偶然に頼って旅立つのは楽しい
取材当日、記事に書く対象をどうにかこうにか見つけようと、あたふたするのだろうと思っていた。
そんなことなかった。池があり、村の復元施設があり、古墳に至っては115基もあった。対象らしき対象は存在していたのだ。
とはいえ、突然なんの前触れもなく出会うことになった115基の古墳を前に、別の意味であたふたした。
もしかしたら、古墳の醍醐味のうちの100分の1も謳歌できていないんじゃないのかと不安に思う。でも、それすらも愉快だと感じている自分もいる。行き先を自分で決めず、偶然に身を委ねてみるのって、不意打ちばかりで楽しい。
ただ、ひとつだけ、偶然に身を委ねすぎたかもと感じていることがある。駅前の看板だ。
2つあった看板のうち、左側は剥がれていて、何が書いてあるのか見えなかった。
が、帰りの電車のなかで、スマホを見ていて気付いたのだ。あの地図に書いてあったのは、巨大な印旛沼だ。かつて、日本で一番汚いといわれていた沼である(今はきれいらしい)。印旛沼、行ってみたかった……!
今回、最大にして唯一の悔しいポイントである。