とくべつ企画「よけいなことをする日」 2020年2月29日

通勤前にベートーベンちに行く

ウィーンに住む私は、通勤前に6歳児を学校に送っている。

ある日、地下鉄が止まって、学校に遅れるおそれが生じた。嫌な汗をかいたが、息子は「駅員さんに聞こう」「べつの電車でS駅からP駅まで行こう」と上気した。

このとき私は、大切なことを教えられた。通勤路の迂回という「よけいなこと」は、愉快な小旅行としても捉えうるのだ、と。

そうして学校と職場に遅刻した。

※この企画は2020年2月29日のとくべつ企画「よけいなことをする日」のうちの1本です。

1982年生まれ。ウィーンに住んでいるのに、わざわざパレスチナやらトルクメニスタンやらに出かけます。
岡田悠さんと「旅のラジオ」更新中。

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この成功体験が古びないうちに、もういちど遠回りの通勤をしてみようと思った。ちょうど学校が冬休みで、子どもを連れていく必要もなかった。

今回は不測の事態ではないから、行き先を自由に決められる。

思い浮かんだのは、あの人の家だ。

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ある冬の朝、私はベートーベンちに行くことにした。

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いざ出発だ。

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寒さに震える身に、トラムの優しい光が届いた。

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誰もいない。

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乗り換えのための下車。

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人生について考えるための時間が与えられる。

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誰もいない。

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バス停に行く。

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乗客がいる。私はもう孤独ではない。

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ここからは歩いていく。

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もうすぐだ。

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苦悩を突き抜けて、歓喜に至れ!

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ベートーベンちに着いた。

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生誕250周年、おめでとう。

あなたの作品に救われた人間がたくさんいるんだよ。

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ベートーベンちに寄ってから、3分ほど歩いて、

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またべつのベートーベンちに行った。

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あの人は、夜中にうるさくしたりして、よく家を追い出された。

だからこのあたりには、ベートーベンちがたくさんあるのだ。

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当時のウィーンには、敷金・礼金の制度はあったのだろうか。

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さらに歩いて、小径に入る。

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あの人は、ここで交響曲第6番「田園」の楽想を練ったという。

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職場からどんどん遠ざかっていく。

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2日後の海外出張では、プレゼンが7回ある。でも資料ができていない。

シューベルトの交響曲第8番「未完成」だ。

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ベートーベン公園で小休止をしていると、ふいにあの人が現れた。

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名も知らぬ東洋人よ。

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わたしは、わたしの歩むべき道を歩いてきた。

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おまえには、おまえの行く道があるのではないか?

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私はハイリゲンシュタット駅から職場へ向かった。

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