ところで駅から尾山台側(自由が丘の反対方向)の公園近くには、「禁銃猟 警視庁」という石碑が建っていた。そのものずばり、銃での猟を禁ず、と言う意味以外にないよな、これ。
静かな住宅街で見つけたのでかなりギョッとしたが、単に明治時代ごろのものがそのまま残っているだけらしい。
昔の世田谷は草深いところなので、猟をする人がいただろうというのは想像できるんだけど、それ以前にお寺の近くではさすがに止めとけよ、という話である。
「じゃあ、きだてさんは『九品仏』へお願いします」という古賀さんの呼びかけ対して、僕の答えは「今回も近い!」だった。
前回(2019年末)の「新幹線の駅でひとりだけ置き去りにされたい 」企画でクジを引いた結果が、東北新幹線で都内を出てから1駅目の大宮。最短距離での置き去りである。
そして今回のクジでは九品仏。他のライターさんが千葉や埼玉の難読駅に出かけて行くなか、ただ一人だけ東京23区内。もはや一番近いところにしか行けない呪いっぽくないか、これ。
そうそう、東京在住なら身近な難読駅名として逆にメジャーな『九品仏』駅(東急大井町線)だけど、そうじゃなければ読めない人もいるだろう。
正解は『くほんぶつ』である。なるほど、知らないと確かになかなか読みづらい名前ではあるかも。
地理感がピンとこない人にどういう感じの場所かをザックリ説明するとしたら、えー、隣の駅がセレブタウン『自由が丘』で、環八を挟んだ向こうはド高級住宅地『田園調布』だと言えば、なんとなく雰囲気は伝わるだろうか。
さすがニア自由が丘ということでオシャレなカフェやスイーツのお店はちょいちょいありつつ、しかし昔ながらの商店街もあり、そして住宅地は軒並み豪邸っぽい。それが九品仏である。
ちなみに九品仏駅は、駅名が読みにくいという他にもうひとつ有名なものがある。
ホームが大井町線(5両編成)より短い4両分しかないため、1両がホームからはみ出して止まる。結果としてドアの開かない車両が出てしまうという、東急で唯一のドアカット駅だ。
なので、早めに気付かないと降り損ねてしまう危険性すらある。僕も初めて九品仏に来たとき、まさに知らずにこのドアの開かない端の1両に乗ってて、かなり慌てたのだ。
……と、駅だけでもいろいろとトピックがある九品仏だけど、さすがにこれだけで取材終了にはできない。
降りてウロウロしてみようではないか。
今回の難読駅置き去り企画、おそらく話の中心になるのは「なんでこんな名前なの?」という部分だろう。地名の由来を探してその土地を歩くのは、面白そうだし。
なんだけど、残念ながら九品仏に関してはそれがあっという間に解決してしまうのだ。
というのも、駅を出た目の前から名刹 九品仏浄真寺へ続く参道があるからだ。
そもそも九品仏って名前でお寺が関係してないなんて、まぁ、ありえないよね。
あまつさえ、参道に入ってすぐのところにある立看板にこんな表記が。はい解決。
つまるところ、この浄真寺さんには上品上生/上品中生/上品下生から中品上生〜下品下生まで、合計9体の阿弥陀仏像がお奉りされており、略して「九品仏」という次第である、と。それがそのまま駅名になっているわけだ。
ちなみに上品上生は「じょうぼんじょうせい」と読む。仏教用語だ。なので、九品仏も読み方は「くほんぶつ」。
この九品というのは物事や人の性質を3×3に分類したもので、例えば上品上生の人は死んだら即、極楽浄土へ。対して下品下生の人は地獄確定。で、九体の仏さまはそれぞれの位階に対応しているということらしい。
あと、普段から「学生時代の成績は中の下でした」みたいな9段階評価をするけど、それもこの九品の考え方に由来しているようだ。へー。
先の看板にもあったが、九品仏は2014年から大修繕事業が始まっており、仏様1体ずつお直しに入っているそうだ。
