もっと置き去られたい
この置き去り企画、全員がその地の珍味を買ってくることになっていた。二戸駅のお土産屋にはウニや乳製品などの魅力的なものが並んでいた。でも二戸じゃなくて隣町である。
でもここまで歴史を知っておいて、二戸じゃないものを買っていくのも…でも雑穀は珍味じゃないし…。
いっそのことすごく遠いところにしてからし明太子にしよう、と思ったがお土産屋になかった。
新幹線で馴染みのない駅に停まると、ここで降りちゃったらどうなるんだろう?怖いけどやってみたい、でも怖い。
そんな扇風機に指を入れたくなるような衝動に駆られる。
その欲望がかなう企画である。
僕が引いたチケットは二戸だった。岩手県二戸市。
※この記事は年末年始とくべつ企画「新幹線の駅でひとりだけ置き去りにされたい」の記事です。
改札を出ると顔ハメがあった。ニューデイズの店員の女性に声をかけて撮ってもらおう。こういうときのコツは自分をキムタクだと思うことである(女性なら東京メトロのCMの石原さとみ)。
『二戸、空気がまじうめえ』『うぉ、顔ハメやるっしょ』
キムタクがオーバーリアクションで振る舞うさまをひとりまねると自信あふれて愛想がよくなる。堂々とシャッターをお願いする。
新しいiPhoneはカメラのボタンを押しっぱなしにすると動画が撮れるのだ。どうやら長押ししてくれたらしい。
いきなり一期一会の写真が撮れた。こういうのいいじゃん、心の中のキムタクも喜んでいる。
………。知らない土地の展望台は感想を持ちにくい。展望台はふだん暮らしている町を別の角度から見るところに醍醐味がある。あ、学校だ。あの屋根は上から見るとこうなってたのか、とか。
そういうのがないので、すぐ山だな、岩肌すげえな、硬そうだな、岩だなという感想だった。
(「すぐ山」がこの記事最後で回収される伏線です)
観光案内所で見どころを聞いた。教えてもらったのは3ヶ所
「あとはあんまりないかな~(笑)」ということだった。地元の人に聞いて、そんなに見るところないよと言われると興奮する。そういうところに来たかったんです。
シビックセンターには福田繁雄と田中舘愛橘(たなかだてあいきつ)のミュージアムがあるという。福田繁雄は知ってるけど(1980年代に活躍したグラフィックデザイナーです)、たなかだてあいきつって誰だ。
このときは「知らないなー」ぐらいの気持ちでいたのだが、二戸の街を歩いているうちに田中舘愛橘を知らないおれはやばいのかも…という気持ちになってくるのだ。
シビックセンター裏には棒状のオブジェが立っていた。
しかしこれを館内から見ると…
(デザインは福田繁雄)
歩いてる途中、旧街道沿いに旧家があったので石碑を見たら。
観光案内所でもらった地図には田中舘愛橘の碑、田中舘愛橘ローマ字の墓があった。
岩手県は田中舘愛橘さんの動画も作っている(町にポスターが貼ってあった)。主演は村上弘明さん。
どこにも地元の名士はいるが、ここまで熱量が高いと知らない自分に焦る。
え、経堂?近所じゃん(僕は経堂に住んでます)。
テンションあがって「経堂 田中館」で検索したら串カツ田中 経堂店が出てきた。(含まれない: 館)
棒状のオブジェにローマ字が書いてあったのは田中舘先生といえばローマ字だからなのだ。
写真は親切なスタッフに撮ってもらった。なぜ親切と分かるかというと、僕が荷物を置き忘れて堂々と帰ったら追いかけてきて持ってきてくれたからである。
あーこれね、横から見たら別の形に見えるやつだ。福田繁雄と言えばそういう凝った立体作品だもんね。
田中舘愛橘と福田繁雄を満喫した後は九戸城だ。観光案内所で教えてもらった丹市パンでコッペパンを食べて城跡に向かう。
城跡に向かう途中、巨大な岩をくり抜いた観音堂があった。
地元の人に東日本大震災の影響か聞いたら「いや、古いから自然に崩れてきちゃって…」とのことだった。思い込みよくない。
そして九戸城跡だ。
観光案内所の人は「城跡って言ってもなにもないですよ」「建物とかないですからね」と念を押してくれたが、ふだん古墳とか見てるからなにもないのには慣れている。
いや、思った以上にある。十分以上にある。
上の矢印で指した本丸跡がかなりこんもりしている。城が見えるようじゃ。
こうやってぼんやり立っているが川の向こうから大軍が来ていたのだ。松前藩はアイヌの毒矢部隊を擁していたという。やばい(このあと行った埋蔵文化財センターにそう書いてあった)。
この九戸城、城主が豊臣政権に反旗を翻したため、その豊臣軍に滅ぼされて豊臣方の南部氏が移り住む。
しかしこの南部氏、九戸城を「福がいる岡」→「福岡城」という名前に変え、さらに南の地を「盛り上がる岡」→「盛岡」ともっと縁起の良い地名にして移り住むという田園都市線のようなことをした。
このへんの話はこの後訪れる二戸郷土資料館で聞いた。
二戸には馬渕川という川が流れている。川べりは切り立った崖だった。
九戸城の後、埋蔵文化財センターに行ったら、「歴史が好きなら、歴史民俗資料館へ行くといいだろう」と教えてもらった。なにこのゲームのような展開。
リュックに自作の「応仁」バッジを付けていたからだろうか。
これは行かないといけないやつだ。
ここがよかった。大阪に国立民族学博物館(みんぱく)というのがあるけど、それの二戸版である。みんぱく ならぬ にのぱくである。語呂悪いけど。
展示物の説明がコピーしてあって、自由に持っていいっていいのだ。その種類が半端ない。
全部もらっていったら60枚ぐらいになって一冊の二戸の本ができるだろう。もちろん田中舘愛橘関係の資料もある。
これは江戸時代、文字が読めない農民のために作られたお経や暦だそうだ。今やiPhoneにも搭載されているemojiだ。
この意外さに惹かれて学芸員に聞いたらいろいろ教えてくれた。
・二戸は見ての通り崖が多くて平地が少ない
・主な収穫物はあわ、ひえ、豆などの雑穀
・飢饉が多かった
・農業指導のための暦を絵文字で作った
・岩手は南下すると山の間が広くなって田んぼが現れるけど、ここは住むところじゃないよ(笑)
冒頭の展望台からの景色も山が近かった。
きょう1日で見た景色がつながっていく。
歴史民俗資料館の人は帰りのタクシーを呼んでくれた。親切。
ちなみに僕は資料館で「田中舘さんって姓はこのあたりに多いんですか?」と田中舘さんをはじめから知ってるテイで話してスムーズにコミュニケーションできた。3時間前に知ったんだけど。ありがとう田中舘先生。
この置き去り企画、全員がその地の珍味を買ってくることになっていた。二戸駅のお土産屋にはウニや乳製品などの魅力的なものが並んでいた。でも二戸じゃなくて隣町である。
でもここまで歴史を知っておいて、二戸じゃないものを買っていくのも…でも雑穀は珍味じゃないし…。
いっそのことすごく遠いところにしてからし明太子にしよう、と思ったがお土産屋になかった。
▽デイリーポータルZトップへ | ||
▲デイリーポータルZトップへ | バックナンバーいちらんへ |