厳しさを知った
長い年月を積み重ね、磨かれてきた技術がある。歴史と共に地域を形作ってきた産業がある。それをちょっと体験して分かった気になろうなんて、おこがましいことなのだろう。少なくとも、僕のセンスでは。
JR弥彦線で燕三条駅に戻る。
駅構内に、燕三条で生まれた製品たちが飾られている。昼に見たときと見る目が変わる。この品々を完成させるまで、どんなに険しい道のりがあったのだろうか。
それからしばらく、ドラえもんのスプーンとフォークを見るたびに、この日のことを思い出していた。
2年前に「新幹線に置き去り」の記事を見たとき、いいなぁ置き去りにされたい!と思った。
行き先は運任せ、知らない街に置き去りにされ、でもちゃんと帰れる。そんなの絶対ワクワクするだろう。安全性が担保されているのもいい。
舞台は上越新幹線。置き去りにされたのは燕三条。
この街で僕は、己と向き合うことになる。
※この記事は年末年始とくべつ企画「新幹線の駅にひとり置き去り」の中の一本です。
朝8時に東京駅に集合し、7人がクジの代わりに新幹線の切符をひく。僕が引いた切符は「燕三条」だった。
燕三条、実は8年くらい前に1回だけ行ったことがある。
カミさんの実家が新潟で、親族の集まりが燕三条であったのだ。「燕三条は金物の街だから」と、お土産屋で子どもにスプーンとフォークを買い、それは今も我が家で現役でいる。
そのときは義父が運転する車での移動だったので、燕三条のどこをどう走ったのか覚えていない。なので、自分の足で燕三条を確かめるのはこれが初めてだ。
8:52東京発、とき309号新潟行き。12月の平日ということもあり、乗車率は6~7割ほど。コロナ感染対策のため、シートの回転はできない。みんな揃って進行方向を向く。
熊谷、上毛高原、越後湯沢。駅に着くたび仲間が1人1人減っていく。燕三条は終着駅のひとつ前の駅。到着するころには、みんながいなくなる淋しさと、置き去りにされる淋しさが同時にあった。
新幹線の車内では、目的地について検索することは禁じられていた。これからどうしようと階段を降りる。目に入ってきた光景がこれだ。
燕三条駅がある燕市と三条市は、古くから金属加工を中心に栄えた「ものづくりのまち」。金属洋食器の国内シェアは90%を超えるほか、ノーベル賞の晩餐会などにも食器が使われているらしい。
そのアピールとして作られたこのジャンボナイフ&フォークは、通常のフォーク1000本分に相当するステンレスを使用して作られたとのこと。入り口から本気をうかがせる。
改札を抜けて駅構内をさまよう。
さてこの燕三条駅、実は燕市と三条市の市境の真上に立てられている。
どうやら駅を誘致する際にどちらの市に建てるか揉めたらしく、間をとって市境に建てたそう。その後も駅名称を「燕三条」にするか「三条燕」にするかで紛糾し、あの田中角栄が仲裁に入ったとか。
ちなみに、駅のそばを走る北陸自動車道のインターチェンジは「三条燕IC」になっている。
落としどころ、という言葉が頭をよぎる。
燕三条駅に到着したのは10:57。帰りの新幹線は16:37に出る。滞在時間は5時間半。多いような、少ないような。
企画の名前こそ「置き去り」だが、幸いにも駅前は栄えている。昼食をとれるところを探そう。ちょっと調べたのち、燕口から駅を出て西へ。
空は快晴。日差しも温かく、「北に向かうから」と気負って厚着してきたせいで歩くと汗ばむほどだった。みんなが降りた駅はどんな気候だろうか。
燕三条には、ご当地ラーメンが2種類ある。「燕三条背脂ラーメン」と「カレーラーメン」。
当サイトのライターなら迷わずカレーを選ぶところだろうが、カレーラーメンの存在を知ったのは背脂系のラーメンを食べたあと。でもいいんだ。あったかいものが食べたかったから。
ストレートの太麺に、玉ねぎと岩のり。背脂はたっぷり乗っているけど、そこまで脂っこくない。玉ねぎと一緒に麺をすすると、シャリシャリした食感が面白い。
旅先で食べる美味しいラーメン。幸先の良いスタートと言っていいだろう。健康診断で「ちょっと脂肪肝気味ですね」と言われたことはすっかり忘れていた。今日はこのあとずっと移動するからいいの。
さて、昼食にこのお店を選んだのはもうひとつ理由がある。
早く取れ高がほしい。そんな不安が効率を求める。
