過ぎたるは及ばざるがごとし
来る日も来る日もおつかれさまセット。ときにはハシゴでおつかれさまセット。3週間で15軒を食べ歩いたので、かなりのハイペースで飲酒をしていたことに。結果として体のほうは、胃腸が慢性的に不調気味です。過ぎたるは及ばざるがごとし。
一日の終わりには「おつかれさま」の言葉がうれしい。たとえ定型的な挨拶だとしても、改まって伝えられる労いの言葉が、疲れた体にささやかな救済をもたらす。しかし最近はもっぱら在宅勤務で、同僚や仲間たちと「おつかれさま」を交わす機会が激減している。
そこでおれは居酒屋の「おつかれさまセット」に救いを求めることにした。
こういうやつのことですね。生ビールなどのアルコールに、ちょっとしたおつまみがふたつかみっつ。はいこれでしめて1000円ですよ、みたいな居酒屋のセットメニュー。
一枚目の写真の正式名称は「おつかれちゃんSet」。世の中にはビール一杯が500円という店も当たり前にあるのですから、これは相当にお得です。それに、こういうセットが用意されていると、ふらっとお店に入ったときに深く考えずに注文できるのも嬉しい。これはきっと、仕事終わりで疲弊した客に対して、これ以上脳みそのリソースを消費させまいという気遣いなのです。
「おつかれさま」を名乗るからには、もちろんその内容にも注目しなければなりません。まずはこちらのもずく酢。
きゅっと酸っぱいお酢は、アミノ酸とクエン酸がたっぷり。言わずと知れた疲労回復の優等生。もずくのほうはカルシウムやマグネシウムなどのミネラルに加えて、ヌメヌメの正体であるフコイダン。あのフコイダンですよ。何者かと聞かれると困りますが、健康食品の通販番組でよく耳にするからきっと疲れにも効くはずです。つまり、この二つの食材が組み合わされたもずく酢は、スーパー疲労回復フードといって差し支えないでしょう。
もう一皿の焼き物だって見逃せません。砂肝は亜鉛と鉄分、長芋はビタミンB群やビタミンCが豊富。いずれも欠乏すると疲労を感じやすくなるといわれる重要栄養素です。この店には数十種類の串焼きがメニューに載っていますが、その中から特に疲れに効く2本が厳選されているわけです。
どうです。だんだん聞こえてきたことでしょう、このセットメニューが発する「おつかれさま」の声が。おつかれさまセットとは単に名前ばかりではなく、ねぎらいと癒しを求める疲れた現代人にうってつけの、ホスピタリティあふれる居酒屋セットメニューなのです。
さて。そんなおつかれさまセットを食べ歩いて、たくさんのねぎらいの言葉を味わおうというのがこの記事の趣旨でございます。しかしいきなり愚痴っぽくなって恐縮なのですけど、これがなかなか一筋縄ではいかなかったのです。
街を歩きながら「あ、あの店にはおつかれさまセットがありそうだな」と思って近づくと、
違った、こいつは生ビールセットだ。
さらにこういうパターンも。
今回の調査の結果判明したのですが、さまざな名称の居酒屋セットメニューの中で、実はおつかれさまセットは圧倒的に少数派なのです。大阪のとある飲み屋街で70店舗の店頭メニューを調査したところ、「~セット」の存在が認められたのが約20店舗。そのうち、おつかれさまセットを提供する店はたったの一つ。
ほかの名称は、得得セット、お得セット、生ビールセット、乾杯セット、ほろ酔いセット、ちょい飲みセット、とりあえずセット、せんべろセット、寄り道セット、●●(店名)セット、お気軽セット、晩酌セット、ちょっと一杯セット、などなど。
などなど。
ダメです、全員失格です。おれはただ、ねぎらってほしいのです。ほろ酔いになりたいわけでも、べろべろになりたいわけでもない。まして、ちょっと寄り道してお気軽にお得な晩酌をしたいわけでもありません。
おかしい。昔は居酒屋セットメニューの代名詞がおつかれさまセットだったような気がしたんですけど…。誰もが癒しを求めるこの時代、なぜ飲食店はそのニーズに応えようとしないのでしょうか。嘆くおれの頭に、天啓のように一つの言葉が頭に浮かびました。薬機法…?
