ふつうのなかに歴史をみた
いままでは、Campusノートを見ても、「シンプルだなー」とか「使いやすいなー」としか思っていなかった。
しかし、一度Campusノートの歴史を紐解いてみると、その中には厚い歴史の層が埋もれているのである。そこに、新幹線の記憶を見たのである。
現在のCampusノートは5代目だ。今後、また進化するかもしれない。次の進化ではもっと新幹線に似てくるのではないだろうか。いや、リニアモーターカーの面影さえ携えるかもしれない。携えないか。
だれしもが一度は使ったことがあると思われる、Campusノート。
その中で一番”ふつう”なものをじっくり眺めながら、想いを馳せてみることにした。
Campusノートと見つめ合うのは久しぶりだった。
一度は使ったことがあるのではないか。
シンプルな色の表紙に書かれたスタイリッシュな「Campus」という文字。その横に小さくノートの情報が書かれている。
今は、いろいろなCampusノートが発売されている。
しかし、やはりもっともふつうのものは、この薄く青いノートだとおもう。
表紙にはまっすぐにのびた直線が引かれ、このノートの中身をさりげなく教えてくれる。
こんなにまじまじと見るのは久しぶりだ。
どこまでいっても直線、直線の連続だ。余計な情報が一つもない。どう使うのかは自由。
この直線から、ドイツのアウトバーンや、アメリカの自動車道路を思い出す。日本で言えば、新幹線やリニア・モーターカーの線路だろうか。
これは東海道新幹線の道路。真ん中の青と白で書かれているのがそれだ。ノートと同じようなまっすぐへの意思を見出せる。
どうしてここまでまっすぐなのか。
もちろん、それは書きやすいからだろう。
アオハル.com によれば、かつて日本ではノートは「雑記帳」として線がないものがふつうだったという。
それが、いつのまにか線付きが”ふつう”になった。それはやはり、線がないよりあったほうが使いやすいからだろう。
しかし、それだけなのか。
いや、それだけではない。
私は、そこにまた別の理由を見る。
それが、”新幹線”だ。
KOKUYOによれば、Campusノートの前身となった「無線とじ」のノートが製品化されたのは1959年。
そして1959年、日本で最初の新幹線・東海道新幹線の着工が始まるのだ。
さらに驚くべきは、その「無線とじ」が初代Campusノートとして製品化された1975年、東海道新幹線から直通する山陽新幹線の工事が終了する。これで、東京〜博多間という、本州から九州までを結ぶ大動脈の大枠が完成した。
東京〜博多間の着工から完成を、「無線とじ」の製品化からCampusノートへの製品化の流れとパラレルに見ることは、難しいことではない。
話はこれだけではない。
1975年に初代Campusノートが開発されてから、Campusノートは何回かの進化を遂げている。
そのなかで、3代目Campusノートが誕生した1991年には、東京・上野間の新幹線が開業し、博多・盛岡間が新幹線でつながることとなる。
さらに、現在わたしたちが目にしている5代目Campusノートは2011年に誕生したものだが、この年の3月に博多・新八代(熊本)間の新幹線が開業し、これで盛岡から新八代までが新幹線でつながることとなった。
Campusノートの進化とともに、新幹線の進化もある。そして、新幹線の進化とともに、Campusノートの進化もある。
Campusノートの直線は、新幹線の直線のことだったのである。
もはやCampusノートには、新幹線の夢が詰まっているとしか思えなくなってくる。
一度そう思うと、もうCampusノートは新幹線にしか見えてこなくなる。
例えばこのノートの表紙。
これなど、新幹線を横からみた時にそっくりではないか?
やはり、Campusノートと新幹線には、抜き差しならない関係がありそうだ。
Campusノートをじっくり見つめると、その歴史がぼわっと浮き上がってくる。
いままでは、Campusノートを見ても、「シンプルだなー」とか「使いやすいなー」としか思っていなかった。
しかし、一度Campusノートの歴史を紐解いてみると、その中には厚い歴史の層が埋もれているのである。そこに、新幹線の記憶を見たのである。
現在のCampusノートは5代目だ。今後、また進化するかもしれない。次の進化ではもっと新幹線に似てくるのではないだろうか。いや、リニアモーターカーの面影さえ携えるかもしれない。携えないか。
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