九州を代表する修験道の山「求菩提山(くぼてさん)」
大分県との県境にほど近い、福岡県の豊前市に求菩提山という山がある。
古くより信仰を集めていた山で、最盛期の平安時代末期から鎌倉時代には「一山五百坊」とも称され、その山中には山伏の住居である「坊」が建ち並んでいたという。
額が突出したような形が印象的で、麓から眺めるだけでも存在感のある山だ
かつての参道は、アスファルトの道路として山頂付近まで続いている
車道が終わると、そこからは苔むした石段だ
明治に入るまでは賑わっていたのだろうが、現在は完全に廃墟である
今でこそうら寂しい雰囲気ではあるものの、堅固に築かれた石垣は立派なものだ。有力大名の山城とかと比べても、遜色ないレベルである。
江戸時代の絵図を見ても、山麓から山頂まで建物が連なっていたことが分かる
山伏の住居であった「坊」は、現在一棟だけ残っていた
建物自体も立派で味があるが、礎石(基礎の石)が荒々しくて雰囲気出てる
修験道の山は女人禁制なところも多いが、求菩提では妻帯が認められていたという。このような坊に家族で住んでいたのだ。
ちなみに求菩提の山伏はかなりモテたらしく、麓の資料館には山伏に宛てたラブレターが展示されていて興味深かった。
さぁ、さらに山の奥へと進んでいこう。
岩肌を水が流れ落ちる、禊場の先にあったのは――
ストーンと切り立った断崖絶壁だ
巨大な石の壁がそそり立つ
この断崖絶壁こそ、山伏の修行の場だったのだそうだ。まるで屏風のように連なる岩壁には五つの窪みがあり、そこに篭って修行に励んでいたそうである。
迫力ある光景に加え、岩の隙間からは「ボーン」という音が聞こえるらしく(風が通る音だろうか)、確かに昔の人々が神仏を感じても不思議ではない、そんな場所であった。
呪術的な雰囲気に少しギョッとしたが、これは護摩(火を焚く祈祷)場らしい
こんな巨大な氷室(雪や氷を貯蔵する施設)まであった
冷蔵庫のない昔は氷が貴重品であった。冬の間に蓄えておいた氷は、ぶっちゃけかなりの高値で売買していたのではないだろうか。
求菩提では茶も栽培されており、大名などの有力者とも取引があったという。その収入はかなりのもの、生活は豊かだったと想像がつく。なるほど、そりゃモテるワケですな。
今も昔も変わらぬ真理に納得しながら、山頂を目指す。
ここから先は聖域であることを示す結界標石
妙にひょうきんな手水鉢で身を清めて進む
雰囲気たっぷりな参道をてくてく登ると
国玉神社の中宮に到着した
かつて求菩提山の中心的存在は護国寺という寺院であったが、明治時代に神社へと改められ、現在は護国寺の跡地に国玉神社の中宮が建っている。
中宮という名が示す通りここはまだ途中であり、山頂へはここから約850段もの石段を登らなければならない。
この石段が滅茶苦茶急なのだ
しかし、真っ直ぐ伸びる石段は雰囲気抜群
ようやくたどり着いた山頂の上宮には、巨大な岩がゴロゴロしていた
人は大きなものに神を感じるらしく、信仰の対象となっている山には巨石が鎮座していることが多い。求菩提山もしかりであった。
とまぁ、このような巨大な磐座や絶壁など、求菩提山には今もなお神秘的な雰囲気が残っている。霊場として、さもありなんというようようなたたずまいである。
ふむふむ、これはなかなか面白い。求菩提山の他にも、修験道の山を見にいってみようじゃないか。そう思った。
求菩提山と双璧を担う「英彦山(ひこさん)」
求菩提山の近くに英彦山という山がある。ここもまた修験道の霊場として有名な山で、かつては求菩提山と共に北九州における修験道の中心地として賑わっていたそうだ。
英彦山は求菩提山より現役という感じが強い
参道の石畳もしっかり維持されている
参道沿いには今もなお多くの坊が建ち並ぶ
古い建物が残っている坊も多く、昔の姿が比較的想像しやすい山だ
ここも石垣は立派で、まるで城郭のよう
宿坊の名残だろうか、現在も旅館として営業している家もある
水墨画家の雪舟が築いたとされる庭園まである。由緒の塊のような山だ
徐々に急になる石段を登って行くと――
巨大で立派な英彦山神宮の奉幣殿が待ち構えていた
参道は山頂へと続いている
