新しくなった彦六に行こう
彦六に初めて入ったのは、今から15年くらい前だったでしょうか。
バーとはいえ、古い木造の建物を改装し、靴を脱いであがる気どらないお店。高円寺らしい雑多な雰囲気とBGMのワールドミュージック。漂うスパイスの香り。店内の一角には畳敷のスペースがあり、初めて入った冬にはコタツが置いてありました。なんて居心地がいいんだと秘密基地を見つけたような気分になり、以来ずっと、彦六は僕にとって高円寺でいちばん好きな店でした。
もしもご興味があれば、以前に高円寺時代の彦六を取材せてもらった記事があるのでご覧ください。お店が主役のサイトだったため、ライター名は別名義になっていますが。
ヒトトヒトサラ|杉並区高円寺「大陸バー 彦六」織田島高俊さんの「まくわうりの偽メロンアイス」
そして現在の彦六の話。約2年前から、店主織田島さんのご実家である東京都国分寺市「織田島酒店」を改装し、酒屋と飲み屋を合体させたような形態で営業しているんだそう。
アクセスはJR国立駅、立川駅からそれぞれバスで10分と、近所の人以外が気軽に行くのは若干大変な立地。逆に燃えます。
せっかくなので街の雰囲気も味わっておきたいし、今回は国立駅から歩いて向かってみることにしました。
看板の左半分には古びた風合いがたまらない「清酒 澤乃井」の文字。そして右半分に真新しく「酒類・居酒屋・ランチ」の文字。もしも街なかで偶然見つけようもんなら、狂喜乱舞しつつ偵察せずにはいられない店構えです。
では、いざ店内へ。
入って正面はこのような厨房&カウンターエリアになっていました。どこからどう見ても飲食店。
古い酒屋の雰囲気を残す、味わい深いテーブル席。最高に居心地良さそうですよね。
「赤星」とおでんでスタート
ここで「織田島酒店×大陸バー彦六」の現在の営業形態を整理すると、まずメインの「酒屋」は朝から夜までの通し営業。店内で買った缶詰やらお酒やらで軽く一杯やれる、いわゆる「角打ち」営業も同じく。加えて、昼と夜の決まった時間、彦六パートが稼働し、「ランチ」や「バー」営業もしている、という感じらしいです。
いや〜もう、この情報を見るだけですでに楽園のようなお店じゃないですか。
この日は平日のランチが落ち着くあたりの時間におじゃましたのですが、ありがたいことに事前に「おつまみも作れるものなら作るよ」と言っていただいておりました。
夜の飲み営業時のシステムはこんな感じ。
なるほど。しかし久々の彦六なことに加え、酒屋と合体してるわ、そもそも店内の情報量が異常に多いわで、いったん一杯飲んで落ち着く必要がありますね。
一杯めに選んだのは、主に下町の大衆酒場などで愛される「赤星」こと「サッポロラガービール」。これが1本400円で飲めてしまうなんて、嬉しすぎるんですけど。
そしておつまみに、目の前のカウンター上の鍋からぐつぐつといい香りをさせている「おでん」をいくつかもらいましょうかね。
昆布はサービスでしょうか。このおでんがもう、いきなり最高!
それぞれ仕入れ先にもこだわられているちくわぶとこんにゃくの滋味深い美味しさもさることながら、上品なだしがじんわりと染み、舌と上あごで圧を加えるだけでとろけてしまうクリームのような食感の大根がすごすぎる。
そうだったそうだった。良い素材をあまりごてごてと飾りつけずシンプルに、そして極限まで美味しく食べさせてくれるのが彦六の、織田島さんの料理だった。あ〜、懐かしい! そして嬉しい!
