個人史マップが楽しい
個人の思い出を土地と結びつけ、共有してみようという試みだ。一人一人思い出は違うはずなので、同じ地域でも別のマップができるはず。自分の住んでいる場所でも、誰かの思い出を見てから歩けば違う景色に見えるかもしれない。あと、個人史マップを作る作業自体も楽しい。
地図というものがある。観光マップや海図、登山地図など様々な種類が存在する。どこかに行こうとする時、地図は欠かせない。今ではスマートフォンに地図が入っているので、どこでもいつでも地図を見ることができる。
この地図に自分の思い出を記したらどうだろうか。観光地ではなく、その人の思い出がマッピングされているのだ。土地と個人の思い出がリンクしたマップ「個人史マップ」が完成することになる。
※この記事は「ツルが集い、タツノオトシゴが泳ぎ、佐多岬が遠い旅 ~地元の人頼りの旅in鹿児島県~」に行った際に撮影したものです。この記事もぜひ読んでください!
旅行に行こうとガイドブックを買うと、観光マップがページに含まれている。その地域の見るべき場所や、行くべきお店などが記されている。我々はそれを見て、ここに行こう、というように決めるわけだ。
この観光マップをもっと個人に寄せたものが「個人史マップ」となる。製作者は個人の思い出をマッピングすることで自分だけのマップを作ることができ、それを公開することで、第三者がその人の思い出を追体験することができる。
観光マップに記される景勝地や歴史ある建物などはその街のほんのわずかでしかない。街の多くの場所は、なんでもない場所だ。個人史マップでは、そんななんでもない場所に意味を持たせることができ、同時に土地と個人の結びつきを可視化することができるわけだ。
私の個人史マップを作ってみた。小学生時代の4年間を過ごした鹿児島県の谷山という街の個人史マップだ。Googleマップで作ることで、作ることも容易で、シェアなども簡単。誰かが行ってみたいと思うかもしれない。
どのような思い出を記せばいいのか、と思うかもしれない。そこで私がマッピングした思い出を紹介したい。小学校の3年生から卒業までの4年間を過ごした鹿児島市の谷山という場所の個人史マップだ。
鹿児島市谷山はかつて谷山市だったけれど、1967年に鹿児島市と合併した。私が通っていた谷山小学校は、一時期日本一のマンモス校と言われる児童数を誇った。私が通っていた時も7組くらいまでは普通にあったので、多いなと思っていた。
今回の個人史マップはまさに私がそのような小学校に通っていた時期の思い出をマッピングしてある。今ではなくなっているお店等あるし、当然私がマッピングしなければ、観光で訪れる人は知らないままの場所もあるだろう。
先にも載せた写真の場所だ。ここは昔、川が流れていた。現在は暗渠となっているけれど、当時は川で小さなカニが獲れた。観光でどこかに行った際に、「かつて小さなカニが獲れていた場所を見たい」と思うことがあるかもしれない。そんな時はここなのだ。
当時は橋になっていて、見下ろすと小さなカニが見えた。それを必死に獲っていた。友達と必死にカニを獲った。獲ったカニを飼っていたこともあった。しかし、今は暗渠となり、カニを見ることはできない。あのカニたちはどこに行ったのだろうか。
次はどこにでもあるテニスコートだ。私はよくこの公園を通っていた。ここでテニスをする人を見かける度に、テニスって楽しいのだろうか、と思っていた。そのためだろう、小学校で「小腸の長さはテニスコート1面分」と習った時に、このテニスコートが思い浮かんだ。
このようなエピソードがなければ、どこにでもあるテニスコートだ。観光では有名でもない限り、その辺のテニスコートに行くことはないと思う。しかし、誰かの思い出の場所となれば、もしかすれば足を伸ばすかもしれない。伸ばして、小腸に思いを馳せて欲しい。
