企画とはいえ不安しかない
大宮、仙台、くりこま高原と、新幹線からひとりずつ人が減っていき、次はいよいよ自分が置き去りにされる番がやってきた。
理解していてもみんなが乗った電車をホームから見送るのはそうとうの心細さである。そうだ、僕はこういう寂しさに弱いんだった。
最初から一人で取材に行くのはまったく構わないのに、途中から一人になるとどうしてこんなに寂しいのか。
念のためFacebookで「近くにいる友だち」を検索したがあたりまえだけどいなかった。
とはいえ花巻である。たしか温泉のある土地だろう。新幹線も止まるってことは観光地に違いないのだ。
駅に降りたらやはり温泉らしさが満開だった。
駅には「ようこそ花巻温泉へ」というのれんがかかっていた。その奥には案内板もある。これは置き去りにされたものの特権だろう、温泉に入るしかない。
遠かった。
忘れてはいうけないのは、ここは花巻ではなく「新花巻」なのだ。
新大阪、新神戸、新横浜。新のつく駅には気をつけろ(新幹線駅として作られているので周りになにもないことが多い)の法則を思い出した。
帰りの電車の時間までにはまだ6時間くらいあるので花巻まで移動して温泉に入ることもできなくはないが、せっかく置き去りにされたこの新のつく花巻にも運命みたいなものを感じる。今日はここ新花巻で一日たのしく過ごす方法を模索したい。
駅の前に見えるのはロータリーと自販機とレンタカー屋さん。少し歩くと山猫軒という食事処があった。
お昼ご飯にはまだ少し早かったので美味しそうなりんごを一つ買った。
調べによると、新花巻駅の近くには宮沢賢治記念館があるらしい。そうか、宮沢賢治は花巻の人だった。それは行かなきゃだろう。
しかしこの状態から顔を上げたら正面にはこの看板があって心が揺れた。
毘沙門天は見たいが9キロと書かれている。対して宮沢賢治は歩いて30分。先に宮沢、次に毘沙門と決めた。
車道の脇に引かれた白線の畑側を、横を通り過ぎる大型トラックの風圧に耐えながら山の方へと向かう。
なぜこの土地に新幹線の駅を作ったのか。歩きながら自分なりに考えた。
・かつては大都市だったがなんらかの理由で人がいなくなった
・これから大都市になるに違いない土地の将来性にかけた
・スピードを出すため線路をできるだけ直線的に引きたかった
最初のやつはまるで火星の七不思議である。どこかに正解の理由があるはずだけど、調べるのは帰ってからでもいいだろう。次にいつ降りるかわからない駅である。今はとにかく、なにもない景色をしっかり眺めることにした。
歩き始めてきっちり30分で宮沢賢治記念館に着いた。
宮沢賢治記念館
記念館は入口を入って長い長い階段を登った先にあるらしかった。この階段が、にわかにやってきた宮沢賢治ファンを寄せ付けないようにしているかのように急なうえ長い。
この木の階段367段を登りきると記念館本体が現れる。
ここで一つ告白があるのだけれど、実は僕はこれまであまり宮沢賢治作品に触れずに生きてきてしまった。だからさっきの階段で淘汰されるべくは僕なのだ。
もちろん「雨にもまけず」「注文の多い料理店」「銀河鉄道の夜」など、代表作は読んでいると思うけどその程度である。ここに来ることがわかっていたらもう少し予習していたのに、と思った。
記念館は僕くらいの浅い読者にも、宮沢賢治を構成する要素を「科学」「芸術」「宇宙」「宗教」「農業」の視点から解説していてたいへん面白かった。彼の広い興味と知識が、ひとつひとつの個性的な作品へとつながっているのだ。ああやっぱり予習しておきたかった。
注文の多い料理店
記念館の敷地内には注文の多い料理店のリアル店舗がある。
注文の多い料理店とはいえ、もちろん客が食われたりしないので安心してほしい。
宮沢賢治記念館が面白かったのと、このチキンカツ定食が最高に美味しかったことで、置き去りにされた寂しさを完全に克服できた。
宮沢賢治記念館から山を下りる途中に市立博物館があったのでこちらにも寄ってみた。
僕は博物館や科学館の類が大好きなので、ここも大満足だった。中でも博物館の工事中に出てきたというアケボノゾウの足跡化石がよかった。このあたりにはかつてゾウがいたんである。
僕の地元にも歴史民俗資料館があって、そこには縄文人のリアルな模型が展示されていた。博物館とか資料館ってだいたい埃っぽくて薄暗い印象だったので、子どもの頃はちょっと怖かった記憶がある。
あの資料館も今いくときっと面白いんだろうなと思う。今度帰ったら行ってみよう。
この時点で午後1時過ぎ。帰りの電車は18時である。まだまだ時間があるので日本一の毘沙門天を見に行きたい。
日本一の毘沙門天を見に行く
最寄りの土沢駅まで釜石線というローカル線で2駅移動する。
この土沢駅から毘沙門天へは駅から歩いても行けるらしいのだけれど、帰りの時間を考えるとちょっと不安だったので、とりあえず行きはタクシーに乗せてもらった。
時間はたっぷりあるし帰りはのんびり歩いて帰ろうと思っていたのだけれど、あまりの山道にひるんでタクシーの運転手さんに毘沙門天を見るまで待っていてもらった。熊注意なんていう看板も見たのも理由の一つだ。
鳥居をくぐり石段を上り詰めた頂上に毘沙門天のお堂がある。宮沢賢治記念館といい、新花巻の思い出は階段と共にある。
あまりの驚きに毘沙門天みたいな顔になってしまったが、拝観できることを調べてやってきたのだ。こんなことってあるか。
ふもとの社務所に戻って事情を話すと、どこかに電話をしてくれた。しばらくするとおかあさんが鍵を手にやってきた。
平安時代に作られた毘沙門天は高さ4.73mで日本一らしい。撮影不可だったので写真がなくて申し訳ないが、この迫力は写真じゃなくてぜひ実際に見てもらいたい。
ケヤキの丸太一本から彫られたという毘沙門天は、正面から見ると迫ってくるみたいな圧がある。年末にいいものを見たなと思いかじかんだ手を合わせた。
最後は温泉に入る
この時点で午後4時半。帰りの新幹線までまだ1時間半あるので、タクシーには道の駅でおろしてもらった。この道の駅には温泉があるのだ。
花巻には温泉がたくさんあるものだと思っていたのだけれど、それは花巻の話で「新」が付くと一気にその数がしぼられる。
この日はずっと曇りでちらちらと雪が降ったり止んだりの天気だった。歩いているとそうでもないけど、立ち止まると耳が痛くなるくらい寒い。
そんな寒いなか置き去りにされてものすごく心細かったけれど、博物館に行ったり仏像を見たりした後に温泉で温まれるなんて、いいぞ新花巻、と思った。他の場所で置き去りにされたみんなにちょっと申し訳ないなと思ったくらいだ。
これ、もう1日じっくり観光できたらもっと面白いに違いない。どこにも宿とか取ってないけど。
というわけで置き去りにされて1時間くらいは寂しさに負けそうだったけど、歩いてみるとなんとかなるし、新花巻には温泉も日本一の毘沙門天もあって結果的に楽しく過ごせてしまった。
またたまに置き去りにされたいです。
新幹線の駅でひとりだけ置き去りにされたい 記事一覧
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