久々に取材に同行してくれた担当編集の古賀さんも、その味にはいきなり感動したらしく、
と、感情が喜びを通りこして悲しみへと突入してしまう始末。
「彦六カレー」の爽やかな美味しさ
さて、現在はまだランチタイム中。せっかくなので名物のひとつである「彦六カレー」をいただくことにしましょう。
カレーを注文し、到着を待つ間に2杯めを選びます。
とにもかくにも酒屋さんだけあって選び放題。しかもそのすべてが原価。こりゃ〜体がいくつあっても足りないぞ。
ランチ時には小鉢がふたつついてくるというのも嬉しいです。この日はアボカドとたっぷりのカツオ節が乗った冷奴に、アサリとブロッコリーの煮物。どちらもものすごく丁寧な美味しさ。
味音痴な僕には何をどうやって作っているのか想像もつかないんですが、食べれば南国の風がびゅーと脳内を吹き抜けるような爽快な美味しさなんです。
この日初めて概要を聞いてみてびっくり。こちら、肉、乳製品、卵を使わず、具材はひよこ豆がメインの完全ベジタリアンカレー。トマトと豆乳をベースに、10種類ほどのスパイス、さらには隠し味に梅干しを加えたオリジナルだそう。
この爽やかな酸味の秘密は梅干しだったのか〜! そして、肉も乳製品も使っていなかったなんて、あまりの満足度の高い美味しさに想像すらしてませんでした。彦六カレー、おそるべし。
とんでもない進化をとげていた!
カレーでお腹がひと段落したところで、やっと気持ちにも冷静さが戻ってきました。そこであらためて店内を見渡してみると、織田島さんの人柄がいたるところに反映されたこの空間、やっぱりどう考えても天国すぎるんですよね。
それぞれが適価で、黒霧島ならグラス一杯200円!
そう、今気がついたんですが、高円寺時代の彦六はそりゃあ「バー」なので、お酒に関しては一杯5、600円くらいからと、ごく普通の値段だったんです。それが酒屋と合体してしまったことで、「お酒はほぼ原価で飲めて、そのうえ彦六の料理が食べられる」という、キメラのような存在に進化してしまっていたんです!
……伝わりますかね? 僕の興奮。
無限? 無限なの? 楽しみかた。
以前から彦六の料理の主役は、この実家付近の畑で穫れた自然農法の野菜。以前はそれを高円寺まで運んで使っていたわけですが、ここではその距離はさらに近くなり、しかも野菜だけを買うこともできるというありがたさよ。
いったんインタビューを挟みます
ランチのお客さんが落ち着いてきたタイミングで、久々にお会いする織田島さんに、積もる話をあれこれ聞かせてもらうことができましたので、ここでいったんインタビューを挟みます。
ここの酒屋は1965年の11月に創業したので、もう60年近くになりますね。私はここで生まれ育ったので、つまり実家。今もここに住んでます。
パリッコさん、今日駅から歩いて来てもらったならわかるだろうけど、ここは東京の片田舎の住宅街。10代の頃は退屈で退屈でしかたなかったんですよ。ものすごく外に出たくて、それで世界のあちこちを放浪したりしたのちに、高円寺でお店を始める至ったわけなんですけど。
そもそもずっと、私みたいな変わり者、特殊な人間というのは、こういう静かな住宅街にいちゃいけない存在だと思っていたんですよ(笑)。でも、今はネットも普及して情報が平均化したこともあって、どんな場所からどんな奴がおもしろいことを発信するのもアリだし、それは有効な手段だと思うようになったんです。おのずと、高円寺にこだわる気持ちがだんだん薄れていって。
それとタイミングを同じくして、親もだいぶ高齢になり、仕事をするのも難しくなってきた。もちろん自分の店にも思い入れはあったので、この酒屋をたたんでもらって、自分は高円寺の店を続けるという選択肢も考えなくはなかったんだけど、その時に息子が言ったんです。『こういう歴史のある酒屋をつぶしてしまうのはもったいない』って。
