お風呂の可能性
お風呂は体を洗ったりする場所だと思っていた。しかし、それは大きな間違いだった。海なのだ。お風呂という名の海なのだ。自宅に海があるのだ。川の様子を映し出せば川にもなる。シュノーケリングはもはや寒くない時代になったのだ。
シュノーケリングというものがある。水中メガネとシュノーケルをつけて海に潜り、海中の様子を観察するものだ。美しい魚を見ることができたり、ウミガメが泳いでいたりと、地上では見ることのできない世界をのぞくことができる。
そんなシュノーケリングをぜひやりたいと思う。しかし季節は冬だ。冬の海は寒いのでシュノーケリングはできない。寒さなんて我慢しろよ、と言う人もいるかもしれないけれど、寒いのは嫌なのだ。そこで寒くないシュノーケリングをしようと思う。
島国である日本は海に囲まれている。その海には魚が生息している。季節問わず、海と魚は存在し、水中メガネをつけて海に潜れば、いつだって美しき世界を見ることができる。
問題は、現在は冬であり、寒いということだ。寒い季節に海に入るのは何かの修行的なこと以外では避けたい。なぜならとにかく寒いから。震え上がるから。冬の海は地獄なのだ。
ただシュノーケリングはしたい。でも寒い。我々は常にこの問題を抱えて生きている。人生においての一番の悩みと言ってもいいかもしれない。駅前を歩く、あの人もこの人も、みな「シュノーケリングがしたい、でも寒い」と悩みながら歩いているのだ。
私は悩んだ。全人類の悩みを解決できないかと。そこで思いついたのだ。シュノーケリングとは、水中メガネとシュノーケルをつけて、水に顔をつけて、水中の様子を見ることができればいいわけだ。だったら、と素敵な解決方法を思いついた。
海である必要はないのだ。お風呂でいいのだ。湯船にお湯をためて、水中メガネをつけてシュノーケルを咥えて潜れば、それはもうシュノーケリングなのだ。寒くない完璧なるシュノーケリング。だってお湯だもの。
問題はお風呂には、魚がいないこと。海の世界がないことだ。だってお風呂だから。しかもお湯だから。本当の魚を入れたら、煮えてしまう。岩などを置くのも手間だ。ただ何もしなければ、私の家のお風呂の場合は、白い浴槽の底を見続けるだけになる。
水族館で水中の様子の動画や静止画を撮影した。それらをプロジェクターで浴槽に投影するのだ。さすれば、浴槽に本当に岩などを置かずとも、カクレクマノミ等を泳がせなくとも、海の世界が完成する。
プロジェクターと映す映像は準備できた。あとはお風呂にプロジェクターを置く場所を作ればいいだけだ。シュノーケリングとはもはや海に行かずともいい時代になったのだ。
地震などの時に家具が転倒しないように使う突っ張り棒を2本、お風呂場に設置した。その上にプロジェクターを置く。ちなみにこのプロジェクターはモバイルバッテリーで動くので、プロジェクターにつなぎ、先の映像が入っているスマートフォンもつないだ。
ここからがお風呂シュノーケリングのいい点だ。お湯だ、お湯を湯船にためるのだ。水ではないので寒くない。これを撮影した日は、外は当然一桁の温度という寒い日ではあったけれど、お湯だから寒くないシュノーケリングを実現できる。
ちなみに私の家のお風呂は冬場、水にしては温かく、お湯にしては冷たい温度の液体しか出ないので、湯気などでプロジェクターが曇るとかそういうことがない。だってお湯にしては冷たいから。もしかすると我が家はシュノーケリングをするためにある家なのかもしれない。
我が家のお風呂が海になった。塩辛くはない、寒くもない。しかし、そこには水(お湯)があり、水中には魚が泳いでいる。海である。海なのだ。もはやお風呂ではない、海なのだ。シュノーケリングをするしかないのだ。
湯船の中に海の世界が広がっている。ウツボが穴から顔を出し、タコが泳ぎ、サメが登場し、カクレクマノミが気持ちよさそうにしている。そんな世界が私の家のお風呂に広がっている。泳ぐ必要なく、そこに顔をつけておけば、いろいろな海の様子を見ることができる。
本当のシュノーケリングでは、違う魚を見ようと思えば、多少は移動しなければならないだろう。しかし、お風呂シュノーケリングは事前に準備さえしておけば、次々にいろんな海で暮らす生き物が出てくる。
動画をプロジェクターで映せば、臨場感もある。目の前で魚が泳いでいるように感じるのだ。寒くなくて、好きな魚を好きなだけ見ることができる。完璧ではないだろうか。事前に準備する手間はあるけれど。
あとこれは私の家に限るかもしれないが、泳ぐという感じではない。浴槽が狭くて、プロジェクターの映像部分を考えると、ほぼ身動きは取れなくて、顔をつけるしかできない。でも、考え方だ。泳げない人でも楽しめる、楽なシュノーケリングと思えばいいのだ。
しかもだ、この後、シャンプーできるし、体を洗うこともできる。それがお風呂シュノーケリングのいい点だ。お風呂の可能性は無限大なのだ。お風呂とはもはや海なのだ。海を見に行こうと言って私の家のお風呂に行けばいいのだ、寒くないから。
お風呂は体を洗ったりする場所だと思っていた。しかし、それは大きな間違いだった。海なのだ。お風呂という名の海なのだ。自宅に海があるのだ。川の様子を映し出せば川にもなる。シュノーケリングはもはや寒くない時代になったのだ。
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