「行く」ということがこんなにも珍しい
今回の企画への参加者は9名。私をのぞく8名が各地に置き去りにされた記事は昨日までに公開された通りだ。
ある人は大宮に。ある人は(新)花巻に。見知らぬ土地に、それぞれただ一人取り残された。
私が引いた切符の行き先はそんな人々が置き去りにされた電車の終着地。新函館北斗駅であった。置き去りにされずたどり着いたといっていい。
目的地まで純粋に「行った」かたちだ。
9人中、置いて行かれず、ただ行ったのは私だけである。「行く」ということが珍しい。そういうことがあるのだ。
北斗市を観光するか、函館まで行くか
8時少し前に東京駅を出発し、あちこちで人をおろすために直通ではなく3本の新幹線を乗り継いで新函館北斗駅には13時半ごろ到着した。
「期せずして置き去りにされた」企画の新鮮味を最大限有効化するため、くじで切符を引いた乗車前の7時以来、各人下車までは行き先についての検索は禁止とされている。
下車直後から検索を解禁、新函館北斗から函館まで電車で特急なら15分等の交通情報もこの段階で知った。
函館担当! と分かった段階から、悩みは新幹線駅のある北斗市を見て回るか、それとも在来線に乗り函館や別の場所に移動するかであった。
函館といえば日本有数の観光地。少なくとも3日、できれば1週間、なお良くばそれ以上滞在したい場所だろう。
しかしこの日、帰りに乗る電車ももう決まっている。函館を見て回る時間の足りなさは明白だ。
観光案内書に立ち寄ると、あの有名なトラピスト修道院(トラピストクッキーの!)の所在が北斗市内らしい。温泉もあるなど函館に行かずとも行くべきところはありそうだ。悩む。
北斗市には「ずーしーほっきー」がいる!
新函館北斗駅は2015年にかつての駅舎(2016年の新幹線駅開業までは「渡島大野駅」)から移転した新しい駅でとてもきれい。
雪景色もあいまり、こうして行き先を迷いながらもいるだけで「来たんだな!」という価値が心に染み入る。
そこで、見つけたのだ。
こちらのお方は北斗市のキャラクター「ずーしーほっきー」さん。市の名産のホッキ貝の握り寿司をイメージしているのだそうだ。
ご覧の通り、今の空気をまとったデザインでとてもとてもかわいい……。
ストラップのついた小さいぬいぐるみを息をするように自然の動作で買った。
満足だ。
函館へのあこがれ
と、いっときは時間のすべてを北斗市につぎ込むのが良策か……! と思ったのだが、ここでなんのはずみか、狼男が月を見たような感じで気持ちが豹変した。
ずーしーほっきーのかわいさを堪能したことによりすっかり北斗市に満足してしまったのが大きかった。
「やっぱり私、函館にも行きたい!」
自分でも驚くような行動だった。ここまで急激でひらめくような心を感じたことがかつてあっただろうか。
ウェディングドレスで駆け出す気持ちにさせるほどの力が函館にはある。その訴求力の高さたるやおそるべしだ。
帰りの新幹線の車内で北斗市名物のホッキ貝を食べ損ねたことに気づきもんどりを打つことをこの時の私はまだ知らない。
函館、1時間ちょっとの「ようこそ」
新函館北斗駅からの特急電車、あわてて券売機で乗車券を買った自由席は満席だった。海外からのお客さんが多いようすだ。
降りるともう15時近く。帰りの新幹線の時刻を逆算すると函館の滞在時間は1時間ちょっとであった。
イカをください!
さあ、ここからはよーいドンだ。
改札を出るや否や、駅にも案内があった函館朝市のどんぶり横丁に駆け込んだ。いまはツウ好みの場所を選ぶひまはない。
函館なんだ。とにかくイカだ。
行き先が函館と決まったからには朝食はがぜん軽めにしてある。
イカはコリコリというよりもはやカリカリした食感で奥歯でギュっとかむと異様に味が濃い。
どんぶりも魚介に一切のくさみがないのでくさみの違和感に箸を休めるようなことがまったくないのだ。もはや飲むように食べてしまった。
身に余るありがたさよ。
感激に泣きむせぶ暇くらいはあってもいいはずなのだが、しかしないんだ今は時間が。
どんぶり横丁をあとにして、このあとできれば金森赤レンガ倉庫方面に行きたいところだった。
私は小学生のころ一度だけ函館に来たことがある。
ガラス細工のお店でとても親切にしてもらった思い出があり、30年近く前のことにはなるがもしやまだあったら……と思った。
イカ広場ってなんだ
ああ、やはり赤レンガ倉庫まで行くにはギリギリ時間がない……(タクシーも見当たらなかった)残念に思うなかにも、雪の中歩いているだけで気持ちが明るくなって充実していくのを感じる。
どこを見回しても、普段東京に住み勤め暮らしている私には圧倒的な非日常だ。
赤レンガ倉庫を諦めたころ見つけたのが、そう、イカ広場の看板であった。
イカ広場は、かつての青函連絡船であり現在も保存公開されている摩周丸の前を指すようだ。
最初、本当にここがイカ広場で合っているのだろうか? とも思ったが、確かに柵に書いてあった。
ファーファーファーファーファー……
テレビドラマで海のシーンがうつるときのSEでよくある海鳥の鳴き声がする。
海に向かったながめの情緒が100点満点だ。
広場には手つかずの雪が積もっていた。歩いていて、この雪がサラッサラなことに気づいた。
ああ、これだ、北海道の雪は粉雪だとはよく聞くが、そのサラッサラの雪だ。
しばらく蹴って遊んで、すると時間がきた。
イカ広場で雪を蹴って、私の函館旅行は終わった。
概念としての函館を急いで味わった
走って函館駅まで戻り、あわわあわあわとお土産物を買ってまた新函館北斗駅行きの電車に乗る。
新函館北斗駅に向かうまでの車内では、きれいに夕日が見えたのでよく見た。日はずずっずずっと沈んでいった。
函館駅ではイカのおつまみの味噌イカやカニ飯の素などを買った。
新函館北斗駅で六花亭のバターサンドとストロベリーチョコも買った。六花亭の紙袋をぶら下げて一気に北海道に行ってきました! という風情があふれた。
そうか、私は今日、概念としての函館を味わったのかもしれない。心の中にあるぼんやりとした函館像と実際の函館を重ね合わせて差を楽しんだ。
あまりにもあわただしい。西垣さんと「一切帰りたくないですね……!」と言い合った。
でも、わたし今日函館に行ったんだ、そう口に出すだけで嬉しくなるのだから、満足もしているんだろう。
土地のブランド力がそうさせるだけじゃなく、遠くに行くことそのものの価値や、吸った空気の気持ちよさとか雪の感覚とか、そういうことすべて含めての感想だ。
きっと明日は「昨日函館に行ったんだ」と言うだろうし、1月いっぱいずっと「年末函館に行ったんだ」と言う。
長距離を短時間で行って帰ると夢かと思う
新函館北斗からまた新幹線を、今度は2本乗り継いで5時間ほどかけて東京へ帰った。
突飛な企画を撮影しているときによく「夢のようだ」と言うことがある。こんな変わった体験普段しないよなという夢っぽさだ。
今回は新幹線に乗って移動しただけで変わったことは何一つしていない。でも7時に東京にいて午後ほんの1時間くらい函館にいて、また21時に東京にいるというのはてきめんの夢っぽさであった。
で、はっとしたときに、リュックにつけたずーしーほっきーが揺れるわけだ。夢じゃなかった。
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