彼はいろいろ都心のいい立ち飲み酒屋とかも知っていて、『そういうのをここでやればいいじゃん?』って言うわけですよ。それを聞いてカチリとはまったというか、『確かにおもしろいことができそうだな』って。それで店をこんなふうに改装して、『織田島酒店×大陸バー 彦六』として再出発したのが2019年の3月。
このさらに奥には団地があって、ちょっとした商店街もあるんですよ。ただ、そこはバスの終着駅の近くで、途中のこのあたりにはあんまりランチが食べられたりお酒が飲めるような店はないので、近隣の住民の方はけっこう喜んでくれてるみたいです。『このへんなんにもなかったから助かるよ〜』なんて。もともとが古くからある酒屋だっていうのもあるのかもしれないけど、意外とこんな私でも受け入れてもらえるんだなって(笑)。
高円寺時代に出してたのは無国籍料理で、スパイシーなものも多かったでしょ? このへんの方たちに出して大丈夫かな? とも思ったんだけど、これまた意外とすんなり、『美味しいね』と言ってもらえて。ライブイベントなんかをやっても、そのミュージシャンを知らなくても覗きに来てくれるお年寄りとかも多いですし。
かつての自分は高円寺という街からいろいろと刺激を受けながらやってたんです。一定期間やって満足してひと段落し、そうやって蓄積したものをこんどは自分から発信していくような気分になっているのが今、という感じかな。
そしてここで驚きの新事実。店内では織田島さんの他にひとり、若い男性がお手伝いをされていました。寡黙な仕事ぶりと、どこかただものじゃない雰囲気が気になり、「お兄さんはどのような経緯でこちらを手伝われてるんですか?」と聞くと、なんと「息子です!」とのこと。
失礼ながら、勝手にもうちょっと純朴そうな青年を想像してしまっていたのでびっくりしつつ、なんていい息子さんなんだと感動。
美味攻めの果てに……
さて、良い話も聞けたところで、せっかく来たからにはもう少し飲み食いを楽しませてもらうことにしましょう。
通常は夜限定ですが、現在の彦六のメニューはこんな感じ。
が、お次に選んだのは、せっかくの「酒屋要素」も楽しみたいと、
温めてお皿に盛って出してもらえる嬉しさ。
こちらでは、「シャリキン」(凍らせて飲む専用のキンミヤ焼酎)と、業務用ではなく一般流通用のホッピーのセットが基本。
大衆酒場のようにナカ(お代わり焼酎)を追加して2杯3杯と飲めるわけではなく、一杯ずつ飲みきりスタイルになりますが、何しろキンキンに冷えていて、かつ薄まらないホッピーが1セットなんと250円で飲めてしまうんだからこれ以上望むことはありません。
ふきのとうは近所の農家からわけてもらっているそうで、サクッとした衣の下からあらわれる心地よい苦味と青い香りに春を感じてたまりません。ほっこりとした山芋の優しい美味しさもいい〜。
中華料理の「干豆腐」をヒントに独自開発したという食感の良い豆腐と自家栽培パクチーの鮮烈な香りで、酒がすすみすぎる!
甘く、まったりねっとりした里芋がまるでクリームコロッケのよう。
野菜が美味しい秘密は裏の畑にあり
帰り際、ありがたくも織田島さんが裏の畑を見せてくれるとのこと。やった〜! 高円寺時代からずっと、一度は見てみたい畑だったんだよな〜。
そりゃあうまいわけだわ。
高円寺の彦六閉店が決まる少し前、織田島さんは「実家の酒屋を改装して店でもやろうと思ってるんだよね」と言っていました。
大好きな大好きな思い出の場所がなくなってしまうのはもちろん寂しいけれど、その先に希望があることにすごくわくわくしたことを覚えています。
そして訪れた「ニュー彦六」は、すごすぎてなんだか浮世離れした、本当の天国みたいな店に進化していた。僕は思いましたね。「これだから酒場はおもしろい!」って。
ちょっと気合を入れていく距離のお店になってしまったけど、これからも彦六に通えるありがたさを噛みしめつつ、通わせてもらおうと思います。
取材協力:織田島酒店