私が小学生の頃にたまごっちがブームになった。その波は当然鹿児島の谷山まで来ており、品薄状態になっていた。当時の私は飼育係で、小学校が休みの日の朝にうさぎ小屋の掃除に来ていた。そこにクラスメイトがやってきた。
「あのおもちゃ屋にたまごっちが入荷するらしい、しかも白だ」という噂を聞いたらしく、学校に誰かいないかと思いやってきたそうだ。白は当時価値がより高かった。それで掃除が終わった私たちはそのおもちゃ屋に走ったのだ。小学校からすぐの場所のおもちゃ屋で、名前を失念したのが実に惜しい。
その噂はデマだった。たまごっちは色なんて関係なく入荷していなかった。そもそも入荷していてもお金を持っていなかったけど。さらに今その場所に行ったらおもちゃ屋はなく更地になっていた。永遠にたまごっちが買えない場所なのだ。ぜひ見たいという人もいるだろう。
小学校では地元教育みたいなものがあって、住んでいる地域のことを知る機会があった。そこで知ったのが「伝豊臣秀頼墓」だった。豊臣秀頼は、豊臣秀吉の子供で大坂夏の陣で自害したはずだけれど、実は生き延びて木之下に居を構えたそうだ。
谷山には「木之下川」が流れている。木之下は豊臣家の旧姓に因んだものと言われている。真偽はともかくそれを聞いた私は心躍らせ、放課後にこのお墓を訪れた。当時は通学路にコースがあって、私は8コースだったけれど、9コースでも帰れ、その応用型で伝豊臣秀頼墓に寄ることができたのだ。
ちなみにお墓の下からは何も出てこなかったそうだ。鎌倉時代以降に谷山郡を納めていた初代谷山氏の供養等ではないかと言われている。そんなことは知らず、当時の私はとにかく手を合わせたのを覚えている。
先にでも出てきた「木之下川」。当時の私は夏になるとここで泳いでいた。誰かがかつて泳いでいた川を見に行きたい、と思うことがあるかもしれない。そんな時はここなのだ。今は綺麗だけれど、当時はもう少し汚かった気がする。
上記はほんの一部で個人史マップにはもっといろいろな場所をマッピングした。「初めて点滴を打った病院」や「電気風呂はまだ早いと感じた温泉」、「留守電を試すために行ったスーパー」など。何気ない日常の風景に価値を生み出す試みだ。
アニメや映画などに登場した場所が聖地として人気を集めることがある。それに似ているかもしれない。ここにこんな思い出を持っている人がいるんだな、と思ってもらうのがこの個人史マップの狙いだ。
写真と思い出を記入して地図を作るのがポイントだ。Googleマップにはマイマップという機能があって簡単に作ることができる。そして、今回作った個人史マップを当サイトの編集部安藤さんに見てもらい、感想をもらった。
安藤:ひとつひとつのエピソードもあって面白いですね。「いつか泊まりたかったホテル」とか、もう思い出でもなく願望。ぜんぜん知らない土地だけどストーリーがあると親近感わきますね
ちなみにいつか泊まりたかったホテルは「錦江高原ホテル」で、山の上にあるので、住んでいる場所から毎日見ていた。いつか泊まりたいと思っていたけれど、2015年に休業し、閉鎖したそうだ。叶わぬ夢だった。
安藤さんの感想からもわかるように、個人史マップは割と好評のようだ。今回は私が作ったけれど、もっといろいろな人の個人史マップを見たいと思っている。そして、そこに行ってみたいと思っている。知らない土地の、知らない人の、知らない時間の旅。楽しいと思うのだ。何もない街なんてないのだから。
個人の思い出を土地と結びつけ、共有してみようという試みだ。一人一人思い出は違うはずなので、同じ地域でも別のマップができるはず。自分の住んでいる場所でも、誰かの思い出を見てから歩けば違う景色に見えるかもしれない。あと、個人史マップを作る作業自体も楽しい。
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