特集 2019年2月8日

墓荒らしと呼ばれた義父の過去

僕の嫁はアルゼンチン人、その父も当然アルゼンチン人。口数は少ないが、面倒見の良さで多くの尊敬を集めている。しかし、僕が移住した当初、彼と付き合いの長い老人が「あいつは墓荒らしだった」と話してくれたことがあり、その真相がずっと気になっていた。

思いきって聞いてみると、半生が壮絶すぎた。

※この記事は、 世界のカルチャーショックを集めたサイト「海外ZINE」の記事をデイリーポータルZ向けにリライトしたものです。

海外ZINEは、世界各地のカルチャーショックを現地在住ライターが紹介する読み物サイトです。 / 1992年生まれ、福岡県古賀市育ち。美人アルゼンチン人嫁と結婚するために、大学卒業後の2015年にアルゼンチンへ移住。毎日マテ茶を飲むほどのマテ茶好き。


> 個人サイト 海外ZINE 奥川駿平

物心つく前から移民だった義父

南米大陸の最も南に位置するアルゼンチン。「ラテンな国」と言われるため、人々は明るく情熱的なイメージだと思われがちだ。もちろんそのノリはあるが、人々は未来に関しては現実的に考える傾向が強い。いや、どこか冷めていると言った方が正確だろう。

その背景には、アルゼンチンが辿ってきた歴史や移民文化が関係しているのかもしれない。義父はこの国で生まれながら、自身を「チリからの移民」と言う。彼の半生を聞くにあたって、まずはそこに触れてみたい。

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この日は「父の日」だったので、子ヤギ一頭をプレゼント。伝統BBQアサードにしながら、話を聞きます。

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「アルゼンチンで生まれてすぐにチリへ移住したんだよね」

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「そうだよ。父親がチリのブドウ園で仕事を見つけたから、幼少期に移住したんだ」

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「そして、またアルゼンチンへ戻ってきた」

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「戻らざるを得なかったんだ。当時(1973〜1990年頃)のチリはピノチェが支配していて、多くの人が拷問にかけられたり、殺害されたりした。あのまま残っては危険だと判断したから、6~7歳の頃にアルゼンチンへ戻ってきたのさ」
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アルゼンチンとチリの間にはパタゴニアが跨る(写真はアルゼンチン側)。両国間を車で移動する時はアンデス山脈を超えます。昔の移民も同じ景色を見たのかも。

 ピノチェは、チリの第30代大統領。クーデターによって大統領に就任し、長きにわたり軍事政権を行った独裁者。命の危機から逃れるために、アルゼンチンに住む親戚を頼って、義父家族は再びアルゼンチン、今も住むネウケン州の地を踏んだのだ。

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義父母の家のすぐ近く。今はこんなに緑がある綺麗な町。

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「昔のネウケン州はどんな感じだった? 今は緑豊かで整備されてるじゃん。移住前に思い描いていたアルゼンチンのイメージを、いい意味で裏切られたよ」

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「一言でいえば、何もない大地だった。道路もない、街灯もない、緑もない。どこまでも荒れ地が続くんだ。今もだけど、当時のネウケン州には移民が多くいたよ。特に、ピノチェから逃げてきたチリの移民がたくさんいた」
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慣れた手つきであっという間に炭に火をつける義父。

 チリ政府によると、世界中で移民として過ごすチリ人の数は約48万人、そのうち約21万人がアルゼンチンに住んでいるそうだ。これは2003~2004年の古い記録なので、現在はさらに増えているだろう。以下の州が、チリ人移民が多い場所として知られている。

-ブエノスアイレス:50,978人
-リオ・ネグロ:39,454人
-ネウケン:28,526人

首都のブエノスアイレスを除くと最も多い地域は、リオ・ネグロとネウケンを含むパタゴニア地方。義父と同じように、ピノチェト政権時代の移住者が多数を占めるようだ。

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子ヤギ一頭で1,800アルゼンチンペソ(約7,300円)。日本円にしたら意外と安いですよね。

アルゼンチンは移民が築き上げた国ではあるが、近年の移民の功績は歴史に残されていない。義父が教えてくれた 「Manual Pulser」というパタゴニアの歴史が書かれた本では、初版にこそ移民の活躍が書かれていたが、編集版が発表されるにつれて改ざんが行われたと言う。