薬機法(旧・薬事法)は、医薬品や医療器具などについて、品質や安全性を担保するために定められた法律。健康食品が勝手に「がんに効く!」とうたってはいけないのは、この法律に基づいたもの。つまり。有象無象の居酒屋セットたちは、「おつかれさま」を名乗らないのではなく、名乗れないのではないか。
単に栄養素の問題だけではなく、曇りなき心で疲れに寄り添った居酒屋セットだけが、ねぎらいの言葉を冠することが許されるというルールが、いつの間にか制定されたに違いありません。
これで冒頭の「おつかれちゃんSet」からあふれ出るホスピタリティの説明がつくというものです。前置きが長くなりましたがこうしておれは、厳しい規制をクリアした正真正銘、国家のお墨付きのおつかれさまセットを求めて旅に出たのでした。
調査手法は街を歩きながら、店頭の看板をチェックして回るというアナログなもの。居酒屋セットメニューはお店の非公式メニューであることも多く、検索してもなかなか情報が集まらないのです。文字通り足で探し当てた調査結果、ここに報告します。聴いてやってください、おつかれさまセットの声を。
「疲れ」と一口に言っても、世間にはさまざまなタイプの疲れがはびこっています。体が疲れることもあれば、頭が疲れるということもあるし、人間関係や自粛生活によって心が疲れるということもあるでしょう。まず調査報告の手始めに、もっともシンプルな疲れ、肉体疲労に寄り添ったおつかれさまセットを紹介します。
へへへ、ちょっと悪い笑いがでますね。
疲労回復にはさまざまなアプローチが存在しますが、「肉」ほどプリミティブな疲労回復のアイコンも他にないでしょう。ぴかぴかの肉の盛り合わせをみているだけでもHP・MPが回復してきそうなセットですが、ほら。耳をすませば、シズルの合間に聞こえませんか。おつかれさまセットの声が。
仕事にせよレジャーにせよ、がしがしとワークアウトして疲れ切った体に、これほど嬉しいおつかれさまセットはありません。続いてこちらのセットはどうでしょう。
500円で寿司が食える幸せ。
左の黒い物体がどうも不穏なのですが、これはがんがんに熱せられた焼石です。
黄色い小鉢に盛られているのがイカの塩辛とチーズなどを和えたもので、焼石の上で軽く温めてから食べるためのものです。初めて目にする独創的な料理ですが、驚きました。発酵によって増幅されたうまみ成分が熱せられて、むせかえるようなジャンク味。とてもうまいのです。
そしてお酒のおつまみらしく、塩分がかなり濃いめ。これはつまり、一日汗水たらして失われたミネラルを急速に補給してほしいという気遣いなのです。しかもただ塩分をとるだけなら漬物でも明太子でもいいわけですが、あえてのイカ。イカといえばタウリンが豊富。タウリンといえば、鷲のマークの医薬部外品。もうお気づきでしょうが、このセットに込められたメッセージは当然、「明日もファイト一発!」です。
肉体の疲れと並んで、現代人をむしばむ心の疲れ。心にもやもやを抱えている人はこちらのおつかれさまセットがおすすめです。
アルコールが2杯ついて、1000円で本当に大丈夫なんでしょうか。
はいはいはい、見目麗しいですね、インスタ映えですね。このお店は周辺のオフィスで働く女性客を中心に篤い支持を集める名店。残業続きで疲れ切った心を、まず視覚から癒そうという心づくしの一皿です。
見た目だけでなくお味のほうも一品一品が美味。見どころはレバーパテです。
レバーには葉酸とビタミンB群が豊富に含まれています。特に葉酸はうつ病発症との関連が示唆されており、メンタルケアに有効な栄養素として注目が高まっているのです。セットの内容は日替わりのようですが、「心がすり減ったら、ぜひうちで癒されていってね」の心意気は不変です。
続いて、このセットはどう読み解くべきでしょう。
ネパール料理屋さんにもおつかれさまセットはありました。
これは解釈が難しいですが、特徴がありそうなのは、多用されている鶏肉でしょうか。鶏肉にはトリプトファンと呼ばれるアミノ酸が豊富。これは「しあわせホルモン」の異名を持つセロトニンの材料になる、癒しの栄養素です。一方でカルシウムやタウリンが多く含まれた殻付きエビも見逃せません。
しかし、ここはやはり全料理の味付けのベースになっている、スパイスにこそねぎらいの気持ちが込められていると考えるべきでしょう。各種のスパイスは、味つけ香りづけや食品保存のほかにも、薬として使われてきた歴史を持ちます。香り高いカルダモンの薬効はずばり、精神安定。さらにクミンやコリアンダーは消化促進、ターメリックは肝機能の向上。体の内側からじわじわと元気づけていこうという控えめな思いが伝わってきます。
