物心つく前から移民だった義父
南米大陸の最も南に位置するアルゼンチン。「ラテンな国」と言われるため、人々は明るく情熱的なイメージだと思われがちだ。もちろんそのノリはあるが、人々は未来に関しては現実的に考える傾向が強い。いや、どこか冷めていると言った方が正確だろう。
その背景には、アルゼンチンが辿ってきた歴史や移民文化が関係しているのかもしれない。義父はこの国で生まれながら、自身を「チリからの移民」と言う。彼の半生を聞くにあたって、まずはそこに触れてみたい。
ピノチェは、チリの第30代大統領。クーデターによって大統領に就任し、長きにわたり軍事政権を行った独裁者。命の危機から逃れるために、アルゼンチンに住む親戚を頼って、義父家族は再びアルゼンチン、今も住むネウケン州の地を踏んだのだ。
チリ政府によると、世界中で移民として過ごすチリ人の数は約48万人、そのうち約21万人がアルゼンチンに住んでいるそうだ。これは2003~2004年の古い記録なので、現在はさらに増えているだろう。以下の州が、チリ人移民が多い場所として知られている。
-ブエノスアイレス:50,978人
-リオ・ネグロ:39,454人
-ネウケン:28,526人
首都のブエノスアイレスを除くと最も多い地域は、リオ・ネグロとネウケンを含むパタゴニア地方。義父と同じように、ピノチェト政権時代の移住者が多数を占めるようだ。
アルゼンチンは移民が築き上げた国ではあるが、近年の移民の功績は歴史に残されていない。義父が教えてくれた 「Manual Pulser」というパタゴニアの歴史が書かれた本では、初版にこそ移民の活躍が書かれていたが、編集版が発表されるにつれて改ざんが行われたと言う。
義父世代の人々は、「政府が意図的にアルゼンチン人の歴史にした」と言う。その本自体は発見できなかったため、真相は定かではないが、もしかすると義父たちの言う通りかもしれない。こういう話、陰謀論っぽく中二病心が揺さぶられて大好き。
『キリギリス』のアルゼンチン人と『アリ』のチリ人・ボリビア人
僕はこれまで2つの職場でアルゼンチン人と働いた経験がある。そのときのボスは「日本人は勤勉だから」という理由で僕を雇った。確かに、平気で遅刻や無断欠勤を繰り返す人は多かった。
チリ人もそうだが、特にボリビア人はよく働くことで有名。アルゼンチンに住む多くのボリビア人は八百屋さんをしている。知り合いに、訪問販売から始めて、ついには店を開くまでに至ったボリビア人のおばあちゃんもいるのだが、毎日100軒以上の家を回り、何十年とかけてお金を貯め、3つの店を開いたそうだ。ボリビアからの不法移民は多いが、それ以上の勤勉さで、彼らは多くの尊敬を集めている。
チリからアルゼンチンへ移住。移住先で出会う運命の顔見知り
恐怖政治から逃れるべくチリから戻ってきた義父だが、アルゼンチンでもまた大変な時代を過ごす。1976年にホルヘ・ラファエル・ビデラがクーデターにより大統領に就任すると、アルゼンチンもまた軍事政権時代に突入していったのである。
そういえば僕が移住した当初、義父と20年以上の付き合いとなる老人が、「義父は墓荒らしをしていて金のメダルをプレゼントしてくれた」と言っていた。当時はスペイン語がよく理解できなかったし、現実味がないから冗談だと思っていたけど、ここまでの半生を聞いているともしかしたら本当なのかもしれない。
近代アルゼンチン史で重要な出来事が、1982年に起きたマルビナス紛争(フォークランド紛争)。大西洋にあるフォークランド諸島をめぐり、アルゼンチンはイギリスと3か月間に及ぶ戦争を行う。
アルゼンチンでは事実婚をしている人が多数。義父母も正式に結婚したのは、次女が生まれてから数年後。ちなみに、アルゼンチンは中南米で初めて同性婚を合法化した国でもある。
歴史が作るネガティブなアルゼンチン人の国民性
約100年前、アルゼンチンは世界有数の経済大国だった。しかし、汚職や政治などが原因で先進国から途上国へと転げ落ち、2001年にはデフォルト、つまり国が破綻するのだ。
世界中で見ても、アルゼンチンのように先進国から途上国になった国はない。何度も起きたネガティブな出来事が、未来に期待しない国民性を生んだのかもしれない。それは裏返すと、「ネガティブな未来を描くからこそ、多くのアルゼンチン人は今を大事に楽しく生きる」ということなのだろう。
移民が作り上げた家族を大切にする文化
未来を考えて暗くなるくらいなら、今を生きて明るく過ごそう。
この国に住む僕もまた移民。家族がいるだけで幸せは実感できている。結局、この何気ない幸せがかけがえのないものなんだ。そんなことをみんなで色々話していると、嫁がこう言った。
「私は単にフロヘーラ(怠け者)すぎて、未来について考えられないわ」
アルゼンチン人の若者もまたデフォルトを経験してるが、自他共に怠け者と認める彼らにとっては、単純に未来について考えるのは面倒くさいだけなのかもしれない。どのような理由にせよ、アルゼンチン人は未来ではなく「今」を生きている。