義父世代の人々は、「政府が意図的にアルゼンチン人の歴史にした」と言う。その本自体は発見できなかったため、真相は定かではないが、もしかすると義父たちの言う通りかもしれない。こういう話、陰謀論っぽく中二病心が揺さぶられて大好き。

『キリギリス』のアルゼンチン人と『アリ』のチリ人・ボリビア人

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「アント(僕の嫁)から聞いたんだけど、中学校は行ってないんだよね」
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「そうだよ。6人兄弟だから、父親は家族を養うために寝る間を惜しんで働いたんだ。その姿を見たら、自分のものは自分で買いたいと思ってね。だから、13歳の時に建設会社で働き始めた」
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「おぉ……僕が13歳のときは遊戯王(カードゲーム)してたよ
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働きはじめてまだ間もない頃の義父

 

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「8年間会社で働いて、21歳の頃から一人で働き始めた。自営業で一番大変なのは、良い仲間を見つけること。全体的にアルゼンチン人は怠け者だからな。腕がよくても、遅刻が多かったり、すぐにやめちゃったりするんだ」

僕はこれまで2つの職場でアルゼンチン人と働いた経験がある。そのときのボスは「日本人は勤勉だから」という理由で僕を雇った。確かに、平気で遅刻や無断欠勤を繰り返す人は多かった。

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煙がすごい。この日は全身にアサードの匂いがしみついて、嫁が僕の体を嗅いで「う~ん、良い匂い!」と言っていた。

 

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「働き者なのはチリ人とボリビア人だよ。チリのサッカーは全員攻撃・全員守備が特徴だろ。あれは国民性も出てると思うんだ」
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奥側がチリ人選手/©Fanny Schertzer

 

チリ人もそうだが、特にボリビア人はよく働くことで有名。アルゼンチンに住む多くのボリビア人は八百屋さんをしている。知り合いに、訪問販売から始めて、ついには店を開くまでに至ったボリビア人のおばあちゃんもいるのだが、毎日100軒以上の家を回り、何十年とかけてお金を貯め、3つの店を開いたそうだ。ボリビアからの不法移民は多いが、それ以上の勤勉さで、彼らは多くの尊敬を集めている。

チリからアルゼンチンへ移住。移住先で出会う運命の顔見知り

恐怖政治から逃れるべくチリから戻ってきた義父だが、アルゼンチンでもまた大変な時代を過ごす。1976年にホルヘ・ラファエル・ビデラがクーデターにより大統領に就任すると、アルゼンチンもまた軍事政権時代に突入していったのである

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肉のインスタ映え。下にある骨付きリブもたまらない。

そういえば僕が移住した当初、義父と20年以上の付き合いとなる老人が、「義父は墓荒らしをしていて金のメダルをプレゼントしてくれた」と言っていた。当時はスペイン語がよく理解できなかったし、現実味がないから冗談だと思っていたけど、ここまでの半生を聞いているともしかしたら本当なのかもしれない。

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チリは野菜や魚介類が豊富で安い。アパートを借りて、地元の食材で自炊するのもオススメ。
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「ずっと聞きたかったんだけど、元・墓荒らしって本当?
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「正確に言えば墓荒らしではないんだ。政府や警察が多くの人々を殺したのさ。で、その死体を家のすぐ近くに捨てた。ある時、兄弟と死体の片づけをしていると、たぶんアメリカ製かな、金のメダルを見つけたんだ。それ以来、積極的に捨てられた死体の片づけをしたのさ
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「な、なるほど」
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「でも、お宝を見つけたのは、あの一回きりだけ。その後、墓場の掃除をする仕事には就けたけど
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ある意味、天職
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義父母が幼少期を過ごしたチリのテムコ。

近代アルゼンチン史で重要な出来事が、1982年に起きたマルビナス紛争(フォークランド紛争)。大西洋にあるフォークランド諸島をめぐり、アルゼンチンはイギリスと3か月間に及ぶ戦争を行う。

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「戦争中は、戦闘機がすぐ真上を飛んでいたんだ。戦争なんて馬鹿げているだろ。だから、友達と木で作ったパチンコで、飛行機に石を投げつけてやった。いい思い出だよ」
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義母と一緒だと、義父もこの笑顔。

 

