特集 2015年9月25日

さよなら、ホテルオークラ東京

さよなら、ホテルオークラ東京。
さよなら、ホテルオークラ東京。
先日、2015年の8月末で閉館したホテルオークラ東京。その建築の見事さから、とり壊しを悲しむ声も多かった。このことについてニュースなどで見聞きした方も多いかと思う。

かくいうぼくも「なくなっちゃうのか……」とがっかりしたひとり。せめてなくなる前にもう一回行っておこう、と先日宿泊してきたので、そのときの様子とそこで思ったことをお伝えしたい。
もっぱら工場とか団地とかジャンクションを愛でています。著書に「工場萌え」「団地の見究」「ジャンクション」など。(動画インタビュー

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大人になったなあ、ぼく

ホテルオークラといえば日本を代表する名ホテルだ。港区虎ノ門二丁目。すてきな建築とすばらしいサービス。当然料金もお高い。

ぼくのような庶民は「オークラに泊まるぞ!」という確固たる意志がなければ宿泊することはないホテルだ。
部屋は、ふつう。いや、広いしすてきでしたが、なんせほら、ぼくの懐事情が許すグレードだったので。あと期待しすぎてた、っていうのもある。でもやっぱりすごく居心地良くて大満足でした。
部屋は、ふつう。いや、広いしすてきでしたが、なんせほら、ぼくの懐事情が許すグレードだったので。あと期待しすぎてた、っていうのもある。でもやっぱりすごく居心地良くて大満足でした。
ぼくが子供の頃、鹿児島から祖母がやってきた折にここへ宿をとり(おばあちゃんはハイカラな人なので)、訪ねていったことがあったようだが、まるで覚えていない。
客室階の廊下。かっこいい。
客室階の廊下。かっこいい。
あと、大学生の時、デザインコンペで入賞して、表彰式がオークラで行われたはずだが、そのときのこともあまり覚えていない。

若い人間っていうのはぜんぜんだめだな。目だけといわず体じゅうが節穴だ。いや、年齢のせいではなくぼく個人の問題か。
部屋からの夜景。こういう眺めも見納めってわけです。見納めもなにもこれがはじめてだけど。
部屋からの夜景。こういう眺めも見納めってわけです。見納めもなにもこれがはじめてだけど。
ともあれ今は立派に建築の面白さが分かるようになり、そしてただ泊まるという目的のためだけに大枚はたいて実行することができるようにもなった。大人になるとはこういうことだ。
正面からの夜の姿は、こんな。
正面からの夜の姿は、こんな。
おもしろいな、と思ったのはこの内側が黄色くライトアップされた美しい格子のファサード。
おもしろいな、と思ったのはこの内側が黄色くライトアップされた美しい格子のファサード。
まるで都営地下鉄のようななんてことない(でもかわいい)タイルに灯を当ててるだけなのねこれ。プリミティブ。でも効果的。今だったらLEDをふんだんに使ったこじゃれた照明装置入れるよね。
まるで都営地下鉄のようななんてことない(でもかわいい)タイルに灯を当ててるだけなのねこれ。プリミティブ。でも効果的。今だったらLEDをふんだんに使ったこじゃれた照明装置入れるよね。

外見もいいけど

しみじみ、かつどきどきしながらチェックインしたのは夜も更けてから。夜の姿は上の写真のような感じ。すてきさが伝わっているといいのだが。

もちろん昼の姿もご覧いただこう。
どーんと正面。実はけっこうな崖に建っていて、写真の向こう側ががくっと下がっている。なので、ここに見える正面入り口はなんと5階ということになっている。これもまた大人になって気がついた魅力。とまあ、崖と建築の話はおもしろいのだが、地形の話題になるとぼくの話は長くなるので、今回はがまん。いずれまた別の機会に。
どーんと正面。実はけっこうな崖に建っていて、写真の向こう側ががくっと下がっている。なので、ここに見える正面入り口はなんと5階ということになっている。これもまた大人になって気がついた魅力。とまあ、崖と建築の話はおもしろいのだが、地形の話題になるとぼくの話は長くなるので、今回はがまん。いずれまた別の機会に。
そして多くの建築ファンをひきつけてきたこの外壁の不思議な感じ。
そして多くの建築ファンをひきつけてきたこの外壁の不思議な感じ。
土蔵などで見る「ナマコ壁」を思わせる意匠。
土蔵などで見る「ナマコ壁」を思わせる意匠。
こういうやつね(これは倉敷の土蔵)。
こういうやつね(これは倉敷の土蔵)。
というように、外観ももちろんすてきなのだが、やはりもっとも「いいなあ」と思わせられたのはロビーだ。
いいなあ!
いいなあ!