燕三条地場産業振興センターは、その名の通り地場産業の振興を目的に建てられた施設。研修室や技術開発、産官学共同研究といった企業支援の機能を持つ。
その中にあるのが「燕三条物産館」だ。燕三条の職人たちによる品が並ぶ、めちゃくちゃ広い即売場である。
とにかく金属加工品ならなんでもあるのではというくらい広い。みんな金属なので、店内がピッカピカだ。
食器、鍋、包丁、おろし金といった台所用品がフロアの半分を占めている。加工する金属も、ステンレスや銅、錫などさまざまある。
そしてフロアのもう半分は「工具」で占められていた。そっちもあるんだ。
これだけたくさん「ものづくりのまち」を浴びると、実際に作っている現場を見たくなってくる。工場見学やものづくり体験ができるところはないだろうか。
調べてみると、確かに体験ができるところはたくさんある。だがその多くは事前予約制。
いきなり駅に置き去りにされた人は想定されていない。
さらに調べ、ようやく予約なしで鍛冶体験ができるところが見つかった。燕三条駅のひとつ隣、JR弥彦線の北三条駅付近にある。
だが、ちょうどいい時刻の電車はない。タクシーを使ってもいいが、ルートを調べると信濃川を横切るようだ。
せっかくだから日本一長い川を徒歩で渡ろう。30分ほどの道のり。
燕三条地場産業振興センターを出て、駅を挟んで東へ向かう。
バイパスは車の通行量も多いが、歩いている人とはほとんどすれ違わない。
言わずとしれた「日本で一番長い川」信濃川。こうして一部だけ切り取ると、どこにでもある川辺の風景だ。地図帳では特別な存在でも、現地では普段の顔がある。
川沿いに「リバー」というホテルがあるのも良かった。「川」だね。
橋を渡ると住宅地に出た。ぽつりぽつりとこの地で暮らす人の姿を見かける。道路工事をしている人に挨拶をして、端っこを通らせてもらう。
30分ほど歩いて、目的地の「三条鍛冶道場」に着いた。
三条市の伝統産業である、鍛冶技術の体験ができる施設だという。
受付の方から説明を聞く。体験メニューは「和釘づくり(大人500円)」と「ペーパーナイフづくり(大人1000円)」の2種類。自宅から包丁を持参すれば、包丁研ぎ体験もできる(いずれも3名までであれば予約不要)
あいにく包丁は持ち合わせていない。せっかくなので普段使いができるものを、と、ペーパーナイフづくりを選んだ。
職人さんが1人ついて、今日やることと、道具の説明からスタート。最初の工程は、炉で熱した五寸釘を金槌で叩いて平らにすること。
金槌の持ち方はこう、と、お手本を見せてもらう。強く握らず、握る手と金槌の柄のあいだに若干隙間を空ける。叩いた反動を利用して、リズミカルに金槌を打ち付ける。
だが、僕は致命的にセンスがないらしい。軽く握ったつもりでも、親指の位置が違うそう。握りすぎない……と意識すると、今度は弱すぎて力が入らない。
何度も指摘を受けるうち、だんだん分からなくなってくる。
今度は熱した五寸釘に金槌を打ち下ろす。速く叩きすぎない。肩を入れず腕だけで金槌を振ること。金槌の中心を確実に釘の真ん中に振り下ろすこと。そうやって同じ場所ばかり叩かない。
叩き方を意識すると握り方がおろそかになる。職人さんから「難しく考えすぎなんだよ」と言われるも、何度やっても合格点に至らない。マスクから吐く息でゴーグルが曇る。
そうこうするうちに真っ赤だった五寸釘は冷め、熱するところからやり直しになる。
みんなができることができない。
釘の先と頭を潰し、頭をひねってペーパーナイフの柄にする。つぶした釘の先の形を整え、刀のようにする……という工程は、結局すべて満足にできず、職人さんにリカバーしてもらった。
完成したペーパーナイフをいただいて、外に出た。
すっかり日が傾いてきていた。
長い年月を積み重ね、磨かれてきた技術がある。歴史と共に地域を形作ってきた産業がある。それをちょっと体験して分かった気になろうなんて、おこがましいことなのだろう。少なくとも、僕のセンスでは。
JR弥彦線で燕三条駅に戻る。
駅構内に、燕三条で生まれた製品たちが飾られている。昼に見たときと見る目が変わる。この品々を完成させるまで、どんなに険しい道のりがあったのだろうか。
それからしばらく、ドラえもんのスプーンとフォークを見るたびに、この日のことを思い出していた。
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