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「初めてアナ(義母)と出会ったのはマルビナス紛争の頃だったかな」
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「2人のなれそめ聞いたことないね! せっかくだから教えてよ」
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「アナとはチリで出会ってるんだ。昔はテレビの普及率が低かったけど、俺の家にはあった。だから、近所の子どもたちがテレビを見に来たんだよ。その中に、アナと彼女の従弟がいたんだ。アナとはほとんど話してないけど、従弟とは仲良くなってね」
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「(食い気味に)うん、うん!」
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長女が生まれたときに撮影された写真。

 

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「チリではそれっきり。でも、アナと従弟もアルゼンチンに移住していて、従弟はたまたま俺の叔母さんの世話をすることになり、そこでアナと再会を果たすのさ。すぐに仲良くなって、一緒に暮らし始めた。19歳のときにはノエ(長女)を授かったな」 
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「幼少期に一度会っていて、移住先で再び出会ってそのまま恋に落ちて結婚って、映画かよ」
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結婚宣誓式を挙げたときの写真。控えめに言っても最高に素敵。

アルゼンチンでは事実婚をしている人が多数。義父母も正式に結婚したのは、次女が生まれてから数年後。ちなみに、アルゼンチンは中南米で初めて同性婚を合法化した国でもある。

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2時間の炭火焼きの末、ついにアサードが完成!

歴史が作るネガティブなアルゼンチン人の国民性

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「13歳から働き始めて、戦争や国家破綻とか経験してるのかぁ。なんだか想像もつかないな」
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「俺の人生では、思った通りに未来は進まなかったし、むしろ未来に裏切られることもあった。だから、将来幸せになろうなんて思わない。今、この瞬間に幸せを見つけるのさ」
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「そうなんだ」
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チリ・パタゴニアの風景。アルゼンチン・パタゴニアとは一転して、緑が多くなります。

 約100年前、アルゼンチンは世界有数の経済大国だった。しかし、汚職や政治などが原因で先進国から途上国へと転げ落ち、2001年にはデフォルト、つまり国が破綻するのだ

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「デフォルトが起きた年、政府が1年間ほど銀行預金の引き出しを制限したんだ。政府はチョーロ(泥棒)さ。だから、多くの人は銀行預金の代わりに車や家を資産として買ってるんだ」
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「なるほど」 
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「昔の移民たちは、自由や富を求めてアルゼンチンに来た。そして現実に国が栄えた時代もあった。でも今は、お世辞にも栄えてるとは言えないだろ。インフレ率も高くて、一週間後の牛乳の値段も分からない。この国は不安定過ぎるんだ。今を生きることで精一杯だし、未来を考えてもその通りに行くことはなかった」

世界中で見ても、アルゼンチンのように先進国から途上国になった国はない。何度も起きたネガティブな出来事が、未来に期待しない国民性を生んだのかもしれない。それは裏返すと、「ネガティブな未来を描くからこそ、多くのアルゼンチン人は今を大事に楽しく生きる」ということなのだろう。

移民が作り上げた家族を大切にする文化

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「家族だけは大切にするんだよ。貧しくとも、家族と一緒に笑えれば十分に幸せさ。チリにいたときも、アルゼンチンに戻ってきたときも、不況を経験したときも、いつも家族が側にいてくれた。辛いこともたくさん経験したけど、毎日幸せな日々を過ごしている」
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「わかった」
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「もちろん、お金は必要だから働かないといけない。でも、トラバハ・パラ・ビビール(生活するために働く)。お金は生活を豊かにするだけで、心を豊かにするものではない」
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生活が苦しいときも、家族が集まればこの笑顔。

 

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義父のお父さんも招待して、みんなで乾杯。

未来を考えて暗くなるくらいなら、今を生きて明るく過ごそう。

この国に住む僕もまた移民。家族がいるだけで幸せは実感できている。結局、この何気ない幸せがかけがえのないものなんだ。そんなことをみんなで色々話していると、嫁がこう言った。

「私は単にフロヘーラ(怠け者)すぎて、未来について考えられないわ」

アルゼンチン人の若者もまたデフォルトを経験してるが、自他共に怠け者と認める彼らにとっては、単純に未来について考えるのは面倒くさいだけなのかもしれない。どのような理由にせよ、アルゼンチン人は未来ではなく「今」を生きている。

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人生色々あるけど、とりあえず家族と笑顔があればハッピー!
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