ホテルのロビーを「いいなあ」と思えるなんて、これもまた大人になったなあ。

ここまで写真を並べ、「すてき!」「いいなあ」と書き連ねただけになってしまった。正直、どう説明していいか分からないのだ。

専門的な話をしてもしなくても、建築良さって伝わりづらいですよね。なので、以下文章読まずに、写真だけ見てもらってもぜんぜんかまいません。
正面から入ったところの風景。奥に見えるのがロビー。
正面から入ったところの風景。奥に見えるのがロビー。
そもそも「建築好き」というのが、どうしてもスノッブな感じがしちゃうのが悩ましい。蕎麦にうるさい人とかジャズ好きとか。ああいうのに近い雰囲気があると思う。ちなみにぼく、どちらも好きです。
そのまま奥に進んでいくと、こんなロビー空間が。
そのまま奥に進んでいくと、こんなロビー空間が。
あと、オークラの取り壊しに関しては反対運動も起こったのですが、これに関してどういう態度をとればいいのかもまた悩ましいところ。
ロビー奥まで進んで振り返ると、こんな。向こうに見えるのが正面入り口。ポイントは、ごらんのようにちょっと低く掘り下げられている点。これによって居心地がずいぶんといい。あと、ぼくの趣味的にはこれが地形に沿っている点にぐっとくる。このと地形との関係についても詳しく語りたいが、長くなるので割愛。むむむ。
ロビー奥まで進んで振り返ると、こんな。向こうに見えるのが正面入り口。ポイントは、ごらんのようにちょっと低く掘り下げられている点。これによって居心地がずいぶんといい。あと、ぼくの趣味的にはこれが地形に沿っている点にぐっとくる。このと地形との関係についても詳しく語りたいが、長くなるので割愛。むむむ。
ひとつだけ思うのは、これを「すぐに建築を壊してしまう日本の文化の貧しさ」云々と評してしまうのはちょっとなんだなあ、と。

地震や気候が建築に対して厳しい日本において、古い建物を使い続けるのはすごくお金がかかる。少なくともいまの経済的・技術的状況では。
正面入り口から向かって左側に立ってロビーを見たところ。画面右、正面入り口方向の2階に通路があるのが見える。
正面入り口から向かって左側に立ってロビーを見たところ。画面右、正面入り口方向の2階に通路があるのが見える。
なので、保存を事業者である民間企業に負わせるのは無理があると思うのだ。これは文化の問題ではなくてお金の問題だ。

オークラのような建築を保存したければ、その義務を法律で定め相応の補助金を出すしかないと思う。
その2階から見下ろすと、こんな。間近に見える12面体の照明器具がかわいい。
その2階から見下ろすと、こんな。間近に見える12面体の照明器具がかわいい。
その財源は税金からということになるだろうし、いまのところそういう立法を目指す議員・政党を選出できていない、という意味では確かに「日本の文化の問題」ではある。

なんだかDPZらしくない話になっちゃったぞ。どうしよう。
ええと、つまり、だからこそぼくが心惹かれちゃう風景を、ちゃんと説明できるようになって、世に広めることができたらいいなあ、と思い続けているということです。
それにしてもどこもかしこも木なのがすごい。
それにしてもどこもかしこも木なのがすごい。
まずは難しいことは置いておいて、とりあえず郷愁以外の論法で説明できるようになろう、と。

というのも、気を抜くと「なつかしさ」だけをたよりに風景を評価しがちになるものなので。特に歳をとると。
あと、2階部分のこの天井の低さがまたいい。たぶん建設当時この吹き抜けの高さが精一杯だったのではないか。そういう空間の大きさが直感的なところが愛らしい。
あと、2階部分のこの天井の低さがまたいい。たぶん建設当時この吹き抜けの高さが精一杯だったのではないか。そういう空間の大きさが直感的なところが愛らしい。
そのためには、やっぱり建築にたずさわる人たちの言うことはとても役に立つわけです。音楽とか文学とかと一緒で、やっぱりプロの言うことはすごいんですよ。

