絶対にうまいであろううどん屋さんもある
帰りに絶対にうまいであろう佇まいのうどん屋さんがあったが、定休日だった。
難読の地に派遣され、様子をレポートすることになった。不安が重なり「僕が今見ているものは夢なんじゃないか」と現実を疑うところまで行ったが、直売所のシュークリームのうまさによって生身の感覚を取り戻した。これからそういう話をします。
朝、自宅でくじを引き「男衾」という場所に向かうことになった。
新鮮な感情を取っておくために、敢えて男衾についてはそれ以上調べないことにしていた。調べないことにしていたが、これがすごく不安である。ただ当てもなく歩くだけになったらどうしようと思う。
そもそも難読というだけで取材先に決まったらしい。唐突に遠地に派遣される。なぜなら難読だから、という理屈である。「なぜだ」と素直に思う。いや、この不安な気持ちが、男衾に着いてから気持ちを盛り上げるためのスパイスになるんだろう。そう願うしかない。
しかし平易に読めない場所に行くというのは思いのほか不安なことだった。外国を旅行する気持ちに近い。
着く直前、電車のアナウンスを聞いてハッとした。僕はずっと「おぶすま」を、頭の中で「もみあげ」とか「オランダ」みたいな平坦なイントネーションで読んでいた。しかし電車のアナウンスは「そばがき」とか「目薬」のように2文字目を上げるイントネーションだったのだ。こっちが正しい呼び方なのだろうか。
家に帰ってから調べたが、確かなことは分からなかった。でも色んな地方で方言が絡んだイントネーションの問題はあって、この呼び方が正しい、と断ずることができる問題ではないようだった。
とりあえず以降、僕の中では電車のアナウンスに従って「そばがき」と同じイントネーションで呼んでみようと思う。
ホームを出て改札へ向かう途中に「男衾マップ」が掲示されているのを見つけた。
寺社はどうだろう。僕みたいなものが丸腰で行って良さを堪能できるだろうか。そんなことを考えながら見ると一箇所だけ異彩を放つスポットがあった。
『トンボを愛する町の有志が完成させたトンボの公園』とある。ホンダの野球部が強き地、男衾であり、更にはトンボを愛する地、男衾だったのだ。時期的にトンボはいないだろうけど、トンボを愛する有志が作りし公園を見てみたい。まずはここに行ってみよう。
とりあえず行き先が決まってホッとする。男衾のイメージが肉付けされていき「読めない知らない町」から「読めるトンボの町」へアップデートされた。すごく個人的な印象だけど。
小さい本棚にマンガが並んでいて食後にコーヒーがつく洋食屋さんである。知らないポップスのピアノバージョンが小さい音でかかっている。ものすごく落ち着いた。
洋食屋さんでホッとしてトンボ公園に向かう。
門の後ろにひらけた場所があって、ここがその公園かな、と一瞬思うが、このくらいの広場だったらわざわざ立派な門を作らなくてもたくさんある。奥の茂みに入っていくと向こうに公園があるのだろうか。なんとなく『千と千尋の神隠し』の冒頭を思い出した。
現実的な結論を出してトンボ公園に気持ちを戻す。
他に看板もお店もない。僕が立ち寄れる場所がどこにもない状態で、誘うものがこの看板のみ。でも脇の道の奥に公園らしきものは見えない。こんなに見通しがいいのに…。
この不自然さはなんだろう。道中誰にも会わないし。もしかしたらこの景色は僕が見ている夢で、本当の僕はまだ自宅のパソコンの前にいて「くじを引く」という儀式的行為から始まる催眠をかけられているのかもしれない。
「男衾」なんて土地はないんだ。だってなんか変じゃないか。「男衾」と書いて「おぶすま」と読むなんて。
そんな疑念を抱いたまま「男衾自然公園」を振り切ってトンボ公園に向かう。
トンボを愛する町の有志が作った公園は、池と遊歩道のある開けた場所だった。ところどこに「とんぼ公園」と書いてあるのぼりが立っていて、戦国時代の合戦を連想した。
この池や解説を、町の有志が仕事終わりに集まり、意見を出し合って作ったと思うとなんだかグッとくる。
トンボを愛する町の有志が作った足場をゆっくり一周歩いた。相変わらず人には会わないけど、トンボへの愛と、それを後世に伝えるための努力が十分に伝わった。
男衾、存在しないとか言ってすみませんでした。
ここで、気になっていた男衾自然公園に戻るか、それとも別の場所に向かうかで迷う。ここで戻ってまごまごでもしたら、そこで帰りの時間になってしまうかもしれない。あんなにモヤモヤしたが、入り口が異様なだけで奥に普通の公園があるだけの可能性も十分にあるのだ。
もっと男衾のいいところをレポートしたい。仕方なく自分に課していた禁を破ってGoogleマップを開く。
男衾自然公園、想像の何倍も大きかった。公園というか、散策できる山である。ハイキングコース。更にここも男衾の有志の方々が整備されているらしい。アウトドアを愛する地、男衾である。
行ってみたかったが、登山の準備も時間もなかったので泣く泣く諦めた。
代わりに、歩いて行ける距離にプレシアというお菓子を作っている会社の工場と直売所があったのでそちらに向かう。昼ご飯からひたすら歩いているので、甘いものを食べて休憩したい。
アホみたいに晴れている。40分ほど歩いた。とにかくずっと同じ景色で、ずっと「おぶすま」のイントネーションについて考えながら歩いていた。散々自分に言い聞かせたが「メレンゲ」みたいに平坦に呼んだ方がやはり自然じゃないか。どうなんだ。
プレシアの工場に着いた。「お菓子工場」という響きからくるファンシーさはない。しっかり「現場」という感じのする工場。大きな門の前で、本当にふらっと立ち寄っていいのか少し悩む。
コンビニに置いてあるようなスイーツをたくさん作っている会社で、直売所に置いてある商品は日によって変わるらしい。この日はフルーツの入った大きなロールケーキと、シュークリームや小さいケーキなどが売っていた。
カゴにどさどさ積まれた大きなシュークリームの前に「60」という札がある。金銭感覚を揺さぶられて混乱した。切る前の大きなロールケーキは「500」だった。
工場を出てすぐそばの空き地でシュークリームを食べた。
こんなに思い出に残るシュークリームがあるだろうか(いやない)。読めない土地に派遣されて不安な気持ちで10km歩いた後の、直売所で買った出来たてのシュークリームである。食感も味も、経験する全部のことがその時猛烈に求めていたものだった。
風呂上がりの牛乳に代表される、状況がもたらすうまさってあると思うが、その最高峰である。難読の地でのシュークリーム。
この後シュークリームの余韻で少しふらふら歩き、いい時間になったので電車に乗って帰った。
読める地に帰った今、あのシュークリームおいしかったなと思いながら近所のコンビニでシュークリームを買っている。最初の登山の衝撃が忘れられなくて、またあれを体験したくて登山を続けている、みたいなインタビューを読んだことがあるが、それと似たことがシュークリームで起きた。インタビューされたら男衾の話をしようと思う。
帰りに絶対にうまいであろう佇まいのうどん屋さんがあったが、定休日だった。
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