さあだんだんなに言っているのかわからなくなってきましたが、次いってみましょう。
こちらも、お店が心配になるほどのお得感。
よかったです、このセットのテーマは読み解くのが簡単。一目瞭然、ずばり「実家」です。マカロニサラダと切り干し大根なんて一人暮らしで食べる機会はほぼありません。実家の食卓の象徴たるメニュー。しかしそれ以上に目を見張るのは左上の小鉢。
これ、食べるまで正体がわからなかったのですが、「親子丼の具」でした。いいですか、これがおつまみとして登場するシチュエーションは、一つしか考えられません。昼メシに家族で親子丼を食べて、その残り物を晩酌のときに出す。これ以外ありません。
小さな小鉢で、そんな家庭内の何気ない営みを表現するこのセット。口にしたものは誰しも、無意識のうちに実家に思いを馳せることになり、心にほんのりと暖かさが灯るのです。
こうした「実家系」は意外と多くて、あと2軒、まとめてご紹介です。
おつまみっぽい感じではなく、どストレートに生野菜のサラダがラインナップされた唯一のセット。「あんた肉ばっかりじゃいけんよ、野菜もたべりね」。はい、わかりました。
この脂っけの抜けきったおつまみ。実家を通り越して、もはやおばあちゃんの手料理を感じさせます。「こんなもんしかなくてごめんねえ」とかいいつつ、心に染み入るやさしい味。
序盤に説明したとおり、おつかれさまセットを探し当てるのはかなり骨の折れる作業だったのですが、調査の過程でひとつの鉱脈ともいうべき飲食店の業態をみつけました。それは、いわゆる”町中華”です。
いわゆる豚と豚がカブったというやつだ。
BセットとCセットもあります。
グラスはきんきんに凍らせておくのが彼らの心意気。
未訪問の2店舗を加えて、実に5軒の町中華でおつかれさまセットの存在を確認できました。ここまで焼肉屋、居酒屋、ダイニングバー、ネパール料理屋などを紹介してきましたが、ここまで明らかにおつかれさまセットの占有率が高い業態は他にありません。
なぜか。なぜ町中華は、かくもおつかれさまセットにこだわるのか。そこには中国の健康観の根底にある「医食同源」の発想が息づいていると考えるのが自然でしょう。食事は楽しむものであると同時に、予防医療であると体験的に知っている中華の料理人が、セットメニューに「おつかれさま」を冠するのは当然のことなのです。
そんな町中華には共通する特徴がもう一つあります。こちらをご覧ください。
揃いも揃って、どの店でも豊富な選択肢を用意してくれています。もうおわかりでしょうが、町中華のおつかれさまセットが発するメッセージ、それは「何物にも縛られる必要はない、自由であれ」です。人との接触は減らしなさい、不要不急の外出は控えなさいと、何かと窮屈なこの頃。せめて食事をするときくらいは、我々に選択の自由を思い出させてくれようとしているのです。たぶん。
ここまでさまざまな栄養成分に着目して、おつかれさまセットの声に耳を傾けてきました。しかし忘れてはいけない要素が一つありました。そう、カロリーです。人間、カロリーさえしっかりとっておけばそうそうへこたれないのです。
ごはん半分にしてもらっていますが、本来はしっかり立派な一人前。
疲れたときに真に重要なのは、己の欲望を解き放つことだ。そんな力強いメッセージが込められたこのセット。推定1200kcalの圧倒的熱量が疲れを吹き飛ばしてくれます。
麺は大盛りにもできます。
我慢は体に毒だよ、と甘くささやいてきます。思うにビタミンでリカバリできる疲れには限界があります。まだ科学的には解明されていないのですが、人間には麺をすする行為によってのみ摂取できる栄養素があるんだと思います。
豚玉は焼きそばにも変更可能。
この手数の多さはダメです…。食事メニューだけでもそれなりのカロリーなのに、食べきるには少なく見積もっても3杯の生中が必要になります。
何かがおかしい…
ドリンクが映っていませんが、撮影忘れではありません。この3皿で正真正銘のおつかれさまセットなのです。まったく予想だにしない陣容ですが、おれの認識が甘かったというほかありません。そうです。ねぎらいの言葉は、決して大人だけに向けられるものではない。たぶんこのセットは、運動部の男子高生とかの疲れに寄り添っているのでしょう。いまや誰もが「おつかれさま」を欲しているのです。
来る日も来る日もおつかれさまセット。ときにはハシゴでおつかれさまセット。3週間で15軒を食べ歩いたので、かなりのハイペースで飲酒をしていたことに。結果として体のほうは、胃腸が慢性的に不調気味です。過ぎたるは及ばざるがごとし。
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