なんか3体並んでるうちの1体が無いと、ニュース番組における「○○キャスターは今日から遅めの夏休みをいただいております」みたいな図で、ちょっと面白い。
この九品仏浄真寺、「地名の元ネタを拝んどくか」ぐらいのノリでふらっと入ってみたけど、あちらこちらと思った以上に見どころが多い。ついついじっくり見て回ってしまうのである。
お賽銭をいれると怖い声で「今を精一杯生きろ」と真面目なお説教してくれる閻魔様とか、かわいい仁王門とか。あと、おみくじを結ぶのが木や柱じゃなくて白鷺なのも変わってて面白い。
白鷺は浄真寺が創建される前にあった奥澤城のお姫様にまつわる伝説があって…など、それぞれにちゃんと説明が掲示されているので、「ほへー、そうなんか」と読んでいるだけでも楽しい。ちょっとした仏教テーマパークである。
寺社仏閣なんて子どもの頃は退屈極まりない場所だと思ってたけど、中高年にもなるとこんなに楽しめるものなんだな。まだ若いみんな、加齢ってすごいぞ。
九品仏とは別にあるご本尊(釈迦牟尼佛像)の本堂では、ご覧のようなゆるキャラ「きゅっぽん」まで販売されていた。
頭に螺髪(仏様の丸まった頭髪)があるところから察するに、きゅっぽんも仏様の一種らしい。ゆる仏像だ。たぶんお経も「南無阿弥陀仏だぽん」みたいな語尾を付けて読みそうな気がする。
せっかく来たんだからお土産にきゅっぽん買っちゃうか、と寺務所の受け付けに持っていくと、対応してくれたお坊さんが「ご本尊の裏側に本物もいますので、会っていってあげてください」と教えてくれた。
本物?
意味が分からないまま、ご本尊の裏手にある部屋に入ると、あー、いたわ、本物。
イベントなどで実際に使われている着ぐるみきゅっぽんが、ソファーに座った状態で置かれているのである(もちろん、人は入ってない)。
しかしきゅっぽん、さっき予想したままの語尾だったな。そうか、「合唱ぽん」ときたか。
さて、九品仏の由来は解き明かしたし、さらにはゆる仏像こときゅっぽんとのツーショット写真を撮るなど、さんざんお寺を満喫したわけで。
取れ高的にはもう充分すぎんだろという気もするんだけど、せっかくなので町ブラっぽいこともしておきたい。仕事では何度も来てるけど、ブラブラ歩いたことは無かったし。
最初の方でも書いたけど、九品仏は自由が丘要素と古い寺町要素が入り交じっている。そのため、町全体がなんとなく「…おれ、どっち側で頑張ったらいいんすかね?」と迷っているようなアンバランスさがあるのだ。
そして、散歩している側も「うーん、どっち側として受け止めたらいいのか」と迷う。これがわりと面白いし、九品仏の魅力のひとつなんじゃないかと思うのである。
見ていると、九品仏駅前の施設なのに「自由が丘○○」を名乗っているところも多く、いろいろとアイデンティティを確立しかねている様子が見て取れる。
ちなみに東急大井町線が開業する前(1927年ごろ)の一時期は、現在の「自由が丘駅」が「九品仏駅」を名乗っていたそうで、もしかしたら、その辺りもアイデンティティの揺らぎにつながっているのかもしれない。
ところで駅から尾山台側(自由が丘の反対方向)の公園近くには、「禁銃猟 警視庁」という石碑が建っていた。そのものずばり、銃での猟を禁ず、と言う意味以外にないよな、これ。
静かな住宅街で見つけたのでかなりギョッとしたが、単に明治時代ごろのものがそのまま残っているだけらしい。
昔の世田谷は草深いところなので、猟をする人がいただろうというのは想像できるんだけど、それ以前にお寺の近くではさすがに止めとけよ、という話である。
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