにJR横須賀駅には、天皇や皇族に降り立った駅ということで、ゆかりのプレートも保存されている。
御召車のプレート
御召車のプレート
3つめは「ホームの利便性と歴史」。

JR横須賀駅の現在の駅舎は、1940(昭和15)年に改築されたものだが、ホームでは120年以上に及び歴史を物語るものを見ることができる。

それは明治時代に輸入された建材だ。
明治時代に輸入された古いレールを転用した柱
明治時代に輸入された古いレールを転用した柱
表示があるので見つけやすい
表示があるので見つけやすい
ホームから見た風景
ホームから見た風景
目の前に海上自衛隊横須賀地方総監部と、遠くに米軍横須賀基地が見える。

緊急時、人員や物資を迅速に運ぶためには、時間との勝負。また、大量の物資を運ぶにも、階段は邪魔だった。
どこまでもフラットなJR横須賀駅
どこまでもフラットなJR横須賀駅
階段がないのは、物資を運びやすいようにするため。天皇陛下行幸の際に、見下ろさないため。

どちらの理由も納得できる、それがJR横須賀駅だ。

ちなみに、2001(平成13)年、横須賀造船所に建設に尽力したフランス人技師、フランソワ・レオンス・ヴェルニーを記念してつくられたヴェルニー公園には、造船所とともに海軍の街として発展した跡が残されている。
ヴェルニー公園。JR横須賀駅と隣接、横須賀港に面して広がる
ヴェルニー公園。JR横須賀駅と隣接、横須賀港に面して広がる
かつて多くの軍人が行き来した、旧横須賀軍港逸見波止場衛門だ。
再現された旧横須賀軍港逸見波止場衛門
再現された旧横須賀軍港逸見波止場衛門
旧横須賀港にあったころの逸見波止場衛門 (提供:横須賀市役所)
旧横須賀港にあったころの逸見波止場衛門 (提供:横須賀市役所)
高さ4メートル、屋根はドーム型の銅ぶき、外壁をタイル張りにした八角形の衛兵門は、明治末期から大正初期に作られたとされている。

門からJR横須賀駅までは、歩いて1分ほど。港と物資を輸送する陸路が近いというこの利便性の良さが重要だったのだろう。

取材を終えて

現在、JR東日本だけでなくJR全体から見ても階段のない駅は珍しい。
貴重なこの駅舎は、これからもJRとして残していく方針だと、寺田駅長が教えてくれた。
地元民としては、とても嬉しい言葉だった。
これからも大切にしたい、そんな印象を強くもった駅だった。

また、JR横須賀駅誕生の大きなきっかけとなった横須賀造船は、2015(平成27)年、鍬入れから150周年を迎える。

今回、横須賀市役所に提供いただいた写真は、同じものがJR横須賀駅の改札前に展示されている。
また、横須賀市では、記念イヤーとしてさまざまな行事を計画している。
横須賀製鉄所(造船所)創設150周年記念イヤーチラシ (提供:横須賀市役所)
横須賀製鉄所(造船所)創設150周年記念イヤーチラシ (提供:横須賀市役所)
興味のある方は、JR横須賀駅経由で行ってみてはどうだろうか。


―終わり―


取材協力
JR横須賀駅
住所/横須賀市東逸見町1-1

横須賀製鉄所(造船所)創設150周年記念イヤーに関する問い合わせ先
横須賀市役所 政策推進部文化振興課
TEL/046-822-8116
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