なので、あまり深入りせず(そもそもしたくてもできないんですが)空間を愛で説明するコツと説明方法を知りたいと思っている次第。ホテルオークラはそういう意味でもかっこうの題材だったと思うわけです。

何を言っているか分かりますか。ぼくは自分でだんだんよく分からなくなってきました。
2階からロビーと反対、正面入り口方向を見たところ。この照明器具は再利用されるのだろうか。しないんならぼくにください。
2階からロビーと反対、正面入り口方向を見たところ。この照明器具は再利用されるのだろうか。しないんならぼくにください。
心にひっかかる風景を、ちゃんと人に説明できるようになるための建築の勉強。その「先生」としてのホテルオークラというわけです。

なので、ぼくがちゃんと説明できるようになるまで、オークラにはこのまま存在していてほしかった。残念。くやしいなあ。

60年代の建築がいま存亡の危機に

さてさて、話を戻して。このロビーをデザインしたのは谷口吉郎さん。日本の建築史を語る際に欠かすことのできない巨匠だ。

1904年(明治37年)生まれ、1979年没。帝国劇場や東京国立近代美術館などもこの方の手による。
ロビーそのもののデザインのほか、こういう表示板などディテールもかわいいのだ。この「ELEVATORS / エレベーター」の文字の愛らしさよ。
ロビーそのもののデザインのほか、こういう表示板などディテールもかわいいのだ。この「ELEVATORS / エレベーター」の文字の愛らしさよ。
このホテルオークラができたのは1962年。建て替えられる新しい建築の設計には、谷口吉郎さんの息子さんでこれもまた有名建築家である谷口吉生さんがメンバーのひとりとして参加するそうだ。完成予定は2019年。
ディテールの凝りようでいうと、他には、ロビーで印象的だったこの照明器具のモチーフが、
ディテールの凝りようでいうと、他には、ロビーで印象的だったこの照明器具のモチーフが、
フロントなどの天井の彫り込みの形にも表れていたり、
フロントなどの天井の彫り込みの形にも表れていたり、
火災報知器のランプにまで統一的にモチーフが施されていたりする。これにはびっくり。そしてかわいい。これもう使わないんならほしい。
火災報知器のランプにまで統一的にモチーフが施されていたりする。これにはびっくり。そしてかわいい。これもう使わないんならほしい。
その息子の谷口吉生さんの建築もちょうすてきで、先日見に行った丸亀市の猪熊弦一郎現代美術館はほんとうにかっこよかった。
谷口吉生さん設計。丸亀の駅前にどーんとあって、びっくり。かっこいい。内部のデザインも、いたるところびしっと徹底されてて感動した。クール!
谷口吉生さん設計。丸亀の駅前にどーんとあって、びっくり。かっこいい。内部のデザインも、いたるところびしっと徹底されてて感動した。クール!
そういえば丸亀市で思い出したが、同じ香川県でオークラと同じように取り壊されちゃうのか!? とやきもきされているのが高松市にある香川県立体育館だ。

オークラと同時期の1964年につくられた。
これが香川県立体育館! これほんとすごくない?!
これが香川県立体育館! これほんとすごくない?!
はじめて見たとき「うおおお!」って声出ちゃったよ。
はじめて見たとき「うおおお!」って声出ちゃったよ。
残念ながら昨年2014年9月末に体育館としては閉館。現在取り壊しにするかどうするか微妙な状況とのこと。
残念ながら昨年2014年9月末に体育館としては閉館。現在取り壊しにするかどうするか微妙な状況とのこと。
真横から見た様子。向こうサイドも同じようになっている。すごい。とにかくすごい。
真横から見た様子。向こうサイドも同じようになっている。すごい。とにかくすごい。
この体育館の設計は、あの丹下健三。つまりこれ、代々木体育館と同じ建築家、同じ年につくられたものなのだ。

この時期に建てられた建築がなくなりかけているのが今という時代なのだな。

オークラ・帝国ホテル・明治村・大倉財閥の因縁

実は今年取り壊されてしまった谷口吉郎の建築はオークラだけではない。東京・丸の内、堀に面して建っていた「東京會舘」もそうだった。1月末で閉館、現在はもう壊されてなくなっている。
取り壊し間際の東京會舘の姿。向こうに見えるのは皇居。
取り壊し間際の東京會舘の姿。向こうに見えるのは皇居。
東京會舘には、高級レストランや会員制のバーなどがはいっていて、オークラと同様、青二才には敷居が高かった。ちなみに芥川賞の授賞式もここで行われてきた。そういう場所だ。三島由紀夫もちょくちょくバーでグラスを傾けたという。