ほとんどの建物を失った求菩提山とは違い、英彦山には古い建物も多く残っている。きっと、明治時代における神社への転身がうまくいった例なのだろう。
惜しむらくは、時間の都合で山頂まで行くことができなかったことだ。登山道の途中には鎖場や岩場があるそうで、より修験道の山らしい雰囲気を味わえたことだろう。……その分、危ないらしいが。
信州三大修験霊場のひとつ「小菅山(こすげやま)」
お次は九州から一気に飛び、長野県北部の飯山市にある小菅山である。
この山は同じく北信濃に位置する戸隠山、飯綱山と共に、信州三大修験霊場に数えられている。
ここもまた、現在は神社になっている
山の中腹に位置する小菅集落は、かつてはその全体が元隆寺という寺院の境内であった
参道沿いに雛壇状の石垣が築かれ、家屋が建ち並んでいる
墓地には無数の無縁仏が。これだけでもただの集落ではないことが分かる
修験道の山の参道は、どこも真っ直ぐなのが特徴的だ
集落の抜けると杉並木の石段となる
やまり真っ直ぐな参道の雰囲気が素晴らしい
ところどころに仏教的な要素が残っている
参道のあちらこちらに巨石があり、名前が付けられていた
これはカエル岩だそうだが……ちょっと怖い
山頂に近くなると、九十九折りの山道となった
険しい岩肌を登る場所もあり、修行の道っぽさが出てる
集落から40分ぐらいで山頂近くの奥社に到着
室町時代に建てられたもので、堂内には水が湧く池があるという
急坂を登り切った頃には完全に干からびていたので、この水が沁みる沁みる
修験道の山はどこも参道が直線だ。急斜面に無理やり真っ直ぐな道を作るので、その石段は急勾配となる。登るのも一苦労だ。
山頂付近になるとさすがに普通の山道になるものの、岩場をよじ登ったりと体を使う場面が多い。歩く距離はさほどでもないが、とにかく疲れるのだ。
その分、奥社から湧き出る水は格別にうまかった。この清水があるからこそ、昔の人はここに神仏を見い出したのだと、そんな風に思う。
天空にそそり立つ「仏岩」
最後は長野県の中部に位置する長和町の仏岩である。頂上に鎌倉時代の宝篋印塔(ほうきょういんとう、塔の一種)が祀られている巨岩だ。
厳密には修験道とは少し違うかもしれないが、なんとなく気になって寄ってみたところ、思いがけぬ凄いスポットだったので紹介したい。
通りかかった際に目にした看板に、足を止めた
ほうほう、鎌倉時代の宝篋印塔とな
山道のようだが600mなら大した距離ではないだろう……と気軽に足を踏み入れたものの
その坂道はかなり急でしんどい思いをした
ゴツゴツとした岩の上へと登っていく
急斜面に加え、道はかなり狭い
しかも枯れ葉を踏むと滑るので、一歩一歩に神経を使う必要がある
終盤の鎖場はもはやお約束
最後は二段のハシゴで岩の頂へ
このハシゴが揺れるので物凄く怖い
岩の頂上は二畳分くらいのスペースしかなく、周囲は360度の断崖絶壁
頂上からの眺めは素晴らしいが……
正直、立っていられないくらいに怖かった
ホント、この仏岩は久々に「死ぬかと思った」場所である。足場がゴツゴツで不安定な上、岩の質感もボロボロと崩れてしまいそうな感じで怖さ倍増だ。
情けない話であるが、私は恐怖のあまり頂上では立ち上がることができず、常に四つんばいという状態であった。
鎌倉時代の宝篋印塔が残ってるのは凄いし、なにも遮るものがない360度の絶景も素晴らしいのだが、いかんせん、高所に慣れている人でないと、それを十分満喫することはできないだろう。
訪れる際には精神を強く持ち、少しでも危ないと思ったら引き返す勇気が肝要である。
しんどいけど凄い、山の上の修行場
というワケで、今回は修験道の山々を紹介させていただいた。
いずれも真っ直ぐな参道に断崖絶壁などの険しい地形という共通点はあるものの、それぞれの山によって違った独自の雰囲気があり、非常に興味深かった。
石段は少し急できついけど、昔ながらの歴史とダイナミックな自然を割と手軽に堪能できる、修験道の山とはそんなところです(ただし、仏岩はガチで怖いので、くれぐれもご注意を)。
下りる時は、上り以上に怖かった(完全に腰が引けている)