一人前になったら訪れてみたいと思いながらついに間に合わなかった。オークラに宿泊したのは、東京會舘に間に合わなかった悔しさがあったからだ。


で、調べてみて「すごい!」ってなったことがある。

ホテルオークラをつくったのはかつての大倉財閥の二代目・大倉喜七郎。その父親の大倉喜八郎はあの帝国ホテルをつくった人物だ。

現在の帝国ホテルは建築として3代目。ひとつ前の2代目は1923年に建てられたもので、これもまたすばらしい名建築だったのだが、1968年に取り壊されてしまった。

この2代目帝国ホテルを設計したのが「近代建築の3代巨匠」であるかのフランク・ロイド・ライト

ぼくが生まれる前になくなっているので、当然見たことがない。すごく残念。だが、その一部は現在愛知県犬山市にある「博物館明治村」に移築されている。
明治村にある2代目帝国ホテル。ご覧の通りすごい建物! これが東京のど真ん中にあったのだ。どんなに威容を誇っていただろうか。
明治村にある2代目帝国ホテル。ご覧の通りすごい建物! これが東京のど真ん中にあったのだ。どんなに威容を誇っていただろうか。
内部。この「ザ・石造り」すごい。しかし関東大震災にもしっかり耐えたという。これが日本で最初の近代的なホテルだったのだ。
内部。この「ザ・石造り」すごい。しかし関東大震災にもしっかり耐えたという。これが日本で最初の近代的なホテルだったのだ。
2階から。まるでなにかの遺跡のよう。みなさんぜひ明治村へ。
2階から。まるでなにかの遺跡のよう。みなさんぜひ明治村へ。
たくさんの建築を移築保存している明治村。実はこの明治村を設立したひとりが、なんと谷口吉郎なのだ。

しかも設立年はオークラができたのと同じ年1962年。まったく、あの世からどんな気持ちでオークラの取り壊しを眺めるだろうか。

さらに因縁を感じるのは、取り壊される鹿鳴館を惜しみ、それがきっかけで谷口吉郎は建築を保存する機構の設立を志したといわれているという点で、その鹿鳴館もまた大倉喜八郎が設立したものなのだ。

さらに付け加えるなら、1922年に完成した初代東京會舘は「大正の鹿鳴館」と呼ばれていた。なんという因縁か。

以前の建築がかすむような新しい建築を

さきほど書いたように、三島由紀夫は東京會舘を好んで利用した。が、実は彼もぼくと同じように「間に合ってない」のだ。

初代東京會舘が大正の鹿鳴館と呼ばれたと言ったが、先頃解体された谷口吉郎による東京會舘は2代目の建築だ。

そしてその2代目が完成したのは1971年。三島由紀夫が死んだのはその前年1970年。つまり彼が通ったのは初代の東京會舘で、谷口吉郎のすてきな2代目を知ることはなかった。

すてきな建築がなくなるのはせつない。しかし、時間の流れを逆から見れば、まだ見ぬ未来の建物を見ることができないくやしさというものも存在する。

初代の東京會舘がなくなるのを惜しんだ人々もたくさんいただろう。しかしそれを補って余りあるすばらしい建築を谷口吉郎はつくった。

だから、ぼくは次のオークラ、次の東京會舘の建築に期待することにしよう。

先に書いたように、単純に建て替え反対を叫ぶつもりはない。だがしかし、前よりしょぼいものをつくったら、そのときは許さないからな!

オークラのロビーとディテールすてきだったな、ってことです

なんだかすごく理屈っぽい記事になってしまった。反省。こういう建築話を、もっとおもしろおかしく書けるようになりたいものです。精進します。

オークラってすてきだったんだなあ、ということだけお伝えできれば。すてきだったんですよ。
ディテールでいうと、階段室のこのタイルの柄と色とかもキュートだった。もう使わないんだったら引き取りたい。
ディテールでいうと、階段室のこのタイルの柄と色とかもキュートだった。もう使わないんだったら引き取りたい。

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高さ3.8mのバスでトンネルを高速で走ると「うわあああ!」って声が出ます。
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